注意: 夏梨は12歳。3月に小学校の卒業を控えてる、っていう設定になってます。



もうすぐあたしは、空座小学校を卒業する。なんだかそれって、とっても不思議な気分だ。
校舎の窓から見下ろすと、空座中学校の制服を着た女のヒトたちが数人、歩道を歩いていくのが見えた。背が高くて、髪が長くて、体格だって大人っぽい。
13〜15歳っていったら世間から言えば「子供」なんだろうけど、あたしにとってみれば、どこかまぶしいくらいに立派な大人だ。

「早く大人になりたいな……」
「何で?」
その問いかけに、あたしは教室の中を振り返った。窓から差し込む夕陽に、その銀色の髪が茜色に染まってる。
一足早い宵闇を写しているみたいに、その翡翠色の瞳は穏やかに凪いでいる。
「……冬獅郎、お前さ」
そこまで言って、あたしは黙り込んでしまう。
「あたしのこと……」
「惚れてるけど?」
サラリと、なんのためらいもなく返されて、あたしは絶句する。
それが何か? って涼しい顔をこいつはしてるけど、冷静に返せないあたしは子供、なのか?

「ていうか、今更照れるな」
「〜〜……」
あたしは、慌てて窓の外に視線を転じる。夕焼けが、この赤く染まった頬を隠してくれればいいと思った。
冬獅郎とあたしが、自分の気持ちを伝え合ってから、すでに半年が経ってる。
挨拶のように自然に、こいつはあたしのことを好きだって言ってくれる。
あたしは言葉にはめったにできないけれど、いつだってこいつのことを考えずにはいられない。
そしてそんなあたしのことを、冬獅郎は分かってくれている。大人だなって、思う。
「あんたさ。これから……どうしたいんだ?」
胸がドキドキする。こんなに緊張したのは、告白したとき以来かもしれない。好きだって、伝えた。そして、それから? 

あたしたちの関係は、ぱっと見告白する前も後も変わらない。
二人きりで会う回数は増えたけど、会っても手をつないだりしないし、キスしたり、抱き合ったり……なんて、正直想像もしてこなかった。
でも冬獅郎は、怖くて実年齢聞いたことないけど、あたしよりずっと年上だ。本当は、こんな中途半端な関係は物足りないって、思ってたらどうしようと思う。
あたしも、来春には中学生になる、少しだけど大人になる。ちょっとその先を見てみたい、チャレンジしたい気がしてるんだ。


冬獅郎は、ゆっくりとあたしに歩み寄ってきた。その目線が、あたしよりも少し上になってることに、ドキリとする。
こんなのあたしらしくない。でも、足がすくんで動けない。
「……お前にチョコもらって、食う?」
そんなあたしの緊張に気づいてるのかいないのか、冬獅郎は普段のコイツに似合わない、空惚けた返事を返してきた。
去年もおととしもコイツにチョコはあげてきたから、バレンタインデーの今日も、普通にもらう気でいるよな、当然。
きっと冬獅郎を困らせただろう、クマとかハートマークのこれまでのチョコレートを、あたしは思い出した。

「……チョコは、用意してないんだ」
あたしは、意を決して返した。は? って冬獅郎の眼が見開かれる。当然だ、って思う。
片思いの時チョコあげて、両思いになってあげないってどういうことだって普通思うよな。でもこれはあたしなりに、悩みに悩んで決めたことだった。
「……代りに……」
あたしがそう続けた時だった。廊下をバタバタと走ってくる足音に、ハッと我に返った。
この学校の生徒でもないコイツが、ここにいるのがバレたらやばい。あたしはとっさに冬獅郎の肩を押す。
「おっ、おい!」
「いいから、隠れてろ!」
「隠れてろって、ここかよっ!」
あたしは冬獅郎の抗議をムシして、掃除用の細いロッカーに無理やり押し込むと、バン! と閉める。
それと同時に、誰かが教室に走りこんできた気配にあたしは慌てて振り返る。



