「……」
浦原喜助は、珍しく困っていた。
「あ”〜〜……」
目の前のちゃぶ台には、異音を発するオレンジ頭が鎮座している。
「一体どーしたんスか。黒崎サン?」
顔の前にかざした扇子の向こうから、一護の顔を覗き込む。
だが、ちゃぶ台に顔面をくっつけるようにして頭を抱えている、その表情は見えない。


十分前。
「浦原サンはいるか!!」
声を荒げて浦原商店に乗り込んできた時は、どうなることかと思った。
しかしこの部屋に入り込んで浦原と向かい合った直後から、この有様なのだ。

悩むなら、お年頃の少年らしくエロ本でも見て悶えて欲しい。
少なくとも、こんな中年親父の顔を見て考え込まないで欲しい。


「あ〜っ、と。黒崎サン?」
途端。ガバッ、と一護が起き上がった。
若干怯えた浦原が、身をのけぞらせる。

「あ、あのよ」
「はい?」
何でもいい。こんな妙な沈黙を守るくらいなら、何でもいいから喋って欲しい。
しかし、一護の言葉は、浦原のあらゆる予想を越えたものだった。

「死神と人間の恋愛って、成り立つモンか?」

あぁ。
浦原は諒解する。

「ええと。この場合は死神と人間の溝っていうよりかは、黒崎さんと、あのお兄さんの溝の方が深いと思いますよ」
「……あのお兄さんって誰だ」
「え? 黒崎サンと朽木ルキアさんの話でしょ?」
「な、訳あるかぁ!!」
ダン!!と一護がちゃぶ台を踏んづけ、大声を出した。

「違うんスか? じゃあ一体、誰と誰の話です?」
「…………ぅーむ」
再びちゃぶ台の上で頭を抱えてしまった一護を、浦原は途方にくれて見下ろした。
何を言い出すかと思えば、死神と人間の恋愛だなどと。
言うまでもないが、「寿命」というものを持たず、何百年、何千年と生きる死神と、百年足らずしか生きられない人間との恋愛など、成立するはずがない。
浦原が言葉に困った時。
ふぁ、と欠伸をしつつ背伸びをした黒猫姿の夜一が、座敷の中に入ってきた。

「おぬしも疎いのぅ、浦原」
その琥珀色の瞳が、浦原と一護に交互に向けられる。
「日番谷と夏梨の話じゃろ」
「……ぅ」
一護が一瞬顔を上げたが、また伏せた。その耳の先が、真っ赤になっている。
「おぬしも妹のこととなると弱いのぅ」
一護は苦虫を噛み潰したような、同時に当惑しきったような、なんとも情けない顔を浦原に向けた。
「浦原サン、昨日の夜あいつらが顔合わせた原因作ったのは、アンタだろ?」


なるほど。
浦原はやっと合点がいった。
確かに昨日の夜、日番谷の霊圧を見つけて、夏梨に電話で連絡した。
「アンタから電話かかってきた後、夏梨のヤツ浦原商店に行くとか言って飛び出して行きやがって。
こんな怪しいトコに夜遅く行かせられねぇだろ。後追ったんだけど……」
サラッと、大変失礼なことを言われたのは聞き流すことにする。

ひゅぅ、と浦原は口笛を吹いた。
「日番谷サンを友達と会わせたいなんて言って。夏梨サンも女ですねぇ」
「ちが……!」
一護がバン、とちゃぶ台を叩く。
「え? だって」
浦原は、近くに来た夜一の胴を両手で掴んで持ち上げると、ぎゅっと抱きしめた。
「こーんな感じで。よろしくやってたんじゃないですか?」
バリリ、とその鼻っ柱を夜一が引っかき、爪あとを刻んだ浦原が背後に沈む。


「……カッコイイって」
ぼそっ、と一護がつぶやいた。
「は??」
浦原と夜一の声が重なる。一護が声を張り上げた。
「だから! カッコイイって言ってたんだよ、夏梨が! 冬獅郎のことを!!」

一瞬の間を空けて。

はぁぁぁ、とため息をついた二人を見て、一護がちゃぶ台をバンバン叩いた。
「てめーら! 俺がどれほど心配……!」
「何かと思えば、それだけかぁ?」
期待してソンした、という顔で、夜一が一護を流し見た。

