その部屋を訪れようと思ったのは、まったくの気まぐれじゃった。
百年前まで暮らしていた、四楓院家の、自室。
瀞霊廷追放、という貴族にあるまじき恥を与えた当主の部屋として、焼き払われでもしているかと思っていた。
だが、盛り塩ひとつあるわけでもなく。お祓いの後もなく。
その部屋の扉を開けたとき、儂はポカンとして、部屋の中を見回した。


キシキシ、と畳が足の重みで音を立てる。
百年前儂が気に入っていた着物には布がかけられ、文机の上には、百年前、儂が読みさした本が、そのままにおいてあった。
百年前のカレンダー、百年前の時計。
百年前の。
百年前の。
それは、どんなに儂がいた頃を変わらぬよう留めたとしても、やはり、生活感は抜け落ちていた。


ずっと主を待ち続けたこの部屋、そして整え続けた誰かの手。
それを嬉しいのではなく、面倒くさいと感じるサッパリ具合は、儂自身うんざりするが。
そういう性格なのだから、しょうがない。

 

部屋に入ると、いつも儂が座っていた椅子に、ぼふっと尻を落とした。
そして、目の前の文机の上に、懐から出した小さな金印のようなものをおく。
昼下がりの光を受け、表面に様々な装飾を施されたその黄金は、繊細な色にきらめいている。

王印。

それが、今回の騒動で、争点になっていた王族の宝だ。
日番谷冬獅郎によって奪い返された後、王印は正式に、王族に返還される運びとなった。
こんな物騒なもの、使いこなせぬでは、瀞霊廷においておく意味もない。

 

 

「総隊長が言っていた。お前ならこれを王族に返す術を知っていると」
さっきふらりと訪れた病室で、そう言った日番谷の白い顔を思い出す。
十番隊隊長への復帰が決まった、とさきほど言い渡されたと聞いていた。
そのせいか、隣に座る乱菊はウキウキした表情だ。

「裏切り者に頼みごととは、総隊長にしては似合わぬな」
「俺だって裏切り者だ」
「ま、名目上はな」

王印を受け取った儂を見て、名目も実際もねーだろ、と日番谷がぼやく。
「たいちょー、リンゴ食べません?」
「病人扱いしてねーか、俺を?もう傷は治ってる」
「治ってる?ホントに?」
キラーン、と乱菊の目にイタズラっぽい光が宿った。
わきわき、と手の指を動かすのを見て、日番谷がのけぞった。
「お・・・おい、何だよ?」
「あたしが確かめてあ・げ・る♪」
「は?ちょっ、てめ、待・・・!」


バッ!とベッドの上に乗り上げ、乱菊が日番谷の腹に手を伸ばす。
身をよじって逃れようとするが、狭いベッドの上でそう逃げられるもんじゃない。
ジッタンバッタンと戦い?を繰り広げる二人を、儂は呆れて眺めやった。
仲がいいというか、なんというか・・・


「痛てっ!!やめろって!!」
「ホラ、全然治ってないじゃないですか!」
パッ、と日番谷から乱菊が離れようとした時。
バーン、と扉が開けられ、看護婦の一人が血相を変えて入ってきた。
「日番谷隊長、松本副隊長!!病院ではお静かにっ!!」
「・・・・・すいません」
また忙しく締められた扉に向かって、二人は小声で謝った。

 


「ま、雨降って地固まる、というヤツなのかもな」
儂は、ふたりの様子を思い出してひとりごちる。
しかし、これ以上仲が進展したら、どうなってしまうのやら。

「・・・ん?」
文机の上に無造作に置かれていた、写真立て。
こんなもの、儂は覚えがない。
写真に記憶がないというよりも、自分の写真を額縁に入れて飾る趣味がない。
ひょいと取り上げ、まじまじと写真に見入った。
そこに写っていたのは、当主を務めていた頃の、着物姿の儂自身だった。
そして、その両側には、一目で双子と分かる、似た容姿の子供が立っている。
身長は、儂の胸よりも更に下・・・おそらく7歳くらいだろう。
男児にしては長めの、すんなりとした髪は、日の光に透けて、茶色に見えるくらい明るい。
左側はやや目が丸みを帯び、右側は切れ長、くらいの違いしか二人にはなかった。


「・・・懐かしいの」
気づけば、つぶやいていた。
王廷からの授かりものを管理する立場だった四楓院家には、王家の人間もお忍びで訪れることがあった。
この2人は中でも、自分によくなついていた記憶がある。
フッ、と儂は頬をほころばせた。


「相変わらず悪戯が好きなお方じゃ。・・・緋鹿の若殿」
すると、写真の中の、小指の先よりも小さい、右側の少年の顔が・・・ニイッ、と笑った。
百年前と、全く変わらぬ笑顔で。
いや、この写真が百年前のものなら、変わりようがないのだろうが。
「夜一姐さん、久しぶりだね」
左側の少年の口が動き、写真から声が漏れた。
「探し物は、これですか」
机の上の王印を見せてやると、ウン、と無邪気に頷いてみせた。
「はて。儂は最近年のせいか、近くのものがよく見えませぬ」
「よく言うよ」
右側の少年が、唇を尖らせる。


「なぜ、貴方たちがこの役目を仰せつかったか、儂には想像がついているのですが」
机の上に頬杖をつき、写真を至近距離で眺めると・・・儂は2人に笑ってみせる。
「たとえば、この王印で、お遊びになったことがあるのでは?」
右側の少年は、キョトンとする。
大して左側の少年は、ニッコリと笑った。


―― アタリ、じゃな。
草冠宗次郎は、「自分が死にかけた時、上を王印を持った貴人が通りかかり、その力のカケラが降り注ぎ、助かった」と言っていたらしい。
それが、全く事実と異なっていることを見抜けるのは、今は儂くらいじゃろうな。
その時、王印は四楓院家に在り、何十年かに一度場所を移す、その周期にはあたっていない。
大体、瀕死の人間を復活させるほど、王印を使いこなせる者は、精霊廷にはおらぬのだ。
それをやってしまうとしたら。
王廷の住人で、精霊廷にも出入りがあり、ちょっとばかり悪戯好きだった・・・
この少年たち以外の仕業とは、考えられぬのだ。


「言わなければならない?」
左側の少年が、小首をかしげてこちらを見つめてくる。
全く、写真では少年だが、実物はもういい年の大人だと思うんだがな。
「いいえ。結構ですよ」
儂は、王印を手に持つと、その写真に近づける。
二つがぶつかる・・・と思った瞬間、スゥ、と王印は消えた。
そして、よく見れば・・右側の少年の手に、さっきまでは無かった王印が握られているのが見えた。


「あぁ」
2人の少年が、同時に後ろを見やった。
「恵蓮が呼んでる。僕たち、行くよ」
「またな、夜一。・・・今何か言おうとしたか?」
「いいえ。何なら、もうちょっと遊んでいってもいいですよ、と言おうとしたのみです」
振り返った双子の目に、悪戯っぽい光が宿っている。
全く、変わらぬな。
そう思った時には、写真立ての写真はぽぅ、と発光していた。
そして、光が途絶えたとき、その写真には、儂と風景しか写っていなかった。