黒崎一護は、自室でベッドに仰向けに寝転がり、空色から借りた雑誌をめくっていた。
外は雪だし、今日は予定もない。今日はダラダラ過ごすか、と本を投げ出して大きく伸びをした時、その少女はいきなりやって来た。

「いい年をした若者が、何をぐだぐだやっておるのだ!」
ダン、と歯切れのよい音を立てて、窓が引き開けられる。途端に部屋内につめたい風が吹き込み、一護は飛び起きた。
「バカ、ルキア、寒みーんだよ! 窓閉めろ、窓!」
「冬なのだから寒いのは当たり前だ! 何だ、暖房なんぞに頼りおって」
「俺が自分の部屋でどう過ごそうが、俺の勝手だろ」
一護はブツブツ言いながら扉を閉める。その間にもルキアはもう、一護の部屋の床に座り込んでいた。
「お! この菓子は初めてだな、新発売か」
ベッド脇においてあったポテトチップスをひょいと口に入れる。
「湿気ている……」
「睨むな、俺を」
そう言いながらも、台所に買い置きの菓子はないかと思い浮かべる自分は、もしかしたらお人良しかもしれないと思う。
それを読んだかのように、ルキアが頷いた。
「うむ。甘い菓子がよい。チョコレートとか」
「注文すんな!」
重ね重ね思うが、チョコはなかったかと思う自分は、もしかしたらとてもお人良しかもしれない。



台所から探してきたチョコと、遊子が入れてくれた紅茶を手に、ルキアは満足そうに溜め息をついた。
「ていうか、お前何しに来たんだ?」
まさか、サボりに来たというわけでもあるまい。
そう思った一護は、壁際に立てかけられている二本の刀に気づき、目を丸くした。
一本は袖白雪。そしてもう一本は、独特な鍔の形に見覚えがあった。

「分かったか。氷輪丸だ!」
一護の視線に気づいたルキアは、なぜか偉そうに言った。
「日番谷隊長は今、風邪で寝込んでおられるのだ。かれこれ、もう三日だ」
「インフルエンザか? だったら一週間は寝込むよな」
「いんふる……? 知らんが、体が弱ってしまわれれば、氷輪丸のように強大な力を持つ斬魂刀は負担になることもあるのだ。
そのため、兄様を通して、似た属性である私に刀を預けられたのだ」
ルキアは心なしか嬉しそうに見える。氷輪丸は、氷雪系最強とされる斬魂刀である。預かれるのは誇らしいことなのだろう。

「預かるのはいいが、裁ききれんのかよ? お前で」
「失礼なことを言うな! ……まぁ、どちらかと言うと袖白雪のためではある。
より強力な同属性の斬魂刀と共に置くと、より力が安定し、強まるとも言われておるのだ」
なるほど、と一護は二本の刀を見比べながら思う。
日番谷が頼んだとなっているが、実際は兄の白哉が日番谷にそれとなく頼んだような気がせんでもない。
いつも最前線に立って忙しそうな日番谷が刀を手放す機会など、めったになさそうだし。

ルキアは刀から一護に視線を戻すと、空になった袋(もう空なのか! と一護は驚いた)、をゴミ箱に捨てながら言った。
「それでだ。日番谷隊長は、松本副隊長の言によれば、とにかく退屈されているらしいのだ」
そりゃそうだろう、と一護も同情する。普段やたらと多忙らしい分、やることがないのは逆に辛いはずだ。
「それで、松本副隊長から、ヒマつぶしの道具を調達して来いと言われてな」
それを私に寄こせ、と出されたルキアの手を、一護は払いのけた。
「そんな都合よく、あるかよ。だいたい冬獅郎の好きそうなもんなんて、分かんねぇよ」
寝込んでいるのなら症状も強いのだろうし、頭を使わないものがいい気がする。
しかしあの日番谷が遊んでいるところなど想像もつかないし。うーん、と一護はうなった。
ちょうどその時、階下で夏梨と遊子が何かを話している声が聞こえて、一護とルキアは顔を見合わせた。




「えええ? 冬獅郎くん、風邪引いちゃったの? 大変!」
「なんだアイツ、風邪かよ」
一護の前に並んだ遊子と夏梨は、面白いくらい真逆の反応を返した。
一大事とばかりに口に手を当てた遊子に対し、夏梨はあっそう、とでも言いたそうな反応だ。

「お、おい。なんでこの二人は日番谷隊長のことを……?」
「話がややこしくなるから、今はやめてくれ」
ぽかんとしたルキアを、一護はいち早く制する。
「栄養つけなきゃ! 卵たっぷりのクッキー、焼いてあげるね!」
遊子はパッと身を起こして、一護が何か言う間もなく台所へまた下りてゆく。
その後姿が、どこか楽しそうに見えたのは、見間違いではないだろう。
誰かのために何ができるか想像する、それが遊子には嬉しいのだ。相手が日番谷なら、なおさらなのだろう。

一方の夏梨は、ううん、と考え込んでいる。
「何か思い浮かぶか? あいつの好きそうなもん」
いや、とすぐに首を振る。そして、ずいとルキアに向かって手を差し出した。
「電話みたいなの持ってるでしょ? 貸して。こういうのは、本人に聞くのが一番確実だろ?」
ドライだ。ドライだが、確かにその通りだ。


