もう、どれくらい前になるだろう。
草冠と二人で、瀞霊廷の飲み屋に行ったことがあった。
それは、草冠と俺の真央霊術院卒業が、決まった春のことだった。
ただ、飲み慣れない酒はひたすら、苦くって。
なんでこんなモン飲んで、他の死神たちは楽しそうな顔してんのか、全然分からなかった。


なぁ。日番谷。
ほどなく顔を真っ赤に染めて、机に突っ伏したアイツは、何度も何度も繰り返した。
絶対リベンジしようぜ。いつか、酒をお前と酌み交わすんだ。
そしてその頃には、お前も俺も隊長になって。
双子の斬魂刀を持つ隊長として、名を馳せてるといい。
絶対だぞ。約束だ。
分かった分かった、て俺は返したっけ。
俺も朦朧とするほど酔っ払ってたけど、それでも、その言葉だけは耳に残った。


草冠が隣にいる明日、一年後、百年後を、疑いもしなかった。
同じ斬魂刀をもっているせいなのか、俺達はどこか双子のように本質が似ていたから。
自分と違う未来を歩く草冠なんて、想像もつかなかった。
それなのに。

 

 

「・・・行けよ、冬獅郎」
黒崎一護の声が、その場に静かに通った。
その言葉は、やけに静かで、穏やかな・・・引き金だった。
日番谷は、手に「氷輪丸」を握り締め、雪の中を歩みを進めた。
雪原に膝を着いていたのは、日番谷と同じ、「氷輪丸」を持つただ一人の男。
「・・・終わりにしよう」
「・・・そうだな・・・」
静かな答えが、返ってきた。
見下ろした氷輪丸の刀身は、なんだか暗く、沈んだ色に見えた。


「・・・俺は、お前を見誤っていたよ」
先に口を開いたのは、草冠だった。
「お前が護廷十三隊を離脱したとき、てっきり俺と手を組むつもりだと思っていた。・・・もう一度聞こう。日番谷冬獅郎」
疲労困憊してるはずだが、それでも疲れを見せずに立ち上がり、その菫色の瞳が、まっすぐに俺を見据えた。
「初めから俺を殺すつもりで、護廷十三隊を裏切ったのか。だとしたら、お前は何のために戦う?」

聞いていた一護は、ハッと息を止めた。
瀞霊廷から脱走し、追いすがるかつての仲間に刃を向け、十番隊の部下を裏切った。
そして今、草冠とも戦おうとしている。

修行僧みたいに、禁欲的だ。
その小さな背中を遠くに見るように思う。

「そんなの・・・」
どうでもいい。おそらくそんなことを言おうとしたのだろう。
とっさに一護は口をはさんでいた。
「ちゃんと考えろ!もう後がねえんだぞ」


日番谷は、不審げな瞳を一護に向けた。
そして、その瞳の中に必死の色を読み取り、かすかに首を傾げる。

後が無い。
その通りだった。
友を捨て、部下を捨て、立場も捨てた日番谷には、もう自分の命しか残っていない。
それも・・・差し出す気なのか。
この、自分に刃を向ける「親友」のために。


「草冠。おめーだって分かってるんだろ・・・?」
一護は、今度は草冠に目を向けた。
こんな哀しい結末を前にして、黙っていることなんてできなかった。

「冬獅郎はな。お前のために、自分が持ってるモン全部捨てたんだ。
こいつはもう十分、お前の味方だったんだ。まだ足りねぇのかよ?」
もって行くな。
命まで、もって行くな。

 

―― 護りたいもの・・・?
日番谷は、ふと考えを巡らせる。
全てを失って尚、護りたいものとは何だ?

それは、例えばこの草冠との絆。
無垢な顔をした幼馴染。
この、藍染の反乱によってボロボロになった瀞霊廷。

「もう手遅れだ」
日番谷は、刀を構えた。シンメトリーに、草冠も刀を構える。
「なぜだ!なんで、殺しあわなきゃならねえんだ!」
黒崎。
なんでこいつは、俺たちのことで、こんな必死な顔してんだ?
考えろ、とその顔が言っている。


なんでだ。
その問いの答えに、ちらりと思考を走らせた時・・・
「スキだらけだぞ!」
目の前に、草冠の姿があった。
草冠は瞬歩の達人だった、ということを思い出すよりも早く・・・刀が鞘走る。
「冬獅郎!」
その叫びと共に、日番谷の脇腹から血がほとばしった。
「くっ・・・」
雪原に真紅を撒き散らしながら、日番谷は後ずさる。

 

「相変わらず優しいな、冬獅郎は」
言葉とは裏腹。
血刀をだらりと下げ、草冠が俺に歩み寄った。
「俺は俺のために戦うよ。俺を裏切った護廷十三隊を、皆殺しにしてやる」
その怒りがこもった言葉に、日番谷は顔を上げる。

