「トマトジュースはあるか?」
何度も聞いたことがある声のはずなのに初め聞き逃したのは、
この人物が、こんな言葉を発することがあるというのをあまり想像していなかったためだろう。
「ト、トマトジュース、ですか?」
店員が困っているのが、声を聞いているだけで分かる。
当然だ、ここはスターバックスなのだから。
フルーツ系もいくつか置いているとは言っても、さすがにトマトはないだろう。
俺は、テンション高くなにやら言ってるケイゴの声を無視して、難問を突きつけている声の主の方を肩越しに振り返った。
途端……吹いた。
「ぶほぉっ!?」
「何だ一護、どうしたんだ? 美人でもいたか!?」
「いや、美人っつーか……」
振り返ったまま、次の言葉を失って黙り込む。
何で?
何でこんなトコに、日番谷冬獅郎隊長がいるんだ、フツーに!?
***
白髪とは明らかに違う、銀色の髪。黄色かかった店内の光の中で、プラチナブロンドに輝いている。
翡翠色の瞳は、深く落ち着いた色に見えた。
一護に絵やデザインの素養は全くないが、これほど綺麗な色の組み合わせは、早々ないと思う。
「美」を冒頭につけても違和感を感じないくらいの少年が、
スターバックスのカウンターに手をつき、大学生のアルバイトらしい女性定員を見上げているのだ。
一護は思わず固唾を呑んで、成り行きを見守った。
「トマトジュース……」
女性が口の中で反芻する。そして、頭上のメニューを見上げる。
見上げてもあるはずがないのは、分かってるだろうに。
恐れ入りますが、トマトジュースは当店ではお取り扱いしておりません。これが、この場合のマニュアル回答だろう。
「……」
二人が、束の間黙って視線を合わせる。
その翡翠色の瞳に見つめられ、女性の頬が上気しているのが分かる。
「少々お待ちください! 探してまいります」
女性がカウンターから飛び出そうとするのを、おぉ……と一護は半ば感嘆しながら見守った。
さすが日番谷冬獅郎。
女性死神協会で一・二の人気を誇る男である。
「待て!」
その袖を、すかさず日番谷が掴んだ。
「この店にはないんだな? だったら売ってる場所を教えてくれ」
その翡翠色の瞳に見つめられ、女性の頬が……以下同文。
「トッ、トマトジュースでしたら……」
裏返った声で、女性が自動ドアの向こうを指差した時。視線を外に向けようとした日番谷の視線がふと、一護を捉えた。
「……おぅ」
バッチリ目が合ってしまったのに、気づかなかったフリをするわけにもいかず、一護が片手を上げて見せる。
見る見る間に、日番谷の眉間に深い皺が寄った。
「おい、黒崎」
ずかずかと俺の前まで歩いてくると、腕組みをして俺を真っ向から見下ろしてくる。いや、「見下してくる」と言ったほうが適切だ。
さっき店員の女性に向けたのの何分の一でもいいから優しさが欲しいと思う。
「トマトジュースが売ってる所に案内しろ。隊長命令だ」
「ンだよその妙な命令は? なんのために」
当然の質問を返すと、日番谷は一瞬視線を泳がせた。
「……松本がな。二日酔いなんだよ」
「……またかよ。それで?」
「二日酔いにトマトジュースが効くって噂をどこからともなく仕入れてきたんだ」
……それで。と更に聞かなかったのは、眉間の皺をますます深めさせるだけだと分かっているからだ。
要は、二日酔いの乱菊に拝み倒されてしょうがなく、トマトジュースを探しに現世に来たのだろう。
それを現世では「パシリ」と呼ぶ。
「どこで売ってるか知ってんだろ?」
「そりゃ、知ってるけどよ」
トマトジュースくらい、コンビニでもスーパーでも、どこでも売っているだろう。
「一護、おい一護っ! 俺を無視すんなー!!」
その時、放置していた一護の電話から、悲痛なケイゴの声が聞こえてきた。
おぉ、と返事を返そうとしたとき……伸びてきた日番谷の手が、一護の電話を奪い取った。
「おーーい、返事して……!」
ブツッ、とケイゴの声が聞くも無残に断ち切られる。
日番谷はひょい、と電源を切った電話を、一護に投げ返してきた。
「案内しろ」
このナマイキキャラめ。
一護はチラリと時計を見る。待ち合わせの時間まであと少しあるから、まぁちょっとくらい外しても大丈夫だろ。
「……分かったよ」
しぶしぶながらも後に従ったのは、その背の小ささが、妹を思い出させるからかもしれない。
まぁ、それを言って氷漬けになる気はないけれど。