日曜のスーパーが、苦手なの。
そう打ち明けた時、たつきちゃんは「はぁ?」って顔をしてみせた。
オリヒメあんた、変なもんが嫌いなんだね。そう言われて、嫌いじゃないの苦手なの。そう返すと、首をかしげてたっけ。

ピンクのエコバックを腕にかけて、あたしは毎週日曜の夕方、いつものスーパーの自動ドアをくぐる。
旬の野菜を眺めたり、特売のお肉を見たり、新発売のお菓子をチェックするのは大好きだ。
次の一週間のメニューを考えて、想像を膨らませるの。
納豆にアンコを乗っけてみようとか、このアボガドは絶対に、パンケーキと一緒に食べたい、とか。


「ママー、これ買ってよ、ねぇこれ!」
「おやつは150円までって言ったでしょ?」
「えー、いいでしょ? 買ってよぅママ!!」
そんな会話が聞こえてきて、あたしは思わず微笑む。あたしが買ってあげようか? そんなことを思って振り返る。
お父さんが持った買い物カゴに、お醤油を入れてるお母さん。7歳くらいの子がお菓子をカゴに入れようとしてるのを、阻止してる。

話かけるなんて、とんでもない。3人だけのあったかい世界が、そこにはあった。
ふと周りを見てみると、みんな週末の買出しに来てる家族連ればっかり。
あたしみたいな高校生は、大体お母さんとかと一緒に買い物に来てた。
あたしは、目を伏せてさっきの家族の横を通り過ぎる。たつきちゃんの言葉を思い出していた。

―― あんた。もし寂しいんだったら、日曜でもいつでもいいから電話しておいで、つきあうから。
あたしのバカ家族なんかのこと、気にしなくていいんだよ。
ガサツって言われることもあるたつきちゃんだけど、そんな優しいところがあたしは大好きだ。
スーパーが苦手って言っただけなのに、どうして……分かっちゃうんだろう。
ありがとうって、笑った。でもきっと、電話はしないだろう。家族を持たないあたしだから、分かることはある。

家族について、あたしが知っていることは二つ。
とても、とても大切なものだということ。
そして、いつかは必ず失ってしまうということ。


***


「あいたぁ……」
その、30分後。あたしは重たいエコバッグを道路に下ろして、赤くなった指をさすった。
他の家族連れにつられて、ついいっぱい買い込んでしまった。こんなに食べきれるわけないのに。
あたしは、エコバッグから覗いたバゲットとか牛乳とか、セロリを見てちょっと反省した。

掌をすり合わせながら見上げた時、
「あ……」
あたしは、思わず声をあげていた。巨大な木々に囲まれた、しーんと静まり返ったその場所は、見慣れたものだったから。

若雷神社。
一ヶ月前、瀞霊廷に追われていた冬獅郎くんが身を隠していたのが、この神社だった。
後を追ってきた仲間の死神たちと戦い、追い返した場所だ。
もちろん、あの時境内を覆った氷は全て溶けたけど、春が来ても妙にここはいつも寒い、と近所のヒトが噂してるのを聞いた。

「……冬獅郎、くん」
ごめんね。ずっと、そう思ってきた。黒崎くんが傷ついた冬獅郎くんを見つけた時、すぐに駆けつけて治してあげられなくて、ごめんね。
その気持ちを、戦いの後、関係者を一人ひとり訪ねて謝罪してた乱菊さんに伝えたら、目を丸くしてたっけ。
―― 「でもね、織姫。隊長はあの時、処刑命令が出てたのよ。護廷を裏切ったって言われてたのよ? それでも……」
―― 「裏切ったなら尚更、治してあげたいと思うの。だってたった一人なんだよ?」
―― 「織姫……」
―― 「冬獅郎くんは優しいヒトだよ。乱菊さんや死神サン達のことをいつも考えてたよ。裏切るなんてありえない。
一緒に暮らしてたんだから、それくらいのこと分かるよ」

目を見開いてあたしを見つめていた乱菊さんは、腕を伸ばしてあたしを抱きしめた。
ありがとう。そう呟いた言葉は掠れていて、腕はちょっと細くなっていた。
冬獅郎くんにも黙ってやってることなんだろうな。立ち去るその背中を見てあたしは、そう思ったっけ。
きっと今頃自分で全てを抱え込んでいる冬獅郎くんの力に、少しでもなろうとしてるんだろう。
どうか、ふたりが幸せに、ずっと一緒にいられますように。あたしは、立ち去る乱菊さんの背中に祈らずにはいられなかった。


