井上織姫は、偶然がかさなって作られた、幸せな空間にうっとりしていた。 うららかな春。羊の毛のような雲がふわふわ浮かんだ水色の空。 見上げれば、ほのかな甘い香りと共に桜の花びらが舞い飛ぶ。 自転車の後部座席に、ちょんと横座り。揃えた足が、横に流れる。 「揺れてねぇか? 井上」 そう言って振り返った、自転車をこいでいる男は黒崎一護だった。 「……どうした?」 ひとりでニコニコしている織姫を見て、首をかしげて聞いてくる。ううん、と慌てて首を振った拍子に、グラリと体がよろめいた。 「危ねぇ!」 ひょい、と伸びてきた一護の手が、織姫の手を捕まえる。 「ホラ、ちゃんと捕まっとけよ」 「う、うん」 手を一護の背中に導かれ、ドキリとする。そっと捕まった背中は広かった。 また前を向いてしまった一護の背中をじっと見つめて、また、微笑む。幸せだった。 予定がなかった日曜の昼下がり、ふと思い立って図書館に出かけた。 英語の教科書の宿題にうんうんと唸っていたとき、席の横を通りかかったのが一護だった。 勉強を教えてもらったばかりか、こうやって帰り道、送ってもらうことになるなんて。 たまには勉強も悪くないな、と織姫は思う。最も緊張したせいで、教えてもらった内容は頭に入らなかったけれど。 川沿いの土手の道を、一護はゆっくりと自転車を走らせた。 散歩にはちょうどいい気候のせいか、自転車に乗っていたり、犬の散歩をしていたりと出歩く人々は多い。 笑いさざめく声の中で、ふと織姫は聞き覚えのある声を聞いた気がした。 「オイ、もっとキリキリ走れよ。遅い」 「もー、風情がないですねぇ。こういうのはゆっくり楽しむのがいいんですよ」 自転車をこいでいた一護が、ん? と振り返る。 「たく、なんでこんなことになってんだか」 「いいでしょ? 隊長だって結構おもしろがってたじゃないですか」 「どこがだ」 隊長!!? 一護と織姫は、慌ててその声の主を探した。 その2人の目の前を、ママチャリに乗った見慣れた2人が追い抜かしていく。 「なんだ、黒崎に井上か」 荷台に座った日番谷が、2人を一瞥した。 「ひゅーひゅー! 熱いわねぇ」 じゃねー、と自転車をこいでいる乱菊がにこやかに手を振る。 「久しぶり……じゃなくて、ねぇ待って!!」 織姫が声をあげ、一護は自転車をこぐ足に力を入れた。 「何やってんだよ! 乱菊さんはまだしも冬獅郎まで!」 「冬獅郎じゃねぇ。日番谷隊長だ!」 「じゃあ何をしてらっしゃるんですか、日番谷隊長!」 「何って、見たら分かるだろ」 一護と日番谷の会話を聞きつつ、織姫は追いついた2人をまじまじと見た。 乱菊は薄い黄色のワンピースにブーツを履き、ベージュのトレンチコートをふわりとまとっている。 日番谷はジーンズに、寒くないのか黒のTシャツを着ただけだ。 乱菊が自転車をこぎ、日番谷は荷台に座っていた。ただし、後ろ向きに、胡坐をかいた姿勢で。 そして、その右腕には大きな紙袋を抱え、左手には半開きの本を持っていた。 日番谷は、手にした本を示してみせる。 「調べ物だ」 「俺が気になってんのは、そこじゃねぇ!」 2人のやり取りに、ぷっ、と乱菊が噴出した。そして、乱菊が説明したのは、かいつまんでこのようなことだった。 日番谷と乱菊は、瀞霊廷では手に入らない情報を調べるため、現世の図書館にやってきた。 しかしあまりにもいい陽気なので、乱菊はすぐに外に出かけたいと騒ぎ出した。 外で読めばいいと渋る日番谷を引っ張り出し、通りかかった自転車やでママチャリをなぜか衝動買いした、らしい。 嫌がる日番谷を無理やり荷台に引っ張り上げ(日番谷が自転車をこぐと言い張ったが、子供用しか乗れなかった)、 途中で昼食を買ってハイキングの途中(調べもの、という目的は乱菊からすでに拭い去られている)、いうところのようだ。 「へぇ〜、死神さんが現世に調べ物に来ることってあるんだね」 「現世に関することは、現世に行って調べるのが一番手っ取り早ぇんだ」 というか、さっきまで自分達がいた図書館と一緒のはずだ。出会ったらさぞおもしろかっただろうと織姫は思う。 「どう織姫、あたしたちラブラブに見える?」 「わけねーだろ」 日番谷が素早く否定する。 