春は爛漫。
空座第二小学校は、第六十五回の卒業式の日を迎えていた。
そばを流れる川の土手沿いに植えられたソメイヨシノはほぼ満開、みっしりと花をつけた枝を校舎に差しのばしている。
色とりどりのランドセルを背負った小学生が、興奮と緊張が入り混じった表情で次々とその下を通りすぎて行く。
体育館の前には、「第六十五回 空座第二小学校 卒業式」と書かれた看板が掲げられ、保護者たちが徐々に集まり始めていた。
体育館の床に張られた深緑色の分厚いシートの上に、パイプ椅子が整然と並ぶ。
校歌を彫りつけた大きな板が、前方の時計のそばに取りつけられていた。
ステージには大きな花瓶に活けられた花々が咲き乱れている。そのそばに、ぽつんと少年が立っていた。
卒業式開始前にそのようなところに立っていればとがめられそうなものだが、誰の目にもとまらない。
きょろきょろと落ちつかなげに、次々と席につく保護者を見ていたのは、新谷元気だった。
「なーに、やってんだよ」
唐突に投げかけられた声に、ビックリしたように顔を上げる。床からは5メートルほど高い窓枠に、日番谷が腰かけて元気を見下ろしていた。
「あ! えーと、ひばくろ君?」
「日番谷だ! 全然違うだろ」
足を組み、膝のところで両手を組み合わせた日番谷は、呆れたように少年を見下ろす。
「幽霊とはいえ、そんなトコにいたら何となく邪魔なんだよ。こっち来い」
「うん」
少年の動きは、ぎこちなかった三日前とは違い危なげなく中空に舞い上がると、日番谷の隣にちょんと腰掛けた。
「三日ぶりだね。なにやってたの」
まともに顔を合わすのはまだ二度目だと言うのに、日番谷が一瞬気おくれするほど明るい笑顔を向ける。
何をしていた、と言われればひとつしかないが、それを元気に言うつもりはなかった。自然と、そっけない返事になる。
「別に」
「まあ、いろんな人が次々に来てくれたから、さびしくなかったけど。
えぇと、金髪でセクシーなお姉ちゃんでしょ、ハゲの人でしょ、ピンク色の髪の毛の女の子でしょ。すごい目にもあったけど」
「すごい目ってなんだ?」
「いろいろ。えーと、ねえ」
「やっぱり言わなくていい」
視線を宙に泳がせた元気を、日番谷はすばやく静止した。
あの日買ったマカロンとやらを手渡しに十一番隊に寄ったついでに、やちると近くにいた斑目に、元気の様子を見るよう頼んだのは事実。
「任しといて!」と胸を張ったやちるに一抹の不安を感じたものの、忙しかったせいもあって深く突っ込まなかったのだ。
「様子を見る」という正確な意味を二人が理解していただろうか。
とんでもないことをやらかしていそうだ、と思ったが今さら知らない方がマシだ。
その時下で、拍手がさざ波のように沸き起こった。見下ろすと、小学生たちが整列して体育館に入ってくるところだった。
よほど練習を重ねて来たのだろう、その列には全く乱れがない。日番谷は頬杖をついて、それを見下ろした。
「……人間ってのは、節目を作るのが好きだな。ただでさえ短い人生を、さらに区切りたがるなんて、分からねぇな」
80年そこそこの人間の人生は、日番谷にはとてつもなく短く感じる。
やれ入学だ卒業だ、結婚だ葬式だと、最後に向かってぐんぐん押しまくられているように、傍からは見える。
樹木のように長い寿命を持つ死神にとっては80年やそこら、入隊した死神が席官になるくらいの一区切りにすぎない。
「あっという間」だとは言わないが、気づけばすぎている、くらいの感覚だ。
生徒の入場に始まり、校歌を斉唱し着席。日番谷には何者か想像もつかない人々が次々と壇上に上がって訓示を述べる。
疲れがたまってきているのだろうか、陽だまりの中で座っていると、うとうとと頭が落ちそうになってくる。
元気は、と思って見ると、飽きる気配もなく、まっすぐに壇上の教頭らしい初老の女性の言葉に聞き入っている。
その表情だけ見れば、今椅子に座っている小学生と変わりないのに、一人だけ全く違う状況に置かれていることが、不意に無残に見えた。
人間の人生が80年と言ったが、80年ですらまっとうできずに、こんな風に十年そこそこで命を絶たれる少年もいる。
……死神に、まだ死ぬべきではなかった命を奪われる、という形で。
理不尽なことには違いなかったが、だからといって一旦死んだ人間を生き返らせることなど、死神でさえ不可能だ。
それを思うと、じんわりと胸が痛んだ。
―― 俺は、雛森に言われる前から分かっていたんじゃないのか?
