「釈然としません」 翌日。 何事もなかったかのように(もちろん男の姿で)机に向う日番谷の前に、乱菊が立ちはだかった。 「そうか」 日番谷はそれだけ言うと、さらさらと筆を走らせる。 「ちょおっとぉ! 分かってるんでしょう、何のことか! 普通、釈然としないって言われたら、説明しようとか思いません?」 「何だよ、俺は忙しいんだよ。隊首会の前に、総隊長に呼び出されてんだから」 ぎっ、と椅子の背もたれをきしませ、日番谷が乱菊を見上げた。 そのシレッとした表情が、我が隊長ながら憎たらしい、と乱菊は思う。 「あたしが釈然としないのは、なんで一日で男に戻れたのかってことですよ。一粒で一日、二粒で一年、三粒で一生女になる薬を飲んだんでしょ?」 「ほんとか?」 乱菊にとって意外なことに、そこで日番谷は大きな声を上げた。 「やっぱりそうか。涅のヤロウ……」 「ひとりで納得しないでください。一体どういうことなんですか」 「……単純じゃねぇか。種明かしなんて必要か?」 「バカダカラワカリマセーン」 「そうか」 「そうかって……だから、また仕事に戻らないでくださいって!」 無愛想にも程がある日番谷に食って掛かると、心の底から面倒くさそうなため息を返された。 でもそんなの、日番谷が一言で説明してくれればいい話だと思う。 少年は、右手の袖に左手を突っ込むとしばらくもぞもぞやっていたが、やがてガラスの小瓶を引っ張り出した。 そして、ぽんと乱菊に向って投げる。 受け取った乱菊が中を覗き込むと、小さな黒い丸薬がふたつ、入っていた。 「これ……」 「例の、女になる薬だ」 「え……えぇ? でも」 「お前がさっき言った、薬の効力は事実なんだろう。でも俺は一日しか女にならなかった。理由は単純、俺が一粒しか飲まなかったからだ」 「で、でもネムは、隊長が三粒飲んだって……」 「涅が開発した薬なんか、信用するわけねぇだろ。三粒とも飲むフリして、二粒は袖の中に落とした」 呆れた…… 乱菊は思わず、口にしようとした言葉を飲み込んだ。 「それだったら、一粒飲むのだって危険だって思わなかったんですか?」 「一粒飲んだだけで危険なら、わざわざ三粒も寄こさねぇだろ」 隊長同士、全く信用してないのね。 結果的にその対応でOKだったのが、先々のことを考えると不安になる。 ……という乱菊の内心を気にかけることなく、日番谷は瓶を覗きこんでいる。 「あの野郎、ピエロのくせに俺を出し抜こうたぁ百年早ぇ。どうしてくれようか……」 チッ、と舌打ちする日番谷を、乱菊は空恐ろしい気持ちで見守った。 一体何をしようというのだ。 「控えめにしてくださいよ。イタズラのつもりでも、隊長がやったらシャレにならなくなりそうだし」 心外だ、とでも言いたそうに日番谷が乱菊を見上げる。 「お前に説教されるとは心外だな。大体、総隊長だって嘘やイタズラくらいやってみろって……」 言いかけた言葉が流れ、日番谷は視線を泳がせる。 そして、彼にしては珍しく楽しそうに、そうか、と口の中で呟いた。 「たっ、隊長? 何ぶつぶつ言ってるんですか? なんか表情が黒いです!」 「……まぁ見てろ。あのバカに、一泡吹かせてやる」 そして、更に珍しいことに、ニヤリと不敵な笑みを浮かべたのだった。 *** 一番隊謁見室。十三人の隊長が一同に会する場としても使われている。 音もなく廊下を行く日番谷の背後につき従っているのは珍しく、一番隊副隊長・雀部だった。 日番谷の足取りはいつもと特に変わらないが、雀部のそれは、重い。 というよりも、半ば放心状態のように見えた。 隊首室前に佇んでいた銀髪の男を見とめ、日番谷の眉間に皺が寄る。 「おー、十番隊長さん。総隊長との面談、終わったんか? 一体何の話やったん」 市丸ギン。日番谷は、にっこりと笑みを浮かべて見下ろしてきた彼を睨み上げる。 結局あの後、なんだかんだと乱菊にごまかされて退場したらしい、ということしか日番谷は知らなかった。 「新隊士受け入れについてだ」 「へぇ? 珍しいなぁ。