エコバッグを何度も下ろしながら、あたしはゆっくりと若雷神社の境内へと向かった。
鳥居の下にエコバッグを置くと、古びた境内の中に足を踏み入れる。
狛犬も、神社の由来を書いた板も苔むしていて、誰もいない。ざぁ……と風が吹き抜け、あたしはその風の冷たさに身をすくめた。

ゆっくりとした足取りで、狛犬の間をくぐって賽銭箱の前に立つ。
賽銭箱の向うの扉は、ぴしゃりと閉ざされている。一ヶ月前、この中に冬獅郎くんはいたと聞いた。
あんな寒い時期に、こんな隙間風が吹き込む中で、一体なにを考えてたんだろう。

「冬獅郎くん……元気、かな」
これまでの隊長としての働きや、同僚や部下達の必死の嘆願によって、実質は無罪みたいなものだった、と聞いていた。でもあたしが心配してたのは、別のこと。
乱菊さんから教えてもらった戦いの顛末はあまりにもショックで……冬獅郎くんが、友達を殺した、なんて。
口を手で覆ったまま、あたしはしばらく、何も言えなくなった。
あれほど優しい冬獅郎くんに、友達を殺させた「何か」。
あたしは怒るのは苦手だけど、その「何か」にあたしは心から怒った。

「冬獅郎くんが、元気になれますように!!」
奮発して入れた500円玉が、賽銭箱の中でチャリンと軽快な音を立てた。そして、パンパン、と手を叩く。目を閉じて一心に祈ったその時。
パシン、と音がした。
ハッと顔を上げると、閉ざされた扉が開くのを見えた。あっ、と声を上げる間もなく、ひょい、と顔が突き出される。


「……井上?」
「冬獅郎、くん」
さっきまで考えていたその人が、お社の扉を開けて、賽銭箱の上に顔を突き出すように身を乗り出してた。
いつもの死覇装に、白い羽織を着てる。刀は床に置いてるのか、いつもみたいに背負ってはなかった。

―― ど……どういうことっ!?
お社の中に入り込むなんてダメじゃない→ いや、でも冬獅郎くんって死神だから神様だよね? なら大丈夫なのかな? → いやでもやっぱりダメ!
あたしの中で考えがぐるぐる回る。

いや、そんなことよりも何よりも、まず。
「ま、また裏切っちゃったんじゃ、ないよね……?」
恐る恐る、聞いてみる。裏切っちゃったからまた同じところに隠れてるとか、ないよねっ?
「は?」
首を傾げられて、あたしは混乱する。
「あっごめんね、裏切りとか言っちゃって。あれは冬獅郎くんなりの理由があったんだもんね? その、あたしが言いたいのは……」
「ちょ、っと待て!」
着物の襟を取らんばかりのあたしの剣幕に、冬獅郎くんはぎょっとしたみたいに手を翳した。
「単純に、昼寝だ」
「……そっかぁ」
お互いにちょっと離れて、ほぅ、と息をつく。
あたし達の間をふわりと、この季節にはまだ珍しい、春めいた風が吹き抜けていく。


「寝てたらいきなり名前呼ばれて、びっくりしたぜ」
改めて見ると、その銀髪の後ろの部分がちょっとだけハネて寝癖がついてた。
初めは驚いたみたいに見開かれてた目も、すぐに穏やかな青色を取り戻してた。
―― 冬獅郎くんが、元気になれますように!
自分が今しがた言ったことを思い出して、あたしはつま先から顔まで真っ赤になった。それを見て、冬獅郎くんがクスッと笑う。
―― え? クスッと……?
それって、かなりレアじゃないかな。

「オカゲサマで、元気だ」
冬獅郎くんはなんだかサラリーマンみたいなことを言うと、ひょいってあたしの隣に飛び降りてきた。
相変わらず、体重がないみたいに動きが軽くて音もしない。
「……どうして、ここにいるの?」
やっぱり寝てたのかな、背伸びをしてるその背中に、声をかけてみる。
「……そうか。お前は知ってるんだったな」
肩越しに振り返ったその表情は、暗くも明るくもなくて、いつもの無表情に戻ってた。
「そんな悪い思い出ばかりじゃないんだ」
その声音はやっぱり、泣きたくなるくらい優しい。冬獅郎くんに、そんな風に言われる人は幸せだよ、きっと。たとえどんな結末を迎えたとしても。

「……ね。もうどこにも行っちゃダメだよ」
冬獅郎くんがもしも自分なんていなくなったっていいって思ってたとしたら、あたしを抱きしめた乱菊さんの表情を見せてあげたい。
「……分かってるよ。もう身に……」
身に染みた、と言おうとしたのかな。冬獅郎くんは言葉を止めて、上空を見やった。