織姫は2人の様子を見て、思わず笑い出した。 「なんだよ?」 日番谷が片方の眉を跳ね上げるが、織姫は笑って首を振った。 今思ったことを口にしたところで、そんなワケあるかと日番谷は怒るに違いない。 もしも2人の体格がもうちょっと近かったら(というのは控えめな表現で、日番谷の身長がもっと高ければ)、 2人はいいカップルになっただろうな、と思ったことはあった。 何しろ金髪に銀髪、碧眼の2人はただ立っているだけで華やかな気配を持っていたし、口ケンカしようがやっぱり、2人はいつも一緒にいたからだ。 読み止しの本に再び集中しだした日番谷は、自転車をこぐ乱菊の背中に軽くもたれかかっている。あまりに自然で、ドキリともしないくらいだ。 その肩から膝の辺りまで、風で後ろに流れた乱菊の髪が何束かふわりとかかっている。金色と銀色の髪が混ざり合い、穏やかに光る。 キレイだな、と織姫は見とれた。 「ハラ減ったな」 そんな織姫の思いなど露知らず、不意に日番谷はそう言った。抱えていた紙袋の中に手を突っ込むと、サンドイッチを取り出す。 一抱えもある紙袋に、一護が怪訝そうな顔をする。 「……お前、もしかしてその袋の中、全部食い物か?」 「多すぎだって言ったんだけどな」 「いいじゃないですかぁ。量少ないと、なんだか可哀想な子みたいでしょ?」 「誰が可哀想な子だ」 「ねぇ一護、織姫、あんた達も一緒に来ない? こんないい天気なのに、帰るなんてもったいないわよ」 織姫は一護と視線を合わせる。ちょうど、もうちょっと長くいたいと思っていたところだった。 一護が頷くのを見て、織姫の心に嬉しさが膨らむ。日番谷が手にしたサンドイッチを口にしようとした瞬間、 「あーーー!!」 振り返った乱菊が大声をあげ、日番谷は思わず手を止めた。 「何だよ? 急に」 「何で今食べるんですか! せっかくのハイキングなんだから、ついてからにしましょうよ!」 「俺は調査に来たんだ、ハイキングに来た覚えはねぇ! 大体、俺の金で買ったもんくらい好きに食わせろ」 ほんと風情がないんだから、と文句を言う乱菊にかまわず、日番谷はサンドイッチを口に入れる。 「じゃあ、あたしも欲しい!」 「喉に詰まるぞ」 そういいながら、日番谷が伸び上がって乱菊にサンドイッチを手渡す。そして、ついに声をたてて笑った織姫に、怪訝そうな表情を向けた。 「なんで笑ってんの、織姫?」 「ううん」 分からないだろうな、と織姫は思う。傍からは幸せに見えるのに、本人達は当たり前だと思っている。 それがどれほど幸せなことかってうことも、きっと気づいていない。体格、立場も年齢も違うけど。 でも、だからこそ絶妙なこの関係がある気がする。 「うらやましいな、って思って」 そう言うと思ったとおり日番谷は、 「なんで」 と分かっていない顔をした。 *** 乱菊は、春の風にゆるゆると髪をなぶられながら、いつになく穏やかな気持ちで、後ろの木に背中をもたせかけていた。 足の下の芝生がここちよい。空座町が見渡せる小さな公園に、4人はやってきていた。 見下ろすと、膝の上には、規則正しい寝息を立てる日番谷の頭がある。 その顔は開かれた本の下になっていて見えないが、きっとあどけない寝顔だろうと思う。 ふふっ、と微笑んだ。もちろん、日番谷が自分から膝の上に乗ってくることなんて絶対にない。 寝入ったところを、そっと膝の上にもってきたのだ。それでも気づかないほどだから、よっぽど眠かったのだろう。 それに、自分に気を許してくれているっていうのも少しはあるのかもしれない。そう思うと、なんだかとても嬉しかった。 「……で。ここがこうなるだろ? だから……」 「ちょ、ちょっと待って、考えるから」 2人から少しはなれた木陰で、一護と織姫が声を落として、勉強しているのが聞こえてくる。 芝生に並んで腰を下ろし、中央に教科書を挟んで、なにやら話し続けている。もっぱら先生役は一護のようだった。 じれったいな、とそれを見た乱菊は思う。二人の距離は、30センチくらい離れている。何かの弾みで近づいても、すぐに離れてしまう。 それを見ていると、前に織姫と交わした言葉が、思い出された。 ―― 「オリヒメー。