真意がはかりづらいほど細い目から、紅蓮の瞳が覗く。
くっ、とその口角が持ち上げられた。そして、怯えきった様子で冷や汗を流している児丹坊を見上げる。
「……なんや。門番が門を離れて、何をやっとんや? また、旅禍通ってしまうで」
口調こそ軽いが、その視線には、弱い相手をいたぶって楽しむような残忍さが込められている。
「……また片腕、斬りおとされたいんか?」
「また?」
日番谷が眉を顰める。あぁ、と市丸が視線を同僚にうつした。
「こないだ、黒崎一護君らが通った時な。門を開けて通そうとしとったから、腕、斬り飛ばしてやったんや」
市丸が言い終わる前に、日番谷は刀の柄に手をかけていた。ハッ、と三番隊士たちが身構える。
「……西門は十番隊の管轄だ。てめぇに児丹坊を断罪する資格はねぇ!」
ありありと敵意が篭った一喝に、その場の空気が凍りつく。

市丸は、日番谷の怒りに臆する風もなく、笑みを広げる。
「『俺の目が届くところでは、誰も傷つけさせない』ってか? さすが十番隊長さん、男前やねぇ。
……ま、隊長やからっていうより、身内やから許せんように見えるけどな」
君のことやし、と軽く続けられ、日番谷の敵意が殺意に変わる

唾も飲み込めないような張り詰めた沈黙が、その場に落ちる。
流魂街の住人達も、対峙しあう二人の隊長を前に動けずにいる。
「と、冬獅郎。やめとけ……」
「俺が、こんな奴に遅れを取ると思ってんのか?」
「驚いたわ。ホンマにやる気なんやね」
市丸は、顔色をかえて自分の前に飛び出してきた吉良を、脇に押しやる。
そして、敵意がないことを示すように両腕を広げた。
「やめとき。別にボクは、あんたの気に障るようなこと言った気はないんやけど」

日番谷は、それには無言だった。
言った気がない、などとはとんでもない言葉だ。
市丸はおそらく、児丹坊が日番谷の友人だと知っているからこそ、痛めつけたのだろう。
日番谷が激怒することを知りながら、わざわざ事実を告げるくらいだから筋金入りだ。
それに……市丸は、敵意はないと微笑んだ同じ笑顔で、一瞬の後に相手を斬り伏せることも出来ると知っている。
「児丹坊。下がってろ」
明らかに怯えている児丹坊を、巻き込みたくはなかった。日番谷はそう言いおくと、柄に手をやったまま無造作に市丸に歩み寄った。

「そういえば、今はこっちにいるが、今から瀞霊廷に連れて行きたい奴がいるんだ」
「……は? あんたが?」
いきなり話題を変えた日番谷に、市丸は眉根を寄せる。日番谷は頷いた。
「仕事熱心なお前としちゃ、許せねぇだろ? 俺の腕も落してみるか」
「……挑発する気かいな。面白い子ぉや」
二人の視線が、はっきりと殺気をはらんで交錯する。
挑発していることを、否定する気もなかった。
市丸が、ゆっくりと刀の柄に手をやる。一触即発の空気が流れた、その時だった。

ふやぁ、と何とも気が抜ける声が、沈黙の中よく響いた。
一拍あけて、まだいとけない笑い声が続く。

「……遠ざけといてくれ、その赤ん坊」
日番谷が肩越しに振り返り、さっきの女に抱かれ、窓から身をのぞかせていた赤ん坊を見やった。
凍りついたような大人たちの中でこの赤ん坊だけが、満腹のせいか機嫌よさそうに笑っている。
「……まさか」
市丸が、首を傾けて赤ん坊を見た。
「その恰好、流魂街の子やないな。まさか、今から瀞霊廷に入れようとしてるんって、この赤ん坊か?」
「だから何だって……」
日番谷がそう言いかけた時だった。ひゅん、と脇を神速のスピードで通り抜けた影に、言葉を切って振り返る。
「市丸! てめぇ……」
瞬歩が隊長の中でも異様に速いとは聞いていたが、これでは目に捉えることすら難しい。
泡を食った表情で振り返った日番谷は……少し離れたところで繰り広げられている光景に、目を疑った。

「まだ小さいやん! かわええなあ」
あの市丸が、「可愛い」という言葉を発している。そしてあの市丸が、赤ん坊を女の腕からひょい、と抱き上げた。
「……え」
ぽかんとする日番谷の視線にも気づかないように、赤ん坊を宙に掲げるようにしながら、跳ねるように歩いてくる。
どうやら、本当に赤ん坊が好きらしい。
見知らぬ男にいきなり抱き取られ、顔をくしゃくしゃにした赤ん坊に自分の顔を近づけた。
「……」
絶句したその場の一同の様子に気づくと、首をかしげた。
「……なんや? ボクが赤ん坊好きやったらおかしいん?」
「おかしいだろ!」
思わず日番谷は言い返すと、瞬歩でその場から姿を消す。

