春らしい薄ぼやけた青空には、切れ切れに雲がたなびいている。
近くのベランダでは、主婦らしいエプロンをつけた中年の女性が、洗濯物をとりこんでいた。
その傍を、漆黒の死覇装をなびかせて跳躍する。

先を行く日番谷と乱菊の瞬歩は速い。風が耳元でびゅうびゅうと鳴る。
スピードを上げた時、日番谷と乱菊の会話が聞こえた。
「松本。お前さっき、なんで自分ひとりで戦おうとした? 勝ち目ねぇのは分かってただろ。なんで俺を呼ばなかった」
「……申し訳ありません」
「謝って済むことじゃねぇ、いいとこ重傷だったぞ。二度と同じ真似をするな」
日番谷の口調は、こんな風に怒ることもあるのだとハッとするほど厳しかった。
副隊長の中でも先輩格の乱菊が、頭ごなしに怒られている場面はそうそう見るものではない。
乱菊がもう一度頭を下げ、日番谷はため息をついたようだった。

「もういい。俺が先に突っ込むから、お前らは相手の出方を見てからかかれ」
それだけ言うと、ぐん、とスピードを上げる。ルキア達も瞬歩を使っているというのに、数秒で視界から消えたスピードにルキアは目を見張った。
「ホーント、スピード狂なんだから」
乱菊がスピードを少し落とし、ルキアの隣に並んだ。
「大丈夫……なのですか。戦略も立てずに、いきなり複数の破面に突っ込んで」
ルキアの上司の浮竹なら、考えられない戦い方だった。
元々体力面で不安があるせいもあるだろうが、浮竹なら事前に敵について十分に調べた上で決断する。
どの隊長もそのやり方は同じなのだと思っていた。

乱菊は肩をすくめた。
「隊長はいつもそうよ。強い敵が現れると、とりあえず自分が最前線に立つの。まず自分と敵の戦いを見せて、部下たちにどう戦えば勝てるのか、判断させようとするのよ」
「それでは、日番谷隊長が戦略を立てられないではないですか」
「隊長に戦略は不要よ」
「不要って……」
「ウチの隊長は、天才だから」
思わず見返すと、乱菊は不敵な笑みを浮かべた。
「確かに経験は少ないけど、戦況に合わせて戦い方を変える瞬発力はすごいわよ。だから今回も先遣隊に選ばれたんだと思う」
「し、しかし。今は普段とは勝手が違います。実力の二割しか出せないと言うのに」
「そうね。正直、二割の隊長とあの破面達全員の霊圧を比べれば、破面達の方が上だと思う。だから尚更、背中を見て学ばなくちゃね。
あたし達はこれから、自分よりも強い敵にだって勝たなきゃいけないのよ。隊長に命運を任せるんじゃなくて、一緒に戦うのがあたしたちの役目だから」
「……はい!」
それはルキアにというより、半分は自分自身に言い聞かせているようだった。しかしルキアにはぐさりと言葉が刺さった。
ヴァストローデだけでも遠い存在なのに、崩玉によって更に強くなっている可能性を示されて、正直自信をなくしていた。
自分よりも強い敵と戦って勝つ。そんなことが可能だとは思えない。でも、やらなければこの戦争を生き抜くことは難しい。
そして日番谷は、迷いなく前に出た。どうすれば生き残れるのか、ヒントを二人の部下に与えるために。

凶悪な敵の霊圧が、どんどんと近づいて来る。
見上げると、百メートルほど離れた建物と建物の間に、黒い線のように何人かの姿が見えた。
それはすぐに、並んで中空にたたずむ四人の破面と、日番谷の姿と分かる。
「あちらです!」
「ええ」
すでに、戦いは始まっているのか。だん、と地を蹴ってスピードを上げた。

どくん、と胸が高鳴る。
背中の産毛が一斉にゾワリと立ちあがるような悪寒が走る。戦いの前は、いつもそうだった。
自分を落ち着かせるため、すぅ、と息を吸い込んだ。そして、ゆっくりと吐く。
屋根を蹴る足に力が戻る。……もう、大丈夫だ。


***


突っ込んで来る日番谷の姿をみとめた四人の破面が、一斉に刀を引き抜いた。
「さっきの死神ですか。一人で追って来るとは無謀もいいところ」
さっき織姫の力で吹き飛ばされた破面が先頭に立ち、日番谷に刃の切っ先を向ける。

