無気力な街。いや、街だったというべきか。
乾燥した大地に、瓦礫が転がる。
家は形だけはかろうじて残っているが、風化するままに放置されていた。
人は、住んでいた。でも「人気(ひとけ)」というものが何も感じられない。
人間らしい気力がない、というのだろうか。
ボロボロの服を着て、あちこちに座り込み、赤ん坊が泣いているのを見守っているもの。
あきらかにクスリをやっていると思われるもの。
ひとりごとをブツブツ言っているもの。
「ホンマ、地の果てやな……」
五番隊士を率いてこの地へやってきた隊長・平子真二は、大きなため息をついた。

「ちょっと、何すんのよ! 離せっ!」
あどけなさを多分に残した少女の声が唐突に響き、平子はフッと顔を上げた。
久しぶりに人間の声を聞いた、そんな気がした。
「ガキのくせに、いい体してやがるぜ、こいつ!」
少女に多いかぶせるように野卑な男の声が聞こえ、またため息が漏れた。
「ちょっと待っとき、お前ら」
「え? 平子隊長?」
急に隊首羽織を翻して背中を向けた平子に、隊士たちが声を上げた。
しかしそれにかまわず、声をたよりに古びた通りの角を曲がった。


―― それにしても、埃っぽい街やのォ……流魂街やし、瀞霊廷みたいに小奇麗にはいかんやろけど……
皆から見捨てられ、諦められ、ただ終わりを待っている。
倒れかけた家が続く街並は、瀕死の老人を思わせた。

「コラお前ら、何しとる!」
角を曲がったところですぐに、5人の男に取り囲まれた、小さな少女が見えた。
「なんだてめぇ! 関係ねぇだろ!」
「ったく、この街みたいに大人しく朽ちてればええもんを。
こんな子供にサカっておもろいか? 同じオトコとして情けないわ」
こちらも任務を控えた身なのだ。男達の色狂に付き合っている暇などない。
すぐにカタをつけるか、と腰に差した刀をスラリと引き抜いた。
「『今宵の斬魂刀は、血に飢えておるわ』……なんてな」
ふざけて見せても、それは隊長の抜く刀。
一瞬の間に、磁場のように広がった圧力に、男達が押されるように背後に下がった。
「この死神ヤローが!」
捨てゼリフを残して走り去ってゆく男たちに、肩をすくめる。


―― アホくさ。
その場から踵を返す。
一瞬でも、女の悲鳴を聞いた時、今回の任務のターゲットかと思ったのだ。
この周辺に出没し、次々と流魂街の十人を殺害する、殺人鬼。
それが、今のような情けない男たちであるはずがない。

「待ちなさいよ!」
その時、後ろから聞こえた凛とした声に、平子は思わず振り返った。
「なんやお前。もう助かったんやから、ええやろ。はよ去ね」
悲鳴と共に逃げ出すか、腰を抜かしているかと思っていた少女は、何事もなかったかのように突っ立っていた。
「……こりゃ、肝の据わった嬢ちゃんやな」
「嬢ちゃん、なんかじゃない! あたしは松本乱菊!」
一人前に扱われていないのが分かったのだろう、ムッとした表情だ。
その声音には、恐れている様子など全くなかった。

―― ふむ。確かに……こりゃ、将来いい女になるわ。
松本乱菊、と名乗った少女を一瞥して、平子は思う。
顔も体も泥に汚れ、あちこちにつぎはぎを当てた服を着ているが、こぼれる色気は隠しようがない。
肌は白く、唇は紅を差したように赤い。肩につくほどの長さの髪は、見事な金色だった。
破れた着物の襟元からは、子供にしてはずい分豊かな胸がのぞいている。

「ひよ里にも、見習わせたいわ」
思わずひとりごとを言ったとき。
「なにやっとんねん、バカ真二!」
何の前触れも遠慮もなく、小さな草履の一撃が平子の頭を直撃した。
「ひよ里、オマエ! なんでいきなり蹴るんや!」
スタッ、と飛び降りたのは、そばかすが点々と頬に散った、目つきのきつい少女だった。
背丈だけ取れば、乱菊と同じくらいに見える。