この二日、ずっとそんな気がしていた。
護廷十三隊は現世でそれぞれ担当エリアを割り振られているために、全体数の把握は各隊では難しい。
現に日番谷の担当エリアでは、少年が事故死するケースは今回が初めてだった。
全体で二十三人も亡くなっている、という事実の調査は難しくないが、そもそも意識していなければ調べることもないだろう。
ただし、日番谷は元気の死に、何度も不自然さを感じていた。
何よりも、直接元気に会って感じた、人間にしてはかなり高い霊圧。
そして、偶然と言うにはあまりにも、近親間で人が死にすぎていること。
何かおかしいと思ったのに、敢えて深く追求しようとはしなかった。
自分は、心の底で恐れていたのではないか。おかしいと思った瞬間に頭をよぎった推測が、現実化するのが。
同じく気づいた雛森の方は、おそらく事実の調査をためらわなかっただろう。
ああいう一徹なところはかなわない、と日番谷は力なく微笑い、無意識のうちに、指をこめかみに当てていた。
「……日番谷君、その手、どうしたの」
いつの間にこちらを見ていたのか、元気が息を飲んだ。その目線は、日番谷の手のひらに吸い寄せられている。
「ああ、これか」
じんわりと熱を持って痛む手のひらを、見下ろす。
マメが両手にびっしりと出来て、いくつかはつぶれていた。
四番隊で治してもらうのも馬鹿馬鹿しいと思っていたが、今、虚に襲われたら刀を握る手の力が弱まりそうだ。
「痛くないの?」
覗き込んだ元気の顔を、しっしっ、と軽く手で追い払う。
「車にはねられたお前に心配されたくねぇよ」
「でも僕、何も覚えてないし。ていうか、何をやったの? 鉄棒の練習?」
「んなわけねぇだろ」
棒を握っていてマメができたのか、というのは全く的外れでもないと思う。
実際のところは、氷輪丸を手に出稽古をしていた。
あの雛森の一件の後、いてもたってもいられずに思い立ったことだった。
日番谷が頂点である十番隊と五番隊には、日番谷を実力で上回るものはおろか、対等に戦える者もいない。
本気で修行がしたければ、自然と他隊の隊長に相手を頼むことになる。
隊をひとつずつ周り、隊長に戦いを挑む行為は「道場破り」と言われ、
敵のホームグラウンドで試合をする選手のように、必要以上の闘志を持って迎えられるのが常だ。
まして乗り込んでくるのが隊長格ならなおのこと、迎え撃つ隊長の方も負けるのはプライドが許さない。
十三番隊から始めて、十二番隊、十一番隊と順番に進んでいき、四番隊で卯の花隊長を前に意識を飛ばすまで、「道場破り」は続いた。
昏倒して目覚めると、そこには卯の花がいた。
―― 「四番隊で気を失うとは、タイミングがいいですね。次は二番隊に行かれますか?」
さきほど、あれほどの剣術を見せた当人とは思えないほど穏やかな笑みを浮かべて続ける。
―― 「とはいえ、砕蜂隊長が勝つ時は、あなたが死ぬ時でしょうね。逆にあなたが勝てばプライドの高い砕蜂隊長のこと、
切腹してもおかしくはありません。それでも行きますか?」
―― 「……。やめておきます」
敢えなく降参したのは、気を失って間が空いたことで、冷静に戻った、ということもある。
―― 「手間をかけました」
すぐに起き上がった日番谷に、卯の花はわずかに悲しそうな顔をした。
―― 「気持ちは、分かりますよ。でも、あなたは十分に強いです。焦る必要はありません」
―― 「甘いです、卯の花隊長」
自分を思いやっての言葉だと分かっていたが、語尾は強くなる。
―― 「俺たち死神にとって、『敗北』は罪です。ひとりで死ねばいい、というものじゃない」
死神に人間にも破面にも勝てる者が今いないなら、自分がその者になればいい。
そうすれば、もう元気のような理不尽な死はつくられないで済むだろう。
人間との死神との違いは、神だと信じてくれる者がいるかどうかだ、という雛森の言葉は事実かもしれない。
若い身体は、他隊の隊長との連戦の後でも復活は早かった。
ろくに寝もせずに現世に赴こうとした日番谷を穿界門の前で呼びとめたのは、総隊長だった。
