心地よい冷たい風が、頬をなでてゆく。
「う……」
日番谷は一声うめき、自分の声に目を覚ました。
見覚えのある白い天井が視界に移り、一気に覚醒する。
―― なんで??
何よりもまず疑問が胸をよぎり、バネ仕掛けの人形のように跳ね起きた。

「おー、起きたか? 冬獅郎」
キィ、と音を鳴らして、椅子がくるりと回った。
「……夏梨」
一護の勉強机に教科書を広げた夏梨が、日番谷を振り返ってニィッと笑う。
「お前、夏バテで飯食えなくて、挙句の果てに栄養失調起こして倒れたんだって? 大丈夫かよ?」
「あ……あぁ」
「死神の癖に倒れるなんてさ。医者の不養生みたいだな」
それは違うだろ。そう言い返そうとして、日番谷はようやくまともに覚醒した。
「そーじゃねぇ、なんで俺はこんなトコにいるんだ?」
四番隊の病室で意識を飛ばしたはずなのに、一体どうして黒崎一護の部屋のベッドで寝ていたんだろう。


日番谷はおそらく、きょとんとしたのだろう。夏梨がこらえきれないように、ぷっと吹き出した。
「ルキアちゃんが、お前を連れてきたんだよ。この部屋にクーラーあるかって」
「クーラー?」
「クーラーを知らねぇの? あれだよ。冷たい空気が出てる機械」
言われて見れば、部屋の空気はぐっと冷え込み、肌に心地よい。
日番谷はベッドの上に立ち上がると、天井近くの壁に取りつけられた、長方形の機械を見上げた。

「……ホントだ。冷たい空気が出てる」
「お前の世界にはクーラーないのかよ?」
「そんな便利なもんねーよ」
「それなのにそんな真っ黒い着物着てたら、夏バテにもなるって」
夏梨はそう言うと、死覇装姿の日番谷に服をぽんと放り投げた。受け取ってみると、それは白のTシャツに、膝丈のジーンズだった。
「あたしの服だけど、男物だし。着替えれば?」
「……」
夏梨の服を渡される、というのはかなり不本意だが、確かにサイズはピッタリ合いそうだ。
服を広げてみながら、日番谷は改めて夏梨を見返した。
「ていうか、黒崎はどこだ?」
「遊子と一緒に夕飯の買出ししてる。あたしは宿題終わんなくて、留守番。お前もいたし」
難しいんだよコレ、と泣き言を言って教科書に向き直った夏梨の後ろから、日番谷が覗き込む。
「……なんだ、コレ」
見るなり怪訝そうに眉を顰めた日番谷を、夏梨は肩越しに振り返った。


***


「ただいまー!」
遊子と並んで、一護は自宅の玄関へと足を踏み入れた。
「冬獅郎くん、起きてるかな」
入るなり遊子は声を潜めると、スーパーの袋をキッチンのテーブルに置くと、そーっと一護の部屋へと足を進める。
「起きねぇって、そんなこっそり行かなくても」
後について入りながら、一護は苦笑する。リビングの時計は、夕方の5時を指していた。日番谷が運び込まれてから、すでに6時間近くが経過している。
正体を失った日番谷をルキアが背負って来たときには何事かと思ったが、ただの夏バテと聞いて胸をなでおろしたものだ。
とにかくクーラーの効いた部屋で休ませてやってくれといわれて、クーラーは強めにかけてある。

足音を忍ばせて歩み寄った遊子は、そーっとドアを細く開けて中を覗き込んだが、その途端にぷっと吹き出した。
「来て、おにいちゃん」
手招きされて、スーパーの袋の中身を空けていた一護が部屋に向う。遊子と並んで中を見て、思わず頬をゆるめた。

一護の机の前に椅子を二つ並べ、Tシャツ姿の二人が背中を向けていた。
どこからどう見ても小学生同士が宿題中、というようにしか見えない。耳を澄ますと、二人の会話が聞こえてきた。
「簡単すぎる。こんなのが宿題って、現世はどうなってんだ」
「あたしはお前と違って、十年しか生きてねぇの! うー、ここ分からねぇ……」
「ここは『蒼』。草冠に倉って書くんだ。青いっていう意味だよ」
「えー、なんで青って字じゃいけねえんだよ」
「俺に聞くな」
「どんな時に使うんだ?」
「そうだな、蒼火墜って鬼道の時に使うな」
「ソウカツイ?」
「死神の技だよ。こうやって、掌を前にやって霊圧を込めるだろ」
「ふんふん。こうか?」
「って、オイ! 脱線しすぎだろ」
いきなり背後から突っ込んだ一護に、二人は振り返る。
少し驚いたその表情が二人とも一緒で、なんだか弟が追加でできたみたいだ、と一護は思う。
「俺の妹に死神の技教えんなよ」
「むしろお前のほうが必要だな」
「いらねー、才能なさそうだし。それより、飯ぜんぜん食わねぇんだって? 乱菊さんに、あんま心配かけさせんなよ」
ぐっ、と日番谷が言葉に詰まる。
日番谷が乱菊に切れる、というパターンばかり普段見ているが、
実はどれほど乱菊が日番谷を見守っているのか、一護にはなんとなく分かるのだ。

「……けっ、心配してんのは俺のほうだ。とても仕事が回ってるとは思えねぇ。瀞霊廷に帰る」
憎まれ口を叩くと、立ち上がる。一護がそれを制した。
「なんだよ?」
「ルキアが言ってた。仕事なら乱菊さんがやってる。決裁は涅マユリと、剣八と、砕蜂さんがやってるんだってよ」
「……明日は天変地異でも起こるんじゃねぇのか。なんなんだそのメンツは」
うなった日番谷が、ああ、と頷くには時間はかからなかった。
「こっちは夏休みなんだ。お前も、たまにはいいんじゃねぇの?」
なつやすみ、とぎこちなく繰り返した日番谷に、一護は思わず笑い出す。本当に休み慣れていないらしい。

遊子が、ひょいと一護の影から身をのぞかせた。はちきれんばかりの笑顔を浮かべている。
「あたし、栄養タップリのご飯作るね! 待ってて」
遊子が弾んだ声で言うと、くるりと背中をむける。たんたん、と階段を下りてゆく足音が聞こえた。
「……まぁ、いいか」
日番谷は、ぼすんと気が抜けた音を立てて、一護のベッドに背中から倒れこむ。
「瀞霊廷から泣き言言ってくるまで、居座ってやる」
「ドーゾ、ご自由に」


現世にあって、瀞霊廷にないものは色々ある。
その夏はそれに、「日番谷冬獅郎」が加わったいきさつは、上記の通りである。



はんにゃ様へ捧げます。
「栄養失調で倒れそうな日番谷を、何とか休ませようと周囲の人たちが頑張る」っていう
リクエスト……ですよね!?
砕蜂と更木、涅を出したのは絶対に失敗でしたorz 頑張る方向間違えました。
素敵リクエストをありがとうございました!(ぺこり) 切香より愛を込めて。 ※2010年3月2日、タイトル変更。少し内容を追加しました。

[2009年 6月 1日]