「……嫌な雨だな。どこまでもついてくるかのようだ」
ルキアは、透明のビニール傘から透けて見える、雨粒を見上げた。
傘の表面に当たっても音もしないくらい雨粒は小さく、見上げると雲は白っぽい。

決して強い雨脚ではないが、いつまでもいつまでも降り続き、気づけばじっとりと身体を濡らす雨。
涙雨という言葉があったな、とルキアはふと思った。
「晴れてるよりはいいんだよ、こういう時は」
そう返して先へ進んだ一護の背中を、ルキアは目で追った。

義骸に入った今は、膝丈ほどの水色のワンピースを着ていた。
胸元から裾の辺りまで、青系の細かい紋様が入った、透明感がある薄手のものだ。
その明るさを押さえるように、灰色のカーディガンを羽織っている。


―― そうかもしれぬな。
一護の向かう先には、崩壊した神崎家が無残な姿をさらしていた。
上司の浮竹からは口頭で指示を受けただけだったから、目の当たりにするのはこれが初めてだ。
家の前の通りには野次馬たちの人垣ができ、カメラのフラッシュの閃光や、慌ただしく行き交う警察や報道関係者でごった返している。
みな、不安そうな表情をしている。きっと亡くなった家族の友人知人だろう、いくつもの嗚咽がひそやかに流れてくる。
「やっぱり慣れぬな、この景色は」
先へ行く一護には、聞こえないくらいの小さな声で呟いた。

死神として、日常的に死には接している。
しかし、身近な人間の死を前に、苦悶している人たちの顔を見るのは苦手だった。
人間なら誰もがいつかは死ぬというのに、その生き死にに一喜一憂する気持ちが分からぬという死神もいる。
しかりルキアには、どうしても人の死を――いや、死を悲しむ人間をやり過ごすことができない。
もう全く覚えていないが、自分もかつて現世で生き、死んだ人間だったからかもしれない。



今朝は、瀞霊廷にも雨が降っていた。
自宅から出廷するなり雨乾堂に呼び出され、何事かと出向けば、いつも陽気な上司は浮かない表情をしていた。
―― 「殺されたのは三人。死神代行の女の子と、その両親だ」
おそらくわざとだろう、淡々と説明を終えた浮竹は、そう言って話を締めくくった。
―― 「空座町の隣町で、そのようなことが。……何も、気づきませんでした」
ルキアも唇を噛むしかなかった。代行とはいえ、死神を殺害するほどの霊圧を持つ虚に気づかなかった。
空座町の担当を離れても、町の様子には神経をとがらせていたはずなのに……全く霊圧を感じ取れなかったのだ。
それにしてもなぜだろう、と不意に思う。空座町には一護がいる。彼が襲撃を見逃すとは思えなかった。

浮竹はルキアの疑問を感じ取ったのか、ゆるく首を振った。
―― 「お前のせいじゃないさ。事実、その時間帯に霊圧は観測されていない。朝一番で十二番隊に確認したんだ。間違いない」
―― 「では、虚ではないというのですか? それならば一体、何者でしょう」
―― 「霊圧を感じ取れないからと言って、虚でないとするのは早計だよ。まだ、何も分かっていないんだ」
―― 「殺された死神代行の名は何と言うのですか?」
―― 「神崎茜雫、16歳の少女だ。斬魂刀の名は『弥勒丸』。詳しくは、この資料にある通りだ」
ルキアはきちんと正座に座りなおすと、その書類を受け取った。目を落とすなり、ううむ、と思わず唸る。
―― 「一護に負けずとも劣らぬ、異色の経歴だな……」
思わず、そう呟いていた。

今より3ヶ月前。
神崎茜雫は、橘町に出没した虚を倒したところを、駆けつけた死神に発見された。
自分の斬魂刀を使いこなす姿に、何番隊だと聞かれても、彼女はキョトンとしたままだったという。
死神の隊員名簿と照合しても記載はなく、結局死神どころか普通の人間だと知った死神達の驚きは、相当なものだったらしい。
そのまま存在を放置するわけにもいかず、死神代行として立場を与えることになったと記されている。
十二番隊から、彼女を調べたいと打診があったが、浮竹が頑として拒んだため、彼女の謎はいまだに明かされないままだった。
―― 「普通の人間が死神になるなど……死神になった経緯は分からなかったのですか?」
―― 「お前の疑問はもっともだがな」浮竹は深いため息をついた。「彼女は、記憶喪失だったんだよ。半年以前の記憶は一切ないというんだ。お手上げだよ」
―― 「しかし、死んだならそれはそれで、調査のしようもあるでしょう」
―― 「そちらは、俺が手を打っておく。お前には、現世の調査を頼みたいんだ。
死神が殺害された現場なんだ、一人では危険だ。現世では一護君の助けを借りること。いいな」

