日番谷と乱菊は、電車の揺れに身を任せていた。
がたんごとん。
ちょうど時刻は昼下がり。車窓からは、穏やかな午後の光が差し込んでいる。
まばらに座っている人々も、うとうとと居眠りしていたり、のんびりしゃべっていたりと長閑な雰囲気である。
二人はドア付近で向かい合うように立っていた。
乱菊が外を見ると、黒や青や赤のさまざまな色の屋根が視界を通り過ぎてゆく。
川沿いの桜の葉が、ところどころ黄色や赤に染まっている。もうすぐ、秋なのだ。



「ねー隊長」
そのおおっぴらな声に、周囲の視線が集まる。
そして、「隊長」と呼びかけられているのが子供だと知って、怪訝な顔をするのが分かった。
日番谷は眉を顰める。
「その呼び方はここではやめろ」
「じゃ冬獅郎クン」
「……」
「ぼ・う・や♪」
「……後で覚えてろよ。つーか何だ!」
「今日、あたしの誕生日なんです」
日番谷は、車窓を流れてゆく小学校に視線を奪われながらも、返してきた。
「……知ってる」
「覚えててくれたんですね、さすがっ♪」
乱菊は声を弾ませたが、本当は分かっている。
この律儀な少年が、乱菊の誕生日を忘れているなんてことは、絶対にありえないと。


「お前みたいに忘れっぽい奴が、よく自分の誕生日なんて覚えてたな」
素直に喜ばれたのが照れくさかったのか、こんな憎まれ口を叩いてくる。
たしかに、乱菊のように現世で死んで流魂街にやってきた魂の中には、誕生日を覚えていない者も珍しくない。
日番谷自身も、流魂街に来たのがあまりに幼かったため、誕生日は覚えていないのだと聞いたこともある。
「覚えてないですよ。適当につけたんです」
シレッとして乱菊はかえす。
「ギンが、僕と出会った日にしようって……もう、本当に昔の話です」
「ほぉ」
それは初耳だったのだろう。日番谷は窓の外から視線を戻し、乱菊を見上げてきた。
「それがお前の不幸の始まりだったわけだな」
「……笑えないです、それ」


市丸ギン。今はもう、いない男。
どこにいるのかも分からない。でも、分からないほうがいいのだと乱菊は思っている。
分かるときは……笑顔で再会は、ありえない。もう互いに、刀を取ってしまったのだから。

先に刀を向けたのは、自分なのだ。
そう乱菊は、感傷に走りそうになった自分の心を、ぐいと掴んで引き戻す。



不意に、乱菊は向かいで腕を組み、ドアにもたれかかっている日番谷を見やった。
そして、揺れる車内を日番谷の方に2・3歩、歩み寄る。
「なんだよ」
そう言った日番谷の隣に、座り込む。ふふっと笑って、今度はその横顔を見上げた。


立っている時より、乱菊が座った方が視線が近い、まだまだ成長途中の少年。
でも誰よりも、その存在はずっしりと重くて……安定してる、そう思う。
だってこの人の隣はこんなにも安心する。


「ねぇ。これから、空座町に帰って一護に引き継いだら、瀞霊廷に帰るんですか?」
「当たり前だ。勤務中だぞ」
「おいしいもの食べましょうよぅ」
「ダメだ」
「じゃ、買い物は?」
「買い物もダメに決まってんだろうが!」
「ケチ! 誕生日なのに……」
「市丸と出会った日だろ。御払いでもしてくるべきだ」
日番谷は、あくまでにべもない口調だ。
乱菊が猫なで声を出そうが、ふてくされようが、全く態度が軟化しない。


そうこうしているうちに、空座町の隣町までやってきていた。
ちょっとだけ、この時間が長く続けばいいと思う。



誕生日というのは、不思議なものだ。
もう完全に大人といえる年齢のはずなのに、何度でも乱菊を少女のような気持ちにさせる。


市丸と一緒にいたころ。
隣にいっしょにいられる、それを幸せに思ったものだ。
何をしてくれるでもない、ケンカをすることも多い関係でも、
ただそこにいてくれることが、嬉しかった。
でも……心の底で、いつも染みのように広がっていたのは、恐怖。
来年は、一緒にいられるだろうか。YESと返せない自分が、悲しかった。


そして今、日番谷のあたたかな体温を隣に感じながら、あの時のことを思い出している。
ただ、隣にいてくれる。
来年も、そのずっと先も。
本当に? と問い返す自分がいる。
YESと頷いていいのか、自分でも分からないのだ。
ただもう少し、日常に戻る前に、一緒にいればわかる……そんな気がした。




「……もと。松本!」
日番谷が乱菊を呼ぶ声が聞こえる。
「降りるぞ」
電車は、空座町のホームに滑り込もうとしている。
乱菊はとっさに、日番谷のジャケットの袖を掴んだ。
「……」
日番谷が、しゃがみこんだままの乱菊を見下ろしてくる視線を感じる。


ーー 空座町。空座町でございます。お降りの方は……
ホームを、アナウンスが流れてゆく。乱菊は、動かない。
日番谷は、握られた自分の袖と、駅のホームを見比べたらしかった。
おい立てよ、と声が落ちてくるのを予想する。


その時、アナウンスに混ざって、子供たちの声が聞こえた。
「この先、ずーっと行くと海らしいぜ」
「海かぁ。でももう秋だろ!」
「これくらい暑かったら、泳げるんじゃね?」
「無理だって。もうすぐ10月だし」
野球帽をかぶり、膝が泥で汚れた小学生達が三・四人、電車の中で立ってしゃべっているのが目に入る。
同時に、乱菊は我に返った。


「や、やーだ。すみません、早く降りなきゃ」
日常に、引き戻される。
瀞霊廷では、おそらく仕事が山積みだろう。
勤務時間中に、食べたいだの買い物したいだの言われて、日番谷も困っただろうと思う。
慌てて立ち上がり、電車から降りようとする……その時、
日番谷が逆に、乱菊の服の袖を引いた。


「え」
乱菊が、目を見開く。日番谷を振り返った瞬間、ドアが閉まった。
「……今日だけだからな」
口の中でつぶやいた少年の声が、聞こえた気がした。


「おい、松本」
声を大きくして呼びかけた日番谷の声は、いつになく明るく聞こえる。
その視線は、動き出した電車の進行方向に向けられている。
「海があるらしいぞ」

横顔を見せる日番谷の瞳は、今は明るい青色に輝いている。
広がる蒼い空、その下で静かに波が打ち付ける浜辺。
そんな風景が一瞬にして乱菊の心に広がった。
「……ねぇ、隊長」
「今度は何だよ」
「来年も、再来年も、一緒にいてくれます?」
「あぁ? 当たり前だろ、そんなもん」
一瞬の空白を作り出したのは、乱菊。
おだやかな談笑が、車内には満ちている。
「……そうですね」
わずかに日番谷に身を寄せ、乱菊はそっと微笑んだ。