隊士の入隊話に、総隊長が出てくるなんて。何かあったん?」 「別に、ねぇよ」 本当は、真田環の入隊承諾について伝えるのが目的だったが、それを市丸に言っても、話がややこしくなるだけだ。 未だに、女性化した日番谷=真田環だと誤解しているだろうが、それを説明する気もない。 入隊後も、他隊の新入隊士の顔なんて、普通気にもかけないから、そうそうバレはしないだろう。 「ふぅん」 市丸はそれ以上は追求しないことにしたらしく、謁見室前に置かれた机に歩み寄った。 机には、白い花瓶が二つと、何本か花が挿されていた。 左側の花瓶には、鋸草に金盞花、菊に水仙が一輪ずつ生けられている。 それぞれ、十一番隊、三番隊、一番隊、十番隊の隊花である。 右側の花瓶には、それ以外の隊長の花が生けられている。 左側の花瓶が意味するのは「欠席」、右側の花瓶が「出席」をあらわしていた。 出廷してきた隊長は、元々左側に入っている自隊の花を、右側に移す。 隊首会中の緊急連絡の際、入室を許されない平隊士が、花を見て隊長がいるか判断するために、使われていた。 総隊長が仕切る会議に乱入できる隊士など普通おらず、もっぱら、ただの伝統と化しているが。 「一・三・十番入りますー、と……。十一番隊はどうしたんやろねぇ。ま、いつものことやけど」 市丸が左側の花瓶から、菊、金盞花、水仙を抜き取る。 「ちょっと待った」 伸びてきた日番谷の腕が、市丸から菊の花を掠め取った。 「総隊長は来ない」 「へ? じゃあ隊首会どないするん」 「中で話す」 日番谷はそれだけ言うと雀部を従え、他の隊長が待つ隊首室へと足を踏み入れた。 「市丸隊長、日番谷隊長、雀部副隊長、こんにちは!」 中に入ると同時に、浮竹が明るい笑顔を向けてきた。 確かに「こんにちは」がふさわしい時間だが、この場で言われると力が抜ける。 「……ナニ?」 涅が、日番谷を見るなり目を剥いた。 なんで男の姿なんだ。そう思っているのは間違いない。 「どうしたんだい? 涅隊長。日番谷隊長の顔になんかついてるのかい」 目ざとくそれに気づいた京楽が、涅を見下ろす。 「別に何でもないヨ!」 そっぽを向いた涅をよそに、ゆっくりと歩み寄ってくる日番谷に視線を移した。 「市丸君、日番谷君、雀部君……おもしろい組み合わせだねえ。それにしてもその菊、どうして持って入って来ちゃったんだい」 「総隊長は、来られない」 日番谷はその場で足を止め、はっきりと部屋中に通る声で言い渡した。 その言葉に、その場にいた全員が視線を日番谷に向けた。 顔の前で揺れる白菊の花弁が、ますます不安をあおる。 メリッ、と木張りの床をきしませて日番谷に大股で歩み寄ったのは狛村だった。 犬の顔のためいつも無表情に見えるが、それでも感情が高ぶっているのがはっきりと分かる。 グルルルと、今この瞬間にも唸りだしそうだった。 「ひゃぁ、怖ぁ」 市丸は、肩をすくめると日番谷と雀部から離れた。 「一体どういうことだ」 日番谷と雀部を交互に見下ろし、狛村が問うた。 「そ、それが……」 雀部が口火を切ろうとしたが、途中で口ごもる。 「そのようなことは前代未聞だ! 何者かの襲撃か! 病か?」 「そ、それが……ある種の襲撃、なのかもしれず……病、なのかもしれず」 「はっきりしてくれ! 一体何があったのだ」 京楽、浮竹の視線が険しくなる。その場に、緊張がはりつめた。 「女になった」 これ以上ないほど簡潔に状況を説明したのは、日番谷だった。 「元柳斎殿に何……。何?」 狛村が、そこで言葉を止めた。なに? と砕蜂が組んでいた腕をほどく。 「一体どういうことなんだ、意味がわからん」 「女になったんだ。意味なんてねぇ」 「そういうことは聞いておらぬ! 状況を説明しろ、状況を」 砕蜂と日番谷が言い合っている。 雀部が、口ごもりながらも説明した。 「そ……総隊長と日番谷隊長は、来月入隊予定の隊士について、軽く打ち合わせされていました。 そして……茶に口をつけた瞬間、その姿が……女性に」 「妙だな」 真剣な口調で浮竹が返す。 