氷輪丸が獣の咆哮を上げ、ビリビリと大気が震える。その氷で出来た胸に、炎の刃が食い込んだ。
「双蓮蒼火墜!!」
重ねて日番谷が両手で放ったのは、炎熱系の中でも高位にあたる鬼道。矢継ぎ早の攻撃に耐え切れなかったのだろう、まともに受けた氷輪丸の巨体が、背後に吹っ飛ばされた。
重い音を立て、岩に激突する。土煙に混じって、キラキラと氷のかけらが乱れ飛んだ。日番谷が軽い身のこなしで、地面に飛び降りた。夜一が驚いたことに、息も切らせていない。
「……お主、氷雪系の死神だと思っていたのじゃがな」
「何をいまさら。氷雪系だろうが、他属性の鬼道を使えねぇほど不器用じゃねぇよ」
ちらり、と肩越しに振り返って、日番谷が返す。使う、使わないどころか。異なる属性の技を連打し、組み合わせることができるとは。
「ひぇー。最近の死神はレベル上がってますねぇ」
確かに。浦原の言葉に、夜一も頷かずにはいられなかった。
百年前……夜一たちが瀞霊廷にいた頃の鬼道は、敢えて例えるなら弓道に似ていた。ただひとつの的を前に、ただひとつの弓矢を引き絞り……十分に溜めて、放つ。的確に的を射抜くのも勿論重要だが、それと同じくらいに体勢の美しさや心構えも問われていた。当時の鬼道も同じように、詠唱の明瞭さ、体勢の美しさ、放つ技の型の正確さを競う一種の芸術と化していた。平和な時代ならではの、よく言えば昇華だが、悪く言えば形骸化されたとも言える。
それに比べれば日番谷は、それよりも更に原始的な、一言で言えば「勝てればよい」という戦い方だ。詠唱破棄は当たり前、異属性の鬼道の融合に二重詠唱。百年前なら間違いなく「邪道」とされていただろう。
「ただ勝つことだけに集中する……それだけで、これほど強くなるのか」
思わず漏らした呟きに、浦原が飄々と返した。
「経験は不足。古きを尊ぶ心もなさそうだ。けれど霊圧は底なしの天才肌……こんな新世代が、ぞろぞろ今後は出てくるんですかね。末恐ろしい」
「聞こえてんだよ。経験不足で悪かったな」
日番谷は浦原を一瞥すると、ひょい、と瞬歩で姿を消した。
「刀を取ればいいんだな」
氷輪丸がいるはずの土煙の中に、無造作に突っ込んだのを見て、夜一は思わず身を乗り出す。
「阿呆、軽々しく相手に近づくな!」
そう言い終るより先に、土煙の中から次々と氷の刃が打ち出された。その切っ先は、並みの刃よりもよほど重く、鋭い。
「うっ?」
そのうちの一発が、氷輪丸の直前まで迫っていた日番谷の胴に叩きつけられる。避けることなどできるはずがない、至近距離とスピードだった。
言わんこっちゃない、と夜一は思わず額に掌を当てた。経験不足だと言ったそばから、それを証明するようなものを見せてくれる。
小柄な体が背後の岩に叩きつけられ、液体のように周囲に広がった氷に、体を縫いとめられる。
「阿呆は良かったですね」
アッハッハ、と呑気に笑う浦原に、夜一は呆れた視線をやった。
「ちっ」
日番谷の舌打ちに振り返ると、その体が赤く発光したところだった。炎が一気に氷を押し包み、熱い水蒸気が爆発的に辺りに立ち込めた。両腕が自由になったところで鞘を一閃させ、こともなげに氷を振り払う。水蒸気で視界が悪い中、地面に降り立った肩がよろめいた。
「おい、大丈夫か?」
思わず駆け寄った夜一を、押しとどめるように日番谷は掌を上げる。
「のぼせた……」
「は?」
拍子抜けして見ると、額に手をやっているせいでよく見えないが、確かに頬が赤い。氷に炎で対抗し続ければそうなるかもしれないが……風呂上りの子供じゃあるまいし。
言いかけた言葉を飲み込む。そういえば、まだ子供だった。氷雪系の力を使うだけあって、もともと熱には弱いのかもしれない。
「お主、傷はないのか?」
「これくらいでなんてことねぇよ。並みの攻撃は利かないよう霊圧を張り巡らせてる」
言われて見下ろすと、その体の輪郭が、かすかに発光して見えた。確かに、これほど暴れている割にかすり傷も負っていない。僅かに乱れた襟元を直し、汗を手の甲でぬぐった。
―― 全く。自分の力の強さに、身も心も追いついておらぬな。
この無尽蔵な霊圧の高さ、飛び切りの暴れ馬の尻に火をつけて、その背に跨っているようなものだろう。それを乗りこなすための経験と知識はまだまだ、発展途上というところ。
ただ……
見守る夜一の心に、動揺に近い衝撃が走る。その二つを磨けば、この少年はきっと、恐ろしく強くなる。
土煙が晴れた後に、氷輪丸の巨躯が現れた。その胸にぽっかりと開いていたはずの傷口が、恐ろしいスピードで修復されているのが見えた。
「惜しいっスね」
傷口が完全に閉じる直前、チラリと覗いた刀身に、さほど惜しそうでもなく浦原が感想を述べる。