「カッコイイだ? あの位の女子(おなご)なら、特撮モノのヒーローから便器の蓋まで、カッコイイと思えばカッコイイくらいは言うじゃろ」
「便器の蓋ってことはないと思いますけどね」
「で! でもよ! 兄貴としては心配!!」
「黙れ、このチェリー君が」
夜一の言葉に、一護がとっさに言葉に詰まり……プルプルと震えた。


やれやれ。浦原はため息をつく。
夏梨が出て行った後、おそらく心配した一護は、夏梨の後を追っていったのだろう。
そして、夏梨と日番谷が会っている場所に遭遇した。
どう出て行こうか迷っているうちに、(一護にとっての)問題発言が飛び出して、出るに出られなくなってしまった、というところか。


こう見えて、妹思いの一護のことだ。
この一晩のうちに、余計なことを考えるだけ考えて心配を膨らませ、いたたまれずここにやってきたのだろう。
戦いとなれば、隊長をも上回る戦闘能力を見せるというのに。
妹の恋愛ごとだとこうも情けないのは、微笑ましいというか何というか。

「本人に聞けば、いいんじゃないですか?」

浦原は、ひょいと窓の外を指差した。
「は? 本人って……」
「日番谷サン、来てますよ。かすかに霊圧を感じます。場所は空座小学校の、屋上ってところですかね?」
唖然とした一護に、浦原はニヤリ、と笑って見せた。


***
 

キーンコーンカーンコーン……
空座小学校に、今日も授業の終わりを告げるチャイムが、響き渡る。
いつもどおりの子供達の笑い声が、狭い教室の中ではじける。

「忘れ物だよ」
ランドセルを取り、立ち上がろうとした誠子は、その声に振り返る。
そこには、誠子を見下ろして微笑む、苑子の姿があった。
その手には、誠子が机の上に置き忘れていた、ペンケースが握られている。

「う……うん、ありがとう」
誠子は、戸惑いながらも手を伸ばす。
「明日から、誠子と一緒にいる」。苑子のその言葉は本当だった。
周りの冷たい視線にもめげず、今日一日、苑子は誠子の隣にいてくれた。


そして桐原知美を始め、他のクラスのメンバーは、誠子がいないように振舞っていた。
先生に何か言われたからって、素直に言うことは聞く気になれない。
だからといって、またキレて殴りかかられたら厄介だ。
そう思っているのが、手に取るように判った。

―― まぁ、これはこれでしばらくは安心か……
誠子は、わずかに苑子に微笑み返した。
授業も終わり、ほっ、と気が抜けたからかもしれない。
これまで油断なく周りに視線を走らせていた、緊張がほぐれた。

途端。

ヒュッ、と飛んできた何かに、苑子も誠子もとっさに反応できず、立ちすくむ。
それが箒(ほうき)の柄だ、と気がついたときには、
それは誠子のペンケースを下から強かに叩いていた。

宙を舞うペンケース、弾ける悪意に満ちたクラスメートの笑い声。
「苑子!」
手を押さえた苑子を見た、誠子の表情が歪む。

やっぱり、恐れていたことが起きた。
巻き込んでしまった。
クルクルと回転しながら宙を舞うペンケースを目の端に捉えた時だった。


パシッ、と音を立て、教室の入り口に立った人影が、そのペンケースを掴んだ。
かなりのスピードだったのに、迷いも無い手つきで。
周囲からどよめきが上がる中、その少女はスタスタと教室の中に入ってきた。
その右腕に、サッカーボールを抱えている。

「黒崎さん!」
「よ! 辻村さん」

屈託のない明るい笑顔に、まぶしいものを見るように誠子は目を細めた。
軽く手を上げて、夏梨は誠子を見下ろすと、ペンケースを手渡す。
「サッカー誘いに来たんだ、アンタも来ないか?」
「えっ?」
誠子と苑子は顔を見合わせる。
くすくす、と周りから笑い声が起こる。
誠子も苑子も、運動神経がいいほうではなかった。
サッカーなど、お世辞にも似合うとはいえないだろう。