「大物だねぇ浮竹、そりゃ妙だけどさ。日番谷君、なにか心当たりはないかい?」 「心当たり、か」 日番谷は、視線を宙に泳がせた。そして、視線をやおら涅に向ける。 「そういえば風の噂に聞いたんだが、涅隊長作ってたっスね。女に変わる薬」 「風の噂」に、やたら力が篭もっているのに気づいたのは涅くらいのものだろう。 実際は、風の噂どころじゃない。 いきなり水を向けられ、涅がぶっと噴出した。 「いきなりナニを言い出すんだネ、君は?」 「作ってないんスか?」 シレッと日番谷が言い返す。涅は、はっきりと分かるほど狼狽した。 「馬鹿なこと言うんじゃないヨ! まさか、この私を疑っているとでもいいたいのかネ?」 「もちろん」 日番谷は、涅が何か反撃するよりも先に続けた。 「他に、女になるようなバカな薬を開発するような奴が、瀞霊廷にいるのか?」 その時だった。 「貴様か、涅!!」 バーンと扉を開けて入ってきた者に、一同の視線は吸い寄せられた。 肩を怒らせているのは、皺くちゃの老婆である。今の身長では長すぎるその杖に、見覚えがあった。 「ま、まさか、山じ……」 そこまで言いかけた京楽が、慌ててうつむいた。 笑いを、こらえているらしかった。 「……くだらぬ」 黙ってその場の状況を見守っていた白哉が、くるりとその場に背を向けた。 「やってられんな」 それに、砕蜂も従う。 その背後では、狛村と涅がやりあっていた。 「おいたわしいお姿に……。涅! 貴様、なんの恨みがあって総隊長にこのようなことを……」 「だから! 知らんと! 言っているんだヨ! 耳ついてるのかネ!」 「涅、そこへ直れ!」 総隊長(老婆)にも詰め寄られ、たじたじと涅が下がる。 そして、日番谷をビシッと指差した。 「こいつが犯人だ!!」 サスペンスドラマの刑事のような口ぶりに、その場の視線が一応、日番谷へと向いた。 「考えてみるがいいヨ。その場には、総隊長と日番谷しかいなかったのだろう? なら日番谷が怪しい。火を見るよりも明らかじゃないかネ」 「日番谷隊長はそんなことはしない!」 語尾に覆いかぶせるように、浮竹が反撃した。 「同感だね。それに、その茶は外から持ち込まれたものだろう? 誰かが茶に薬を忍ばせることは可能じゃないか」 「私は日番谷に聞いているんだヨ!」 涅の血走った瞳と、日番谷の涼しげな瞳が交錯する。 涅が、日番谷に盛ろうとした薬は、三粒。 一粒しか飲まず、残りの二粒を隠し持っていたのだ、という推論に涅がたどり着くのは容易い。 そして、それを総隊長に盛った、ということも。 ただしそれをその場で告げれば、日番谷に薬を盛りましたとバラしていることになる。 日番谷は、その場の全員の視線を受けて、肩をすくめた。 「何のことだか、俺にはサッパリ分からないッス」 「いい加減観念しなよ、涅隊長」 「そうだ!」 日番谷の言葉があらかじめ分かっていたかのように、京楽と浮竹が続ける。 「なんでだヨ! なんで私ばっかり……」 子供のように地団太を踏んだ涅を、日番谷が見返す。 「『日頃の行いが悪い』んじゃないっスか」 シレッとそのまま背中を向けた日番谷に、涅が食いつきそうな視線を寄こした。 「あ、そうだ」 扉を開けて出て行くとき、日番谷は振り返った。 「軽々しく、人を実験に使うと報いがある。薬の扱いには、重々注意を払うことだ」 総隊長を初め、重鎮達に取り囲まれた涅にも、その言葉は届いただろう。 日番谷は、せいせいした表情で、その場を後にした。 それから、一時間後。 一番隊舎は、騒然としていた。 閲覧室は打ち壊され、あちこちでもうもうと煙が上がっている。 怒り狂った総隊長と狛村、そして涅の反撃により、その場は足の踏み場も無いほどに破片が飛び散っている。 その騒動に、各隊にいた副隊長が全員飛び出してくるほどだった。 そして、今はせっせと片付けに追われている。 「たーいちょっ、待ってくださいよ」 「早く来い」 先を行く小柄な背中は、足を緩める気配もなく、振り返りもしない。 