十分後。廊下にそれとなく聞き耳を立ててしまう一護とルキアがいた。
なぜに廊下に出る、と突っ込む間もなく、夏梨は電話がつながるとすぐ、部屋から出て行ってしまったのだ。
男友達から電話がかかってきても、台所で大声で話している夏梨にしてみれば、珍しい行動だった。
廊下からは、えらく楽しそうな笑い声が聞こえてくる。

「……。マジで? お前そんなもんが……。いや、笑わない、笑わないけど。あっははは!」
「だ、大丈夫なのか?」
漏れ聞こえてくる夏梨の言葉に、ルキアの顔が引きつる。
一護の耳にも、夏梨が日番谷をおちょくっているようにしか聞こえない。

「だ、大丈夫じゃね?」
不意に気づいたことだが、日番谷を「冬獅郎」と呼んで、「日番谷隊長だ!」と言い直されないのは夏梨だけだ。
しょっちゅう言い返されている一護からしてみれば、自分のほうが接点があるはずなのに、理不尽だと思いもするが、
二人の関係は、一見しただけでは推し量れないと思う。そう言うと、ルキアは微妙な表情をした。
「ぱっと見は大したことなくても、調べてみれば意外に深い虫歯のようなものか?」
「その例えはどうかと思うけど……でも、あいつら仲いいんだよ、意外に」
夏梨にしても、そこまで楽しそうに笑うことは、実はあまりないのだ。

ルキアは、笑い声に耳を澄ませながら、不意にほろ苦い笑みを浮かべる。
「日番谷隊長は、我々死神の中では『隊長』だからな。見た目どおりの子供に戻れる時は、瀞霊廷ではないのかも知れぬ」
今、あの小さな眉間で思いっきり存在感をアピールしている皺はあるのだろうか? と一護は想像してみる。
やっぱりいつもあんな皺を寄せているのは、それなりに大変なことに違いない。


二人の間に沈黙が落ちた時、伝令神機を右手に持った夏梨が、上機嫌で部屋の中に入ってきた。
左手には、何枚も積み重ねたDVDを持っている。タイトルを見た一護が、素っ頓狂な声を上げた。
「……これ、小学生向けのキッズアニメじゃねえか。いくらなんでも冬獅郎がこんなモン……」
「本人が見たいって言ったんだから」
「マジで!?」
意外だ。はっきり言って、ありえないほど意外だと思う。
あの日番谷が、生真面目な顔をしてキッズアニメ。夏梨が大笑いした理由が分かるような気がした。
台所からは、クッキーが焼ける甘い匂いが漂ってきている。
一時間後ルキアは、両手いっぱいのクッキーとDVD、その他マンガだの菓子だのサンタクロースのように持たされて、瀞霊廷に帰還したのだった。


***


涅マユリは、ひとしきりグチや文句を垂れ流すと、布団の中の日番谷を見下ろした。
「……たく。こんなつまらないことに私を呼び出すとは。脳みそが沸いてるんじゃないかネ」
「……機械の扱いに困った時はお前だろ」
「人を便利屋か何かと思っているのかネ!」
「ありがとう、涅隊長。助かった」
ぐ、と涅が言葉に詰まる。案外かわいい性格じゃないかと、それを物陰から見ていた(あまり涅には近寄りたくない)乱菊は思う。
DVDが繋がらない。そんな理由で涅を呼べと日番谷が言い出した時は、熱が頭に回ってしまったのかと心配した。
しかし、何だかんだでさっさとDVDを開通させた涅がすごいのか、日番谷の図太さがすごいのか、乱菊には想像もつかなかった。

「これは高くつくヨ。覚えているがいいサ」
「熱が高いから、覚えられねぇ」
そのまま布団にもぐりこんでしまった日番谷を、プルプルと震えながら涅は見下ろした。
「後でたっぷり請求してやるから、逃げるんじゃないヨ!」
捨て台詞を吐いて涅が出て行った後、もぞ、と出てきた日番谷に、乱菊はリモコンを差し出す。
ん、と頷いてテレビにリモコンを向ける日番谷は、やはりいつもより幼いと思う。
こんな日番谷を見るのは、悪くないと思っているのは、秘密。

現世から日番谷へのお見舞いは、クッキーとDVDと漫画と菓子と、いろんなゲームと……それから。
「……で、隊長」
「なんだ」
「こないだ、夏梨ちゃんが電話してきたでしょ?」
「ん? ああ」
「その時朽木の伝令神機使ってたんですが、朽木、現世に忘れて来ちゃったみたいです」
「はぁ?」
日番谷は、オープニングが始まった画面から目を逸らし、乱菊を見上げた。
忘れ物をしましたすみません、では済まない。伝令神機の紛失は罪に問われるはずだ。
乱菊はしれっと続けた。

「朽木も忙しいんで、一週間くらいは取りに行けないと。電話は夏梨ちゃんが預かってます」
電話で話している日番谷を見て、気づいたのは乱菊も同じ。
日番谷が最も楽しんでいるのは、テレビでも漫画でもなく…
「ま、ほどほどにしてくださいよ、隊長」
ふん、と肩をすくめた日番谷が意地っぱりに思えて。乱菊はふふっと微笑んだ。