いつの間にか、天井に残った雨漏りの模様を見上げてる。 ぼんやりしていた視界が、ちょっとずつはっきりしてくる。 外は、しんとしてる。一声鋭い声を立てて、ヒヨドリが鳴く。 どぅ、と音がした。外に積もっていた雪が、落ちたんだろうか。 とするとやっぱり、昨晩はあの後、たくさん雪が降ったのね。 布団の中はぬくぬくとあったかくて、もう一度眠ってしまいたいくらい。 そこまで考えて、あたしは我に返った。 「あ!」 思わず声を立てて、起き上がろうとする。うぅん、と隣でうなる声がした。 隣を見れば、寝癖がついた銀色の髪が揺れてる。 起こしてしまったかな。あたしは肘を立てて、シロちゃんの顔を覗きこんだ。 寝てる間も、眉間に皺がよってる。あたしは思わず声を出さずに笑って、元通り布団に潜り込む。 今日は、12月25日。流魂街にも、神様が訪れた後の朝。 うぅん、さんたくろーす、なんてものはいなくて。毎年プレゼントをくれるのはおばあちゃんだって分かってるんだけど。 昨日の夜、何とか起きて決定的瞬間をとらえようと思ったのに、起きていられたためしなんてない。 そっと枕元を、見やる。そして、ちょんと置かれた袋を見て、微笑む。 さんたくろーすがいないって知って、悲しむ子がいるっていうけれど。あたしは、その気持ちは分からない。 おばあちゃんが、起き出した物音が隣の部屋から聞こえる。 ありがとう。小さくつぶやいて、あたしはそっとリボンのかかった袋に手を伸ばした。 *** 「だからね。今度は逆に、あたしたちがサンタクロースになって、おばあちゃんが寝ている間に、枕元にプレゼントを置くの。いい考えだと思わない?」 「思わない」 まったく、一秒も、ためらいもなにもなく断った日番谷君に、あたしは一瞬絶句した。 「な……なんでよ!」 「あのなあ、雛森。そのまま返すけどな、なんでだ? 直接渡せばいいじゃねえか、そんなもん! なんでそんなまどろっこしいことすんだよ」 「……日番谷君、女の子にモテないでしょ」 「関係ねぇだろ」 憮然として隣を行く日番谷君の横顔を、あたしは不満たらたらで見上げる。 夢がないにも、ほどがある。同じ屋根の下にいて、どうしてこんなドライな性格に育っちゃったのかしら? 日番谷君は、なんでこいつはこんなに夢見がちなんだ、とでも言いたそうな表情を返してきた。 珍しく二人で、現世での任務を終えた後だった。肩を並べて歩く東京の街並みは、クリスマスのイルミネーションできらきらと綺麗。 日番谷君が現世の服を着ているのを見るのは久し振りで、なんだか合成写真みたいに見える。 「プレゼントを買う、っていうところは賛成なわけね」 日番谷君と口げんかしたって、勝てない。しかたなく妥協点を探ると、それについてはうん、と頷いてきた。 昔から、おばあちゃんのことについてだけは、とても素直だ。 おまけに、おばあちゃんが何を欲しいか、一人じゃ考えられないところが、何だか天才児なのに可愛い。 真剣に考えすぎて分からなくなってしまってるらしいところが、なおさら可愛い。 さらに、買えたところで、照れ臭くて渡すのに人の百倍くらい勇気がいるみたいなんだから、笑ってしまう。 「……なに、ニヤニヤしてんだ。気持ち悪ぃな」 「べつにー?」 日番谷君の先に立って、地下鉄へ続く階段を下りる。 「おい、電車なんて何で乗るんだよ。死神に戻って瞬歩使ったほうが早ぇよ」 「いいから!」 ぐい、と手首を掴んで引くと、別に反対する気もなかったのか、しかたない、っていう顔をしながらもついてきた。 せっかく現世に来たんだから、現世を楽しみたいじゃない、って言いたいけど、言っても通じないことはさっき学習してるし。 「どこ行くんだよ?」 「ええとね。神楽坂」 伊勢さんに借りた現世の雑誌に、出てた名前だった。 和風で、昔ながらのものもあって。おばあちゃんが喜ぶものがありそうだ、と目をつけていたところだった。 「聞いたことねぇな」 「あ! 電車! 