でもこういう時は普通とは逆で、機嫌がいい時なのだと乱菊は経験上分かっていた。 ちょっと口元が緩んでしまいそうな時、それを子供っぽいと思うらしいこの少年は、ヒトと顔を合わさないのだ。 「追いついたっ、と」 後一歩、のところまで追いつくと、その銀髪を見下ろした。 「結構、大胆なことしますね隊長って。自分より立場が上の、総隊長を利用するなんて」 「馬鹿野郎。下の奴を使ったら苛めてるみてぇだろ。お前、使われたかったか」 「……。一回男になってみたい気はしますけど、願い下げです」 どうやら、総隊長を選んだのは日番谷なりの美学があってのことらしい。 「大体、総隊長が言ったんだぜ。悪戯や嘘のひとつ位かましてみろって。本望だろ」 「全て明るみに出たら、二度と言われませんよ、そんなこと。それより、一粒だけなんでしょうね?」 この後、一年間ずっと女性だったら、さすがにちょっと……面白すぎる。 それを思い浮かべたのだろうか、珍しく日番谷の口角が上がる。 返事の代わりに、懐に手を突っ込むと、小さな瓶を取り出した。中には、黒い丸薬が一粒だけ、入っている。 日番谷は無造作にそれを掌の上に落とすと、ぽーんと投げた。 弧を描いたそれは、茂みの中に落ちて、すぐに見えなくなった。 「ちょっともったいないなぁ。女の隊長めっちゃくちゃ、美人だったのに」 「うるせぇ」 ため息をついて副官を見上げると、欄干の向こうの池に視線を投じる。 映った自分の姿は、紛れもなく男。それを確認して、ほっとする。 「いきなり女」事件は、日番谷にとってもそれなりのトラウマになっていた。 「どないしたん、お二方。そんなところでマッタリして」 突然声をかけられ、二人は振り返った。 「ギン! あんた、近づくときは気配を殺すなって言ってるでしょ」 「自然とそうなってしまうんやもん、しゃあないやろ」 子供のように口を尖らせて言い返すと、ゆったりとした足取りで、吉良をつき従えて歩いてくる。 「何か用か? 市丸」 池の中に視線を落としたまま、ぶっきらぼうに日番谷が問うた。 「いや? 麗しの十番隊長さんに、ご挨拶をと」 「あ? なに、気持悪いこと言って、」 眉間に皺を盛大に寄せて日番谷が振り返ったとき、思いがけず近くに市丸の顔があった。 「あかんで、そんなに自分を覗き込むもんちゃうって、言ったやろ?」 にやぁ、とその両方の口角が持ち上げられる。 「あ? ……何、」 そこまで言いかけた日番谷が、ぶつんと言葉を途切れさせる。その表情が、はっきりと引きつった。 「水仙(ナルキッソス)の話、知ってるやろ?」 「てめぇ。まさか、あの時からずっと……」 少女の姿で市丸に会った時、のっけから水仙の話を持ち出されてギクリとしたのだ。 遠まわしに、正体がバレていると言われているのかと思った。 でも、その後の市丸の言動から、見抜かれてるはずがない、と鷹をくくっていた。 思っていたほどこの男の目は節穴ではないらしい。 状況が分からない乱菊と吉良が、顔を見合わせる。 「……なんで、さっきそれを総隊長に言わなかった」 「別に。その方がおもしろいやん」 どうせ想像しようとしたところで、市丸の考えていることは、分からないのだ。 そこに思い当たって、日番谷はため息をつく。 「……貸し一、かよ」 苦々しい表情で負けを認める。 「まさかぁ。そんなケチくさいこと言わへんて」 市丸は、子供のように笑った。 「楽しかったで、ありがとな」 はぁ? という顔を返した日番谷に、また、子供のような邪気のない笑みを浮かべる。 「戻ろか、イヅル」 一時間後。 三番隊からさりげなく送りつけられてきた書類の山に、日番谷隊長が激怒したとか、泣いたとか。 READY A LADY FIN.
燈路さまへ、捧げます。
「任務か罰ゲームか何かで女装する隊長の話」ってリクエストでしたが、微妙にずれていますね^^;
変な要望どころか、楽しみすぎて異常に長くなってしまいました。
面白いリクエストくださって感謝します。
切香より愛を込めて。
[2009年 8月 15日]