「銀髪と黒髪のガキだ!絶っ対、隊舎から逃がすんじゃないヨ!」
神経質な、男にしてはカン高い声が、廊下に響き渡った。
―― まずい・・・
このままいけば、確実に捕まる。捕まればきっと・・・命がない、どころじゃない。
何しろ相手は、十二番隊隊長・涅マユリなのだから。

「まずいことになってきたな、冬獅郎・・・」
隣に潜んだ男の声に、俺はうんざりした視線を向けた。
―― 今頃気づいたのかよ!
こいつがこの話を持ってきた時点で、「まずい」香りならプンプンしていたのだ。
なにしろ、この男は、厄介ごとを拾うことにかけては、達人なのだから。
草冠宗次郎。
俺は、そいつの白い横顔をにらみつけた。

 

「日番谷頼む!手を貸してくれ!」
それは、昨晩の話。
俺と同室の草冠がつれて帰ってきたのは、蒼い顔をした同級生だった。
パン、と手を合わせた同級生、貴志川を、俺は覚めた顔で見返した。
「拝むな」
こちとら、というよりも全員そうだが、三日後に次学年の進級試験を控えた身なのだ。
首席の俺でも、これから三日はカンヅメで勉強しなければ受かる自信がないんだ。
ろくに会話も交わしたことがないこの同級生に、拝まれている時間などない。


「そういうなよ、冬獅郎。このままじゃ貴志川、涅隊長の餌食になっちまうんだぞ」
取り付く島もない俺の態度を見て、草冠が割って入ってきた。
「大体なんで、涅隊長の私室になんて、もぐりこもうとしたんだ?」
そう。
こいつは、何を思ったのか、あの涅隊長の部屋にこっそり入り込もうとしたらしいのだ。
餌食にされるどころか、飛んで火に入る夏の虫だ。


「そっ、それは・・・」
俺たちの前に手を着いたままの貴志川が、口ごもりながらも説明した。
「一時的に記憶力が良くなるクスリを発明したって、瀞霊廷通信に出てたんだ」
あぁ。
瀞霊廷通信で涅が連載している『脳にキく薬』に、そんなことが書いてあった、と思い出す。
「なるほど。そいつを盗み出して、3日後の試験勉強に使おうとしたのか?」
「さすが日番谷、頭の回転早いな!」
そこで誉めるんじゃない。
妙にテンションが上がった貴志川がうなずくのを見て、俺はうんざりした。


まぁ、進級試験がやたら過酷なことは俺も認める。なにより出題範囲が広すぎる。
だからって、死に物狂いで勉強してる俺たちをよそに、薬に走るか、普通?
「そしたら、涅隊長に見つかって・・・逃げたら、『明日にでも実験材料として迎えにあがるから、待っているんだネ』って」
怖い。
おそらく、見逃したのもワザとだろう。
何日間も怖がらせた後、実験体として捕えるつもりとしか思えない。


「で?俺たちに頼みって、何なんだい?逃げる手助けかい?」
草冠が貴志川に問いただすのを聞きながら、俺はため息をついた。
隊長相手に逃げ切れるヤツがいたら、真央霊術院の学生やってるワケない。
「いや。逃げ切るなんて、無理に決まってる。盗もうと入り込んだ時、その「記憶薬」の横に、もうひとつ薬があったのを、見たんだ。
その名も「忘れ薬」。説明書き見たら、ここ3日の記憶を全て忘れさせるものらしい」
「なるほど。それを涅隊長にブッかければいいということだね」
「さすが草冠!頭の回転早いな!」
「待てよ、オイ・・・」
俺は、痛んできたこめかみに手をやって話をさえぎった。
盗みはいけないことだと、誰かに教えてもらわなかったのか、コイツらは?