そう聞いた時は、何となく納得がいかないような気がしていた。
一護はルキアにとって、一人で放っておけば何をするか分からない、危なっかしい存在だ。
後輩でもなく、弟とも違うが、世話が焼ける男、と思っている。そんな男に、自分が世話になるなどと、立場が逆転したようで面白くない。


そう思って現世へ赴き、一護を見て、別の意味でその思いは強まった。
―― やっぱり、放っておけぬ。
今の今まで存在も知らなかった死神代行と、自分の境遇をあっという間に重ねてしまった。
任務のために自分や親しい者の命を危険にさらすことは「仕方がない」と割り切る死神と彼との、決定的な違いはそこにある。
もし自分のせいで家族を失えば、一護はもう二度と、戦えないだろう。

この場に、連れてくる気はなかったのに……と、その背中を見て改めて思う。
神崎家を見つめる一護の両肩にはぐっと力が入っていた。
かける言葉が浮かばず、ルキアは黙って一護の隣に並んだ。

唯一崩れずに残っている屋根に視線を巡らせる。その時、ふと「気配」を感じた。
もうそこには存在しない、残り香のように微かなそれに、ルキアは全神経を集中させた。


***


一護は、隣に立つルキアの気配を感じながら、言葉もなく半壊した家を見上げていた。
「……昨日は、元気に職場に来てたのに。どうしてこんなこと……」
泣き崩れているのは、殺された父親か母親の同僚だろうか。
中年の女性の背中を、同じ年代の女性が抱き、もろともに泣き崩れるのを見た。
一護は、寄り添うその背中を、黙って見守るしかなかった。

どうしても、自分と重ねずにはいられなかった。
一護自身も、家族とともに虚に襲われたことが何度もあったからだ。
自分はもちろん、父親や妹が一緒に殺されたとしても、おかしくない場面もあった。
……いや、さらに言えば、自分はもう大切な家族を、虚のために失っている。
―― 戦えるのか。
母を失い、もう二度と大切な者を失いたくないと願い、死神として戦ってきた。
でももう一度、誰かを失えば? もう、戦えなくなるのかもしれない。そんな時の自分が、一護には見えなかった。

「……辛かったろうな」
彼女、とルキアは言っていた。ニュースでは父親が47歳と言っていたから、おそらく自分とそれほど年は変わるまい。
どんな事情で死神代行になったのかは知らないが、きっと自分と同じように、どうしようもない理由があったのだろう。
家がここまで破壊されるまで戦った。でも、護り切れなかった。

一護は唇を噛んで、間近に迫った家を見上げた。
警察が行き交う庭には、生々しい血痕がいくつも残っている。
おびただしい血が流れた後に描かれた白い人型のラインに、一護は目を逸らせた。
「……ちくしょう」
自分が助けに行ければ、こんなことにならずに済んだかもしれない。
しかし昨夜、虚の気配に反応するはずの死神代行証は沈黙を守ったままだったのだ。


「娘さん、胸を一突きだったみたいじゃないか。長い刃物で突き通されたんだろうって警察が言ってるのが聞こえたよ」
―― 長い刃物……
隣の男たちの会話に、一護の心臓がドキリと跳ね上がった。
それにしても、虚が長い刃物で人間を貫く、というのがイメージできない。一護の知る虚は、いつも素手で襲い掛かってきていた。
「ありえねぇ、よな」
再び脳裏に浮かんだ考えを、振り払う。死神が、人間を手にかけるなど……あるはずがないではないか。

一護の隣を、女子高生たち数人が、しゃくりあげながら、通り抜けていく。
殺された、娘の方の友人に違いない。
一護と同じ学年かもしれない。級友達の姿を思い出し、一護は眉根を寄せた。
「うぅ……茜雫ちゃん……」
「……センナ?」
なんだろう。
その名前を聞いたとき、胸の中を風が吹き抜けた気がした。
 

ポツ、とひときわ大きい雨粒が傘を叩き、一護は我に返った。
ルキアが大きく一歩を踏み出し、家の周囲に張り巡らされた「立ち入り禁止」のテープの間際まで歩み寄ったのが見えた。
「君! 立ち入り禁止だぞ」
険しい表情で警官が立ちはだかり、慌てて一護はルキアに歩み寄り、その小さな肩をつかむ。
「おい、こらルキア! そっから先は駄目だって」
「……一護」
振り返ったルキアは、珍しい顔をしていた。たとえるなら、道に迷ったような途方に暮れた表情。
「お前、何も感じないのか? この気配……」
「気配?」一護は周囲に視線を巡らせたが、すぐに諦めた。「俺がそういうの苦手って知ってるだろ。はっきり言えよ」
「死神」
ルキアはぽつんとそう言った。
「は? 死神がどうしたんだよ」
「死神の気配がする」
ルキアは短くそう言うと、一護の手を振り切るように駆け出した。
そのまま家の裏に回り込もうとしているようだ。器用に人混みの中をすり抜けて姿を消した。
「お、おいちょっと待てよ!」
慌てて後を追ったが、身体がルキアより大きいせいか、人につかえて立ち止った。
「……死神、だって?」
ルキアが見せた動揺は、一護がひそかに抱いていた疑念とぴったり一致するように思えた。
一体、何が起こっているんだ。焦燥が、一護の胸を締めつけた。