「なんとなくハラ立った」
仁王立ちのひよ里が、やけにキッパリと言い返した。
―― まさか、今思ったことバレたんちゃうやろな。
顔の泥を払いながら、平子はひよ里の仏頂面を見下ろした。
「ていうか、なんでオマエがついて来るんや。十二番隊の副隊長やろ!」
「ええやんか、そんなんウチの勝手やろ! 十二番隊におったらイライラするんや!」
「オマエら、まだ仲よぅないんか……」
「アタリマエやろ!」
言い返したひよ里はやっと、自分をじっと見つめる乱菊に気がついたようだった。

「なんや? この女」
ひよ里は、乱菊を頭の上から爪の先まで、じろじろと無遠慮に見回した。
乱菊のほうも気後れするでもなく、同じくひよ里を見返した。
「……オマエ、名前は」
「松本乱菊」
「ハッ、松かいな。松竹梅で一番上等やんか。ウチなんかなぁ、柿やで。ランク外やわ」
「それはどうだってええ」
平子は、ガシッ、とひよ里の頭を上から押さえつけるようにつかんだ。
何すんねん、とじたばた暴れるのを無視して、乱菊に向き直った。

「乱菊、ゆーたな。何しにここに来たんかしらんけど、ここはアカン。
もうじき戦場になるでな。安全なトコに逃げときィ」
流魂街の人間が旅をするとはあまり聞かないから、この周辺の住人だろう。
それなら、ひとりでこんな人目につかないところに迷いこむ危険を、分かっているはずだろうに。
なぜ、こんなところをウロウロしていたのか。

「分かった。おらんようになった男を探しとるんやろ」
唐突にひよ里が口を挟んだ。
「あのなぁ。ガキやぞ、まだ。オマエよりよっぽど発育よいけど」
「うっさいわ!」
こんな子供に、男だ女だとあるだろうか。
そんな平子の思惑とは別に、乱菊は生真面目な表情を崩さないまま、コクリと頷いた。
「マジか!? パトロンでもおるんか?」
「なにがパトロンやねん、荒んどんはオマエやろ、バカ真二!」

「ねぇ。知らない?」
平子とひよ里の口ケンカを思い切り遮り、乱菊が一歩踏み出した。
「銀髪の、あたしと同じくらいの背丈の男の子」
思わず二人が顔を見合わせるほど、乱菊の視線は真剣だった。
「今朝起きたら、いなくて。ずっと探してるけど、見つからないの」
そのまなざしに、湿ったものが混じった気がして、平子は少しだけ動揺する。
子供で、しかも女に泣かれるとバツが悪い。

「知らんけど。ええわ、この任務が終わったら、探してやってもよいで。ひよ里が」
「なにちゃっかり丸投げしてんねん!」
ひよ里が言い返した、その時。平子はピタリと動きを止めた。
―― 天廷空羅か。
耳元に、隊士の声が聞こえてきていた。
―― 「平子隊長! 標的が現れたようです! お戻りくださいっ!」
「……そんな大声出さんでも、聞こえとるわ」
平子はそう返すと、ぐるりと肩を回した。
と、その姿が一瞬のうちに掻き消える。


***


「な、なんや、これ……」
薄闇が広がりだした、街のはずれ。平子のすぐ後ろについていたひよ里が、それだけ言って言葉を切った。
平子は、隊首羽織を翻したまま、無言だった。気遣わしげに、ひよ里がその背を見上げる。

その血に満ちるのは、濃厚な血の匂い。そして、瀕死の者の呻き。
それも、数人というレベルではない。このために引き連れてきた、総勢8名の五番隊士が、その地に倒れていた。

我に返ったひよ里が、たたっ、と一番近くに倒れた隊士に駆け寄る。
「真二、何とかならんの?」
「……」
平子は、ひよ里が助け起こした者の腹部に、貫通した傷跡を見て、眉を顰める。
流れ出る血が、あっという間にひよ里の死覇装を濡らしてゆく。
「……垣田を置いて下がれ、ひよ里」
「……真二」
「こんな傷。四番隊しか助けられへんけど、どれほど距離あると思っとんや。……どうにも、ならん」

