もう……ここで寝起きされた方がいいんじゃないでしょうか。
隊士から、慰めのようで全然慰めになっていない言葉を吐かれるほどに、毎日通い詰めた隊首室だった。
何か異変があれば入る前から気づきそうなものだったが、
全く分らなかったあたり、やはり調子が狂っているらしい。
異物だ。
一歩隊首室に入った途端、そう思った。
まず、先客がとっている体勢の意味がわからない。
床に両膝をつき、右腕をソファーの上に乗せて、顔はその腕の上に伏せている。
左腕は、だらりと床に垂らしていた。
急病か、それとも怪我でもしているのか。一瞬そう心配したのが馬鹿らしくなる。
ぐっったり、という風情だが、どこも悪いところはなさそうだ。
そう思った途端、理不尽さが頭にこみ上げる。
「てめえは、一体どういう訳で俺の隊首室でくたばってんだ? ええ? 黒崎」
黒と白、木の茶色を基調とした室内で、そのオレンジ頭はかなり目立っていた。
腕を組んで大股で足を踏み入れると、黒崎は緩慢な動作で顔を上げる。
朝っぱらからどうしてこんなに疲れているんだ、この男は。
「助かった、冬獅郎……」
しかも開口一番、そんなことを言った。俺は思い切り眉間に皺を寄せる。
「何も助かってねぇぞ。俺はお前を助ける気なんかねぇからな」
「何もしなくていいから。かくまってくれ」
「かくまう?」
今度は首を傾げる番だった。
一体どういうわけか、隊長格を上回る力をつけたらしいこの男が、
誰から追われて、こんな身も世もない姿にならなければならないのか。
わずかな興味もあって、黒崎に歩み寄った時だった。
「い・ち・ご〜〜〜!!」
今の絶叫で、寝ていた死神の半分くらいは起きたんじゃないかと思う。
ドップラー効果で、遠くから近づいてきた音が1オクターブ上がり、遠のいていく。
ということは、声の主がものすごい勢いで近寄ってきて、走り去った、ということを意味する。
俺は、思わず黒崎と顔を見合わせた。
「……てめえ。なんで更木に追われてんだ」
「なんでかは、俺が聞きてぇよ! 手合わせしろって追っかけてきやがって」
「返り討ちにすればいいじゃねぇか」
仲間じゃないのかよ、と突っ込まれそうな言葉を吐く。
斬られようが蹴られようが死にそうにないのだから、かまわない。
「断る! アイツだけは、イヤだ」
やけにきっぱりと黒崎が言った。そんなことを俺に宣言されても困るし、更木に直接言ってほしい。
が、藍染でさえ一対一で戦えた黒崎がこうも逃げ回るとは、ある意味名誉なのかもしれないが。
それはとにかくとして、あいつに関わるのはごめんだ。
あいつと戦うのはもちろん、説得するのも雑談するのさえすべて断る。
なにしろあいつは、死神から言っても規格外……というか、宇宙人のような存在だからだ。
金輪際、分かり合える気がしない。
黒崎を外に放り出そう。そうだ、そうしよう。
俺はあっさりと決断し、黒崎に向き直った。
「そんなにイヤなら、瀞霊廷に来なきゃいいんだ。なんでまた、こんな朝からここに」
「俺が聞きてぇよ。浦原さん通して、総隊長さんにいきなり呼び出されたんだから、しょうがねえだろ。学校始まる前に来たんだ」
「総隊長?」
思わず、鸚鵡返しに聞き返す。
年寄りは朝が早いというが……呼びつけたのが総隊長という発想はなかった。
「……。お前、今考えてるだろ! 放り出そうとか、たらいまわしにしようとか考えてるだろ!」
「確かに」
考えていた。でも、総隊長に会う前に黒崎が屍になっていたら、
放り出した俺の責任になって、なにやら面倒なことになるんじゃないだろうか。
「……」
「悪い、悪いって。そんな恨みがましい目で見るなよ。現世にきたら何かオゴってやるから」
メシなんかで手を打たれてたまるか、と思うが、考えてみれば、黒崎には何の落ち度もない。
むしろ一方的に死神達に迷惑をかけられていると言ってもいい。
しょうがねえな、と去っていった更木の気配を追う。
思い切り通り過ぎたらしいが、戻ってきているのが派手な霊圧で手に取るように分る。
「おい、更木。黒崎を見つけたぞ」
口元で軽く呟いたように傍からは見えるだろうが、天廷空羅を使って呼びかけてみる。
―― 「ンだと? 十番隊か! 目と鼻の先にいやがって……!」
打てばひびくように、俺の脳裏に更木の声が届いた。
本気で、十一番隊を十三でも何でもいい、他の隊と名前と場所を入れ替えてくれないかと思う。
九番隊は上司がいないし、十一番隊は宇宙だし、俺の心労はたまるばかりだ。
俺の言葉に動揺したのは黒崎だった。
「ちょっとあんた、そりゃねえよ! 呼んでどうすんだ!」
「いいから! ちょっとは霊圧押さえろ!」
黒崎が動揺するのは無理もなかった。
まるで、戦車が突進してくるような大変な勢いで、更木の気配が近づいてくる。
キャタピラのキュラキュラいう音が聞こえてきそうだった。
俺はとっさに、傍の身長より高い物置の扉を開けると、黒崎をそこへ蹴りこんだ。
扉を閉めるとすぐに、更木が乗り込んできた……しかも、窓からだ。
「日番谷! 黒崎は……」
「誰がここにいるって言った。黒崎なら四番隊だぞ」
くいっ、と親指の指先で四番隊を差し示す。
「四番隊か!」
更木の御しやすいのは、他人がそれを言えば、そうかとあっさり信じてしまうところにある。
隠し切れない黒崎の霊圧がだだ漏れであるにも関わらず、
更木は来た時の勢いそのままに、四番隊へと走り去った。
がたがた言わせながら、黒崎が扉をこじあける。
「悪ぃ助かった……ていうか、いいのかよ! 四番隊って、病人ばっかりだぞ? 卯ノ花隊長がいるんだぞ?」
「だから、好都合なんだろうが」
四番隊の平和を乱すものを、卯ノ花隊長は容赦しない。
それに、あの人は低血圧で、起き抜けはそれはそれは機嫌が悪いのだ、という個人的な事情もある。
案の定、四番隊からは凶悪な霊圧が流れ出しつつあった。
「いいのかよ? ほんとに」
「いいだろ。あそこは病院だ、けが人が出ても問題ない」
「……」
絶句した黒崎を置いて、俺ははやくも一仕事片付けた気になって、隊首席に歩み寄った。
肌の表面は冷たいが、その内側はカッカと暑いような、なんとも妙な気分だ。
本気で風邪を引くのかもしれない、と厭な気持ちになる。
その時、隊首席の上に置いてあった紙が一枚、ひらりと落ちた。
「ん?」
首を傾げて、裏返しのまま拾い上げる。たしか昨日の夜ここを出る時には、なかったはずだ。
「はあ?」
反対側からいち早く文字を読んだ黒崎が、妙な声を上げた。
「なんだ?」
紙をひっくり返して見て……顔が、はっきりと引きつった。