互いの間合いに入ったのは、直後。
氷輪丸を鞘ごと引き抜いた日番谷が、一旦納めた刀の鯉口を切った。
シャッ! と鋭い鞘擦れの音が響くと同時に、身軽に相手の曲げた膝に飛び乗っていた。
「な……」
いきなり懐に飛び込まれた破面が、顔をひきつらせてのけぞる。
抜刀した日番谷の刃が、まっすぐに破面の首を狙った。一瞬早ければ、その首は斬り飛ばされていただろう。
しかし破面は間一髪で、引き寄せた刃で氷輪丸を受け止めた。

「なかなか動きがいいな」
「……どうも」
日番谷に、皮肉めいた声音で破面が返す。破面の首からは、かわしきれずに受けた傷から血が流れている。
「……霊圧を消しな。むやみに近づいたら標的にされるわよ」
そばに来た乱菊がささやき、私は頷いて、建物の影に隠れるようにして破面に近づく。
すでに30メートルほどの距離に迫っていたが、日番谷に集中しているのだろう、敵はルキアと乱菊に気づいていない。

「その余裕の表情、いつまで続きますかね」
「そのまま返すぜ」
日番谷は、破面に向かって手を払うような動作を見せた。
「蒼火……」
「調子に乗るな!」
その瞬間、横合いからもう一体の破面が飛び込んできた。日番谷はとっさに、二体目に手の先を向ける。
「……火墜!」
青い炎が波のように二体目の破面を襲った。その一撃は顔面を直撃し、悲鳴を上げた破面は背後に退いた。

「囲め! 鬼道を使わせるな!」
ふん、と日番谷が鼻を鳴らす。
確かに、彼の体格なら、肉弾戦よりも鬼道が得意だと推測できる。四方から押し包んで力づくで攻め立てるほうが破面に有利だろう。
しかしその一方で、むやみに近づけば、鬼道を当ててくださいと言っているようなものだ。
実際、破面達は一気に距離を詰められずにいる。

火花を散らせ、一体の破面が斬り結ぶ。
その背後から、二体の破面が同時に斬りつけるのを目の橋に捕えた。
瞬歩で逃れるしかないが――間に合うか? 日番谷がちらりと背後を見やった。
「日番谷隊長っ!」
野太い男の声が響き、日番谷は敵に目を据えたまま叫び返した。
「阿散井か」
「避けてくださいっ! 吼えろ、蛇尾丸!」
「は?」
日番谷は近づく風切音に背後を見やる。次の瞬間、ぅわ、と声を上げ、その場にかがみこんだ。

銀色の髪がパッと宙に舞い、日番谷の真上を蛇尾丸の刃が通り過ぎる。
大きくしなって振り下ろされたその刃は、二体の破面をその場から吹っ飛ばした。


数秒あけて、ルキアと乱菊がその場に瞬歩で現れる。
「大丈夫ですかっ、隊長! 今なんか、恋次に襲われてるように見えましたけど!」
「今の、避けなきゃヤバかったぞ……てめぇ技が荒すぎだ!」
日番谷が声を荒げる。さすがに、怖かったらしい。
「すんません! 蛇尾丸の奴、なかなかコントロールが効かねぇんス」
「……俺の半径十メートル以内には近づくな、阿散井」
「隊長の隣で戦ったことがない」と前にこぼしていた恋次を、ふと思い出した。
確かにこれでは、隣で戦うのを兄は許さないだろう。



チャキ、と鍔口が鳴る。死神たちは同時に、破面を顧みた。
四対四。全員が一体ずつ倒せばよい計算だ。
―― なんだ、こいつらは?
初めにその姿を見た時、軽い動揺があった。
元は虚だった、と言うにはあまりにも……彼らの姿は、人間に酷似していたからだった。

―― いや、これは。
悪寒がこみ上げてくる。
もはや、「人間」ではなく、「死神」に近いのではないか。

腰の辺りまである長く白い上着に、白い袴に似た服を身につけている。
上着のゆったりした裾といい、腰に帯びた刀といい、これでは白い死神のようだ。
しかし感じる気配は、間違いなく破面のもの。

破面には、三つの等級があると言う。
一つ目はギリアンで、見た目は虚そのものだ。中級のアジューカス、最上級のヴァストローデになるほど、外見は人間や死神に近づく。
今目の前に立っている四人は、身体のあちこちに仮面の断片らしきものが見える。
虚の証拠である身体の穴が見えている者もいる。しかしそれだけでは、アジューカスなのかヴァストローデなのかの区別はつかなかった。