無言で刀を引き抜いた真二を、ひよ里が見上げる。
「……ウチが、やろか?」
「何言うとんや、五番隊の隊士なんや、ワシの部下や。他に誰が死に水取るねん」
止めを差す。
それは、戦いに身を置く死神の間では、決して珍しいことではない。
それでも到底、慣れられるものではなかった。

その地に満ちていたうめき声が全く聞こえなくなる頃、平子は顔を上げた。
「絶対に助からん傷を負わせて、置いていったんや。こいつら殺ったんは、ホンモノのクズや」
無言で見守っていたひよ里が、吐き捨てた。

平子は、鮮血で赤く輝く刃を一振りし、血を振り払った。
ひよ里に背を向けたまま、声をかける。
「……ちょっとイタズラが過ぎたんちゃう? 坊」
その視線は、通りの向かいに立つ朽ちた家壁に、もたれかかるように立つ少年に注がれている。
少年は、その場の狂気じみた空気に頓着することなく、笑った。
「……ややわ、見てただけやん」
「大人に嘘つくもんちゃう」
まさか、とひよ里が息を飲むのが分かった。
そのはずだ、そこにいたのは、汚れた膝丈の着物をまとった、ひよ里と同じくらいの背丈の少年だったからだ。

しかし、疑いを挟む余地はない。そう、平子は思う。
「……オマエからはな。血の匂いがするんや」
もう一度笑った少年の瞳から、真紅の輝きが零れた。

―― 只者と、ちゃう。
何しろ、平隊士といえど、つれてきた8人は「死神」なのだ。
流魂街の人間に、これほどまでにあっさり殺されるなど、マトモな状況ではない。
向き合うだけで、綿に水が染み入るように、ゾクゾクと冷たいものがこみ上げてくる。
「……オマエ、誰や」
「市丸ギン」
その口元が、亀裂のような微笑を形作るのが見えた。


***


「オマエがこいつら、斬ったんか……」
平子の背後から、ひよ里がゆっくりと歩み出る。信じがたい、とその表情が語っている。
しかし市丸ギンは、無邪気、といってもいいような表情でウン、と頷いた。
「……なんでや。死神に恨みでもあるんか。殺すなんてよっぽど……」
「何言ってるん」
少年が、にたり、と笑う。
「殺したんは、そこの人やろ。ボクちゃうで」
「……オマエっ!」
一瞬口ごもったひよ里が、激昂する。斬魂刀に手をやり駆け出そうとした時、その肩を平子が抑えた。

「嫌なん? 殺すんが。ホンマに」
ゆっくりと、市丸ギンが歩いてくる。
心の底から、不思議そうな声だった。理解できないと。
ぞくり、と嫌な気配が広がる。
少年は、転がっていた刀を無造作に手に取ると、楽しそうに振ってみせる。
「嘘やろ」
目を細めて、言い放った。
「こんなに、こんなに楽しいのに。なんで、人を殺したらあかんの?」
上向けた両方の掌が、真っ赤な血で染まっている。
「アンタらも、実は嫌いちゃうやろ? 虚を殺す瞬間とか。人を殺したこともあるんやろ?
おもろいって、思ったことあるくせに。大人ってウソつきやわ」

アカン。
平子は気づけば、立ちすくんだまま市丸ギンを凝視する、ひよ里を庇うように前に出ていた。
このガキは、人の心を呑む蛇や。

誰にでも、善と悪、ふたつの心がある。
悪を殺しきるとまではいかんでも、うまい具合に折り合いをつけて、生きていくもんや。
それやけど……こいつは、違う。
多分生まれつき、「善」の心が抜け落ちとる。

「……アカンわ。お前は」
ゆっくりと、平子は市丸ギンに向って歩み寄ってゆく。
「お前は、自分が闇におるだけやなくて……周りを同じとこに引きずり込む。おったらあかんのや、そんな奴は」
次の瞬間、平子の斬魂刀が閃いた。


