「粗茶ですが」
俺が急須に入れた茶を出すと、浮竹とかいう男は、ありがとうこれは旨い、と大げさなくらいに喜んだ。
白髪だし、長髪だし、教師の規則に引っ掛からないのかと思う。
俺たちの関係を知っても、戸籍はどうなってるんだとか、母親を探すべきだとか、
最もではあるが、俺にとっては余計なお世話でしかないことも聞いてこない。

「俺の髪とはちょっと色が違うな。銀髪って初めて見たよ、綺麗だな」
普通だったらイヤミとしか聞こえないデリカシーが無い言葉を、満面の笑みで吐いてくる。
「……別に」
間違いなく変な奴だが、なぜか嫌い、という気にはならなかった。
越智はいないし、客を居間に放置するのもおかしな感じだ。俺は仕方なく向かいに腰を降ろした。

ユニクロのシャツとパンツに着替えた越智が、あー楽チン楽チン、とおばさん臭い声を上げながら台所へ入ってゆく。
冷蔵庫をバタン、と開け閉めする音が聞こえてくる。
「浮竹先生ー、冬獅郎。野菜と肉があるから、肉野菜炒めでいい? ……あぁ、コメがないな」
「炊いといた」
「でかした、冬獅郎!」
「つーか、まだ晩飯には早いだろ。もうじき藍染も来るし」
あー、と台所から大きな声が聞こえる。絶対忘れてたな。

「藍染? って誰だい」
「俺の家庭教師」
「家庭教師! まだ小学生なのに?」
「こいつは特別なんだよ」
野菜炒めは延期したのか、盆に菓子を盛った越智が台所の暖簾をくぐって現れた。
「特別?」
「天才なの。IQとか半端じゃないし。学校とか塾とか、つまんなくて死にそうなんだってさ。しかもオール5。生意気でしょ?
噂を聞きつけてさ、怪しげな天才開発何とか? っていう協会から、お声がかかったんだよ。そこから派遣されてんのが藍染先生」
「そんな怪しげな組織をウチに出入りさせんなよ」
越智の無警戒ぶりには、全くうんざりする。天才開発機構、なんて聞いただけで胡散臭さ1000%くらいあるだろ。
お宅の息子さんは天才です、その才能を伸ばし、日本に……引いては世界に貢献できる人物を育て上げるのが我々の使命です!
半年前、うちにやってきた、某韓国俳優かと見まがう女顔の男が満面の笑みで言った時、俺は顎が外れそうになったぞ。
藍染惣右介。あんな胡散臭い男、生まれて初めて見た。

俺の非難の目を向けて、越智はバリン、とせんべいをかじった。
「だって、タダだし」
「……もういい」
この手の議論はもう、やりつくしている。
結局俺は今こいつに養われてる訳だから、こいつの決断に逆らうわけにもいかねぇし。

「そういうことかい。俺は、ここにいてもいいのかな?」
「間男じゃないんだから、そんな気を遣わなくたっていいの。ていうか先生、同じ教師として見てやってよ。藍染先生の教えっぷり」
ううむ、と浮竹が返事ともいえない返事を返したとき、ピンポーン、とインターフォンが鳴った。


「はい」
「藍染です」
「……はい」
我ながら、声が嫌そうなのは隠しようがない。
どうせ今ごろ、ドアの向こうで胡散臭い笑顔をこしらえているに違いないんだ。
誰かの前ではいつも柔和に笑ってるけど、後ろを向いた時にはどんな顔してるんだか分かったもんじゃねぇ。
ふとした好奇心で、足音を殺して玄関まで来ると、こっそり魚眼レンズから玄関の外を窺ってみる。すると。
ドアの向こう側から逆にこっちを覗き込んでいる藍染の目がドアップで見えて、俺は思わず、おわ、と声を上げて身を引いた。