「日番谷ァ、毒を食らわば皿までだぜ!」
「食わない」
「大丈夫、俺たちならできるさ!」
「できない」
「日番谷ァ、頼む!」
・・・そして。
今の状態があるわけである。
ちょっとした好奇心も手伝い、ついここに来てしまったことを、俺は激しく後悔していた。

 

「どうする?冬獅郎・・・」
「もう俺たちも顔見られてんだ、例の忘れ薬手に入れるしかねえだろ」
盗みに入った俺たちが悪い。
悪人面してるが、あの涅マユリのほうが正しい。
分かっちゃいるが、今捕まって真央霊術院に突き出されたら、きっと即退学だ。


カツーン、カツーン、と音を立てて、誰かが廊下を歩いてくる。
「そこにいるのは分かっているヨ!」
―― 涅・・・マユリ。
さすがに隊長格、全身から放たれている霊圧はハンパなものじゃない。
ごくり、と草冠が唾を飲み込む音が聞こえた。


「戦うか?」
「しょうがねえな」
互いに、肩に背負った刀に手をやる。
いまだ名前を知らぬ、その斬魂刀は、瓜二つの形状をしていた。
持ち主の魂から形作られるはずの斬魂刀は、二本と同じものがないのが通例だったが。
なぜに見た目が同じなのか、俺たちにも分からなかった。


この斬魂刀が「目覚めた」時、本当に瓜二つかどうかは明らかになるんだろうが・・・
俺たちが、現時点でこの刀について知っていることは、ひとつだけだった。
「同時に行くぞ」
「あぁ」
二人が霊圧を刀に込めると同時に、まったく同じ青白い光が、その刀身を覆った。


「ウン?ガキにしちゃ、やたらと高い霊圧だネ・・・どっちのものかネ」
涅が廊下で立ち止まったのだろう、足音が消える。
涅でさえ、「どちらの霊圧」か見分けることはできないだろう。
なぜなら、俺たちが同時に斬魂刀を振るうとき、その力は完全に溶け合い・・・常の力とは、比べ物にならない霊圧を生み出すからだ。


「行くぞ」
どちらともなくそういって、柄を握り締めた、その時。
「ここだネ」
涅の声が聞こえた・・・と思ったときには、何かが俺たちが潜んでいた壁を突き抜けていた。
強固なはずの壁が、おもちゃのように石くれに分かれ、弾け飛ぶ。
「な・・・」
俺が視界に捕らえたのは、「手」だった。崩れた壁の向こうに、涅の姿が見えた。
その右腕が、手首のところから切り離されている。
手首と、飛んできた掌は、管のようなものでつながっていた。


―― こんな飛び道具、アリかよ!
「危ない!」
草冠が、俺の目の前に迫った手の前に、とっさに引き抜いた鞘をかざした。
ガッ!!
音を立てて、鞘を涅の手が握り締める。
そのとたん、鞘が紙筒のようにくしゃりと握りつぶされた。


「草冠!」
「分かってる!」
俺たちは、抜き身の斬魂刀の刃を交差させ、涅をにらんだ。
詠唱破棄の状態では威力は下がるが、この場合しょうがない。
「破道の八十一、氷牢壁!!」
二人が唱えた時。青白い光がその場に炸裂し・・・直後、その一帯の建物が、崩れ落ちた。

 

「なぁ。日番谷。聞いてくれ」
「聞いてる」
「仮に戦いになったとしても、こう言うつもりだったんだ。『ちょっとうっかり壊してしまいました』て」
「隊長を氷漬けにしといて、うっかりは無えだろ」
「そうだよなぁ」
草冠はため息をつき、目下の状況を見渡した。


50メートルに渡って天井が落ち、壁が崩れ落ちた建物は、もはや建物の役割を果たしていない。
そして、その廊下の中央に、2メートルほどの氷の結晶が見えた。
その中に封じ込められているのは、涅マユリ。
「何・・・」とでも言いたかったのか、「に」の形に口が開いている。


本来広範囲を凍らせる技を、一箇所に集中させたのだ。
高位の死神でも、そう簡単にこの氷を破壊することはできまい。
「とにかく。涅の部屋に行くぞ。とっとと終わらせたい」
俺は、さっさと踵を返して走り出した。
薬を飲ませるか、振り掛けるかするなら、いったん氷から開放しないといけないが。
とりあえず、その悩みよりも、今は薬を手に入れるほうが先だ。


「貴志川に聞いたのはこっちだ!」
「あぁ。ここか?」
もっとも簡単な鬼道「塞」を使ってドアの入り口を開けると、部屋の中は薄暗かった。
手術台のようなベッド、何か出てきそうな物置・・・間違っても棲みたくない造形だ。


