五月は、日番谷の好きな季節だった。
氷雪系だから冬が好きだろう、というのは早計で、初夏のさわやかな季節は待ち望んでさえいる。
ごろんと春の野辺に寝転がると、もう囀(さえず)りもうまくなったウグイスの声が聞こえる。
コポコポと、小川が絶え間なく流れる音が耳に心地よかった。
体をじわじわと芯から暖める春の日差しと、頬を吹きぬける涼やかな風。
うとうとと意識を持っていかれそうになった時、「それ」はやってきた。

「……」
目の前に影が落ち、目を開けた日番谷はとっさに憮然とした表情をつくった。
「やあ、探したよ日番谷隊長!」
白い髪も笑顔もまぶしい彼は、十三番隊隊長・浮竹十四郎である。
決して彼のことが嫌いというわけではない。そう思いながら、日番谷は仏頂面のまま身を起こす。
「俺に何の用っスか、浮竹……隊長」
嫌いじゃないのだが、自分の不機嫌そうな様子にも明るい笑みを絶やさない彼は、
何だか不可解で……ちょっと、苦手意識があったりする。
「来て欲しいところがあるんだ!」
「あ? 俺に? 一体どこだよ」
「俺の実家だ」
「は……はぁ? 何でいきなり? ていうか、お断りだ」
「さあ、善は急げだ! 鉄は熱いうちに打て、かな」
「どっちでも同じ……ていうか人の話を聞け!」
特に、こんな風に無理やり引っ張り起された日には。

もしこれが浮竹じゃなければ、腕を取ってくる手を力づくで振り払って以上だろう。
でも、何だかんだで浮竹の実家の前まで無理やり引き立てられてしまう辺り、
……やっぱり苦手だと思う、浮竹のことは。


死神になり、貴族の館も見慣れた日番谷にとって見れば、浮竹家の屋敷がそれほど大きくないことはすぐに分かった。
屋敷というよりは、普通の家に近いサイズである。
設えられた門も2メートルはなく苔むしていて、わずかに開いていて門の意味もなしていない。
その門の向うから子供たちの笑い声がして、日番谷はとっさに気後れした。
「喜ぶぞ、みんな! ほら行こう」
そんな日番谷の躊躇いには気づかず、浮竹は日番谷の手を取って、門を押し開く。
門の向うに待っていたのは、思ったとおり何人もの子供の目・目・目。
申し合わせたように全員の動きが止まり、目が見開かれ……途端、歓声が弾けた。

「ぅわ、日番谷冬獅郎だ! ホンモノだ!!」
「ホンモノよ、あたし遠くで見たことあるもん!!」
「十四郎おじちゃんすげえなぁ、日番谷隊長と知り合いなんだもんな!」
日番谷と身長が前後した子供たち7人に取り囲まれ、日番谷はたじろいだ。
「ぃ……いや、俺も隊長なんだけどな?」
頭を掻きながら苦笑いする浮竹を、日番谷はこっそり睨み上げる。

子供は、苦手だった。周りの子供たちに溶け込めなかった子供時代がそうさせるのか、笑顔を見せられても気後れしてしまう。
子供の相手をさせられると分かれば、やっぱりついてこなかったものを。
しかし意外なことに浮竹は日番谷の手を取ったまま、さらに歩きながら言った。
「ホラホラ、お客様なんだ。邪魔をせずお通ししなさい」
「……はーい!」
残念そうな顔をしながらも子供たちが離れ、日番谷は正直ホッとした。
改めて周囲を見渡すと、門の向うには母屋がどんと設えられ、庭が広く取られていた。
住人達の足で踏み固められた土の庭のあちこちに花壇がつくられ、花が咲き零れている。
何だか、さっき野辺でうとうとしていたのと同じような、柔らかな気配がただよっていた。


「……で、そろそろ言えよ。一体俺に何の用だ」
「んー?」
母屋の玄関を開け、中に日番谷を導きいれながら、浮竹は上機嫌である。
草履を脱いで先に上がり、部屋の先を示して見せる。
明るい日の差し込む畳の部屋が、奥まで続いているようだった。
「おい!」
しかたなく後をついて歩きながら、日番谷が少し苛立った声を上げたとき、浮竹はちょうど奥の間への戸を開いた。
中にちんまりと座っていた人物に、日番谷は毒気を抜かれたように立ちすくむ。
「紹介するよ、日番谷くん」
浮竹は常以上に柔らかな所作でその人物の隣にしゃがみこむと、そっとその小さな肩に手を置いた。
「浮竹さくら、俺の母親だ。君のファンでね、母の日に何が欲しいって聞いたら、どうしても君に会いたいって言われたんだ」

彼女の外見年齢は六十歳くらいかと思われた。ふうわりと後ろでまとめられた髪は、浮竹と同じように白い。
額はひろく、なだらかな平和な感じがする。目元にも口元にも深い笑い皺が刻まれ、だまって座っていても微笑んでいるように見えた。
日番谷と同じくらいの背丈の、こじんまりとしたおばあちゃん、といった面立ちだ。
「あらまあ」
さくら、と紹介された母親は目を見開き、急いで立ち上がろうとした途端に、軽くよろけた。
「危ね……」
とっさに前へ出た日番谷は、母親を正面から支える形になる。
「……足を痛めてるのか?」
「いえ、いつものことよ。この年になると足腰が弱くなってしまって、よくよろけるのよ」
悪びれることもなく差し出された日番谷の腕に体重をかけた浮竹さくらは、ふわりと微笑んだ。