「氷輪丸は、攻撃してもすぐに元通り修復するようっスね。斬魂刀を持たないアナタが、どうやって倒すつもりです?」
「今考えてる」
それは、現時点で何も戦略がない、ということではないのか。そう思った夜一の隣で、パタパタと掌で顔を仰ぎながら日番谷が立ち上がった。
「窮地、という奴ではないんスか?」
「別に」
こともなげに浦原を見返す少年の表情に、恐怖はない。隊首羽織を背負わないその肩は、軽々と自由に見えた。
「しょうがねぇ。ひとつ、試してみるか」
「おい……」
一体何をするつもりだ。そう呼びかけようとした夜一が途中で言葉を止めたのは、日番谷が一瞬、口角を上げたように見えたからだ。何か名案を思いついて、微笑ったのか。標準をあわせるように、日番谷が視線をぴたりと氷輪丸の前で止めた。
「おい、浦原喜助」
そのままの体勢で、背後の浦原に呼びかける。
「はい?」
「この地下を覆ってる結界は、丈夫か?」
パシッ、と乾いた音が響く。まるで稲妻のように、乾いた音と共に光が明滅していく。
光の正体が霊圧だ、と気づいた時には、大地が地震の前触れのように低く鳴動していた。浦原が、彼には珍しくすばやい動作で、背後を振り返った。
「テッサイ! 結界の強化を頼む!」
「お任せください」
いつの間にこの場に来ていたのか、テッサイの大声がそれに返した。
無言でその様子を見守っていた氷輪丸が、その口を開く。銀色の牙が覗いた。
「愚かな。鬼道は我には効かぬ」
「……普通の、はな」
「強さなど関係はない。主であろうが容赦はせぬ。死にたくなければ、この場を生き延びる方法を考えろ」
「その必要は、ねぇ!」
日番谷の髪が金色に染まると同時に、逆立った。乾いた音が強くなり、その体を覆うように閃光が走った。極限まで霊圧が高まっているのだ。力が、強すぎる。夜一は思わず身を乗り出した。霊圧には、高めてもいい限界というものがある。それを超えれば――
夜一の思考をさえぎるように、凛とした声がその場を貫いた。
「破道の七十六、雷吼砲!」
次の瞬間。周囲がまばゆい光に覆われ、その場にいた三人は反射的に目を閉じた。
「お見事」
ひゅーぅ、と浦原の口笛が遠くに聞こえた。目を開けた夜一は、頬に飛んできた何かをとっさに片手で受け止める。
冷たいそれは、氷の塊。
「力が拮抗してるっスね。これじゃ一歩も動けないでしょう」
鞘を手に、上空から斬りつけた形の日番谷と、それを地上から迎え撃った氷輪丸の姿が明滅している。日番谷の全身はいまや雷光で覆われ、体自体が発光しているようだ。対する氷龍は手負いの獣のように咆哮し、その翼で日番谷を覆い潰そうとでも言うように、大きく翼を広げた。日番谷の振り下ろした鞘と、受け止めた氷輪丸の口元に力が集中しているのが分かる。
「夜一サン、いざとなった時、身を護る準備をしてください」
気づけば、浦原が前に出ていた。すっ、と力が拮抗している辺りを指差して続ける。
「あれがグラウンド・ゼロです。結界が破壊されれば、空座町一帯吹っ飛びかねませんよ」
「……拮抗は長くは続きはせぬ」
夜一は二人に目を凝らす。日番谷が、ぐい、と歯を食いしばった。
「まだだ……」
呟きと同時に、その体に走る雷光が増した。
まずい、と夜一は心中呟く。
「やめろ日番谷! このままでは霊圧の『オーバーロード』が起こるぞ!」
死神なら、真央霊術院の一年目から教えられることだった。霊圧を急激に、かつ極端に高めすぎると、霊圧のコントロールを失うことがある。
暴走する霊圧は限界を超えて膨らみ、そして周囲を巻き込んで爆発する……オーバーロードは教科書どおりに言えば、「絶対の禁忌」。しかし同時に、圧倒的に力が勝る相手と刺し違えるための、自爆の手段としても使われている暗い歴史もある。
―― 「この地下を覆ってる結界は、丈夫か?」
日番谷が直前に言った言葉が頭をよぎり、夜一は戦慄する。まさか、初めからこれを狙っていたというのか。
「結界から出ろ! 死ぬぞ!」
日番谷は夜一の言葉に、叫び返した。
「お主はどうするのだ!」
「俺は残る!」
「馬鹿者、死ぬぞ!」
「強くなれねぇなら、死んだほうがマシだ!」
夜一はその言葉の勢いに、不覚にも押された。そこにいたのは、年端もゆかぬ少年でも死神を束ねる隊長でもなく、日番谷冬獅郎という一人の男だった。
「夜一サン、危ない!」
浦原が夜一の肩を掴み、テッサイのほうへと跳んだ。ダン、と地面に背中を叩きつけるように、結界の向こうへと転がり出る。
「日番谷!」
身を起こした夜一が、結界の壁の向こうに目を凝らした瞬間……ぶつかり合った二つの力が、その場で大爆発を起した。
* last update:2012/10/11