向かい合って立つと、改めてその体格の幼さが判る。
―― オイオイ……
一護は想像の中で、夏梨と遊子を隣に並べてみた。
いいとこ背丈は同じくらい、おそらくわずかに下だ。
夏梨と遊子が十歳だから、外見年齢で言うと8歳か9歳くらいだろうか。
―― 隊長には年齢制限ってものはねーのかよ!
いくら見た目どおりの年ではないとは言え。
一護がそう思った時、日番谷はじっ、とその翡翠色の目で一護を見上げてきた。

「お前。更木と朽木に勝ったってのは本当か?」
その声音、言い方。それだけは全く子供のものじゃない。
「あぁ」
どことなく不穏なものを感じながら、一護はひとつ、頷く。
「ルキアを助ける」という断固たる信念があったから、かろうじて勝てた、というところだが。
付け加えるなら、今やりあったら勝てる自信なんてないが。
それでも、結論だけとればそれは事実だ。

ふぅん。
日番谷がまた鼻を鳴らした。
その気配が、一瞬のうちにまた、大きく膨らむ。

「ま!待った待った、何のつもりだよ!」
高まる霊圧に、一護は慌てて手を前に出した。
「あの二人を倒したようなヤツと、手合わせしてみたいと思うのは当然だろ?」
不敵な表情で、かすかに微笑んだ。
「受けろよ。どうせヒマなんだろ?」
そういえば、コイツはあの下克上トーナメントとやらの直後だったんだ。
タイミング悪っ、と思った時。一護は異変に気づいた。

「うぉっ!?」
一護は思わず、袖を振った。
いつの間にか、その袖が薄い氷で覆われていたのだ。
振ると、氷のカケラがパラパラと落ちた。
寒い。とてつもなく寒い空気が、周囲を覆い尽くそうとしている。
真夏に、この寒さはありえないだろう。
「ちょ……超常現象!?」
きわめて現世的な一護の感想に、日番谷はウンザリしたようにため息をついた。
「鬼道系の死神と戦ったこともねーのかよ?」
「はぁ?」
これはもう個人の力というより、自然現象に思えるのだが。
ゴゴゴ……と曇り始めた空を見て、一護は心中慌てふためいた。
これで雷でも落ちてきたら、どう応戦しろというんだろう。


歩み寄ってくる日番谷を、本能的に推し量る。
体格に限界が有る以上、力は更木が上だろう。
スピードは白哉が上だと予測できる。
しかし、その霊圧の強さで言えば、おそらく日番谷が最も高い。
いくら無防備だったとは言え、霊圧を一瞬浴びただけで腰が砕けたのは初めての経験だった。
そして、鬼道が全く使えない一護にとっては、一番厄介なタイプの敵だ。
しかし、そんなことよりも、まず。

「俺は、絶対にお前とは戦わねぇっ!!」

突然大声で宣言した一護に、日番谷は虚をつかれたような表情を浮かべた。
ややおいて、怪訝そうに眉をひそめる。
「あ?何で……」
「お前みてぇな小っせえガキと戦えるかよ!」
何か地雷を踏んだだろうか。
ビキ、とそのこめかみに血管が浮き上がるのを見て、言っちゃいけないことを言ったかと思った。
「何を言うかと思えば、背丈だぁ?外見がどーだろうが、俺はお前よりよっっっぽど年上だ!」
それはそうだろうと思う。でも、そういう問題ではないのだ。
だが、その間にも、日番谷は肩に背負った斬魂刀の柄を握り締めている。
しかし、対する一護は頑として突っ立っている。
その場に緊張が走った。

「俺は、妹より小さいやつは絶対斬らねぇと決めてんだ!」
妹。それを聞いた日番谷が、ピクリと眉を動かした。
「やめろ、冬獅郎!!」
対峙する一護と日番谷の間に、地響きを立てて巨大な拳が降ろされた。
「丸腰の相手、斬るつもりか」
児丹坊だった。ぎょろり、と目を剥き、日番谷を見やる。
「ち。頑固なヤツだぜ」
日番谷が舌打ちして、刀を退こうとした……その時だった。


「お兄ちゃん!!!」


途端。
その場を支配していた凍て付くような氷の霊圧が、緩んだ。
―― お兄ちゃん、だぁ?
一護は、とっさに声の方向に視線を向けた。
その呼ばれ方なら慣れているが、夏梨や遊子がここにいるはずもない。
声も、二人と比べると格段に幼い。

一護の視線の先にいたのは、4歳か5歳くらいの女の子だった。
肩くらいまである黒髪で、左の耳上の髪を、花柄の髪留で束ねていた。
線が細い平凡な外見の中で、その大きな黒い瞳がぐいと目を引いた。
裾上げしているのが一目でわかる、模様がピタリと合っていない、赤い花柄の着物がよく似合っていた。

「澪!」

その名を呼んだのは、10歳足らずの少年にふさわしい幼い肉声。
一瞬、日番谷の声だと気づかなかったほどだった。
日番谷はとっさにリアクションできない表情で立ちすくみ、手を刀にやったままの格好で固まっている。

「おぉ澪!」
児丹坊が、明らかにホッとした声音で、地に着いた拳を持ち上げた。

見開かれた大きな少女の瞳が、驚きから歓喜に変わるまで、それほど時間は要しなかった。
「お兄ちゃん!」
弾かれたように身を起こすと、まっすぐに日番谷に駆け寄った。
とっさに身をかがめた日番谷の胴に、ぶつかるようにむしゃぶりつく。
その弾みで、日番谷の手が、まだ握っていた氷輪丸の柄から外れた。
「お、おい、澪」
日番谷がたしなめても、その胴に顔を埋めている澪の表情は見えない。
固くしがみついたその腕が、かすかに震えている。

