少年は砕蜂を顧みることなく、前を見据えている。
ひゅうっ、と、風が吹き抜け、水蒸気を拭い去っていく。
微動だにしなかった少年の肩が、その時ビクリ、と跳ね上がった。
正眼に構えた刀を下ろすのを見て、砕蜂は眉をひそめる。
「揚羽・・・」
「と・・・冬獅郎?」
晴れた視界の先に佇む互いの姿に、2人はあっけにとられた顔で立ちすくんだ。
「なんで、ここに」
いきなり電源を抜かれた人形のように、揚羽は錫杖を持った手を脇にだらりと下げて、一歩歩み寄ろうとした。
そのときだった。
「日番谷隊長!来て頂けたのですね!」
隠密機動の1人が、ほっとした声を上げて日番谷に駆け寄った。
「隊長・・・?」
その言葉に、揚羽の足が止まり、その場に凍りついた。
「隊長って、どういうこと・・・?」
揚羽の白い拳が、ゆっくりと錫杖を握りなおす。
日番谷は、ゴクリと唾を飲み下した。
「俺は・・・護廷十三隊の隊長の1人」
俺は、一体何を言ってるんだ?
思考が追いついていなくても、戦いになれた体は勝手に反応する。
「敵」に対するのと同じ、反応を。
信じられぬように目を見開いた揚羽が、ゆっくりと錫杖を体の前にかざす。
日番谷が、ざっ、と体勢を低め、斬魂刀「氷輪丸」の切っ先を持ち上げる。
「・・・そう。敵、だったのね。あなたも」
パキン、と氷の割れる音が響く中で、その声は消え入りそうに小さかった。
ギュッと目を閉じていた揚羽の瞳が、ゆっくりと開けられる。
眦を決して続けた。
「私は、天道家のただ1人の娘。次代当主を継ぐ女」
「揚羽!待て・・・」
日番谷がぐっと歯をかみ締め、刀を握っていないほうの手を揚羽に伸ばした。
「立ち塞がるならお前も敵だ、死神!」
伸ばした腕が、あっという間に炎に捲かれる。
「ぐっ・・・」
日番谷が腕を押さえて跳び下がるよりも早く、揚羽は日番谷の間合いに飛び込んだ。
ガイン!!
激しい金属音と共に、紅く火花が飛び散った。
片腕の日番谷は、両手で押し込んでくる揚羽の錫杖にじりじりと押される。
「なぜだ揚羽!戦いは嫌いだってさっき言ったばっかりだろうが!!」
氷輪丸が、日番谷の叫びに呼び起こされるように青白い光を放つ。
途端、パキパキと音を立て、揚羽の錫杖が刀と交差したところから、凍り付いていく。
「その女が・・・!」
揚羽が歯を食いしばり、2人は飛び離れた。
氷のカケラと炎が周囲に待ち散らされる。
「その女が!母様を殺したんだ!絶対に許せない」
「!」
日番谷が弾かれたように振り向き、背後の砕蜂の顔をまじまじと見つめた。
「砕蜂。それは・・・」
「事実だ」
目を見開いた日番谷に、淡々と砕蜂は告げた。
そして、雀蜂を構え、ざっと前に出た。
「そこをどきなさい。私にはその女を殺す理由がある」
砕蜂の視線の先には、自分に向かって歩み寄る揚羽の姿。
「何でだ・・・」
日番谷の呟きが、揚羽の母を殺したという砕蜂に向けられたものか、豹変した揚羽に向けられたものかは、分からない。
ふたりの女が、弾かれたバネのような動きで地面を蹴る。
その錫杖から放たれた炎が自分を襲っても、日番谷は動かなかった。
「どけっ!!」
砕蜂がその日番谷の肩を掴み、手荒に押しのける。
砕蜂と揚羽の武器が交差した時だった。
「揚羽!」
その声に、揚羽がビクリ、と肩を跳ね上げ、初めて後ろに飛び下がった。
「父様!」
「ここは一旦退け!揚羽」
ざっ、と木の枝から地面に飛び降りた清十郎が、揚羽に歩み寄る。
その後ろには、何人かの法衣をまとった僧の姿も見えた。
それとほぼ同じくして、
「隊長!」
瞬歩で現れた乱菊が、日番谷のすぐ近くに膝を着く。
「松本、お前・・・」
「申し訳ありません、隊長。町は異常ありません。こちらで激しい霊圧のぶつかりあいを感じたので、つい・・・」
そこまで言った乱菊は、自分を見つめる目に気がつく。
「あ、あんた・・・」
揚羽は、乱菊から視線を落とすと、無言で背中を向け、清十郎の下へと歩み寄った。
「覚えておけ、死神」
清十郎が錫杖を構える。
その隣に立った揚羽も、顔を伏せたまま錫杖の切っ先を持ち上げた。
「我々は力を手放す気はない。認めぬならかかってくるがいい。ただし、消し炭になってもよいならな」
その清十郎の言葉からは、微塵も迷いは感じられない。
その言葉に顔を上げ、ちらり、と揚羽は冬獅郎を見た。
まるで泣いているように、その瞳に光が渡った。
「待て・・・!」
一歩日番谷が踏み出す。
それを拒絶するかのように、清十郎と揚羽は同時に錫杖を大きく振りかぶり、3人に向けて振り下ろした。
「くそ・・・!」
3人の視界が炎で埋め尽くされ、日番谷はとっさに2人の前に飛び出すと、氷で炎をなぎ払った。
「隊長!」
日番谷が刀も構えず、水蒸気の中に飛び込むのを、乱菊は唖然として見た。
いつも自分の何倍も慎重で、冷静に事を運ぶ日番谷が、初めて見せた「焦り」。
やがて、水蒸気が晴れた先に見えたのは、たった一人で両拳を握り締めて立ちつくす、日番谷の背中だった。
日番谷は、足元でまだブスブスとくすぶっている雑草に視線を落とし、ぎりっ、と歯をかみ締めた。
「砕蜂、お前!」
振り返りざま、そこにいた砕蜂の胸倉を取った。
「あの一族に何をした!あの一族は、ただ流魂街を護ろうとしてただけじゃないか!それを・・・」
砕蜂は自分の着物を掴んだ日番谷の手を無表情に見やると、パシン、とその手を払いのけた。
「斬魂刀に類する力の隠匿、という死罪を犯している以上、討伐するのは当然だろう。秩序を護るのは我らの任務だ」
「違う!俺たちの仕事は、人を護ることだろうが!!分かり合うことだって出来たはずだ!」
砕蜂は言葉を止め、強い瞳で自分を睨みつける日番谷を見返した。
その表情に、混じりけのない敵意が浮かぶ。
「分かり合うとは、敵の娘に手も出せず、無様に立っていることを言うのか?