「黒崎っ、よかったまだいたか!」
「健太? どーしたの」
ロッカーを背に、あたしは入ってきた同級生の見慣れた顔を見た。
田村健太。放課後によくサッカーしてた、友達って言うか「仲間」って言ったほうがしっくりくる奴だ。
進学校に進むらしくて、4月から通う中学校は別々だったけど。
「おい……」
くぐもった小声が、ロッカーの中から聞こえてくる。そもそも教室に部外者が入っちゃダメってことも知らないんだからワケわかんねーだろうな、許せ。
冬獅郎のことは好きだけど、それとこれとは別だ。
「何やってんだ? 黒崎」
「あぁ、このロッカーの蓋壊れてるんだ」
取っ手のところにぐるぐると縄跳びを巻きつけているあたしを見て、健太は不審そうな顔をする。
「気にすんな。それより何だよ?」
健太を早く追っ払うべきだ。そうしないと、冬獅郎がいつ出てくるか分かったもんじゃない。

「おし!」
健太は意味不明に気合を入れると、あたしにむかってズカズカと突き進んできた。そして、目の前に突き出されたものに、あたしは絶句する。
「……チョコ? か? もしかして?」
疑問符を3つくらいつなげてみる。バレンタインっつったら、女が男にチョコを渡すんだよな、そうだよな。
そしてこいつは男で、あたしは女だよな。常識をもう一回並べてみて、しまいこむ。
改めて、頑固な様子で俯いている健太をあたしは見下ろした。

「逆チョコ、ってはやってるの、知ってるか?」
「へ? 逆?」
「だから! 女から男じゃなくって、男から女に送るのもアリなんだよ! 外国じゃそっちのほうが普通なんだぜ?」
必死な顔でウンチクを垂れてるけど、ここ日本だし……とまどいながらも、差し出されるままにチョコを受け取る。
「あ、ありがとうな」
この期に及んで、あたしは想像もしてなかったんだ。顔を跳ね上げた健太が、
「俺、お前のこと好きなんだ」
って、宣言するなんてことを。

ガタガタ小さな音を立てていたロッカーが、急にしん……って静まり返った。水を打ったみたいな沈黙が、あたしたちの間に落ちる。
「え……と」
「嫌なら嫌って言ってくれ。そうじゃなきゃOKってとるぞ?」
見慣れたはずのコイツの顔が、なんだか別の人間みたいに張り詰めてる。
あたしがとっさに返せないうちに、健太はずかずかとこっちに歩いてきた。
肩に手を伸ばされそうになって、あたしは慌てて振り払おうとする。そしたら、手首を掴まれた。

「ちょ、ちょっと……」
体がぶつかるくらい近くなって、あたしは動揺した。コイツが何をしたいのか想像がつくけど、あたしは冬獅郎とだってそんなのしたことないんだよ。
健太の顔が、見たことないくらい近くにある。
「そ、んな、よせって健太! 大体バレンタインデーって女が男に告白する日だろ?」
あたしの声が空回ってるのが自分でも分かる。やばい、やばい。ロッカーの中の冬獅郎の存在を意識して、あたしの背中に冷や汗が流れた。

「それも『逆』なんだって! 大体お前男みたいだし……」
男。その言葉をあたしは自分の中で反芻する。
「誰が男だっ、バカヤロウ!!」
一気に力が戻ってきて、あたしは健太の手を全力で振り払うと、思いっきり拳を振り上げる。
「まてっ、黒崎、早まるな!」
「うっせえ!! 出てかないとぶん殴るぞ!!」
きっかけはどうあれ、自分のペースを取り戻したあたしは、思いっきり怒鳴った。
「答え、聞きにくるからなー!!」
最後に健太が残した言葉に、ふと我に返る。なんで、しっかり断ってないんだ、あたしは。慌てて廊下に出てその背中を捜したけど、もうどこにもなかった。



「……」
あたしは、パサッと乾いた音を立てて、何かが教室に落ちる音に、振り返った。
すると、ロッカーの取っ手を縛り付けていた縄跳びが真っ二つに切れて、床に落ちていた。
ギシッ、ときしむ音と一緒に、ロッカーの戸が開く。あたしは引きつりまくった顔で、冬獅郎がゆっくりと出てくるのを見た。
今の会話、絶対全部聞かれた。
「あっ、あのさ、」
何を言うかも決めてないまま、あたしは口を開く。とにかくなんか喋らなきゃ。
でも、冬獅郎は、そんなあたしにチラッと視線を向けただけだった。まるで、時計に目をやるみたいな無関心な目つきで。
そして、窓まで歩み寄ったかと思うと、いきなり身を翻して窓から飛び降りた!

