※日乱小説「花の名」の続編です。日番谷くんが大人になってます。
  日乱が夫婦で、子供もいる上、オリキャラも出てくる特殊設定なので、OKな方のみどうぞ。
※雛森ファンの方注意! 雛森は既に故人です。



「そっちだ! そっちへ逃げたぞ!」
「回り込め!」
緊迫した声が、無人の倉庫郡に反響して跳ね返る。男の声、女の声が混ざっていたが、いずれも年端もゆかない少年少女のものだった。街灯にほの白く照らされたコンクリートの壁に、巨大な影がよこぎってゆく。

とん、と軽い音を立てて、一人の少年が背が低いビルの屋上に飛び下りた。青い袴をはき、白い単衣の両胸には紋章が入っている。黒い布で刀を担ぎ、抜き身のまま刀をだらりと下げていた。年のころは十四・五歳ほどか。
「でけえな」
細い柵の上に危なげなく立ち上がると、上空を見上げる。ビルと肩を並べるようにして大股で歩いてゆく虚の姿を見上げる。おそらく、十メートルは下回らないだろう。
「僕ら学生じゃ、この大きさの虚はまだムリだよ! 浮竹、瀞霊廷に助けを求めよう!」
地面から聞こえてきた声に、あからさまに眉をしかめて見下ろす。そして、長い黒髪を頭の天辺できりりとまとめた別の少年の姿を認めた。女と見まがうほどの優しい顔立ちで、長身だが細身だった。浮竹、と呼ばれた初めの少年と年のころは似たように見える。
「相変わらず臆病モンだな、斑目! そんなんだから……おっと」
ぶん、と音を立てて、虚が大木の幹ほどありそうな腕が振り下ろされる。それを見上げた浮竹は軽やかな動きでかわし、背後に下がった。

大きな黒い影に見える虚の目の部分が、赤く発光する。浮竹は油断なく刃を構えたが、虚はそれきり関心をうしなったように、少年から背を向けた。どしん、どしん、とう足音が遠のくと同時に、浮竹は声を上げる。
「おい、日番谷! そっち行ったぞ!」
「はーい、任せて」
まるで鈴のように澄んだ少女の声が、それに返した。


「……空座町山手通、1-31-4。身長は十メートル前後の虚一体。獰猛にして人の言葉を解さず。レベルは3程度、か……」
相変わらずこの街はなぜか、虚の類が多い。常駐の死神を増やしたほうがいいんじゃないかしら。
そう思いながら、道路の真ん中に飛び下りる。どしん、どしん、と虚の足音が耳と言うよりも、体全体に響いてくる。道路が、軽く振動しているのが分る。
背負った刀を引き抜く。澄んだ銀色がこぼれる。真央霊術院で、自分の斬魂刀を持っている学生はまだ多くはなく、彼女は飛びぬけて年齢が低かった。
「……銀虎(ギンコ)」
不意に背後に現れた巨大な影に、背後を確認することもなく身をもたせ掛ける。
低いうなり声を上げてそれに応じたのは、銀色の虎だった。
ただ、この世のものではないのは、けぶるような美しい毛皮の向こうの景色が透けていることから明らかだ。
「やろう」
ぽん、と虎の頭を撫でると、少女は虎から離れる。虎が少女の隣に進み出た。それと同時に、手にした斬魂刀「銀虎」がさらなる輝きを帯びる。
と同時に、角を曲がって現れた巨大な虚の瞳が、まっすぐに少女を捉えた。

「日番谷さん! 一人では危ない、逃げるんだ!」
聞きなれた斑目の声に、少女は軽く首を振る。
気が優しいあの先輩が、この場に居合わせてしまったのがちょっと気の毒だ、と思いながら。
「大丈夫」
殺気に身を貫かれる、という感覚は、もう幾度も味わってきたもの。吹き付けられる悪意に、身がすくむ気がする。
でもそれは、一瞬のこと。負けてたまるものか、という気持ちが自分の中で膨れ上がり……覚悟を決めた時、興奮は体から飛び去る。
後に残るのは、静寂だけ。

「日番谷! 危ねぇぞ!」
浮竹の怒鳴り声が聞こえる。粗野なところが目立つけれど、あの人も本当は優しい。どちらも大好きな先輩だ。
地響きのような音を立てて、虚が少女の上に拳を打ちおろす。それより一瞬前、傍らにいた銀虎が虚に飛びかかった。
圧倒的にサイズは虚が大きいが、勢いは銀虎が勝った。
弾丸のように撃ち当たった銀虎の勢いに負け、背中を地面に打ち付けるようにして、虚が倒れる。
地面が揺れ、建物の窓がビリビリと震える。