来たよ!」 階段の向こうで、ごう、と轟音を立てて地下鉄が滑り込む音を聞いた。あたしは慌てて階段を駆け下りる。 ホームにたどり着くと、ちょうど人間が電車に乗り込むところだった。 「扉が閉まります」ってアナウンスが流れてる。あたしは間一髪で乗り込んで、日番谷君を振り返った。 「おい、雛森!」 「ちょ……早く、乗ってよ!」 日番谷君は、扉の向こう側で足を止めていた。横を向いて、電子掲示板を眺めてる。 「それ方向違うぞ! 降りろって」 「えっ?」 聞き返した途端。プシュー、と音を立てて電車の扉が閉まった。 扉の中と外で、あたし達は一瞬、ぽかんと見つめあう。馬鹿、の形に日番谷君の口が動いた。 やっぱり、慣れないことはするもんじゃないね。そう思った時には、あたしを乗せた電車は滑り出していた。 *** 長い、長い地下鉄の階段を上がる。 「や、やっと、ついた……」 通りに出た途端、細い通りと、通りの両脇に延々と続く商店街に視線を奪われる。 雑誌で読んだ、神楽坂の通りだ。やっとたどり着いた、もう一度そう思って、思わずため息をついた。 日番谷君とは、ホームではぐれたっきり。 ただ、義骸に入っていても弱い霊圧は発してるし、神楽坂に行くことは伝えてあるから、とりあえず向かってみようと思ったのだ。 潤林安の人たちを全員集めたよりも、通りは込み合ってた。 歩行者天国? っていうのかしら。大勢の人が歩いている通りの真ん中には、白い紙がカーペットみたいにずーっと引いてあるの。 その紙の傍に絵具が入った小さな箱が置かれて、自由に紙に絵を描けるようになっている。 小さな子供たちがびっしりと詰め掛けて、筆を手にカラフルな落書きをしてた。 サンタクロースの絵、動物の絵、誰かの似顔絵。 おどろくほど上手なのもあれば、笑っちゃうくらいに下手なのもある。 通りを歩きながら、あたしの目は延々と続く落書きにひきつけられていた。 「ママ、赤い絵の具ない?」 「あの子が今使ってるから、終わったら貸してもらおうね」 そんなやり取りが聞こえて、微笑む。この人たちの中に入れたら、って思った。 お母さんになりたいわけじゃない。小さな子供になって、思う存分絵を描いて、おいしいものを買ってもらって、手を引かれて歩いてみたい。 ほんの一時間でも、数分でもいい。心の底から、子供の気持ちに戻れたら。 それは、長い間感じたことがない気持ちだった。 あたしはもう、大人で。おばあちゃんにプレゼントをもらうんじゃなくて、おばあちゃんにあげる立場になっていて。 誰かに幸せにしてもらうよりも、誰かを幸せにする方を自然と考えるようになっていて。 それは、もちろん嬉しいことだ。でもたまには子供に戻りたいって思ってしまうのは、あたしの甘えなのかな。 あたしはもう、子供時代のドアを閉めてしまっていて。 この景色に、あたしの入る余地はない。 そう思った時、急に独りだって事が身にこたえた。 心あたたまるはずの通りの風景が、モノクロになったようにものすごく淋しく見えた。 にぎやかな周りと、あたしが何かの線で切り放されてしまったみたい。 不意に思い出したのは、子供の頃、日番谷君と同じ布団で寝起きしていたこと。 せまい布団だったから、身体のどこかは触れ合っていて。そのぬくもりを、急に思い出したの。 「おい」 「ふわあっ?」 突然、熱くてペッタリしたものを頬につきつけられて、あたしは飛び上がった。 ほかほかとした湯気が、視界をさえぎる。その向こうに、見慣れた不機嫌そうな顔が見えた。 「ひ、日番谷君!」 「日番谷君じゃねえよ、そっこう迷子になりやがって。大体、自分が原因なんだから、お前が俺を探せよ」 「ご、ごめん」 そういえば、そういう発想は、なかった。謝るあたしに、日番谷くんが肉まんを突きつける。 自分も、ひとつほおばってる。ていうか、どうして肉まんなんだろう。 そう思ったけど、口いっぱいに広がる肉まんはあったかくて、気持ちがほぐれてくる。 