「もう戻ってこないかと思ったよ……」
か細い声が澪から漏れた。
その声が濡れているのに気づいた日番谷は、急速に青天が戻って行く天を仰ぐ。
ふぅ、とため息が漏れた。
「悪かったよ」
そっ、と小さな頭に置いた掌は、優しかった。

「おめ、本当にいいトコに来たな。こんなトコで刀を抜くダメな兄ちゃんを叱ってやってくれ」
「え?」
澪が弾けるように顔を上げ、日番谷を見上げる。
「『めっ!』って言ってやれ」
「カンベンしろよ……」
日番谷の困り果てた声を背に、一護は踵を返した。
何だか、これ以上この3人の近くにいるのは、無粋な気がしたからだ。

―― オニーチャン、か。
あんな風に一途に、喜びで100%埋め尽くされた顔で飛びつかれたら、どんな氷だって溶けてしまうだろう。
なんだか、随分双子の妹たちに会っていないような気がした。
あいつらも、俺のことをそろそろ、心配してくれてるだろうか。
その時。突然泣き声が聞こえて、一護はピタリと足を止めた。

一護の振り返った先には、日番谷の袖を掴んだ澪という少女と、しゃがみこんだ日番谷の姿があった。
澪は大きな目に涙をためて、日番谷を揺さぶっている。
「ヤダ!ヤダよ!なんで会いに来ちゃいけないの?」
「帰れる時は、俺が家まで行くから!お前は家で、ばあちゃんとこにいろって」
「そんなこと言って、全然帰ってきてくれないじゃない!」
「……ちょっと今はいろいろ忙しいんだよ」
「桃おねえちゃんだって……この中にいるんでしょ?」
―― 桃?まさか。
澪の口から漏れたその名前に、一護は病院での記憶をよみがえらせた。

そういえば、一護が入院している間、バタバタと隊士達が行き来している部屋があった。
漏れ聞いた内容から、その部屋の主が、藍染直属で働いていた副隊長だったとわかった。
ひときわ重症で、いまだ目を覚まさない彼女の名は「雛森桃」ではなかったか。

そして、一護の予感はそう外れてはいないらしかった。
ぐっ、と日番谷が言葉に詰まり、視線を伏せたからだ。
そして、年齢の割りに、この澪という少女は聡明らしい。
「……どうかしたの?」
すぐに、その大きな目で日番谷を真っ直ぐに見た。
日番谷はため息をついたのだろう、肩が小さく揺れるのが、一護の位置からも見えた。

「帰るぞ」
有無を言わさず、澪の小さな体を、肩に担ぐような姿勢で抱き上げる。
「ひゃぁっ!」
とっさに氷輪丸の柄を両手で掴んで、澪は体を支えて振り返る。
「ちょ!ちょっと、おにいちゃん!」
「じゃーな、児丹坊」
日番谷は、あいているほうの手を上げ、児丹坊に軽く挨拶する。
そして、ちら、と一護を振り返った。
「じゃあな、旅禍」
「りょ……」
黒崎一護か、と呼んだ直後に、「旅禍」呼ばわりとは……一護が絶句する。
どこまで愛想ってものに見放されたヤツなんだ。

それにしても。一護は、日番谷と澪を見比べる。
「ヤだ!ちゃんと話してよ!!」
わぁぁん、と澪が泣き出す。さすがに足を止めた日番谷が、気まずそうな顔で澪を振り返った時。
大きな手が、日番谷と澪の頭の上におかれた。
「てっ、てめー、放せ!」
その掌の主が一護だと知った日番谷が、飛び下がる。
対照的に澪は、きょとんとして一護の顔を見やった。
どうやら、今まで目にも入っていなかったらしい。

一護は腕組みして、自分をにらみつける日番谷を見下ろした。
「よその事情に口出すのはアレだけどよ。今回はこの澪って子のほうが正しいんじゃねえのか?」
涙を目にいっぱいにためていた澪が、腕で顔をこすった。
「おめーに会いたくて、わざわざここまで来たんだろ?それを来るなってのはひどくねぇか?
それに、理由が有るんだったらちゃんと説明しなきゃ分かんねーだろが!」
一護にとっては、それは半ば自分に言い聞かせた言葉だった。
妹達は一護よりは6歳下だ。子供には理解できないと思って、言わずにいたことも何度もある。
しかし、子供は時には大人よりも鋭い洞察力を持っているし、自分の意思も持っているのだ。
それは、一護が妹達と過ごしている間に、教えられたことだった。

日番谷は、そんな一護をジロリと見返した。
「そのまま返すぜ。『よその事情に口を出すな』」
有無を言わせないその声音に、一護が沈黙する。その間を縫うように、
「会いたくちゃダメなの?」
ポツリと澪の問いかけが落ちた。
それを拾い上げる言葉を探した日番谷が、わずかに眉根を寄せる。

「……冬獅郎」
静かな児丹坊の言葉が、三人の上から降ってきた。
「そこに、甘味処あっただろ。そこでちょっとくらい休んでっても、いいんでねえか」
日番谷は、あいている方の手で頭をガシガシと掻くと、しばし沈黙した。
やがて、
「しょうがねえな……」
ため息混じりにそう言うと、澪を抱えたまま、先に立って歩き出した。