夜摩 妄筆


乱菊「ねぇ雛森。あんた、『アレ』に気づいた?」
雛森「ええ、もちろん。どういうことなんですか? っていうか、いつからあんなことになってるんですか?」
乱菊「て言われてもねぇ。どう思う?」
雛森「なんか、物陰から念を送ってるみたいに見えるんです」
乱菊「念ってあんたじゃないのよ……(おおっと)あ、あたしにはあの子がウチの隊長に惚れてるように見えるんだけど! ってなんで笑うのよ」
雛森「ないない、ないですって。同じくらいなのは身長くらいだし」
乱菊「とかなんとか言っちゃって。隊長だってあれでも一応、男よ。いつまでも子供じゃないのよ」
雛森「どうですかねぇ……ていうか、あの視線に全然気づいてるようには見えないんですよね。その時点で、まだまだだと思います」
乱菊「そうよねぇ」
日番谷「……お前ら……」
さっきから、ソファーで話しこんでいる二人の女死神をよそに、半ば無理やり仕事に打ちこんでいた日番谷は、ついにバーンと机をたたいた。
日番谷「お前ら、手伝えとは言わねえ。出てけ。いいから、出てけ!」


日番谷が怒鳴ろうが嘆こうが、そよ風くらいにしか感じていない二人を追いだし、日番谷はそれはそれは長い溜息をついた。
外ではしきりにウグイスが鳴いている。開いた窓からは、暖かいような涼しいような絶妙の温度の風が吹き込んでくる。
空はほわりと青い。春爛漫、一年の間で一番過ごしやすい季節、なのである。が。
―― なんなんだ。一体……
「アレ」に気づきもしないとあの二人は失礼千万なことを言っていたが、はっきり言って乱菊よりずっと以前から、気づいていた。
ただし、意味が分からない。今も、肩のあたりにちくちくと視線を感じる。
さっきから机に向かっていても気になって、いまいち身が入らずにいたのだ。

意を決して、ちらり、と窓の外の視線の主を見やる。と、彼女はささっと壁の影に隠れる。
ただし隠れても、わざとやっているのか何なのか、彼女のその特徴的な輪郭が影となって地面に落ちている。

朽木ルキア。
間違いあるまい。

はっと気づけば、屋敷の角から、階段の下から、窓の外から、こちらをうかがっている。
ただし日番谷が振り向くと、今のように隠れてしまう。こちらから声をかけるのもはばかられた。

―― いつからだ? そういえば……
考えてみると、十日ほど前に所用で朽木邸を訪れてから、ルキアの不審な行動は始まった気がする。
あの時六番隊の席官が朽木邸に集合していて、話の流れで白哉と手合わせをすることになった。
「僕らも隊長の力を見てみたいんです。目標にしたいんです!」と子供のような目で言われてみれば、隊長としては受けなくてはならないだろう。

もっとも手合わせ自体は、十分やそこらで終わった。
白哉が繰り出した「千本桜」によって生み出された、桜の花弁のかたちをした刃を、全て凍らせて地面に落としたのが原因だった。
――「兄は風情というものを知らぬ」
捨て台詞を残して背中を向けてしまったが、結局必殺技を水浸しにされて機嫌を損ねただけの話だと思う。
――「……大人げねぇな」
小声で漏らした感想はしっかり聞こえていたらしく、それこそ氷のような目を向けられた。

なんと言うか、いい一戦とはほど遠く、脱力するようなというか、徒労のような練習試合だったが。
あれを朽木ルキアが見ていたとして、一体どのあたりが動機になるのかさっぱり分からなかった。

書類に筆を走らせていると、また背中に視線を感じる。
食い入るような視線、というより、戸惑っているような、もじもじしているような妙な具合だ。
しかし、いつまでも背後霊のようにルキアを張り付けさせているわけにもいかない。
日番谷はもうひとつため息をつき、そっと立ち上がった。