「冬獅郎君、こんばんは。君もけっこう子供っぽいことするんだね? こっそり僕の様子を窺おうとするなんて、油断ならないな」
「……」
なんで、俺が逆から覗こうとしたのが分かったんだ。ひょっとしたら足音が聞こえたのかもしれない。
ドアを開けて入ってきた藍染にポンポンと頭を叩かれて、一睨みして手を払いのけた。
「そろそろ、僕にも心を開いて欲しいんだけどな」
「……別に、俺は誰にも心なんか開いてねぇ」
「越智さんとは信頼しあってるじゃないか」
俺は、軽く一瞥しただけで何も答えなかった。なぜだか、弱みを握られたみたいな嫌な気持ちになったからだ。

居間に入ると、藍染はちゃぶ台の横に座っていた浮竹を見て、意外そうな顔をした。
や、と屈託なく浮竹が手を上げて挨拶する。誰に対しても、全く態度が変わらない奴らしい。
八畳くらいの居間に大人が三人も入ると、急に部屋がせまくなったように感じた。


畳の上に積み重ねてあったテキストを数冊、ちゃぶ台の上にぞんざいに放り出す。
「驚いたね。全部終わったのかい? 高校三年レベルなのに」
ぺらぺらとテキストをめくってみた藍染が、俺に視線を戻した。
「難しいどころじゃねぇ、考える必要もねぇよ。暇つぶしにもならねぇ」
「ほぅ? 採点はまだ、どれもしてないみたいだけど」
「賭けようぜ、藍染。俺が満点だったら、こんなバカげた家庭教師は今回限りだ」
ちょっと! と越智が話に割って入ってくる。
「勝手に決めるんじゃないよ。ていうか、藍染『先生』だろ! どっから来たんだ、そのクチの悪さ」
あんたから来たんだ、と思ったが、今は越智とケンカしてる場合じゃねぇ。
「俺が一問でも間違えたら、藍染先生だろうが藍染様だろうが呼んでやるよ」

はあ、と越智はため息をつくと、藍染に向き直る。
「すみませんねー、この通り生意気な子で。あたしの躾がなってないもんだから」
「いいんですよ。まだまだ、素直になれないお年頃ですから」
あ!? とこめかみに青筋が立つのを感じる。ていうか、大人ぶった会話でヒトを話から外すな。
大体、「素直になれないお年頃」って何だ。

俺が、むかついた顔のまま藍染を見やると、何を思ったのかにっこりと笑った。
「恥ずかしいんだよね? 大人の男性を前にして、少年が考えることなど分かっているさ」
「な、何を?」
藍染が何を言い出すのか見当もつかない。キラーン、と藍染の白い歯が光った。
「でもね冬獅郎君、覚えておくといい。僕に憧れるのは自由だ。でも、憧れは理解とは全く別の感情だよ」


ぼきっ。
手に取ったばかりの鉛筆が、俺の手の中で物騒な音と共に折れた。
「ふざっけんな! 誰がてめぇに憧れるか! てめえが先生なんて、やってられるかあー!!」
ちゃぶ台ひっくり返し、とはまさにこういう状況のことだろう。
気づけば、四本の足を間抜けに天井に向けたちゃぶ台と、湯飲みを器用に避難させた浮竹と越智が視界に入る。
藍染の奴は……ニヤニヤ笑ってやがる!

「……リテイクだね、日番谷隊長。ノーミス記録が破られたね」
「ああん? ……あぁ……」
俺ががっくりと肩を落とすと同時に、パンパン、と手を叩く音が聞こえて、玄関からどやどやと何人かが入ってきた。
「はいはーい、カットや、カット! リテイク入るでー!」
「市丸! なんでてめぇが仕切ってんだ!」
「キレてもあかんで、十番隊長さん。ここは、冬獅郎少年が、藍染先生への憧れを自覚する、重要なシーンなんやから」
「おかしいだろ、流れ的に! なんでそうなるんだよ」
「だって台本が」
市丸に指差され、俺は絶句する。悔しいが、台本がそうなっているのは紛れも無い事実だ。だからこそ受け入れられない。
居間の陰から、テープレコーダーを流したような淡々とした声が聞こえている。
「……『俺は、顔が赤らむのを感じた。藍染にまさか、俺の秘めた心のうちが読まれているなんて……!』」
「……涅。その気味の悪ぃナレーションを止めてくれ」
「私は、台本に書かれているままを読んでいるだけです」
「だからこそ止めてくれ」
涅ネムは機械じみた動きで首を傾げたが、一応ナレーションを読み上げるのは中断してくれた。