「どの階級なんですかね? 見分け、つきます?」
思ったことは同じだったのか、乱菊が日番谷を見やる。彼はわずかに肩をすくめた。
「それがあらかじめ分かるくらいなら、先遣隊なんて出してねぇ」
給料上げて……と松本副隊長がため息をつく。ふん、と日番谷が鼻を鳴らした。
「そう思うなら真面目に働け。朽木、松本。六杖光牢を唱えとけ。まだ撃つなよ」
「はっ、はい!」
急に名前を呼ばれ、緊張する。
どういう戦略が日番谷の中で練られているのかは想像がつかない。
しかし即座に詠唱を始めた乱菊の後につき、「力ある言葉」を口にする。
唱え慣れた言葉は、つむぐだけで心を落ち着かせる効果があった。改めて、四人の破面をざっと見渡した。


中央に立つリーダー格らしき破面は、織姫にさきほど吹き飛ばされた男だ。
長身で細身、切れ目を入れたような小さな細い目、分厚い唇。
長い三つ編みを背後に垂らしている。

その隣には、乱菊よりもワントーン薄いプラチナブロンドの髪に、明るい碧眼の男。
爬虫類を思わせる金色の目をした白髪の男。口から除く歯が獣のように尖っており、虚の面差しを残している。
そして一番隅にはボールのように体が膨らんだ、恰幅のよい黒髪の男が控えていた。

それぞれ、頭部に仮面の一部が残っている。
白髪の男を除けば、その仮面がなければ普通の人間だと言っても通じるだろう。
男が一歩、日番谷に向かって足を踏み出した。

「名乗りが遅れまして。私の名はNO.11、シャウロン・クーファンと申します」
ケッ気取りやがって、と恋次が呟く。日番谷は鷹揚に頷くと、わずかに小首をかしげた。
「NO.11ってのは何だ? 破面にはNOがあるのか」
NO.11と言う時に、少しだけ嫌そうな顔をした。
「嫌いですかな、11、という数字は」
「いけ好かねぇ数字だ」
当然ルキアは、十一番隊長の顔を思い浮かべずにはいられなかった。

「それは残念。ちなみにNO.11以降は、ただの生まれた順番ですよ」
「……朽木、恋次」
二人の会話に隠れるような小声で、乱菊がルキアと恋次に声をかけた。
「しゃべってる奴が一番強い。順番に、金髪、太った奴、かなり離れて白髪」
その蒼い目は、冷静に全員を見渡している。

日番谷がしゃべっている間に、全員の霊圧を見極めていたのか。
ルキアの考えがそのまま聞こえているかのように、彼女は頷いた。
「そんな目的でもなかったら、あの隊長が敵と雑談しないわよ。味方でもしゃべってくれないのよ? 普段」
「そこ、うるせーぞ」
乱菊の声が聞こえたのだろう。チラ、と日番谷が振り返る。
「地獄耳なんだから」
からかうように返しながら、乱菊はかすかに頷く。
日番谷はそれを確認すると、視線を前方へ戻した。


「……乱菊さん。一番強いの、俺がやりますよ」
「馬鹿者、分かっておるのか。限定解除はまだ解けてはおらぬ! 今のままでは、お前は力の二割しか出せぬのだぞ」
乱菊に声をかけた恋次に、ルキアが鋭く返す。ぐっ、と恋次が詰まった。乱菊が頷いた。
「今のあたし達の力を全部足しても、あいつらの総力には劣るわ。普通にやれば死人が出るわよ」
「だから、俺が……」
「一対一で倒すって? だから十一番隊上がりは嫌なのよ。何のためにあたし達が集まったと思ってるの?」
「連携攻撃って言っても、総力に差があるんじゃ……」
「だから。うちの隊長の指示に任せなさいって」
絶対に大丈夫だから。そのきっぱりとした言葉に、恋次が黙った。

シャウロンと名乗った破面は、まだ話し続けている。
「ただし。NO.10以上は単なる発生順ではなく、力量順です。十刃と呼ばれるのがそれです。貴方たちがその知識を得る必要は、ないでしょうがね」
その霊圧が、しゃべっている間にもどんどん高まってゆく。日番谷が、組んでいた腕を解いた。
「貴方がたの霊圧ではね! 今、私たちが殺して差し上げる!」
そして金髪の男が先手を打ち、日番谷に向って一足飛びに斬りつけた!



* last update:2012/10/10