「たーいちょ♪ 買ってきましたよ」
「……ありがとう」
ぎこちなく礼をいう隊長に、あたしはテイクアウトしてきた紙のコーヒーカップの片方を手渡した。
隊長のは、コーヒーじゃなくてミルクティー、しかもピンクのストロベリークリーム付。
あたしのはブラックコーヒーだ。
甘党なのを密かにコンプレックスに思ってる隊長だけど、プラスチックの蓋に隠されて中身が見えないから、大丈夫。

「こんなモン見たいなんて、変なヤツだな、お前は」
ほぅ、とお互いの息が、白く染まる。
隊長は、12月の夜空に煌々と輝く、銀色のクリスマス・ツリーを見上げた。
「クリスマスなんだから、ツリー見に来るのって普通ですよ?」
「わざわざ現世までか?」
ため息交じりの隊長の隣に、並ぶ。その銀色の髪を見下ろす。
ふわふわした白い襟のついた、皮製のジャケットにジーンズ姿。
小学生だったら普通しない格好もサラリと似合ってしまうのは、やっぱり中身が死神だからだろうか。
「何だ?」
じっと見つめるあたしの視線を感じ取ったからだろう、隊長が翡翠の瞳を向けてきた。
「いーえ、何でも」
なんでもないけど。あたしは笑い出してしまう。
そんなあたしを、ますます不審そうな視線が追いかけた。


―― 「すまなかった」
それだけ言って、あたしたち十番隊全員の前で、戻ってきた隊長は頭を下げた。
草冠宗次郎、ていう、学校の同級生のために、護廷十三隊を裏切った。
その行為は、なんだか、とても隊長らしくって。
あたしたちは、何も言わずに彼を受け入れた。
あたしたちは「十番隊隊長」だからじゃなく、「日番谷冬獅郎」に従っているんだから。
ただ、自責の念に駆られている隊長に、あたしはひとつ提案をしてみた。

―― 「ごめんなさい月間? なんだそりゃ」
―― 「だからぁ。隊長が、お詫びの代わりに隊士ひとりひとりのお願いを聞いてあげるんですよ」
―― 「あぁ? 二百人全員か?」
―― 「だって隊長、二百人全員に謝らなきゃいけないんじゃないんですか?」
ぐっ……と詰まる隊長を見て、あたしは堪えられなくなって、笑った。
―― 「で。お前は何が希望なんだよ?」
―― 「よくぞ聞いてくれました! あたしはですね」
銀色の、クリスマスツリーが、隊長と見たいです。
そのあたしの一言で、今あたしたちはここ……空座町のショッピングモールにいる。


「……この寒いのに、何がおもしろいんだか」
ミルクティーを手に、隊長が肩をすくめて、先へ行く。
「ダメです隊長、もうちょっといましょうよ」
あたしは、がしっ! と隊長の腕をつかんで、有無を言わさず引き戻した。
「何でだよ」
「あと……5分!」
あたしは、手首にまいた、金色の腕時計を見て言った。
時刻は17時55分。

「18時に、このツリーの天辺に、ハートマークのイルミネーションが点灯されるんです!
それを見たら、一緒にいる人と両思いになれるって♪」
「ばっっかばかしい……」
隊長は、心のそこからウンザリした時に使う、とっておきの声音で言った。
「それで、こんなに大勢集まってるのか? みんな信じてるわけじゃねぇだろうに」
広場は、いまやカップルたちで埋め尽くされていた。
慣れない高いヒールを履いて、精一杯化粧した女の子たち。
マナーなんて分からないけど、そんな女の子の手をとり、かばうように歩く男の子たち。
みんなツリーを見上げ、今か今かとその時を待っている。
「えぇ。誰も信じていないと思いますよ」
あたしの言葉に、隊長はチラリと瞳を向けてくる。
「でもいいんです。ここに一緒に来たいって思える人と来れるだけで、その願いはもう叶ってるじゃないですか?」

その時間が近づくにつれ、その場の寒気はぬぐわれ、熱気が満たしてゆく。
「もう6時になるよ! あと10秒!!」
自然と、その場にいるカップルたちの中で、カウントダウンが始まる。
「3! 2! 1!!」
次の瞬間、ピンク色の光が、銀色の上にまばゆく降り注いだ。
恋人たちの歓声の天辺に、ハート型のイルミネーションが輝いている。
あたしは、華やいだ気分に、ふっ……と空白が入り込むのを感じる。
光がついたその瞬間、隊長が顔を伏せるのを、見てしまったから。
この広場の中できっと、ただ一人だけ。