「君の幼馴染も。副官も、部下達も。全員殺すまで、俺の復讐は止まらない」
ピク、と日番谷の肩が反応した。
そして顔を上げて、草冠をまじまじと見た。
その表情に初めに浮かんだのは、恐怖に近い感情だった。

「・・・」
日番谷は、無言で立ち上がった。
そして、ヒュッ、と刀を振ると、刀を構える。
その体から立ち上る霊圧は、さっきまでとは別人のようだった。

 

「なぜだ」
日番谷は、腹の底から勝手にわきあがってくる、衝動を抑えながら顔を上げる。
「なぜ殺させる?死にてぇのか」
草冠はその言葉に、薄い笑みを浮かべただけだった。
対照的に、一護はギュッと拳を握り締める。


「君は気づくべきだよ、冬獅郎。
俺の知っている昔の君ならば、ためらいなく俺と共に、瀞霊廷に刃を向けるだろう。
でも、今の君はそれをしない。自分の命を捨てても俺を止めようとする。なぜだ」

 

俺は。
唇を噛んで俯いたとき、ふわり、と花のような優しい香りに気を取られた。
それが、乱菊がいつも纏っている香りだと、すぐに気づく。
自分がこの羽織を置いていなくなったあと、袋に入れてずっと身につけていたために、香りが移ったのだろう。

日番谷がいなくなっていた、彼女達にとっては長い長い時間。
きっとただの一度も戻ってくると疑わず、羽織を持ち歩いていた乱菊のことを、ふと思った。
「隊長」
言いたいことはいろいろあるはずなのに。
労わりのこもった優しい笑顔で、この羽織を差し出した乱菊のことを、ふと思った。


ギィン!!
下で響く剣戟の音に、日番谷は我に返る。
戦っているのだ、乱菊が、死神達が。
自分と草冠が決着をつけるまで、虚をここに来させないために。


「隊長の座なんて、どうでもいいんだ、俺は」
「冬獅郎!!」
言い放った日番谷に、一護が非難のこもった言葉を挟んだ。
そんなはずはないだろう、とその目が言っている。
日番谷は一瞬一護を見たが、すぐに草冠に視線を戻した。
「だが、絶対に部下は、仲間は殺させない」

心のどこかで、自分達は変わらないと思っていた。
今この瞬間でさえ、分かり合えると思っていた。
でも、それは大きな間違いだ。
日番谷は、初めてそれに思い至った。

復讐を願い続けた草冠と、隊長となった日番谷の数十年は、二人と遠く隔ててしまっていた。
もう、戻れない。


―― 「行くぞ、冬獅郎!構えろ」
―― 「もう構えてるって」
―― 「本当かぁ?そんな構えじゃ、俺にまた負けるぞ」
―― 「また!?お前、前に俺に勝ったのいつだ!」
ふっ、と頭をよぎった、数十年前の鮮やかな記憶。
どっちが勝ったんだったかな。でもなんにしろ、記憶の中の草冠は笑っていた。

戻れない。
日番谷は、その愛しい記憶を、ふっと心の中で閉じた。
自分の前で刀を構えた、草冠を真っ向から見据える。

 

「・・・行くぞ、草冠」
「来い!」
雪を蹴ったのは、同時だった。
草冠は上から刃を振りかぶり、日番谷は脇下から一閃を繰り出す。
互いに傷を負うことが分かっても、二人の足は止まらなかった。
ダン!と音を立て、互いの体がぶつかった。

「・・・ッ!」
日番谷の肩口に、焼け付くような痛みが走る。
しかし、日番谷の刃は、草冠の胸を正面から突き抜けていた。
「ぐっ!!」
見上げた草冠が、血を吐くのが見えた。

 

「と・うしろう・・・」
ガッ、と肩を捕まれる。それでも、俺は顔を上げることができなかった。
草冠の視線を、顔に感じた。
「なぁ、冬獅郎・・・」
震える息が、頬にかかる。


「まだ、酒は美味くないか?」


ハッ、と俺が顔を上げたとき。
その姿は、幻のように消えていた。

 

後に残ったのは、焼け付くような、体の痛みばかり。
雪原に残った、草冠の足跡だけが、アイツがそこにいたことを証明しているようだ。
「あぁ・・・」
俺は、つぶやいていた。
なんで俺は、隊長になりたかったんだろう。ふと、そう思っていた。
草冠の事件のあと、あれほど憎んだ死神の組織に入り、死に物狂いで修行したのはなぜだ。
もしかすると、草冠との、くだらないあの約束・・・
そんなものを護ろうとしていたのかもしれない。

身を切るような冷たさの大気が、冷たい頬をなぶった。
「まだまだ、美味くねえよ」
それなのに。お前は速く走りすぎた。
苦い、苦い思いが、俺の心を満たした。
あの日口にした酒のように。