まるで、なじみの人間に対するように温かな笑みだった。日番谷が返事に困ったとき、
「こら! 十四郎!」
振り返って浮竹を睨み付ける。笑い皺のせいでまったく迫力はない。
「こちらから伺うと言おうとしたのに、いきなり走り出て言ってしまって。
お前のことだから話も聞かず、むりやり引っ張ってきたんじゃないだろうね?」
「えっ、いや……」
途端にバツが悪そうに口ごもる浮竹を見て、何だかちょっとだけ愉快になる。
「ごめんなさいね。老人のわがままにつきあわせてしまって」
「……かまわねえよ、別に」
言ってから、本心からそう思っている自分に、少し意外な気がした。


「……粗茶ですが」
そう言って茶と茶菓子を載せた盆を持ってきた浮竹に、日番谷はまた少し愉快な気分になる。
隊長が茶を持ってくるところなど仕事では絶対に見ない。ここが浮竹の実家なのだということをまた思う。
「ふたりっきりで話したいんだから。早く行きなさい、十四郎」
そう言った母親の瞳は、子供のようにイタズラっぽく輝いている。
「ったく、年甲斐もないんだから」
苦笑するような、あやすような口調でそう言うと、浮竹は日番谷に軽く笑いかけ、背中を返す。

「……なんで、俺に?」
半分ほど開いた障子からは光が差し込み、畳の上にグラデーションを作っていた。
障子の向うは、縁側のようで花の香りをはらんだ風が、波のように単調に押し寄せてくる。
ふたりは、縁側を望むように並んだ形で腰を下ろしていた。
「いい男だから」
ぶっ、と口に含んだ茶を噴出しそうになり、こらえる。確かに、年甲斐のない人のようだ。

「こんなおばあちゃんと普段話すことなんてないでしょう? ごめんなさいね、無茶言って」
日番谷はかすかに微笑むと、首を振った。
「流魂街にばあちゃんがいるんだ。血はつながってねぇけど」
「あら。そうなの」
何が嬉しいのか、本当に楽しそうに浮竹さくらは微笑みを広げる。
揃えて膝の上に置かれた手に、日番谷の視線が注がれる。
長く節の少ない、すんなりした大き目の手。どこかで見覚えがある、と思い返せば浮竹の手だった。
血のつながり、と聞いてもピンと来ないが、こんな風に目の当たりにすると不思議な感じがする。

「こんな傷だらけの手が、気になるの?」
そう言われて、慌てて視線を逸らせる。確かに、その手や袖から覗いた腕には古い傷跡が見えた。
「ほんとう、何個傷があるのかしら」
気に障った様子もなく、浮竹さくらは両手を光に透かすように広げてみせる。
「これは、十四郎が小さい頃お湯をひっくり返した時の火傷でしょう?
こっちは、子供たちと畑仕事してて、鍬の先がかすめたのよ。もう、イタズラばっかりするんだから」
血管が浮き出した腕は年齢を重ねていて、確かに言われたとおり傷だらけだった。
でも、傷をひとつひとつ説明していくその横顔は優しく、それを見守るだけで心が和らいでゆく気がした。

「あっ、ごめんなさいね、わたしの話ばっかりして。おもしろくないでしょう?」
ハッ、と我に返った彼女が振り返って、尋ねるような視線を日番谷に向け……少し、目を見開いた。
自分がいつの間にか微笑んでいたことに気づいて、日番谷は何となく狼狽して首を振った。
その時、ふわり、と頭の上に掌が乗せられた。
「いい子ね」
銀色の髪を、撫でられる。
柔和な瞳。たおやかな指。照れくささや抵抗感よりも先に心地よさが広がる。
「……」
とっさに表情をなくし、不自然に黙りすぎたことに気づく。

「あら、わたしったら。隊長さまに向かっていい子はないわよね。ついつい」
慌てて手を引いた浮竹さくらに、日番谷はもう一度、軽く首を振る。
「……いいよ、別に」
部屋の向うで気配が動いたのを感じ、日番谷は軽く視線を向ける。
この霊圧、浮竹に違いない。自分があまりに似合わないセリフを吐いたから、動揺でもしたのだろうか。
そう思った時、浮竹の足が畳を踏み、ゆっくりと遠ざかってゆくのが聞こえた。
「ほら、いつまでも張りつかない! 二人の邪魔をしちゃだめだ」
えー? と子供たちの声が返すのが遠く聞こえ、浮竹さくらはくすりと笑った。

こんな気遣いに笑い返してしまうほど機嫌がいいのも、
そっと距離を縮めた浮竹さくらに全く不快感を感じないどころか心地いいのも、
きっと、春だからだ。
そうに違いない。
日番谷はそう自分に言い訳をつけて、何だか好きになれそうな、浮竹さくらに向き直った。





※「浮竹さくら」は捏造です! 浮竹のおかあさん捏造するなんて私くらいだと思います^^;