***
 

人混みをすり抜け、人通りが絶えた裏道へ入ると同時に、ルキアは死神化した。
そして、警察官の隣をすり抜け、立ち入り禁止のテープの先へとやすやすと侵入する。
「虚の霊圧を感じぬわけだ……」
入るなり、自嘲せずにはいられなかった。

その場に微かに残るのは、ほかならぬ死神の霊圧。
死神代行のものだけではない、いくつも入り乱れている。
残存霊圧だけでは分からないが、ルキアが知っているどの霊圧とも違っているように思えた。
―― 死神だと言うのか? 死神代行を殺したのが……

しかし誰が?
今の瀞霊廷に、そのような凶行に走る、席官がいるというのか?
―― いつ、何が起こってもおかしくはないか……
ルキアは唇を噛み締める。
何しろ、隊長が3名も瀞霊廷を離脱するような事態が、実際に起こっているのだから。
「一護……」
一護を探したが、気配はすぐ近くにあるものの、人ごみに隠れて姿が見えない。
めまぐるしく思考を走らせていた時だった。


「!」
ルキアはピタリ、と体の動きを止める。
―― 誰かが見ている……
そう思ったのは、一瞬。バッ! と上空に視線を走らせる。
民家の屋根から数メートル上の中空。そこに、黒い人影が佇んでいた。

「貴様! 何者だ!」
波打つ長い黒髪が、漆黒の死覇装の胸から腰にかけて、纏いつくように伸びている。
髪の一部を頭頂部で結わえ、紅色の簪(かんざし)で止めている。
その大きな切れ長の瞳は、緩やかな弓形を描いている。
目を惹くほどに赤く、豊かな唇が、ルキアを見下ろしてにんまりと微笑んだ。

「アタシかい? ……孤虹(ココウ)」
艶のある声は、その場にはっきりと通った。
嫣然と微笑んだままの「孤虹」と名乗った女とは逆に、ルキアは一歩後ろに下がった。
「馬鹿なことを言うな……」
強気に言い返したが、その語尾はかすれた。
「孤虹といえば私でも知っている! しかし、それは遥か昔に、虚に殺されて死んだ者の名だ!」

「へェ……そういうことになっているのかい」
全く動じることなく、却って笑みを深くし、女はそう言った。
「アンタ、アタシの噂を聞いてるんなら、このことも知ってるだろ?」
その瞳に、妖しい光がともる。
「アタシたちを殺せるような虚や破面は、たったの一匹さえいなかったってことを」
ぐっ、とルキアが言葉に詰まった。


この女が、ルキアが噂に知る「孤虹」のはずがない。
しかし……刻々と増してゆく女の霊圧は、理屈でなくルキアの平常心を奪ってゆく。
もしも本当だった場合、ルキアには万にひとつも勝機があるとは思えなかった。

「貴様。今、『私達』と言ったな?」
少しでも情報を引き出さなければ。ルキアは、ごくりと唾を飲み込んだ。
対照的に、女は余裕の笑みを浮かべたまま、続けた。
「山本総隊長に伝えなさいな。この孤虹、そして黒星(ヘイシン)。この二人を敵に回したくなければ、黙って見ていなさい、と」
「黒星、だと……」
愕然としたルキアが、呟くよりも早く。
笑みを湛えた女の姿が、フッとぶれたように見えた。


次の瞬間には、その姿はもう、どこにもなかった。
―― 速い……!
これほどの速度、「瞬歩」よりも上だ。
「この速さ。……時越(じえつ)の孤虹…本人だというのか」
もしもそれが事実なら、瀞霊廷にとってもとんでもない事態だ。
「くっ!!」
ルキアは死神化すると中空に飛び上がり、あたりを見回した。


―― かすかに、気配を感じる……!
まさか追ってくるとは思っていないのだろうか。数キロ先に、ポツリと気配を感じた。
「バカに、するな……」
自分とて死神の端くれだ。
「相手が強い」それだけの理由で、逃げることなどできない。
ルキアは眦を決し、その場を蹴った。



内容を補足します。
もちろん映画のラストシーンでは、草冠はお亡くなりになってますが、
あまりにもったいないキャラのため、こっそり生き返らせてみました。
もちろん、当サイトのみの設定ですので、あしからず^^;
詳しくは、「special」のDDRシリーズをつらつらと読んでいだだければと思います。