さっき私が突きのけなければ貴様など、今頃骨も残らず燃え尽きている」
ぐっ、と日番谷は返す言葉に詰まる。砕蜂は更に言い募った。
「敵を倒す覚悟もないなら、隊長の資格は貴様にはない!」
「砕蜂隊長、言葉が過ぎます!!」
2人を押しのけるように、乱菊が2人の間に入り込んだ。
「いい度胸だな、松本。私に意見するなど」
乱菊は無言で砕蜂の小柄な体を見下ろした。
しかし、2人の隊長格の殺気に挟まれ、その額にはあっという間に汗が浮かんだ。
「やめろ。もういい」
日番谷が、乱菊の腕を掴み、自分の側に引き寄せた。
「隊長・・・」
「俺は護ると決めた奴は絶対に護る。俺にとってそれが死神になった理由だ。
それができないなら、死神も隊長も、こちらから願い下げだ」
砕蜂は冷たい目で日番谷を見返し・・・
やがて、かすかにため息をついて視線を逸らし、2人に背中を見せた。
「この事態を瀞霊廷は放ってはおかぬ。総隊長の結論を聞けば、貴様も分かるはずだ。死神の矜持とは一体何かとな」
それだけ言うと、砕蜂はざっ、と2人に背中を向けた。
2月18日、夜。
厳寒の隊首室で、一から十三番までの隊長が一同に会する、臨時の隊首会が行われていた。
一番奥に立つのは山本総隊長。総隊長から10メートルほど離れた場所で、日番谷と砕蜂が跪いていた。
その2人の両側には、そのほかの隊長が立ち並び、砕蜂の報告に無言で耳を傾けている。
「なるほど、の」
砕蜂が語り終えた後、しばらく無言だった総隊長が、タン、と軽く杖の先で床を打った。
「なるほど。その者ども、一度剥いた牙を納めはしまい」
「総隊長!」
それを聞いた日番谷が、スッと立ち上がった。
「彼らは、決して瀞霊廷に刃向かうために力を手にしていたわけではありません!」
「しかし今は違う」
「ですが、話し合わず、いきなり刀を返すのは・・・」
「話し合いが通じる時期は過ぎておる!いつ攻め込んできてもおかしくない状況なのだ。異議は認めぬ!」
「総隊長!」
なおも日番谷が言い募ろうとした時、その袖を京楽がすばやく押さえた。
日番谷が見返すと、京楽は目を閉じ、軽く首を振った。
「もう戦争は始まってしまってるんだよ。
一旦回りだした歯車を止めることは極めて難しい。・・・不可能なくらいにね」
「砕蜂隊長!」
総隊長が、跪いたままの砕蜂に声をかけた。
「此度の失態の挽回のためにも、お主に指揮を執ってもらう。隠密機動100名でも完敗した敵じゃ。遠慮なく隊長格を連れてゆけ」
砕蜂は、ざっ、と自分の両脇に立つ隊長たちに視線を走らせた。
「更木。市丸。そして浮竹。おぬしらで先陣を切ってくれ」
更木は、それを聞きニヤリを笑った。
「かまわねえよ。退屈しのぎにはピッタリだ」
「退屈しのぎになればええけどな」
口角を上げて返したのは市丸。細いその目からは、感情がうかがえない。
浮竹は、目をつぶったまま、無言で頷いた。
「そして・・・」
砕蜂の感情を伴わぬ目が、日番谷を捉えた。
その頃。
北流魂街の天道寺では、清廉な空気の中、座敷に寝かされた母親の死体のそばから離れない揚羽の姿があった。
「母様・・・!」
その胸にすがり、何度も何度も名前を呼び、終わりない涙がその頬を伝う。
清十郎が揚羽の隣で立ち上がり、傍で絶句していた僧達を振り返った。
瀞霊廷では、張り詰めた空気の中、隊首室に響き渡る言葉にぐっと拳を握り締めた日番谷の姿がある。
―― 逆らう可能性があるものを根こそぎ殺して、殺して・・・
そんなことで、ソウル・ソサエティの平和は護られるのか?
握り締めた拳が震えるのを、砕蜂は目の端に捉えていた。
「明日が出陣じゃ」
その日番谷の疑問を断ち切るように、総隊長が締めくくる。
図らずも同時刻、2人の長の声が重なっていた。
「死神どもを殲滅せよ!」
「全力を持ち、天道教を殲滅せよ!」