「……ヤベ。あいつ、何で俺がサボってんのに気づいたんだ」
「……あいつ? って、誰?」
「俺、もう行くぜ」
なんか妙に子供っぽい仕草でお社に手を突っ込んで刀を取りだすのを、あたしはぽかんとして見返した。
「え? 冬獅郎く……」
「また来る」
それだけ言い残して刀を背負うと、ふっ……ってその姿が薄れる。死神さんたちがよく使う「瞬歩」っていう術だ。
あたしには、まるで陽炎みたいに姿が掻き消えるようにしか見えない。

でも、あたしは次の瞬間目を見張った。
冬獅郎くんの影が消えようとしたその時、脇から飛び込んできた別の影が、冬獅郎くんの袖をしっかりと掴み、引き戻すのを見たから。
「隊長っ、捕まえた!」
聞きなれた声が聞こえてあたしは、あっ、と声を上げる。
「乱菊さん!」
「う……腕あげたな、松本」
手を振り払ってまで逃げる気はなかったんだろう、冬獅郎くんが気まずげに乱菊さんを見上げた。

「……」
いつもと同じように、金色の髪をたなびかせた乱菊さんは、しばらく無言で、境内を見やった。
「隊長」
「いや、別に深い意味はねーよ……」
「仕事がまだ10枚くらい残ってるのに! わざわざ現世の、ここにいるのに深い意味はないんですか?」
「100枚は溜めてるてめーに言われたくねぇ」
「程度はどうだっていいんです! どっちもサボりなんだから」
これはいつもと逆かもしれない、とあたしは固唾を飲んで二人のやり取りを見てた。
いつもなら怒る冬獅郎くんに謝る乱菊さんってパターンだったのに、今は冬獅郎くんが押されてる。
しかも、乱菊さんだってサボってるっぽいのに。

「理不尽だ」
それに気づいたんだろう、冬獅郎くんが無念そうにそう言った。
「少なくともあたしには、謹慎命令は出されてません」
ぐっ、と冬獅郎くんが言葉に詰まる。
「自由に出歩きたかったら真面目に働いて、謹慎命令を早く解いてください」
「て……」
てめえが言うか、とむしろ唖然としてる冬獅郎くんをよそに、乱菊さんが振り返る。
「で、オリヒメー、あんたなんでここにいるの?」

「うぅん、買い物の帰りに偶然通りかかったの」
「買い物って……アレか。お前今、一人暮らしだったよな……?」
冬獅郎くんが、鳥居の根っこに立てかけておいたエコバックを指差して、あたしは赤くなった。そう、多すぎるの明らかに。
「……なんか、家族連れのヒトたち見てると、寂しくなっちゃって……つい」
素直に言えたのは、さっきの乱菊さんのおかげかな。

冬獅郎くんはすたすたエコバックに歩み寄ると、中をのぞきこんだ。途端に、なぜだか顔が引きつる。
「……ひとつ聞いていいか、井上」
「はい?」
「納豆に餡子とセロリで、何をするつもりだ?」
「シチューを作ります!」
振り返った冬獅郎くんは、まるでホラー映画の決定的瞬間を見たみたいになっていた。

「やり直しだっ!」
そう一喝されて、あたしは勢いに押されてさがる。
「え? やり直しって……」
「返品して、買いなおせ! お前、そんな滅茶苦茶な食い方してたら、いつか……その、何か知らねぇけど病気になって死ぬぞ!」
死神さんに言われると、なんかちょっと効くなあ。
あたしが何か言うより先に、冬獅郎くんはひょいっとエコバックを肩に担いで歩き出した。
さすがちっちゃいけど、力はあたしの何倍もあるみたい。

「じゃ、これから買い物して、オリヒメの家でご飯作っちゃいましょうよ!」
乱菊さんは、なんだか嬉しそう。そう言うと、冬獅郎くんの後を追って階段を駆け下りてしまう。
さっきまで、冬獅郎くんに戻りなさいって言ってたのに、これじゃミイラ取りがミイラみたい。
でも、乱菊さんはきっと、冬獅郎くんがいないと寂しくて、いたら嬉しい。それだけなんだと思う。
それはきっと、「家族」に限りなく近い感情。

「おおい、来ねぇのか井上?」
「早く来なさいよオリヒメー!」
二人の声が相次いで聞こえて、あたしは思わず、笑い出す。
苦手なはずのスーパーが、なんだかちょっと楽しみになった気がして。