虚は狂ったようにわめき、もがいた。そして、自分の上にのしかかる虎に腕を伸ばす。がっちりと、その胴体を両手で捕まえた。
その時、音もなく小さな影が虎の肩口に落ちた。
「さよなら」
薄い青色の瞳が、すう、と細められる。プラチナの髪が、月下に一瞬ひらめいた。
ひゅっ、と刀が空気を裂く音。刹那、虚の叫びが空に大きく響き渡った。

「桃さん! 大丈夫か!」
斑目と、浮竹が駆けつけたとき、虚は両手を天に伸ばすような体勢でもだえていた。その巨大な姿が、ゆっくりと霞のように実体をなくし、闇に解けてゆく。
完全にその姿が消えたとき、その中から八・九歳くらいの少女の姿が現れる。
駆けつけた二人を見返すと、手にした刃を鞘に収めた。と同時に、傍らにいた虎が掻き消える。

「ケガはないか!」
「見たら分かンだろ、圧勝じゃねぇか」
少女を前にした、二人の少年の態度は対照的だった。
「つーか、どさくさにまぎれて桃さん、なんて呼んでんじゃねぇ」
斑目の尻の部分を、容赦なく浮竹が蹴っ飛ばす。斑目は、その色白の顔を首元から額まで赤くした。
「で、でも! 5メートルを越える虚は学生では対処せず、死神に任せるようにって教科書に書いてあるじゃないか」
「教科書? 知らねぇよ。ここ一ヶ月開いた記憶がねぇな。いいか、俺達は死神になるんだぞ? ちょっとくらいの危険で逃げてたら勤まるかよ。お前、ホントにあの親父さんの息子かよ……」
「君こそ、本当にあの浮竹隊長の親戚なの?」
「血筋としては遠いけどな。あのオッサン、あんな顔だけどちっとも善人じゃねぇぞ」
「ふぅん……っていうか、とにかく! 君が危険を顧みないのは勝手だけど、日番谷さんを巻き込んだら駄目だろ」
二人の話を、青い目を機敏に動かしながら黙って聞いていた少女は、視線が集まるとにっこり笑って見せた。
「確かに、教科書には死神に任せるべきって書いてあったわ。でも、あたしたちなら倒せると思ったから」

ほぉ、と浮竹と斑目が顔を見合わせた。
「さすが、次期総隊長の娘だよな。お前だけは、血筋と中身が一致してる」
「桃……さんはお母さんに似て……だしね」
「ハッキリ言えよ。桃さん桃さん、恥ずかしい奴だな」
二人のやり取りに、少女……日番谷桃は、わずかに苦笑いした。
「苗字でも名前でも、どっちでもいいよ。桃って名前、あんまり好きじゃないけど」
「そうなの?」
斑目が意外そうな顔で見下ろす。
「お父さんにもお母さんにも言わないでね? 素敵な名前だけど、あたしには合わない気がするだけ」
頬にかかった一筋の髪を、指先で払いのけながら桃は言った。まだ外見は十歳にも満たない少女ながら、ハッとするほど大人びた動作に見えた。
金色とも銀色ともつかないプラチナの髪は全く癖のないストレートで、肩にしなだれている姿は絹糸のように見える。色は白く、少し切れ長の二重の瞳は青かった。
「……その辺とか、話聞きたいね。……今日はこんないい月夜だし、よかったら、ちょっと街に出ないかい?」
どもりながら、斑目が言う。桃は二人を見上げたが、笑って首を振った。
「ごめんね、今日これから、お父さんとお母さんと、空座町で待ち合わせなの」
「あきらめろ斑目。このトシじゃまだ男よりも親だ」
あきらかにがっくりした斑目と、慰め顔の浮竹を、不思議そうに交互に見上げる。
でも頭の中は、久々の現世での夕飯に向いていた。
「じゃあ、お疲れさま! また明日ね」
にっこりと笑って振り返った桃は、ふと足を止めた。地面に、小さなものが転がっている。
「……伝令神機? 違う?」
一瞬、死神が通信に使う機械かと思ったが、よく見ると似て非なるものだ。
女性か子供用なのか、ピンクの可愛らしい色に小さなぬいぐるみのストラップがついていた。
「携帯電話、じゃねぇ? 現世で人間が使う奴。だれかが、落として行ったとか」
「……何もなかった、と思うんだけど……」
虚が突っ込んでくる前、地面は確認している。月光に白光りしているそれが落ちていれば、そのときに気づいていたと思うのだが。
「虚が落としていった……とか?」
「バカ、虚がどこに電話すんだよ」
二人のやり取りを聞きながら、桃は携帯電話を懐に入れた。
「人間のなのは間違いないし。ケーサツに届けておくね」
現世で何かを拾ったら「警察」というところに届ければいいのだ、ということくらいは瀞霊廷で学んでいる。
まだ名残惜しそうな斑目に背を向け、桃は踊るような足取りで夜の街へと駆け出した。