あんた、一護のこと好きなんでしょ?」 ―― 「ええっ!?」 ―― 「ごまかさなくていいの! 分かってるから」 乱菊は、慌ててごまかそうとする織姫の前に掌を持ってきて、続けようとした言葉を制した。 場所は織姫のマンションで、日番谷がシャワーを浴びている水音が、聞こえてきていた。 ―― 「何で告白しないのよ? そうしないと、誰かに取られるかもしれないでしょ? それでもいいの?」 本当は、一護が誰か他の女とつきあっているところなんて想像もできないが、あえて言ってやる。織姫はううん、と眉間に皺を寄せた。 ―― 「それはちょっとヤ……かな」 ―― 「ヤ、どころじゃないでしょ本当は? 言っちゃいなさいよ、減るもんじゃないし」 しかし、織姫はそんな乱菊に、迷わず首を振ったのだ。 ―― 「いいの。黒崎くんは、今死神さんたちと一緒に、この町を護ろうとしてる。そんな時に、あたしなんかのことで困らせたくないよ」 ちょっとだけ寂しそうに、笑って、そういった。 だから30センチ、か。乱菊は後ろから見守りながら、思う。 ―― バカね、織姫。 なにも気づいていないのね。織姫が教科書に見入っているその時、どれだけ一護が優しい瞳で見守っているのか。 そんな表情を一護が見せるのは、相手が織姫のときだけだってことを、分かってない。 結局、人が護りたいと思うのは、町なんて漠然としたものではなく、人なのだ。 乱菊が護りたいのが瀞霊廷ではなく、この膝の上にいる少年なのと同じように。 一護が町を護るというのなら、それはその町に護りたい人がいるからに、違いない。 そう思っていたらふと、試してみたくなった。乱菊は、その頬にイタズラっぽい笑みを浮かべる。そっと、呟いた。 「……破道の一、衝」 最も弱い破道を、織姫の目の前の芝生を狙って放つ。直接当たったとしても、ビックリするくらいのレベルに力を抑えていた。 しかしそれに過剰なくらい反応したのは、一護だった。 「え? ちょ……黒崎くんっ?」 突然肩を掴んで抱き寄せた一護に、織姫が悲鳴に近い声を上げる。 一護はそれには答えず、織姫を懐に抱え込むと、破道の一撃を拳で叩き落した。芝生の緑がパッと散り、一護は油断のない瞳を周囲に向ける。 「乱菊さんっ、あたりに霊圧感じるか?」 まさか、それを撃った張本人だとは思うまい。乱菊はシレッと首を振る。 「さぁ? ものすごく弱い一撃だったから、虚だとしてももう逃げたんじゃない?」 「……ほぉ……」 低い声が下から聞こえ、乱菊はぎょっとする。そーっ、と見下ろした。 「お、起きたんですね隊長」 「いきなり霊圧感じたら起きるに決まってんだろ」 パシン、と日番谷は顔の前にかぶせていた本を閉じる。素早く起き直ったその眉間には、それは深い皺が刻まれている。 「一体何を悪ふざけしてんだ。……お前ら、ケガはねぇか」 日番谷が一護と織姫を見やった途端、言葉を留めた。 「……えっと」 見てはいけないものを見たように、言いよどむ。 目の前にあったのは、織姫を抱き寄せる一護と、その肩に寄りかかるようにくっついた織姫の姿だった。 寝てる間に何があったんだ、と日番谷が思ったとしても無理もない光景である。 「……」 一護と織姫が、至近距離で見つめあう。そして、慌てて離れた。耐え切れなくなったかのように、乱菊が噴出す。 「あたしたちお邪魔みたいですよ、隊長」 「……じゃ、そういうわけで」 「おい、何がどういう訳なんだよ!」 そそくさと立ち上がった日番谷と乱菊に、慌てた一護が追いすがる。だがその時には、乱菊が穿界門をその場に出現させていた。 「がんばりなさいよ、織姫」 そういった乱菊の言葉の意味は、一護には分からなかっただろう。でも、織姫は顔をますます赤くした。 良かったわね、と乱菊は思う。あんたの想いは、すぐに叶いそうよ。 それにあんたと一護だけが気づいてないってことは、ご愛嬌ってことで。 HAPPINESS FIN.
ひとまる様へ捧げます。
「日乱と一織で、お互いのカップルについて感じたこと、ギャグ以外」という
リクでしたが、ご希望に少しでも添えてたら嬉しいです^^
まだまだ青い2組でした(笑
切香より愛を込めて。
[2009年 1月 28日]