スローモーションのように、悪夢のように、自分の刀が「日番谷」に吸い寄せられていく。
それをさえぎったのは、
「氷龍旋尾!」
闇に響いた、低い男の声だった。
月牙天衝に形が似た三日月形の氷の刃が、一護を狙って繰り出されたのを見、とっさに体をひねって避けた。

「ひょ……氷輪丸!」
この体で、一体どうやってここまでやってこれたのか。憔悴しているのは、肩で息をしていることからも明らかだ。
「冬獅郎が! 冬獅郎が、中にいるんだ。俺に、斬らせようとして……っ」
説明しようとした声が、かすれた。異様に消耗している自分自身に気づく。
「……主が、それを望んでいるのか」
氷輪丸の額から、汗が流れている。
しかし、体を襲っているに違いない苦しみに気づかないように、「日番谷」と対峙した。

「へっ、立ってるのがやっとの癖によ。主にそっくりな俺を庇って、そこの黒崎一護を倒す気かよ。おめでたい奴だぜ」
「……否」
氷輪丸は、はっきりと否定する。
「……我は、貴様を殺しに来た。主に代わって」
「氷輪丸! でも……」
「すまぬな、黒崎一護」
言葉を挟んだ一護に、わずかに口元を緩める。しかし、微笑んでいるようには見えなかった。

氷輪丸は、ゆっくりと「日番谷」に歩み寄った。
「我の居場所は、主の中にある。主を亡くして、我の居場所など世界のどこにもない。貴様も、同じはずだ」
へっ、と「日番谷」は鼻で笑う。
「同じ魂とは思えねえ発言だな。なぜ主を乗っ取って、自分が王になろうと考えねえ。だからお前は俺よりも、弱えんだよ」
「我々は、主を越えられぬ」
「現に越えた」
「嘘だ!」
声が感情を帯び、高まる。一護は、口を挟めなかった。

続けられた氷輪丸の言葉は、静かだった。
「主がいないのに、斬魂刀だけ残っているのは不自然だ。貴様は、我と共に死んでもらう」
相打ちを望んでいるのか。止めようととっさに前に出かけて、一護は踏みとどまる。
氷輪丸は、日番谷のいない世界で生きることを、望んでいない。それは確かだ。
でもそれなら、氷輪丸を助けるために命をかけた日番谷の思いはどうなるのだ。
それは、互いにどこにも辿り着くことができない、あまりにも悲しい感情。

間違ってる。こんなことは、絶対間違ってる。
一護の目の前で、二人が同時に「氷輪丸」を構える。同時に、中空へと身を翻した。
穢れない白銀の輝きが、月のもとで交錯した。

「冬獅郎っ! 氷輪丸……」
やっぱり放ってはおけない。戦いの間に割り込もうとした一護は、そこで信じられぬものを見た。
氷輪丸の突き出した刃の鍔口を、「日番谷」が右手で掴んで止めていた。
鍔に近く切れ味が良くない部分といっても刀は刀、「日番谷」の右手から手が噴出す。
「日番谷」の表情は、伺えない。
しかし、ためらうことなく、その切っ先を自分の腹へと導いた。

「主……っ!」
悲鳴のような氷輪丸の声が響き渡る。
「日番谷」がまとう着物の中に、すくなくとも10センチは刃がもぐりこんでいた。
中空で、「日番谷」の体がガクン、と力を失ってのけぞる。
「冬獅郎っ!」
一護が跳んだ。その小柄な体を支えようと手を伸ばす。
「出・て・い・け……」
血がこぼれる「日番谷」の口元から、言葉が漏れる。
瞬きをするほどの一瞬。黒髪が、輝く銀色の髪へと色を変えた。

拳に、力が込められた。
「俺の中から、出て行けっ!」
重傷を負っているとは思えぬ一喝だった。それと同時に、日番谷の体が一瞬ぶれたように見えた。
銀髪の日番谷の体からはじき出されるように、黒髪の「日番谷」が分離する。

銀髪の日番谷は、うつむいたまま微動だにしない。
黒髪の「日番谷」は、手負いの獣のように唸りながら、刀を手に飛び退がった。
しかし、その腹には、銀髪の日番谷と同じ深い傷が見て取れる。まともに戦える傷とは思えなかった。