―― 乱菊ちゃん。もし冬獅郎が処刑されてたら。死ぬつもりだったろう?
たった一週間前に、隊長のおばあちゃんに投げかけられた言葉を、思い出した。
場所は、潤林安の隊長の実家。ここに来てることは、隊長には秘密だ。
あたしは、ことの顛末をおばあちゃんに話し、深く頭を下げたままだった。
おばあちゃんの言葉を、頭の中で反芻して……あたしは、一度だけうなずく。
頭上で、ふぅ……と、ため息が聞こえた。
「隊長を、死神に誘ったのはあたしですから。死神として隊長が死ぬことがあったなら、それはあたしのせいでもある」

類まれなる霊圧を持っていたとしても、あたしが出会った時の「日番谷冬獅郎」は、「幼い」という形容がピタリと来るくらいの子供だった。
そんな子供を死神に誘うということは、あたしだって、それなりの覚悟をしたつもりだ。
絶対にこの手で護りぬく、と思っていた。
立場がこんなにアッサリ逆転するとは予想外だったけど、あたしの気持ちは変わらない。

「乱菊ちゃん」
おばあちゃんは、あたしを柔らかな目で見た。
「子供の頃、きっと、周りの人に愛してもらえなかっただろう?」
ギクリ、とした。
あたしが答えを準備するよりも早く、おばあちゃんは穏やかに続けた。
「冬獅郎も、同じなんだよ」
「……え」
「氷のようだって、言われて。大人からも子供からも避けられてた。
一度だって弱音を吐いたことはないけど、あの後遺症を治すのは生半可なことじゃ、できない」
「後遺症……」
「自分を、大切にできないんだよ、あの子は。あんなに頭がいいのに、自分が大事な存在だってことを知らないんだ。
自分なんて、いつ死んでもかまわない、て思ってる」
それは、あたしのことでもある。だから、あたしは黙り込んだ。
「諦めたように見えても。今でも愛情に焦がれてるんだよ、あの子は。死ぬなんていわず、大事にしてあげてくださいな。それが婆の願いだ」



スッ、と人ごみから目をそらし、隊長はツリーから離れた。
「待ってくださいよ、隊長!」
あたしの声が届かないわけないのに、振り向きもせず。
どんどん、離されてしまう……
この人ごみを感じないように、足早に。
「待っ……」
あたしが手を伸ばしても、届かない。

おばあちゃん。
人を大事にするって、どうすればいいの?
大事にされてきた人間なら、それは考えるまでもないこと。
でも、あたしのような人間には、この宿題は重すぎる。

「ねぇ、ホワイトクリスマスにならないかなぁ?」
「バカ言え、雪なんて最近、降ったことあるか?」
「子供の頃が最後だけど……でも、今日寒いから振るかもよ ?ねぇ、待ってみようよ!」
「やめようぜ、オイ」
不意に、あたしたちの間に飛び込んできた会話。

隊長は、人ごみの輪から外れて、一人ツリーに背を向けて佇んでいた。
不意に、その腕が中空に伸ばされる。手のひらが空を向いた。
ポゥ、とその手が青白く輝く。
「……あ」
あたしが、声を上げるとほぼ同時に。
「わぁ……」
「見ろよ!」
雪、が。
空に、舞い降りた。


みんなが、雪を見上げて、はしゃぐ中。
あたしはやっと、隊長の背中に追いついた。
―― 今でも愛情に焦がれているんだよ、あの子は。
強すぎる、でもまだ小さすぎる。隊長の背中を、あたしは見下ろす。

隊長は、放心したみたいに、降りゆく雪を眺めていた。
手のひらを上に向けて……その雪片を受ける。
雪は、スッ……と、手のひらで解ける。
水滴になったそれを見守ると、隊長は両手を下ろし、再び空を見上げた。

もう、雪には触れないのね。見ているだけなのね。
触ったら、溶けてしまうから? だから、手を伸ばさないの?
そんなの、あまりにも寂しすぎるじゃない。
何かを考えるよりも早く。あたしは、隊長に手を伸ばした。


「っ……何だ松本?」
突然、あたしが後ろから腕を回して、抱きしめたものだから。
さすがの隊長も、あたしを振り返って、戸惑った声を漏らす。
「何でも、ないんです」
どうか。
この氷の霊圧で覆われた心に、あたしのぬくもりが、少しでも届きますように。

振り払うか、怒鳴るか、いつもの反応は返ってこなかった。
ほんの少しだけ、隊長があたしに体重をかけてきたのを感じて、あたしは驚く。
でもそれは、ほんの少しだけ。
「帰るぞ、松本」
あたしの腕から抜け出した隊長は、そう言って振り返る。
あぁ、本当に、戻ってきたのね。
やっと、そう思うことができた。
「はい!」
あたしは大きくうなずき、その背中を追って歩き出した。


fin. 2010/3/17(rewrite)