「これかな」
草冠が、棚の上においてあった瓶に目を走らせる。
俺も参加したいが、悲しいかな身長が足りない。
「おっ、これだ!」
草冠が、掌に収まるくらいの瓶をつかんで、日番谷を見下ろした。
中には、無色透明な液体が半分ほど入っている。
「これを、どうにかして涅隊長に飲ませれば・・・」
「方法を考える必要は、なさそうだぜ」
俺は、抜き身の刀を構えながら草冠を見上げた。
「もう、こっちに来てる」
「へ?」
二人して、締めたドアを見つめ、ごくり・・・と唾を飲み込む。
その音が聞こえるくらい、周囲は静寂に閉ざされている。


・・・


「もう遊びは仕舞いだヨ!!!」
バーン、と戸が開き、目をギョロつかせながら涅が部屋の中に顔を差し込んだ。
「うわー!!」
「ぎゃーー!!」
その迫力に、俺たち互いの肩を抱き、すごい勢いで後ずさった。
「どうしてくれようか、キミたち・・・」
ヤバイ薬を決めてきたような顔で、涅が一歩一歩、二人に歩み寄る。
「面白い物を見せてくれたネ。双子の斬魂刀だけでも稀有なのに、同時に使うことで力を高めるとはネ。興味深いネ」


「ど、どうする冬獅郎・・・ん?」
焦りまくった草冠の声が聞こえる。
俺は、小瓶に書かれた説明書きに眼を走らせた。
「使い方はどこだ!」
「そんなことやってる場合じゃない!涅隊長が・・・」
「そっちは頼む!」
「代わってくれ!!」
「この私を、無視してるんじゃないヨ!」
ふわ、と大きな影のように、一瞬で涅が俺たちに襲い掛かる。


「も、もうダメだ・・・!」
「ええい!」
飲ませるなんて出来るわけない。だとすれば・・・
俺は、とっさに瓶を涅に向かって、投げつけた。
それは、俺たちに襲い掛かろうとした涅の肩に当たり・・・割れた。
「ン・・・こ、これは!!」
涅が、初めて狼狽した声を出す。
直後。
瓶の中身が爆発し、周囲はもうもうとした煙に覆われた。

 


「ふむ」
俺たちの前に座っているのは鬼瓦重蔵・・・真央霊術院での担任である。
場所は、真央霊術院の職員室。
全校同時に行われる進級試験の準備のため、職員室内はシンと静まり返っていた。
「なぜ十二番隊舎にいたか、まったく覚えがないと?」
「はい」
俺たちは同時にうなずいた。


ふーむ、と鬼瓦は再び首をひねった。
「どうやら、十二番隊長の涅殿も、ここ3日ほどの記憶を無くされているらしい。
ただ、いくらなんでも、学生のお前らに、あれほどの破壊をする能力はない、という見解では一致している」
「いえ先生、俺たちの力を合わせ・・・うっ!」
身を乗り出した草冠のふくらはぎを、俺はこっそり蹴った。
「とにかく、進級試験に今は集中しろ。まぁ、首席・次席のお前たちに言う必要はないだろうがな」
笑みとともに、肩をバンとたたかれ、俺たちは職員室を後にした。

 

「・・・あれは、俺たちがやった可能性高いよな」
「・・・俺もそう思う」
草冠の問いに、俺はうなずく。
しかし、一体どういうわけなのか、ここ3日の記憶が全くないのだ。
二人揃って・・ということは、なにやら涅に変な薬でも飲まされたんだろうか。
でも、涅自身も覚えていないらしいから、原因は闇の中だ。


「ん?あれ誰だ?」
俺は、廊下の向こうで足を止めた人物を見やった。
「もうちょっとクラスに関心もちなよ。あれは貴志川だよ」
「何で、俺たちに頭下げてんだ?」
「さぁ・・・それより、俺たちも早く教室へ入ろう」
なんとなく、自分たちが「やっちゃいけない何か」をやらかした、という自覚はあった。
ただ、覚えてない以上、自責の念に駆られてもしょうがない。
そう思って、テスト用紙を見た俺たちは、凍りつく。

―― な・・・何にも、思い出せねえ・・・
この3日、必死で覚えた全ての事柄が、きれいさっぱり頭から消え去っていた。
2人揃って追試を受ける羽目になってからというもの、なんとなく涅への印象が悪くなったが、それはまた、別の話。