―― 「一番隊までは、来なかったの。楽しみにしていたのじゃが」
さきほどまでの出稽古のことを言っているのは間違いなかった。ほっほ、と笑ったから不機嫌ではないのだろう。
―― 「卯の花隊長が零番隊なら、一番隊まで行く自信はありました」
―― 「ほほ、若さとはいいものじゃ。それより日番谷隊長、お主、『二十三人目』の子供に会いに行くのか? 経緯はちらほらと聞いておるぞ」
二十三人目、というのが、死神の犠牲者である元気を差しているのは間違いなかった。日番谷は無言でうなずく。
すると総隊長は、表情を引き締めて日番谷を見下ろした。
―― 「……日番谷隊長。お主には酷かもしれんが。一つ頼まれてくれぬか」
「どのツラ下げて、言えってんだ……」
苦々しくつぶやいた日番谷を、元気が不思議そうに見返していた。しかし、急にハッとしたように目を下に戻す。
かすかなすすり泣きが、保護者席から漏れてきていた。
その声の主は、日番谷と元気の位置からだとすぐに見つけられた。
「……伯母さん」
ふわり、と元気がその場から離れ、伯母の元に漂うように降りてゆくのを、日番谷は止めずに見つめていた。
死んだ人間の霊を肉眼で捉えられる者は、きわめて稀だ。あの伯母が元気を視界にとらえることはない。
それは元気も分かっているはずだった。
葬式の時の着物ではない、ブラックフォーマルを身につけていた。後ろから三列目ほどの席に腰掛けている。
いつの間に入ってきていたのか、日番谷は今の今まで気づかなかった。
彼女の膝に大事そうに抱えられた遺影の中で、Tシャツを着た元気が屈託なく笑っている。
周囲に座っている大人たちも、かける言葉が見つからないのだろう。横目で気がかりそうに見ながらも、声をかける者はいなかった。
「……伯母さん。伯母さんてば」
ハンカチで口元を押さえ、嗚咽を噛み殺している彼女の肩に、元気は手をかけようとした。
でもその手は、彼女の肩に触れることなく、すとんと下に落ちてしまう。
「……元気。彼女に、お前の声は聞こえない。上へ戻れ」
かける言葉が見つからないのは俺も同じか、と日番谷は自分をなじりたくなった。
元気はその場に立ち尽くし、食い入るように伯母を見つめている。彼女が甥に気づいた気配はない。
「……僕、本当に死んじゃったんだ」
その声は、震えてはいなかった。日番谷の位置から、元気の表情はうかがえない。
元気は両手を伸ばし、伯母の肩から上を両腕で抱きしめるように手を伸ばした。
ありがとう、とかすかな声が漏れた。
「……お前、もうあの世に行ったほうがいい」
ふわり、と元気のそばに舞い降り、日番谷は元気の肩をつかんだ。
彼にとって、この場にとどまることがなにかプラスになるとは、とても思えなかった。
しっかりしていると思うが、それでも少年。この絶対的な孤独に、そう長く耐えられるものではないだろう。
元気は、日番谷の思いに反して、泣いてはいなかった。うぅん、と小さく首を横に振る。
「もう少しだけ。卒業式が終わるまで、ここにいたいんだ」
壇上を見れば、卒業式授与が始まっていた。初めの一人が名前を呼ばれ、ハイ、とまだあどけない声を張り上げる。
その時、見知った気配を背中に感じ、日番谷は体育館の入口を振り返る。そっと入ってきた男女を見て、日番谷は声を立てそうになった。
「黒崎! あいつら……」
一護が、肩でその場の空気を押すように、足を踏み入れる。遊子と夏梨がそれに続いた。
一護はジーンズに黒のジャケットを羽織り、革靴を履いている。
夏梨はユニセックスなTシャツの上にカーディガンを羽織っている。遊子は、ブラウスにハイウエストなグレイのスカートを履いていた。
着席を薦めた教師に首を振り、入口近くの壁に、沿うように三人が並んだ。そして、進行する卒業式に目をやっているようだった。
遊子は、真っ赤に目を泣き腫らしている。一護は、まっすぐに壇上を見つめている。
そして夏梨は、保護者席に立つ日番谷に、まっすぐに視線を向けていた。
「……夏梨」
自分はもちろん、その隣の元気に気づいたのは間違いないだろう。