俺は深い、それは深いため息をつくと、その場に集まってきた全員を見渡した。
藍染、市丸、浮竹、四楓院といった死神勢に加え、空座町から駆り出されて来た人間やら仮面の軍勢やら盛りだくさんだ。
なんで、一ヶ月前まで血や腕や胴体が飛び交う死闘を繰り広げてた自分達が、こんなエセホームドラマをやる羽目になっているのか。
結局、藍染達には天に立つほどの根性はなく、俺達にも藍染達を皆殺しにする気力もなく、戦いはうやむやの中に幕を下ろした。
何もかも混沌としている中で、瀞霊廷内の残務がとんでもなく膨れ上がり、あちこち破壊した修繕費が恐ろしいことになっていることだけが明確だった。
「何もなかったことにする」。総隊長の下した、色々なものを超越した決断に、絶句したのが一ヶ月前。
女性死神協会が、隊長達の団結力をPRしつつ、かつ販売すればお金も稼げます♪ とホームドラマの収録を持ちかけてきたのが三週間前。
事態は、俺の想像の外で動いている。

「隊長っ、まじめにやってくださいよ。隊長達は仲良しですよーってことを伝えるのも目的なんですからね」
「……松本……」
松本に、「まじめにやれ」なんて言われる日が来るとは思ってなかった。
「何回リテイクやってもムダだ、ストーリー変えろ」
藍染を横目で睨むと、わざとらしく肩をすくめるのが憎憎しい。
「……僕、本当に嫌われちゃったようだね?」
「てめぇ、一ヶ月前俺の片手片足ぶった斬ったのを忘れたか……?」
「誰が片手片足やねん! うちなんか胴体まっぷたつやぞ!」
いきなり、背後から飛んできたスニーカーが俺の後頭部を直撃する。振り返ると、赤いジャージの上下もまぶしい猿柿ひよ里が立っていた。
「猿柿! てめえ、今日は収録ねぇだろ!」
「あるんや! この後のシーン、お前とアタシがしゃべるとこあるやろ! 台本読んどけ、このハゲ! チビ!!」
「うるせえドチビ! で!? どういう関係なんだよ!」
「仲がええお友達や!」
「……」
俺は沈痛な面持ちで片手で顔を覆うと、しばらく沈黙した。
駄目だ。俺には、つい一ヶ月前に起こったことと、今の演技を別物として考えられない。
「もー、隊長。そんなんじゃ立派な芸人にはなれませんよ?」
「そうだ、立派な芸人……って、何で俺が芸人にならなきゃなんねぇんだ!」
「おー、今のや。今のツッコミが大事やねん」
いつの間に入ってきたのか、平子真二の顔を見える。
嗚呼。こんなんだったら、あの時死んでも決着つけておくんだった。と嘆いても後の祭り。

なんでやねん。
俺は心の底で、こっそり突っ込みを入れたのだった。







	

日番谷 冬獅郎


柚子様へ捧げます。
「日番谷と、一護とか死神(誰でもOK)が絡むギャグで」というリクエストでした。
何故、越智先生が収録に……?という疑問には、答えられません。
まさかこんなトンチンカンな感じの話になるとは、リクエスト頂いた時には夢にも思ってませんでした!
すみません作者のせいです。そしてアップが遅くなってしまって、すみませんでした……!
切香より愛を込めて。

[2010年 4月 25日]