「あっ!」
声を上げると同時に、わたしは砂の中に倒れこんだ。
肌に触れる砂が、熱い。服の中にも、口の中にも細かい砂が入ってきて気持ちが悪い。
身を起こして見上げると、逆光を浴びたノイトラが、まるで影のように立っていた。
振り上げた三日月型の鎌だけが、まぶしく輝いている。

起き上がろうとしたとき襟首を掴まれ、ぐいっ、と持ち上げられた。
人一人の体重を支えるようにはできてないワンピースの布地が、悲鳴を上げる。
足が軽々と宙に浮き、息ができずにわたしは喘いだ。きぃん、と耳が鳴る。
「ちっ、遊び甲斐がねぇな。ちょっと力入れたら殺しちまいそうだ」
ノイトラの声が、耳鳴りの向こうで聞こえた。
「いい加減答えろ。スタークはどこにいるんだよ!」
「言わない」
何度口にしたか分からない言葉を、繰り返す。乱暴に突き放され、わたしはまた砂の中に倒れこんだ。ちっ、と舌打ちが聞こえた。

「待ちなさい、ノイトラ」
背後から声が聞こえ、ノイトラがぴたりと足を止めた。静かに歩いてきたのは、ネリエル、というらしい女の人。
「ンだよ、俺に指図すんな、ネリエル!」
いきりたったノイトラとは逆に、ネリエルは静かに瞳を閉じた。
「虚夜宮から通達が来たわ。十刃は完成し、スタークはNO.1の座についたと。
私達には虚夜宮へと戻るようにと指示が出ているわ」

「十刃……?」
わたしは、その言葉を馬鹿みたいに反芻した。聞きなれない、言葉からは何も分からないけれど、直感的に不吉な感じがする。
ノイトラが、ニヤリと笑いながら、刃を振り上げてわたしに向かって歩み寄ってきた。ネリエルが、わたし達の間に、制止するように入り込む。
「まさか俺の邪魔をする気じゃねぇだろうな! この女はもう用なしだ、殺す!」
「……その必要は、ないわ」
「てめぇ、庇う気かよ!」
「いいえ、庇っている気はないわ」
ネリエルはいきり立つノイトラに静かに言い返すと、肩越しにわたしを振り返った。
「その人間は、おそらくスタークの居場所なんて、初めから知らなかった。それなのに嘘をついたのは、死にたかったからでしょう?」

目を見開いたわたしと、ネリエルの視線がぶつかる。翠の目を持つ女の瞳が、スッと細められた。
「死にたい……?」
口にすると、なんだかとても違和感のある言葉だった。わたしはつかの間、考える。
「死にたい、とは思わないわ。ただ……消えてしまいたいだけよ」
砂をぐっ、と握り締める。さらさらと指の間から零れ落ちる感触を感じる。

スタークと過ごした時間は短かったかもしれない。
それでも、毎日そばにいる体温を感じるうちに、あのこじんまりとした殺風景な白い家が、城みたいに確かなものに思えていたのよ。
でも、今朝ひとりで目覚めて、冷たいシーツに触れた瞬間に思い知らされた。
わたしは必死に、砂の城を作ろうとしていたに過ぎないと。……スタークがどういうつもりだったかは、知らないけれど。
さらさらと崩れる砂の城。
それを思い浮かべた瞬間、わたしは「諦めた」の。
もう、あの一人の生活には戻りたくないし、戻れない。
ならわたしもこの城と同じように崩れて、ただの砂に還ってしまえたら幸せだと。

「消えてしまいたいなら、そうすればいい。破面の力を借りたりせずに」
そう言ったネリエルの声は、冷たくもあたたかくもなかった。彼女は、わずかに息をついてから続ける。
「ただ、百年も生きられないような短い寿命を、自ら絶とうとする人間は滑稽なものね。
そう思ってしまうのは、死した魂の集合体でできている、破面である私の僻みかしら」

ああ。わたしは、心中溜め息をつく。
このネリエルという女(ひと)と、まったく別の場所と立場で出会っていたら、もしかしたらわかりあえたかも知れない。
「……スタークも、きっと怒るわね。でも、スタークの方が愚かよ」
わたしは、微笑む。

「わたしを守るために、あの人は意に反して、あなたたちの仲間になった。そうなんでしょ?」
今の短いやり取りからも、そのことは理解できた。
ネリエルがうなずくのを見て、胸の中につめたい風が吹いたように思った。
馬鹿だ、本当に馬鹿。
スタークは、私をあの現世での日常に戻すために、犠牲を払った。
私はあんな日常を繰り返すくらいなら、消えてしまいたいと思っているのに。
そう思った瞬間、スタークに会いたい、という思いが胸の奥からこみ上げた。


「スタークは……これから、どうなるの?」
気づけば、叫ぶように問いかけていた。
大型犬みたいにゆったりした、彼のおだやかな空気。
わたしの孤独を抱きしめてくれた、長くて筋張った腕。忘れようとしたって、忘れられるはずがなかった。
「……簡単なことだ」
ノイトラが、ネリエルを押しのけて前に出た。残忍な光を放つ瞳が、わたしを射る。
「藍染様の元で、死神をぶち殺す。ふんぞり返った死神どもの世界をひっくり返す」

「……アイゼン?」
わたしの声が、その場にポツリと落ちた。
ネリエルとノイトラが、同時にわたしに向けた視線を感じる。
でも、それに意識を払う余裕はなかった。頭が、いたい。耳鳴りがどんどんと強くなる。
足に力が入らなくなり、思わずその場にしゃがみこんだ。
両手で頭を抱え、もう一度、その名を口にする。
「藍染惣右介」
カチリ、とわたしの頭の中で、何かがかみ合った。

「……わたし」
ふらり、と立ち上がる。貧血なんだろうか、足元がふらふらする。
白いコットンワンピースのすそが揺れるのを、まるで現実感なく見下ろした。
頭の中では、昨夜の情事の間の、なぜか泣きそうだったスタークの顔が思い浮かんでいる。
初めて交差点で呼び止められた時のこと。
現世で会社員として暮らしていた時のこと。次々とシャボン玉のようによみがえっては弾ける。
記憶が……逆流する。

「……あなたは。藍染様のことを知っている……ありえないわ」
ネリエルの瞳が、見開かれている。
ああ。
ありえない、なんてことは「ありえない」のよ。
「そこをどいて」
どこへ行こうというのか。定まらないまま、歩き出す。
「早くしないと、きっと間に合わなくなる。もう、戻れなくなる」
そこから先へ行ってはいけない、そう思いながら、記憶の扉に手を伸ばす。
引きあけた先で、黒衣が翻る――

「何を言ってんだ、てめぇは!」
刹那。
ノイトラが、巨大な、ギラリと輝く鎌を私の首に向かって振り下ろした。
―― ああ。『死神』みたい。
その瞬間、わたしは覚醒した。

絶対に口にしないと決めていた言葉は、唇に乗せればひどくたやすかった。
「……虚閃」
次の瞬間、目に見える限りの砂漠が、爆発と噴煙に覆われた。
「……私は、方丈恋」
自分に言い聞かせるように、つぶやく。
「一番はじめに生み出された、一番強い、ヴァイザード」