それから15分後。 台所の上に置かれた料理を見て、遊子と夏梨は思わず歓声を上げた。 箸をどこへ持って行ったらいいのか、分からない。 ホットプレートの上ではじゅうじゅうと牛肉が音を立てているし、特上寿司が上品にトレイに盛られている。 ケーキもたっぷり切り分けられて、それぞれの席の前に置いてある。 景気よく開けられたシャンメリーが、いつものコップをピンク色で満たしていた。 ホットプレートの前では、早くも夏梨と一心が火花を散らしている。 「あぁっ、ひどいじゃないか夏梨! この肉は父さんが焼いた肉なのに!」 「うるっさい! あたしの陣地にはみ出したのが悪い!」 奪い合う夏梨と一心に、日番谷は同情のまなざしを向ける。 「……野良猫に餌をやってる人みたいな顔になってますよ、隊長」 「どんな例えだ」 乱菊はホクホクと寿司をほおばり、一護はイクラに箸を伸ばしている。 「ちなみに、寿司は冬獅郎の出資だからな!」 「……いらねぇこと言うな」 顔をしかめた日番谷の声を掻き消すように、夏梨がそーだよな、と大声で言った。 「いっつもよりランクが高いと思ってたんだ!」 「悪かったな、いつも並で」 「寿司にランクなんてあんのか?」 夏梨と一護の会話に、日番谷が無頓着そうに口を挟む。 シャンメリーを一口含んで、なんだこれ、と顔をしかめている。どうやら炭酸は飲みつけないらしい。 「全然値段違うだろ! ほら、マグロのトロが5貫もあるぞ!」 「トロはしつこいから嫌いだ」 「爺さんみたいな味覚だな……」 「爺さんっていう年でもねぇよ」 「ていうか冬獅郎、お前何歳なんだよ?」 「忘れた」 食いつく夏梨と、のらりくらりとかわす冬獅郎の会話が、おもしろくて。 「……隊長。用事って、寿司だったんですか? マジで?」 「何だと思ってたんだよ」 素っ頓狂な声を出す乱菊が、おかしくて。 シャンメリーにアルコールは入っていないはずなのに、何だか、頭がくらくら…… 「って、おい! バカオヤジ! 何シャンメリーに酒混ぜてんだ!!」 一護が急に大声を出して、一同の視線が一心に集まった。 娘の誕生日に浮かれてしまったのか、もともと酒にそう強くない一心の顔は真っ赤に染まっている。 そして、手に持った焼酎をシャンメリーの瓶の中に注いでいるではないか! 「そういえば、初めもそんなことやってたわよね」 「気づいたなら先に言ってくれよ、乱菊さん!」 と、いうことは。遊子はコップに入ったピンクの液体を見下ろした。 「お酒、おいしい♪」 「遊子! お前には十年早えよ!」 「ふーん、これが酒かあ」 夏梨は平然とした声でそう言うと、蓋がついたままのシャンメリーの瓶を口に運んだ。 「なーんか、出ねぇな。もう空かぁ?」 「夏梨さん。蓋、閉まってますから」 「うるせえ一兄! 酒持って来ーい!!」 「夏梨が不良に……。冬獅郎、氷出してくれ頼む!」 「頭から水でもぶっかけたほうが早え」 そんな会話を聞きながら、遊子の意識はゆらゆら、ゆらゆらと遠くなり……何だか楽しーい、と思ったのを最後に、記憶が薄れている。 それから、どれくらい経っただろうか。 なんだかとてもおもしろくて、飲んだり、食べたり、歌ったり踊ったりした記憶がある。 うとうとしていた遊子は、ふと重いまぶたをこじ開けた。 電話の脇のスタンドだけが灯されていて、台所中がオレンジ色のあたたかい光に包まれていた。 一心の大きないびきが、部屋中に響き渡っている。 そのいびきの間を縫うように、二、三人がひっそりと言葉を交わしあっているのが耳に心地よかった。 カチャカチャと食器が触れ合う音がして、長く伸びた影が、魔法使いのように壁を動いてゆく。 「いーよ、そのままで。お前ら、そろそろ瀞霊廷に戻らなきゃいけねぇだろ?」 「って訳にもいかねーだろ、この荒れよう。松本、お前も手伝え」 「あ、たし、やるよ……」 なかば自動的に、体が動いた。この台所の主人は、自分なのだから。 うぅん、と唸り声がして、隣で寝ていたらしい夏梨が目をこするのが見えた。 どうやら、二人とも酔っ払って眠っていたらしい。時計を見ると、11時53分を差していた。 あと7分で、誕生日が終わる。特別な一日が、幕を下ろしてしまう。 「起きたのか? いいから、二階上がって寝てろ」 一護の声が、いつになく優しい。ゆらゆらとさ迷った遊子の瞳が、壁に立てかけられた母の写真の前で止まった。 「お母さんにも、祝ってもらえたら最高だったなあ」 ぽろりと、転がり出た本音。それは、母を失ってから、一度も口に出したことがなかったのに。 言った後で、しまったとすぐに思った。そして、あっという間に悲しくなる。 