白い吐息が、夜空にふわりと、浮かんで消えた。
「星がキレーよ、こっちは。黒崎くんのところも、もうちょっとしたらきっと、雲が晴れるわ」
携帯電話を手にした織姫が、明るい声で、手にした携帯電話に呼びかける。
話しながら、階段をあがり、自室へと向かった。
部屋の前のネームプレートを見て、ふふっ、と微笑む。
そこには、前からあった「井上織姫」に加えて、「日番谷冬獅郎」「松本乱菊」の名前が書き加えられている。
―― 今頃、ソウル・ソサエティでなにやってるかな。
織姫はもう一度、夜空を見上げた。


「おーう。けどまぁ、もう寝るわ。明日早いからな」
おやすみー、と間延びした声を漏らして、一護は携帯電話を切った。
そして、ベランダから続く部屋のガラス戸を開け、部屋のフローリングに寝そべっていたルキアを見下ろした。
「おいルキア、俺着替えるから、押入れの中入れよ」
「何だ、恥ずかしいのか?色気つきおって」
悪戯っぽい目で、ルキアは一護を見下ろす。
苦虫を噛み潰したような渋面を返した一護を見て、ククッと笑いをかみ殺す。
そして、電話の会話に意識を戻した。


「姐さん!押入れに入るなら俺も一緒に!」
「うるさい黙れ!」
しがみつこうとするコンを、ルキアはぎゅむ、と床に押さえつける。
そして、伝令神機を耳に押し当てなおした。
「ん?あ、違う。こっちの話だ。・・・あぁ。精霊廷はもう落ち着いたか?
日番谷隊長も隊務に戻られたのか?それはよかった」
電話の声に頷くルキアの表情は、心配事がすべて拭いされられたように明るい。
「明日、そっちに戻る。お前も今日くらいは早く休めよ?恋次」


受話ボタンを押し、電話を切った恋次が、パシンと音を立てて伝令神機の蓋を閉じた。
「せえやぁ!!」
裂帛の気合と共に、木刀を構えた死神たちが汗を散らして行きかう。
場所は六番隊の修練場。白哉の姿はどこにも見当たらない。
おそらく、隊首室で残務整理に追われているのだろう、と恋次は腰をあげた。
渡り廊下で、ふと外の通りを見やった恋次は、月光の中ひそやかに歩む人影を見つけて声をかけた。
「おい、雛森。オマエ、出歩いて大丈夫なのか?」


「うん、大丈夫よ。ちょっと、十番隊に行こうかと思って」
月明かりの中で微笑む雛森は、一回り小さく見えるほど痩せてしまっている。
周りに気を使ってか「大丈夫」と微笑む表情が、あまりに無理をしたもので・・・その度にもどかしい思いをしたものだった。
だから、今夜の雛森の心から出た自然な笑みは、なんだか懐かしく見えたほどだ。
大事な幼馴染が無事戻ってきて、さぞかしホッとしたことだろう。
闇に消える姿を見て、「よかったな」恋次は、つぶやいてみる。


誰もいない夜道を歩いていた雛森は、角で出会った人影2人に、笑顔で挨拶した。
「こんばんは、浮竹隊長、京楽隊長」
見れば、こんな夜更けでも死覇装を着込み、隊首羽織をまとったままだ。
2人とも手に、分厚い書類の束を持っていた。
「お仕事中・・・ですか?こんな遅いのに」
「あぁ。さっき十番隊に行ってね。仕事を全部譲ってもらってきたよ」
「日番谷くんに?」
他人の仕事を譲り受けさえすれ、人に預けたなんて話を、聞いたことがない。
「無理やりだけどね」
意外そうな雛森の表情に気づいたのか、京楽が付け加えてウインクした。
「ありがとう・・・ございます」
雛森が頭を下げると、浮竹と京楽は目を細めた。
「やっぱり日番谷くんの『お姉さん』だよ、君は」
そう言って。


「仕事がない日番谷くんって、なんか妙だね」
ポリ、と浮竹が頬を指で掻いた。肩を並べて歩きながら、2人が顔を見合わせた。
「髭がない山爺みたいだ」
「眼鏡がない伊勢七緒ちゃんとか?」
「胸がない乱菊ちゃんはどうだ」
京楽の言葉に、2人は思わず、同時にプッと噴出した。
「おぉっと」
浮竹が、笑っていた口元を引き寄せた。
「ん?どうしたんだい、浮竹・・・」
ホラ、と目線で浮竹は前を示した。
夜道を歩いていくのは、黄金色の髪を肩に流した、女死神。
いつもピンと背筋を伸ばし、肩で風を切って歩く彼女が、うつむき加減にゆっくりと歩く姿は新鮮だった。
その理由はすぐに分かった。
両腕からあふれるほどの白菊の束を、抱えているからだ。
純白の花弁を見下ろす視線は、赤ん坊を見守る母親のように穏やかだ。
その姿は、ハッとするほど美しく見えた。

 

乱菊は、白菊を腕いっぱいに抱えたまま、夜の丘を登ってゆく。
見下ろす精霊廷は、草冠のもたらした被害の修復のため、多くの死神が夜を徹して働いていた。
室内の燈、屋外にともされた燈が、ちらちらと瞬いて見える。
生きていれば、傷跡は治すことが出来る。
でも・・・
乱菊は、花束を見下ろし、フッと目を伏せた。
丘の頂上から、月光にチラチラと輝く小川を見下ろした。
そこに先客がいることは、初めからわかっていた。
「・・・隊長」
輝く銀色の髪が、ふわりと揺れる。翡翠の瞳が、乱菊を捉えた。


日番谷の瞳が、少しだけ寂しそうに細められて、その視線が小川へと戻る。
その川のほとりで激情に駆られ、かつての親友は日番谷に刃を向けた。
そしてこの川を真紅に染め、斃れた。
隠匿され続けた死に、やっと白菊が手向けられる。
「・・・草冠宗次郎に」
乱菊は、日番谷の隣にしゃがみこみ、白菊の束を流れの上に、捧げ持った。
ハラリ、と落ちたひとひらの花弁が、流れの上に落ち、闇に飲み込まれてゆく。
そのとき、日番谷の肩が、ふと震えた。


日番谷と乱菊が見守る先は、小川の対岸だった。
かすかに金色に光る燐光が、ゆっくりと降りてきていた。
まるで、月の輝きの一部が、この川にやってきたかのように。
―― 違う・・・
この輝きを、自分は知っている。
「王印・・・」
それが見えたのは、ほんの一瞬。
ガサッ、と草が動き、唖然としていた2人は、ハッと視線をおろした。
そこにいつしか佇んでいたのは、死覇装をまとった、黒い背中だった。
「くさ・・・か?」
日番谷の声に振り向けられた茜色の瞳は、生まれたてのように、感情を移してはいない。
「草冠っ!」
白い吐息が、夜空にふわりと、浮かんで消えた。

 

the diamonddust rebellion ver. fin.