しかし意外なことに、夏梨は驚いた素振りも見せず、ひと声も立てなかった。ただ、一度だけ、日番谷に向かって真剣な表情で頷いてみせた。
そして、すぐに視線をそらす。
おそらく彼女は、葬式に立ち会っていた日番谷を見ていたのだろう。頷いたその意味は正確には分からなかったが。
―― 迷うな。
そう背中を押された気がした。
「夏梨、って」
日番谷の声を聞きつけた元気が、振り返った。そして、三人を視線に捉える。
「クロサキ医院の……! 来てくれたんだ」
笑顔が、その頬に広がった。
「知り合いなのか」
自分も知り合いだ、ということは隠して尋ねると、うん、と頷く。
「お父さんとお母さん、両方とも初めはクロサキ医院に行ったから。小さい時から、よく行ってたんだ。
先生はお医者さんらしくなくておもしろいし、お兄ちゃんは顔見るたびに声かけてくれたし、夏梨ちゃんとは仲良かったし、遊子ちゃんとは」
そこで元気は一度言葉を切った。
「何度も、僕の家族のために泣いてくれたし。最後に会いたかったんだ」
来てくれたんだ、ともう一度繰り返した。そうだろうな、と日番谷は心の中で思う。
俺がよく知っているあの三人の兄妹なら、きっとそうするだろう。
一人ひとり、名前が呼ばれてゆく。それを見守りながら、日番谷はなぜ、元気が卒業式にこだわるのか理解できるようになっていた。
ここにいる小学生たちはみんな、今までの小学生としての生活を後ろに置き、前に進んでいくためにこの場に臨んでいる。
元気は元気できっと、これまでの全てを置いていく区切りにするためにここにいる。
その区切りを、かつての友人たちと同じ場で迎えたい、という気持ちは分かるような気がして来ていた。
「……僕の名前、呼ばれないんだ」
緊張したまなざしを向けていた元気が、最後のあたりで、ぽつり、とつぶやいた。
張りつめていた凧の糸が切れたような、よりどころを失ったような頼りない声だった。
義骸に入っていたなら、と思った自分自身に、日番谷は驚いた。自分はいったい、何をしようとしているんだ?
ただ、元気に少しでも、この場に参加しているという実感を持たせてやりたかった。
自分が存在しない世界が、自分抜きに回って行くのは当たり前のことではあるが、元気にその場を見せたくはなかった。
「以上――」
校長が、卒業証書授与を締めくくろうとした時だった。
「ちょっと、いいですか」
マイクを使ったのではないかと思うほど大きな声が、体育館全体に明朗に響いた。
遊子と夏梨が、ぎょっ、とした顔で二人の真中に立つ兄を見上げている。
「これで全員、じゃないですよね」
その場の全員の視線を集めて、一護は落ち着いた口調で続けた。
「四日前に交通事故で亡くなった、新谷元気君にも渡すべきじゃないですか」
全体を見渡した視線が、一瞬元気と日番谷をかすめて、ぎくり、とする。まさか、見えているんじゃないだろうな。
隣で、すすり泣きが聞こえた。はっとしてみると、元気の頬を大粒の涙が、いくつもいくつもこぼれおちるのが見えた。
この世のものでない涙は、落ちるとすぐに、風にさらわれるように消えてしまう。
校長は、とまどったように一瞬、動きをとめた。
「ええと、この卒業式の後に、伯母さまにお渡しする予定だったのですが――」
「今渡して!」
「一緒に卒業させて!」
一斉に、生徒席から声が鳴った。すすり泣きが、生徒の間に広がっていく。まるで元気の涙が伝染したようだった。
教師の一人が、一枚の卒業証書を持って壇上に駆け上がった。小声で校長に耳打ちし、その証書を手渡す。
事態を見守っていた保護者席から、静かな拍手が起こった。
「わかりました。新谷元気君の卒業証書をこの場で授与します。受け取られる方は……」
そこで校長の言葉は途切れ、伯母にその場の視線が集中する。周りから励まされながらも、彼女は泣き崩れたまま立ちあがれずにいる。
「……え。俺?」
次に向けられた視線の先にいた一護が、戸惑った顔を見せる。
高校生にして小学生の卒業証書を受け取ることが一瞬、ためらわれたのだろう。