***


部屋を出て行った振りをして、こっそりルキアの背後に回るのは、決して難しくなかった。
隊首室の窓に面した一角に佇んだ彼女は、まさか日番谷が背後にいるとは思わず、隊首席のあたりを見やっている。
「……どうしたらよいのだ」
ぽつん、と言葉を漏らした表情が、やけに沈んでいる。
「どうしたんだ」
つい声をかけてしまった自分は、お人好しだと思う。

ルキアはというと、きやあ、とでもいうような高い悲鳴と同時に、両足で飛び上がった。
振り返り、突っ立っている日番谷に気づく。その顔から首から、一気にさーっと赤くなった。
「……気がつかれていたのですか」
「……ああ」
「いつから、ですか?」
「初めから」
ルキアは一・二歩あとずさった。そしていきなり、身体が折れ曲がるような大きなお辞儀をした。
「も、申し訳ございませんでしたっ!!
言い終わったとたんくるりと後ろを向き、そのまま全力ダッシュで駆け去ろうとした、らしかった。
日番谷はとっさに手を伸ばし、ルキアの足元を凍らせる。つるりっ、と足を滑らせて、動きを止めるはずだった。

「きゃああっ!」
「えっ?」
よほど、動揺していたのか。
ルキアは思いっきり足を滑らせ、顔面から氷の地面にダイブした。


***


「……悪かったよ。まさか、顔面から……。いや、いい」
ほら、と隊首室のソファーに座ったルキアに、湯で絞ったタオルを差し出す。
額と鼻のあたりを真っ赤にしたルキアが、それを受け取り鼻に押しつけた。

まるで悪戯を見つかり、首根っこを掴まれたネコのようにしおらしい。
両足をきちんとそろえ、両手を膝の上に置いて、固くなってソファーに座っているのを見て、何だかかわいそうになってくる。
「……で。一体なんで、俺をずっと見てたんだ。気にしねぇから言ってみろ」
憎まれるとしても理由がない。惚れられるとしたら、余計理由がない。
何と反応されても、お門違いだろうと思っていた。

しかしルキアの答えは、日番谷のあらゆる推測とは全く異なっていた。
「……稽古を、つけていただきたかったのです」
「……は?」
固まった日番谷を前に、口火を切ってしまうと開き直れたのか、ルキアがぱっと顔を上げる。
「氷雪系最強の刀を持つ日番谷隊長にお願いするのもおこがましいのですが……同じ系列の刀を持つ者として、
あの、私も……その、兄さまのように、ぜひ手合わせをお願いしたかったのです」

「……手合わせ、なあ」
熱心なのはよい。副官に爪の垢でも煎じて飲ませたいくらいだ。
だが、彼女が朽木白哉の妹だということが、一瞬日番谷をたじろがせた。
怪我をさせようものなら、十倍にして返されそうだし、そもそもルキアが強くなる事を白哉は望んでいないのだ。
「だ……駄目でしょうか?」
けっこう執念深そうな、ルキアの兄の姿が背後にちらつく。
――虎徹に頼むか……?
同じく氷雪系の副隊長を頭に思い浮かべる。

ルキアはしばらく熱がこもった目で日番谷を見ていたが、ためらっていることに気づいたのか、視線が下に落ちる。
「も、申し訳ありません。このような不躾なお願いを……」
首根っこをつかまれたネコが窓から放り投げられたように、しゅんとして出て行こうとする背中に、日番谷は声をかける。
「ああ、もう分かった。稽古をつけりゃいいんだろう」
怒る女にも、しゃべる女にも勝てない。でもこの調子では、悲しむ女にも勝てそうにない。
釈然としない想いを抱えながらも、
「ありがとうございます!」
大きな目を輝かせるルキアは、いつもの凛とした態度とは程遠い。
「……お前も案外」
「え?」
ルキアがきょとんとする。
「いや、いい」
窓際に立てかけてあった氷輪丸に手を伸ばしながら、日番谷はわずかにほほ笑み首を振った。


Fin.

*この後、『艶椿』の冒頭に繋がることは……ありません(テンションが違いすぎる)

2011/5/13