「おっ、おい!!」
三階から飛び降りたからって、ケガするような奴じゃない。でも問題は、それが他の奴に見られたらヤバイってことだ。間違いなく、飛び降り自殺だと思われる。
慌てて窓から周りを見回すと、もう時間も遅いってこともあって、人影は校舎のどこにもなかった。
飛び降りた冬獅郎が、そのままスタスタとグラウンドの脇を通り、校門に向かって歩いてゆくのが見えた。
「待てよ!!」
あたしが叫んでも、冬獅郎は聞こえないみたいに背中を向けたままだ。あたしの心に、恐怖に近い衝動が沸き起こったのは、その時だった。
怖い、冬獅郎が行ってしまう。次いつ会えるかなんて判らないのに。
机の上にほったらかしてあったランドセルを掴み取ると、あたしはダッシュで教室から飛び出した。階段の手すりに手を掛けて、何段も飛ばしながら駆け下りる。


息を切らして校門から飛び出した時、冬獅郎の背中を見つけたあたしは、ぜぇぜぇ言いながらその隣に並んだ。
並んだ途端、スピードを増した冬獅郎に先を行かれてしまう。
「おい! 冬獅郎!」
「何でついてくんだよ」
スイッと商店街の中に足を踏み入れながら、冬獅郎が返した。あっという間に、その背中が人ごみに紛れこむ。
「ごめん……ごめんって!」
何がごめんか自分でもよく分かってなかったけど、冬獅郎が怒ってることははっきり分かったから。
あたしは謝りながら、その背中を捜す。でも、返事が返ってくることはなかったし、その背中も見失ってしまった。あたしは、すう、と息を吸い込んだ。

「おい、冬獅郎! 冬獅郎っ!!」
大声で呼ぶと、なんだろうって顔で周りの人が振り返る。くすくす笑う人もいる。でもそんなことにかまってる場合じゃなかった。
あたしが名前を連呼しながら人を掻き分けようとした時、すい、と腕が伸ばされ、あたしの手首を掴んだ。
「恥ずかしい奴だな、何度も呼ぶな」
「お前にこのまま帰られるより、マシだ」
そのあたしに返した冬獅郎の仏頂面は、あたしたちが出会った頃、お互いに恋心ももってなかったころのコイツを思い出させた。


「何やってんだか、お前は……」
あたしの手をぐいぐいと引っ張りながら、先へ立って歩いていく。あたしがあまりの速さにつんのめると、少しだけ歩調を緩めてくれた。
「何? 聞こえねーよ!」
周りの商店街の音楽やら呼び声やら話し声で、冬獅郎の言葉が途切れ途切れにしか聞こえない。
「俺にはチョコ用意しねーで、男からもらってるしよ」
「は?」
「おまけに、今でもなんでそんな大事そうに持ってんだ」
「何言ってんだよ?」
あたしは、手の中のチョコレートを見下ろす。
四角形で、黄色いリボンが掛けられているそれは、サッカーバカな健太が、きっとそうとう恥ずかしい思いしながら買ったものだってことは分かった。
「捨てられねぇよ……だって、これはもらったもんだ」
「勝手にしろ」

気づけばあたしたちは、町が見下ろせる坂を上っていた。人気は坂に入ると同時に切れて、あたしたちしかいない。
あたしは、冬獅郎に手をひっぱられたまま、心細い気持ちで、夕焼けに染まった町を見下ろした。
持っててもダメ、捨てられもしない、となると……
「今すぐ食ってなかったことにする、それでいいだろ?」
あたしはリボンを解くと、中身を取り出した。そして9粒入っていたチョコを次々と口に入れる。
―― 甘っ……!
甘い。猛烈に甘い。世の男は、よくもこんなもんを9粒も食べれると思う。
甘さに耐えてると、いきなり冬獅郎が立ち止まり、あたしは振り返った冬獅郎の肩口に鼻から突っ込んだ。