「あたしが行く」
小さな声がした。
「遊子ちゃんだ!」
元気が声を上げる。
ずっと泣き顔しか見せていなかった遊子が、ハンカチをぎゅっと片手に握りしめて、ゆっくりと前に踏み出した。
時計の音が聞こえそうに静まり返った体育館の中に、スリッパをはいた遊子の足音だけが聞こえる。
昔はトレードマークのようにつけていた苺のヘアピンを外した彼女の横顔は、日番谷の目に思いがけないほど大人びて映った。
遊子は、ゆっくりとした足取りで壇上に上がる。そして、校長と向き合った。
そして手渡された卒業証書に、今日一番の拍手が送られた。
その瞬間、ふうっ、と元気は大きな息をついた。
そして、背中から仰向けに、その場に倒れたように見えた。
慌てて日番谷が見ると、その姿は薄く透けている。体育館の壁に溶けるように吸いこまれ、見えなくなった。
「おい!」
後を追って、体育館の外に出る。
ふわりと仰向けに宙に浮かんだ元気は、涙を袖でごしごしとこすっていた。
やはり死神の目から見ても、その姿は薄く、今にも消えそうに見える。……あの世に行く時が、近づいているのだ。
元気は、まぶしそうに桜を見上げていた。
「……気ィ、済んだか」
「うん」
頷いた元気は、日番谷を見上げ、笑った。
「ありがとう」
その笑顔に、たじろいで聞き返す。
「なんでだよ」
「僕を連れていくのが君の仕事なんでしょ。それなのに、僕の気が済むまで待ってくれた。ありがとう」
「俺は、お前に礼を言われるような立場じゃねぇよ」
「なんで」
すがすがしいまでに澄んだ瞳に、日番谷は次の言葉をどう言うべきか、迷った。
「……。お前は、本来、死ぬべき人間じゃなかったからだ」
いまさら、どうすることもできないのに、そんな事実を打ち明けるのは卑怯だ、と思った。
それなのに、押さえこんでいた言葉は勝手に日番谷の喉から滑りだしていた。
「え……と。君は、死神で……。僕も、死神になるために、死んだの?」
日番谷が言葉に詰まりながら説明した言葉に、元気はぼんやりと返した。
当たり前だ、と思う。つい四日前まで普通の人間として暮らしていた元気には、
話の内容は理解できても、受け入れるとなるとすぐには難しいだろう。
日番谷は、目を閉じる。隊長として、総隊長からの指示はこなさなければならない。
「俺が今日来たのは、卒業式に立ち会うためでもある。でも、お前が死神になるよう、同意を取り付けるためでもあるんだ」
その場に、沈黙が落ちる。少し開けて、日番谷は続けた。
「俺はお前に、生き返るか、死ぬかの選択肢をやることはできない。死んだ者は、生き返らない。
死神になるか、そうでないか、選べ。俺がしてやれるのは、それだけだ」
「……僕が死神にならないと、日番谷君は困るんじゃないの?」
「そんなこと、お前が考えなくてもいい」
ふぅん、と元気は鼻を鳴らした。そして、ふわりと身体を地面と垂直に戻す。その姿は、もう桜のピンク色が透けて見えるほどに薄い。
「死神になるよ」
軽やかに彼は言った。
「お前、分かって言ってるよな?」
「うん。死神になれば、君みたいになれるよね」
「俺って?」
「この街に戻ってきて、みんなを護れるよね」
「俺は、別に……」
そこまで言って、絶句した。何も護ることができなかった、この空座町での戦いのことが、不意に頭をよぎった。
日番谷が否定しようとしたことに、元気は気づいたのだろう。小さく首を横に振った。
「でも君は、僕に優しくしてくれたから。護られてるって思ったよ」
「……」
「僕は死神になって、この街に戻ってくる。そして、伯母さんや友達を護るんだ。それはみんなにできなくて、僕にできることだろ」
**
こうして、新谷元気はこの世を離れ、俺たちの仲間となった。
節目と言うのは悪くはないなと、かなり後になって俺が言うと、あの時あんたは貰い泣きをしていたなと指摘されて、気まずくなった記憶がある。
……あいつが本当に空座町の担当となるのは、もう少し先の話。
―― One more graduation fin. 2011/4/10