「っああ! ひどいわ、取り上げんでもよいやん!」
「やかましい! 市丸が伝染ったらどうすんだ!」
「どういう意味や!」
無理やり赤ん坊を奪い返した日番谷に、市丸が詰め寄る。
いがみ合う二人の隊長の間に挟まれる形になった赤ん坊が、突然火がついたように泣き出したのも当然のことだった。

「あーあー。泣かした! 十番隊長さんが泣かした!」
「半分はてめぇのせいだろうが!」
ののしりながらも、日番谷も困ったように腕の中の赤ん坊を見下ろす。
その時、歩み寄ってきていた女が、苦笑しながら赤ん坊に手を伸ばした。
「寄こしてくださいな。隊長ってったって、こんな時は全く役に立ちゃしないんだから」
そして赤ん坊をあやしながら去って行った女の背中に、二人はただバツの悪い視線を注ぐことしかできなかったのだ。



***


夕暮れ。日番谷は瀞霊壁の天辺に腰掛け、そよ風に吹かれていた。風は暑くも冷たくもなく、秋らしく乾いている。
50メートルはあるその場所からは、瀞霊廷内の建物が豆粒のように小さく見下ろせた。

日番谷は、不意に視線をめぐらせる。音もなく、市丸が日番谷から少しはなれたところに現れた。
「……あの赤ん坊、西区の定鳴(さだなり)家の息女だったらしい。血眼になってたからな、すぐに分かった」
「ふぅん。無事帰れたんなら、良かったわ」
何気なくそう言ったまま、風に吹かれている市丸を、日番谷はこれまでとは違った気持ちで見上げる。
この男を見るたびに感じていた、自分でも理由がはっきりしない苛立ちや怒りが、嘘のように消えていた。

「……お前が赤ん坊好きだとは、知らなかったぜ」
「赤ん坊は、ええ」
風にあおられ、銀色の髪が茜色に染まっている。きっと日番谷自身も同じだろう。
「なーんも、知らへん。なーんも、考えてへん」

ふっ……と、乱菊から聞いた市丸の過去を思い出す。
道を歩いていて石につまずくくらいに容易に、命を落すような治安の悪いエリアに暮らしていたこと。
殺すことが、生活の一部になっていたこと。

その紅蓮の瞳は、夕陽の中でいよいよ赤い。
一体今まで、この瞳は何を映してきたのだろう。
他人の過去になど興味はないし、市丸のことなら尚更、知りたいなどとは思わない。
しかしその深淵を、ふと思った。


市丸は、黙り込んでいる日番谷をチラリと見やった。
「そや。あんた、ボクに怒ってたんちゃうん?」
「……もう、いい」
児丹坊を傷つけたことを許せるはずもないが、今は刃を交わす気分になれなかった。
これはひと時だけのことで、次に会ったらやはり自分は、市丸を気に入らないと思うだろうことは、分かっていたが。

「でも、」
「うっせえな、いーんだよ」
壁の上で後ろ手をつき、足を投げ出す。その拍子に、右足から草履がすっぽ抜けた。
ゆるやかに弧を描くと、そのまま真っ逆さまに、瀞霊廷の中に落ちていく。
「あらまぁ」
「表だったら、明日は晴れ。裏だったら、雨だな」
とっさに、自分でも思いがけないような言葉が口をついて出る。
もうはるか昔のことに思えるが、そんな言い伝えを教えてくれた祖母の顔を思い出していた。
この男は、そんな長閑な言い伝えは知るまい。
そう思って横目で見ると、思ったとおり市丸は怪訝そうな顔をしている。

「知らんなぁ。曇りやったら、どうするん」
「横に立てば、曇りだ」
「草履が横に立つわけないやん。適当やな」
「そんなことより、取って来いよ」
「ボクは犬ちゃう。キツネや」
「分かってるじゃねぇか」
瀞霊廷の城壁が、赤く照らし出されている。
血の色にも似た黄昏は、今だけは子供の追憶のように穏やかに見えた。



靴を投げて、表だと晴れ、裏だと雨、立つと曇。
私は小さい頃そう聞きましたが、地域によってもしかして違うのかな?
この後、草履が総隊長の頭に当たって怒られてればいいと思います。

[2009年 11月 28日]