「行くわ」
誠子は、気づけばそう口にしていた。
「せ、誠子?」
「行こうよ!」
戸惑う苑子の手を掴み、立ち上がる。

確かに、ちょっとくらい痛い思いするかもしれない。恥ずかしい思いするかもしれない。
でもつい数時間前、死ぬところだったのと比べれば、どうってことないと思えた。
それよりも、これまでの自分だったらできないことをやってみたい。
そんな気持ちのほうが強かった。


「早く行こうぜ!!」
廊下から、夏梨の友人たちの声が聞こえる。
ニヤッ、と笑った夏梨が、誠子と苑子の背中を、グイッと押した。
その掌はどのクラスメートよりも強引だったけど……温かかった。
強張っていた誠子を、心から笑わせるほどに。

「……なーによ。いい子ぶっちゃって」
最後に教室に残った夏梨の背中に、桐原知美の尖った声が飛んだ。


ダン!!


次の瞬間、教室の床に打ち付けられたサッカーボールの勢いに、キャッと小さな悲鳴を上げて後ろに飛びのく。
チラリ、と肩越しに振り返った夏梨の目には、烈しい怒りが燃えていた。
「次、辻村さんをイジメてみろ。『殺すぜ』」
その剣幕に、周囲の子供達が絶句する。

辻村誠子は、自分が護る。
それが、あの場に居合わせた自分が、できることだと思った。
何しろ日番谷は死神。どんなに望んでも、傍にいて誠子を見張る訳にはいかないからだ。
そこまで思った夏梨は、廊下に視線を戻そうとして……バッと振り返り、教室の窓の外を見た。


「まさか」


窓から見えるのは、隣の校舎の屋上。
その柵にもたれかかるようにして、一人の少年が立っていた。
陽光に、髪が銀色に輝いているーー それを見るなり、夏梨は身を翻した。

 
***
 

はっ、はっ、はっ。
痛む喉を押さえ、全力で非常階段を駆け上がる。
汗が一気に全身から噴出し、頬を伝ってゆく。
早くしないと、早くしないと。アイツはいなくなってしまう。

アイツに、伝えたいことがあるんだ。
言わなくちゃいけないことがある。


ダン、と足音を立て、屋上にたどり着く。
すぐには顔を上げられず、両膝に手をついて、大きくあえぐことしか出来ない。

ただっ広い屋上の上を、夏の終わりの、心地よい風が吹きぬけてゆく。
はぁ。
夏梨は顎に伝った汗をぬぐい、顔を上げた。
そして、柵に背中をもたせ掛けて立った少年を、見返した。

「冬獅郎……」

目の前に立つ日番谷は、死神の姿ではなかった。
黒いノースリーブのシャツを見につけ、ゆるめのジーンズを身につけている。
ポケットには携帯電話のようなものが差し込まれていて、ピンクのストラップが見えていた。

昨日本気でぶん殴ったというのに、その頬は相変わらず、人形のように白い。
その大きな翡翠の瞳は、穏やかに凪いでいた。
その冷静さが何故か悔しくて、夏梨は大股で一歩踏み出す。


「……誠子の様子を見に来たのか」
その問いかけに返事はない。
しかし、それは夏梨の知る日番谷なら、当然の行動かもしれないと思う。
ちゃんと負けずに暮らせているか、瀞霊廷を抜け出してでも、確かめたいと思うはずだ。

「心配してたのか、アイツのこと」
「心配してねえよ。お前がいるからな」
言葉をなくした夏梨を見やると、日番谷は柵に手をかけ、柵の上にひょいと腰を下ろした。
眼下は、十メートル以上は高さがあり、中庭が小さく見えている。
頬を撫でる風に、心地よさそうにわずかに目を細めた。
さりげなく漏らされた信頼の言葉。それなのに嬉しくなれないのは、自分自身のせいだ。


「冬獅郎」
夏梨は、日番谷のすぐ足元まで歩いてくると、俯いた。
「なんだよ?」
「あたしを殴れ!」
「…………はぁ?」
宙に浮いた両足を揺らせながら、柵に座った日番谷が夏梨の方に身を乗り出した。