「冬獅郎が、二人……?」
唖然として、一護は呟く。
黒髪の「日番谷」は、気配からして今まで戦っていた「日番谷」に違いない。
ではもう一人、銀髪に戻ったほうの日番谷は……

「この死に損ないが!」
黒髪の「日番谷」が、一喝したのはその瞬間だった。刀を振りかぶり、がむしゃらに刀を銀髪の日番谷に向かって振り下ろす。
「冬獅郎っ! 危ねぇ!」
気づけば、叫んでいた。銀髪の日番谷は、同じように刀を携えている。
その手元が、目にも止まらぬ速さで奔った。

澄んだ金属音だけが、その場に後を引く。勝敗は一瞬だった。
「な……に」
真紅の目を見開いた「日番谷」の刀がへし折れる。
スローモーションのように、無防備な腹から肩にかけて、銀髪の日番谷の一閃が斬り上げる。
「……俺の体を乗っ取ろうなんて、百年早え」
野獣のような悲鳴を残して、黒髪の「日番谷」の姿は掻き消えた。


「ってえ……」
握った刃が、残った少年の手から滑り落ちる。慌てて氷輪丸が刀を空中で受け取った。
「冬獅郎、なのか……?」
ゆっくりと一護が、その小柄な姿に歩み寄る。
「違う」
一護が差し出した手を、少年はパシン、と払った。
「冬獅郎じゃねえ、日番谷隊長だ!」
見返すその目は、美しい翡翠色だった。


***


「……氷輪丸、手を出せ」
腹の傷の応急処置を受けながら、日番谷が氷輪丸に手を伸ばす。差し出された手首の辺りを、掴んだ。
日番谷の体が青白く発光し、すぐにその光は氷輪丸にも移った。やがて、氷輪丸の中に、吸い込まれるように光が消えていく。
「俺の霊圧を分けた。これで普通に動けるはずだ」
「って、冬獅郎! おめ、大怪我してんのに、いいのかよ?」
「霊圧を分けようが、傷には関係ねぇ……よ」
途中で言葉が切れたのは、一護がぐい、と包帯を巻きつける手に力を込めたからだ。

腹に巻きつけたそばから、包帯はすぐに真紅に染まった。
「これじゃ止血にならねえ。すぐに卯ノ花さんのトコ行くぞ」
「……分かった」
さすがに重傷だと自分でも分かっているのだろう、襟元を直して起き上がろうとした日番谷が、よろめいた。
「……まさか、歩いていくつもりか? その怪我で」
「当たり……」
「さすがに無理だ、主」
背後から腕を伸ばした氷輪丸が、細心の注意を払いながら、小柄な体を抱き上げる。
さすがに反抗する気も起きなかったか、冬獅郎がその腕の中に大人しく納まる。

氷輪丸が、傷の負担にならないようゆっくりと歩き出す。一護も、その隣に並んだ。
「……悪かったな。お前らを巻き込んだ」
ぶらぶらと、力を失った右腕が氷輪丸の動きに合わせて揺れている。
その白い腕の細さに、一護は言葉を失った。
「主が謝ることではないだろう」
「いや、俺のせいなんだ。……アレも、俺の一面には違いねぇ」
「……はぁ? あんなんが?」
一護は思わず声を上げたが、日番谷は何も返さなかった。
確かに、考えてみればそうなのだろうと思う。
あれほど野蛮で、好戦的な日番谷は想像できないが……それでも、あれも日番谷の魂の一部には違いない。

その顔色はさすがに青く、瞑目するように閉じた瞳の下に落ちた影が痛々しい。
「お前が謝るなんて、明日は雪だな」
一護はわざと、軽い調子で言葉を挟んだ。あぁ? と日番谷が眉をひそめる。
「でも、結局どうなってたんだ? お前わざと、体を乗っ取らせたのか?」
「……まあ、な」
「主……」
呆れたように、氷輪丸が言葉を挟む。