***


「……真二。止め、差したりィ。いくら外道でも、苦しめたらあかん」
その、30分後。ひよ里が、彼女にしては穏やかな声を、平子の背中にかけた。
「優しい……んやなぁ、ボクにまで」
闇に転がった物体としか見えなかった「それ」が、言葉を発する。
ごぼっ、と咳き込むと同時に、液体が地面にこぼれる音が不気味に響いた。

「勘違いすんなや!」
ひよ里が声を張り上げる。
「誰がオマエなんかのために。真二はアホやけどなぁ、オマエみたいな奴にはなって欲しないだけや」
平子が、ひよ里を振り返る。そして、勝者とは思えない弱い笑みを浮かべた。
「……アホは余計や」

ふっ、と市丸ギンが笑ったような気配を感じた。
それきり、何の音も聞こえなくなる。
「……気ぃ、失ったみたいやな」
ゆっくりと、歩み寄る。
止めを刺すつもりだった。

「惜しいわ。心根さえ真っ直ぐやったら、拝み倒してでも死神に勧誘したけどな」
隊長として、すぐに気づいた。この少年は、いずれ隊長格にもなり得る器だ。
戦いながら、何度か目を見張る思いをさせられた。
「魅入られた」と言ってもいいほどに。
一瞬のその迷いを、我ながら忌まわしいと思った。

ぐったりと力を失ったその首に、刀を突きつける。
子供に手を掛けるのは、初めてだった。
―― 堪忍な。
心中で、つぶやいた。

その時。

「……く……」
少年から漏れたかすかな声が闇に溶けた。

「乱菊」

その声は、まるで、道に迷った子供のようで。
平子は、見知らぬ者を見るような瞳を、市丸ギンに向けたまま固まった。
少年は、意識を取り戻した兆しはない。

「……真二?」
歩み寄ってきたひよ里が、首を傾げた。
「……乱菊、って。さっきの女の子の名前やったな。そういえば、銀髪の子を探してるって……」
頭に血が上っていて、すっかり忘れていた。
思い出した平子は、額に手を置いた仰向いた。

―― 「今朝起きたら、いなくて。ずっと探してるけど、見つからないの」
なんで、そんなに。
普段は強気なくせに、互いを思うときにそんな子供みたいな声を出す?
「卑怯モンやわ」
自嘲気味に、つぶやいた。

ややあって、平子は市丸ギンに視線を戻した。
「あの子のおかげで命拾いしたな。感謝しぃや。もう、手放すんやないぞ」
確証はないけれど。
あの乱菊、というまっすぐな目をした少女の隣にいれば、
この少年は狂気に飲まれずに済むのかもしれない。
今は、ただちょっと、はぐれてしまっただけなのかもしれない。

「真二……」
「帰るか。こいつら連れて帰るん、手伝ってくれんか」
ひよ里は、何か言おうとしたようだった。
本当に見逃すのか、と言いたかったのだろう。
でも結局なにも言わずに、平子の先へ立った。


***
***


それから、ほどなく。
死神になったオマエを、全く初対面みたいに受け入れた。
ワシは、オマエを知ってる。どれほど油断ならんガキかってことをな。
だから、藍染がオマエを連れて来た時、敢えてワシの五番隊に組み込んだ。
近くにおいて、監視するために。

でも、今になるとつくづく、思うわ。
やっぱりあの時、妙な情を起こさんと、オマエを殺しておくべきやったと。
オマエは、心の中にバケモンを飼うとる。
バケモンを殺すには、オマエを殺すしかないことは、分かってたはずやのに。
今にして思えば、あの時からワシはもう、オマエの妙な力にハマッとったんかもしれんな。

ワシにとっては、オマエのその力は……
ある意味藍染よりも、恐ろしいと思うで。


「お久しぶりです、平子隊長」
空座町の上空で微笑む、そいつを見上げた。
腰くらいまでしかなかった少年は、ワシよりも今や背丈がある。

ワシを超えようっていうんか、市丸ギン。
空中で、目が合う。
その口元が、亀裂のように、微笑む。
既視感で、頭がくらりとした。