その場で、自分が作り出してしまった静けさに耳を澄ませ、遊子は唇を噛んだ。 静寂を破ったのは、乱菊の明るい声だった。 「隊長だったら、死んだ人の声が聞けますよね?」 日番谷の大きな目が、丸くなる。夏梨がえぇっ、と声を上げた。 「冬獅郎、そんなことできんのか?」 「……当たり前だろ」 日番谷はため息をつくと、巨大な真咲の写真の前に向き直った……というより、見上げた。 まだ二十代にも見える、母の幸せそうな大きな笑顔。 その魂がまだどこかに母のかたちで在るのかもしれないと想像すると、遊子は切なくなるのだ。 「事故」にあって亡くなったと聞いているから、尚のこと。 痛くないだろうか。自分達と分かれて、寂しくないだろうか。この写真と同じように、笑っているだろうか? ゆらゆらと揺れる炎の光りの中、日番谷の言葉は静かに響いた。 「……幸せに、暮らしてるって。おめでとうと、言ってる」 遊子と夏梨の視界からは、日番谷の背中しか見えない。どんな顔をして言っているのか分からない。 でも、日番谷は嘘をつくような性格ではないから、素直に信じることができた。 *** * 日番谷と乱菊の二人が黒崎家を辞したのは、すでに1時に近かった。 焼酎を一升空けた乱菊の全身に、涼しい夜風が心地よい。 さっさと先を歩く日番谷の背中が遠くなる。 何か話し声が聞こえると思えば、さきほどから伝令神機を耳に当てて、誰かと話しているようだった。 こそっ、とその背後に近寄って、聞き耳を立ててみる。 「……そう。黒崎真咲、で間違いないんだな。……そうか。悪かったな、遅い時間にいきなり。ああ、ありがとう」 ピッ、と伝令神機の電源を切り、しかめっ面で乱菊を振り返る。 「お前、どうでもいいけど酒臭いぞ」 「一護のお母さんが、どうしたんです?」 「……さっき三席に、黒崎真咲のことを調べてもらったんだ。今どこで、何をしているのか」 え、と乱菊は思わず目を見張った。 死んだ人間は、無作為に流魂街に区分けされて送られる。その後の消息を調べるなど、死神の仕事ではない。 日番谷もそれはよく分かっているのだろう、気まずそうに乱菊から目を逸らした。 「……嘘、ついちまった」 「え?」 「幸せかどうかも分からねぇのに。嘘ついちまった」 それが、さっき遊子と夏梨に言った言葉だ、と気づくのに、少し時間がかかった。 あれは、ただの「優しい嘘」のはずだった。それなのに日番谷は、気に病んでいたらしい。 「……だから。調べてたんですか?」 「あの黒崎一護の母親で、しかも虚に殺されてる。消息を追うのは簡単だったらしい。……ま、後付だが、幸せ、ではあるみたいだ」 日番谷の言葉が、ほっとしたもので。聞いていると、その声のあたたかさが、乱菊の胸の奥をあたためる。 才能でも、立場でも、容姿でもない。日番谷の本質を、ちらりと見た気がした。 もし、黒崎真咲が幸せでなかったとしたら。意地でも、何とかしようとしていただろう。隊長という立場も忘れて。 日番谷冬獅郎は、そういう少年だ。……そんなところに、惹かれたのだ。 「……あたしも、幸せです」 「なんだよ、急に」 「隊長のそばにいられて」 もう、あのかんざしは探さない。 そう思った時、ぽんと宙を飛んできたものが、乱菊の頭にカツンと当たった。 「痛った……」 細長いそれを受け取ったとき、乱菊は思わず声を上げる。 「かんざし? これ……」 まさか、と思って街灯の光りにかざしてすぐに気づく、これは市丸からもらったかんざしではない。 鳶色の花芯から、放射線状にすっきりと開いた黄金の花弁。 マーガレットの飾りが、華やかにかんざしを彩っている。 「あんな寒色系のかんざしは、お前には似合わねぇよ」 「まさか」 乱菊は思わず、かんざしと日番谷を何度も見比べた。 「夕方、買ってくれたんですか?」 「……黒崎に案内させて、その辺の呉服屋でな」 別に深い意味はねぇよ、と放り投げるように言った日番谷は、そのままさっさと歩き出してしまった。 「来ないのか?」 前を向いたまま聞くのが、日番谷らしいと思う。 これほど、背中で語ることができる人間を、初めて見た。 「今、行きます」 乱菊はそっとかんざしを胸に抱くと、日番谷の後を追った。
咲良様へ捧げます。
「現世に来ていた日番谷と乱菊が、たまたま一護、夏梨、遊子と会う。
その日は夏梨と遊子の誕生日(5月6日)で、みんなで誕生日を祝う。
ほんわか日乱で、ちょっと大人な感じで双子を見守る二人」というリクエストでした♪
本当は去年のこの日に書きたかったんですが、遅くなってしまってすいませんorz
咲良さんも、お誕生日おめでとうございます!
切香より愛を込めて。
[2010年 5月 6日]