「……探した?」 「結局、死神に戻ったからな。そんなに時間かかってねぇよ」 その頬は、寒い中を突っ切ってきたからだろう、少しだけいつもよりも上気してる。 文句を言いながらも、いつだってきっと、探してくれるんだ。それを疑ったことなんてない自分に気づく。 神楽坂を知らない、って日番谷君は言っていたから。 初めての場所に手こずりながらも、あたしの霊圧を頼りに探し出してくれたんだね。 「……ありがと」 そう呟くと、何をいまさら、というような表情で見返してきた。 肉まんを食べ終わって一息ついて、賑やかな通りに視線を戻す。あれ? ってすぐに思った。 さっきまで感じてた、周りの人たちと自分の間の隔たりが、急にゼロになったみたい。 あたしと、周りがつながったみたい。あたしは、変わらず仏頂面の日番谷君を思わず、見返した。 「すげえな。祭りか?」 日番谷くんは、珍しく眉間の皺を緩めて、通りに延々と敷かれた白い紙と、描かれた落書きを見下ろした。 「描きたくなっちゃうな」 あたしが言うと、 「描けばいいだろ」 ひょい、と絵の具が入った箱を取ると、筆と一緒にあたしに突きつけてきた。 「……そっか」 「なんだよ? なんかまずいのか?」 不審そうな日番谷君を見て、目からぽろりと鱗が落ちた。 別に、いいんだ。あたしが描いたって。筆を手に割り込んでも、誰も不思議そうな顔もしない。 「ううん。まずくないよ」 子供みたいに嬉しくなりながら、あたしは筆にたっぷりと赤い色を満たした。 あたしは子供の頃、サンタさんなんていらない、って思っていたの。 サンタさんよりも、おばあちゃんがあたしのために考えて、探して、買ってくれたって思った方が、嬉しいじゃない? 大切な人が、あたしのために選んでくれた。そしてその人が、今あたしの傍にいる。 それ以上の幸せを、どうして望むだろう。 *** 潤林安、12月25日。午前0時15分。 燈を落とした部屋の中で、ひとりの老婆がひっそりと、布団に潜り込んでいる。 思い出すのは、これまで何度も繰り返してきた、12月25日のこと。 また寝ちゃった、と朝になるたび声を上げる女の子と、 諦めろよ、と醒めた口調で見上げる男の子。 時は流れ、二人とも彼女の手からは離れた。 今どこにいて、誰とどうして過ごしているのか、それはもう、分からないけれど。 幸せであってくれればいいと、心から思う。 目をつぶってしばらくしたとき、外からこそこそと囁き交わす声が聞こえる。 「遅くなっちゃったね。電気消えてるし。やっぱり、枕元に置いておく? それか、出直す?」 「出直そうぜ。たく、お前が悪いんだぞ。落書きなんかに夢中になりやがって」 「……日番谷君だって、割と楽しそうだったくせに」 「っせえ。とにかく、帰ろう」 ふっ、と思わず笑い出してしまった。ゆっくりと口を開く。 「入ってきなさい、二人とも」 そして、行灯に燈を灯す。う、と外からどちらともつかない声が漏れた。 障子を開けて顔を出した二人を見て、思わず、声を上げて笑った。 二人とも一体どこで何をしてきたのか、頬や鼻の頭に絵の具がついたままだ。 大人になった、大人になったと思っていたけれど。こうしてバツが悪い表情を並べた姿は、やっぱり私の孫だ、と思う。 「ごめんねおばあちゃん、現世で時間たっちゃって、気づいた時にはお店が閉まっちゃってて…… こんなのだけど。クリスマスプレゼント……」 自信がなさそうに差し出されたのは、たぶん和菓子が入った、小さな包み。 「ありがとう、お前たち」 目の前にある、最高のプレゼント。彼女は手を伸ばし、ふたつの宝物を抱きしめる。 最高のプレゼント 完.
サイトではお久し振りです、ちふゆ様へ捧げます。
「日番谷君と、迷子になった雛森ちゃん」という
リクでしたが、ほのぼのリクエスト、楽しんで描かせていただきました!
書くのは久し振りなので、自信ないですが^^;
切香より愛を込めて。
[2010年 12月 17日]