「とう……」
立ち止まった時、肩が触れ合うほど近くに、あたしよりちょっとだけ背が高い冬獅郎がいた。
こんな近くにいったことは一度もない。とっさに下がろうとしたあたしは、意志の力で踏みとどまった。
間近で見上げた冬獅郎の顔は、怒ってるっていうよりかは……納得行かないような、気まずいような、そんな表情を浮かべてた。
「……もしかして、妬いてる……?」
今までの冬獅郎の言葉を思い返してみて、あたしは思わず聞いた。そして、冬獅郎の表情がますます仏頂面になるのを見て……あたしは、噴出した。


「なに笑ってんだ、意味分からねぇ!」
「だって、お前がそんな子供っぽ……」
「……子供?」
「いや、何でもねぇ」
顔を伏せたときに、おでこが冬獅郎の肩についたけど、ほとんど気にならなかった。
なんだか、冬獅郎があたしよりずっと大人だって悩んでたことが、一瞬でパーッと頭から飛んでいってしまった。

「好きだよ、冬獅郎」
やっと、言えた。そのとき、冬獅郎の中に一瞬浮かんだホッとした表情に、あたしは何だか泣きたくなる。
こいつが望むことなら何だってしたいって気持ちが、勇気みたいに競りあがってくる。
「いっつも、さ。チョコ渡して、それだけだっただろ?」
俯いたまま、冬獅郎の腕の辺りを、掴む。怪訝そうに、冬獅郎が見下ろしてくる視線を感じる。
「あたしが上げたいのはチョコなんかじゃないんだ。冬獅郎が望むことをしたい」
チョコをあげたら、何だかそのまま、ありがとう、で終わってしまいそうな気がして。
今年は、去年までとは違うんだ、と話したかった。でも、その気持ちをうまく説明することはできなかった。

「……納得、いかねぇ。チョコ寄こせ」
ふてくされたみたいな声が振ってきたとき、あたしはそれが冬獅郎の声だって、初め分からなかったくらいだった。
こんなに子供がワガママ言うみたいな声を出すのは、初めて聞いた。
「いや、だから……」
説明しようとした時、いきなり背中に手を回されて、ぐいっと引き寄せられた。
引き上げられた、って言ったほうがいい。見上げる形になったあたしの目の前に、冬獅郎の顔があった。
「とう……っ」
声を上げたとき、あたしの唇に柔らかいものがぶつかり、あたしは思わず目を閉じた。
なに、と思った時には、あたしの口の中に柔らかくて温かい何かが、するりと侵入してきた。

―― な、何? 何?
眼を開けた時、冬獅郎の白い肌が目の前いっぱいに広がった。
自分のもっかの状況が分かって、全身の温度が一気に上がる。どうしよう、どうしたらいい?
何を考える余裕もない。冬獅郎の服の袖を、ぎゅっと握りしめて、体がとっさに引かないようにするのが精一杯だった。
「……好きだ」
一瞬唇が離れた、と思ったとき、耳元で囁かれた。もう一度唇を寄せられた時は、もう怖くなかった。
つながった唇から一気に、あたしが冬獅郎の中に吸い込まれてしまうような気がした。


「……甘ぇ」
冬獅郎が、肩をすくめる。
「結局チョコ、食ったじゃねえか」
あたしの口の中の甘さは、ほとんど冬獅郎がさらっていってしまっていた。
「これで許してやる」
偉そうに言いながらも、あたしの髪を撫でる指は、いたわるようにやさしい。
「……ありがとう」
「何がだよ、意味わかんねぇ」
そっと引き寄せられた勢いにまかせて、あたしは冬獅郎の肩に赤くなった頬を置いた。



GOOD GYE, KIDS.  FIN.



AYAさまへ捧げます。
大人の階段のぼらせてみました(笑 若干1名、降りかけてる人もいますが……
同級生の男の子に告白されて如何したら良いか解らず、
戸惑う夏梨とヤキモチを妬く日番谷隊長で。ラヴラヴ甘々の両思い前提。
という素敵なリクエストでした^^
切香より愛を込めて。

[2009年 2月 25日]