「とにかく……氷輪丸と、アイツを引き離したかったんだ。そうしないとアイツだけを倒せない。
いっそ俺の中に取り込んで、氷輪丸を具象化させて外に出せば、切り放せるかと思ったんだ。
その後で、アイツをゆっくり片付けるつもりだったんだが……失敗した」
「失敗!?」
一護と氷輪丸の声が重なる。日番谷はバツが悪そうに頷く。
「ああ。氷輪丸とアイツを切り放すのは確かに成功した。でも乗っ取られた後に、体を取り戻すのがこんなに難しいとは思わなかった」
簡単に出来ると思ったんだ。そう、どこかのんびりと続けた日番谷に、思わず残りの二人は脱力した。

「おま……お前よ、自分をそこまで刺したり、自分の体を乗っ取らせたり……もうちょっと自分を大事にしろよ!」
「重傷じゃなきゃ、アイツを精神的に揺さぶれなかった。揺さぶれなきゃ、俺は表に出てこれなかった。仕方ねえだろ」
だから、戦いの最中も一護の攻撃を受けようとしていたのか。冗談じゃない、と改めて思う。

「……元気になったら、一発ブン殴る」
ドスの効いた声でそう宣言した一護を、日番谷は氷輪丸の腕から、不思議そうに見下ろしてきた。
「なんでお前が怒るんだ?」
聞き返され、余計に脱力する。
確かに、不可能だと言われていた、乗っ取られた体を取り戻して見せた精神力は凄いと思う。
同じ重傷を負いながらもあっさりと斬り捨てた力も、大したものだと思う。
しかし……だからといって、全く安心できない。いつどこで自分の身を危険すぎる賭けに使うか分かったものではないからだ。

一護が黙っていると、日番谷は弁解するように口を開いた。
「……松本と、雛森は斬らなかったろ」
「俺はどうでもいいのかよ!」
「お前は……いいだろ? どうだって」
「真顔かよ! 真顔で言うのかよ、それを!」
「……ありがとう」
「あぁ?」
不意に言われた言葉。とっさに荒っぽい言葉を返して、ふと言われたことを反芻する。
「今、なんつった?」
「いわねぇ」
氷輪丸の肩に手をかけて、そっぽを向いてしまった日番谷。その耳が僅かに赤い。
「我からも礼を言う。お前のおかげだ」
「……ふん」

顔を逸らしてしまった日番谷を見て、一護はふと思い出す。
斬らなければいけないと覚悟を決めたとき、後悔したことを。
「……ありがとうな、冬獅郎」
「……何が?」
「生きていてくれた」
そう、命がある。命があれば、分かり合うことだって、できるはず。
日番谷は一瞬困ったような顔をしたが、やがて照れ臭そうに頷いた。


***


「今、こっちで氷輪丸の霊圧を感じたわ!」
「今は感じませんけど……戦いが終わったんでしょうか?」
「わからないわ……」
乱菊と雛森が河川敷に現れたのは、それから数分後のこと。

めまぐるしく土手を見回した乱菊の袖を、雛森が掴んだ。
「雛森?」
指差す方向を見ると、土手を歩いていく二人の姿が見えた。
一人は氷輪丸、一人は担いだ刃の形状から一護だと分かる。
よく見れば、氷輪丸は小柄なもう一人を横抱きにかかえている。

「隊長……」
駆け寄ろうとしたとき、シー、と雛森が口元に手をあてる。
「聞こえてきません? 三人の、声」
どこか楽しそうに微笑む、その目には涙が浮かんでいた。

しばらく黙っていた乱菊は、やがて同じように微笑んだ。
そして三人のやり取りが消えるまで、楽しげに耳を澄ませている。

「聞こえねぇなあ、冬獅郎」
「日番谷隊長だっつってんだろ」
「ありがとうって、聞こえなかったなぁ、日番谷隊長!」
「てめえ、聞こえてんじゃねえか!」
「そうじゃないかなあと思っただけだ」
「………………。ありがとうっつってんだろ!」
「聞こえーまーせーん」
「ああ!?」
「誠意があるようには、聞こえません」
「……!」
「主。傷に障るぞ」
「斬る。そいつを斬る。降ろせ、氷輪丸」
「なにを……。……!」
「……!!!」


		

DOUBLE MOONS FIN. ―― 2010/03/22


もも様へ捧げます。
「ひっつんが記憶喪失になる話」というリクエストでした。
自由度が高かったので、かなり遊ばせてもらっちゃいました^^
気に入っていただけたら嬉しいです。
切香より愛を込めて。

[2010年 3月 22日]