「何でそうなるんだ?」
「あたし、お前のことを信用してたつもりだったのに。信用してなかった。あんな風に殴ったりなんかして。あれからずっと凹んでたんだ」
「凹むな」
日番谷の返事は、これ以上ないほどに簡潔だった。
「あの状況じゃ、そう思っても無理ねぇ」
「でもあたしの気がすまねーんだよ!」
「意味が分からねーな」
日番谷は、夏梨の剣幕に面倒くさそうに視線をそらした。
「お前が俺を殴ったからって、何で俺がやり返さなきゃなんねぇんだ」

あぁもう、と夏梨は地団太を踏む。
理屈に合わないことなんて分かってる。でも、理屈じゃないんだ、これは。
「なぁ!」
夏梨が日番谷に詰めより、その腕を掴む。
「止めろって!」
不安定な柵の上で揺さぶられ、とっさに日番谷が夏梨の肩に手を置いた。
見る人が見れば、抱き合っているように見えただろう。

そして、二人にとって、いや三人にとって不幸なことに、
「お、お前ら……」
それを目撃したのは、駆けつけた黒崎一護だった。
 

もしも、いや万が一、「そんな場面」を目の当たりにしてしまったら。
兄として、断固として怒るつもりでいた。
日番谷はどうだか知らないが、少なくとも夏梨にはまだ早い。
だが、しかし。

「おっ邪魔しました〜」

頭を掻いて、その場から退出した一護を、日番谷と夏梨はキョトンとして見送った。
「……」
自分達の、目下の状況を確認する。


「て、おい! 一兄!! 待て!!」
初めに反応したのは夏梨だった。
顔を真っ赤に染め、両手をブンブンと振って一護に向き直った。
「違うんだって! 別にそんなんじゃ……!」
振り返った瞬間、振り回した腕が、日番谷の胸をドン、と突いた。
「ん?」
グラリ、と日番谷の体が揺れる。
なんか、こういうことがつい先日あったような気がする。

「あ!」
振り返った一護が、日番谷を見て慌てて向き直る。
「冬獅郎!」
夏梨も、気づいた。
しかしその時には、日番谷の体は柵を乗り越え、背中から宙に舞っていた。


「また、24時間ごっこでもやる気かよ」


頭を掻いた日番谷は、手を伸ばそうとした夏梨の手を、そっと振り払った。
―― 行っちまう……!
このまま、誠子と会った夜のように、ふっと消えてしまうつもりなんだろう。
24時間ごっこ。
日番谷が昨夜残した最後の言葉に、ドキリとした気持ちがよみがえった。


「あ、あんた! あたしがいつか死ぬ時も、ちゃんと来てくれるんだろうな!!」


自分があと何十年生きるのか判らないが。
たった一人であの世へのドアを開けなければいけないその時に、向こうから開けてくれるのがコイツなら。
それは、とてもステキなことかもしれなかった。

日番谷は、つかの間、子供のように目を見開いた。
そして……
笑った。

「お前は、お断りだ」

なんで! 夏梨がそう言う前に、日番谷は続けた。

「またな」

ふっ、とその姿が掻き消える。
「……」
夏梨は、柵に捕まったまま、日番谷が消えた場所を見つめ続けた。
またな。
明日かもしれない、来月かも、来年かもしれない。
でもきっと、またこんな風に、現世で日番谷と会えるなら。
それはそれでやっぱり、とてもステキなことだ。


「と……冬獅郎は?」
夏梨の背後から、追いついた一護が身を乗り出した。
「行っちまったよ」
夏梨はサッパリした口調で言い放つと、くるりと柵に背を向けた。
実際のところ、実にサッパリした気持ちだった。
「一兄! いつまで柵にへばりついてんだよ!! 変質者扱いされっぞ!」
「は? へ?」
絶句する一護を見て、夏梨は……大声で笑った。



24HOURS   FIN.

身近な人の死の後に、書いた作品です。 必ず死ぬっていう意味では、自覚しないけど誰もが「24hours」を生きているんだと思います。 だからこそ誠子みたいなブレイクスルーも起せるはず。 めったにあとがきは書かないんですが、ちょっと気に入ってる話なので書いてみました^^;

[2010年 3月 28日改]