「……貴女の預言は、当たったわけだ」
それから時が流れ、隊首羽織をまとった二人が向き合う。
治療が終わった日番谷の両腕を開放した卯ノ花は、頬に落ちた一筋の黒髪を耳に掻きあげた。
その細い指に、日番谷の視線は吸いよせられる。
改めて見てみれば、隊長とは思えないほどに華奢だ。

卯ノ花は、黒目がちな瞳を向けた。その視線、口元を彩る微笑み、全く初めて会った頃と変わらない。
「どの預言ですか? 貴方が隊長になるという預言? それとも、貴方を愛する人がたくさん現れる、という預言」
「それは……」
「ああ、私が貴方のことを好きになる、という預言ですか? もちろん当たっていますよ。
髪もふわふわしてますし、目も大きいですし。今の隊長の中では貴方は比較にならないくらい――」
可愛らしいです、と真顔で断じられて、日番谷は思わず絶句のうえ、赤面した。
他の死神がそんな発言をしたら、誰だろうが噴火する自信がある。相手によっては手が出るかもしれない。
それなのに卯ノ花に言われると、むしろ自分が逃げ出したい気分になるのは、格の違いが原因だろうか。

卯ノ花は、何だか打ちひしがれたような様子の日番谷を楽しそうに見下ろした。
「全て、当たっているでしょう? 私も伊達に、長く生きてはおりませんよ」
ほら、と視線を背後に向ける。日番谷にも、こちらへ向ってくる、乱菊を初めとする十番隊隊士の気配を感じていた。
「……物好きが、多いんですよ」
ふぅ、とため息をついて、後ろの地面に腰を下ろす。
立てた片膝に右手を置いて見上げると、思いがけないほど真っ青な空があった。

「傷、残ってしまったんですね。光の加減で分かりますよ」
その右手の甲に視線を落とした卯ノ花が、軽く日番谷を睨む。
「あの翌日、念のため四番隊にお寄りなさい、と言ったのに。来なかったからですよ」
「傷が残るくらい、何でもないです」
日番谷は、ヒラヒラと右手を振って見せる。

本心を言えば、忘れたくなかったのだ。卯ノ花に会った日のことを。
感情をぶつけ、さんざん弱音を漏らし、それでも自分は誰かを護りたいのだと気づかされた日のことを。
あれから隊長になるまで、いろいろなことがあったけれど。
自分に迷い、原点に立ち戻りたいと思うたびに、かすかなこの傷跡を見る。
そうやってここまで来たのだと、卯ノ花に伝えることはないけれど。


卯ノ花は無言のまま、日番谷の視線の先を追った。空の青さに、目を細める。
しばらく経って、こう言った。
「どうして貴方だけが稀有な力を手にしたのか。その理由は、見つかりそうですか?」
「理由は……ない、です」
ぐん、と身を起こした日番谷は、立ち上がって卯ノ花を見下ろした。
「ない、のですか」
意外そうでもなく、卯ノ花は日番谷を見返す。

「貴女の髪が黒で、俺が銀な理由は何かっていうくらいに、考えても無駄なことです。
ただ、自分に与えられたものを最大限に利用して生きるしかない」
どうして自分だけが、こんな滅多にない容姿で異常な力を与えられたのだ、とか。
この容姿と力のせいで忌み嫌われるんだ、とか。
辛いことがある度に、理由をそんなところに求めていた自分を、幼かったと思う。

「逞しいですね」
卯ノ花の言葉に、日番谷は肩をすくめた。
「俺ももう、隊長ですから。自分のことばかり考えるわけにはいきません」
岩に立てかけてあった氷輪丸を、再び肩に担ぐ。そして卯ノ花に背を向けた。
「ここはこれから冷える。離れててください。今こっちに来ている隊士にも、そう伝えてくれませんか」
「それは、かまいませんが……」
卯ノ花は言葉を濁す。おさえきれない氷の霊圧が、日番谷から再び広がりつつあった。

「それと、もう一つ」
すらり、と氷輪丸を抜き放つ。と同時に、視線を感じた。
気を緩めれば主人であろうと食う、と宣言しているような、激しい龍の視線を。
食わせてやってもいい。日番谷は、心の中でそう龍に返す。
自分自身を、そんなに気に入っているわけじゃない。
これから迫ってくる戦いから部下達を護れないくらいなら、修行の過程で消えてしまっても、かまわないだろう。そう思っているくらいだ。
「……もうひとつ頼みたい。もし俺がダメになったら、十番隊をお願いします」

しばらくの、沈黙があった。
「ダメになる予感があるのですか?」
「そういうことも、あるかもしれない」
「他人事のようですね。ほかならぬ自分のことなのに」
いや、自分のことだから、なのですか。卯ノ花がひとりごちる声が聞こえてきた。視線が、こちらへ向けられる気配があった。

「お断りします」
日番谷が思わず振り返るほど、断固とした声だった。
卯ノ花が、これほど厳しい声を出すのは、滅多にない。振り返った先の卯ノ花はやはり、険しい表情をしていた。
「貴方は、ご自分のことをどうでもいいと思っている。そんなどうでもいい人間が率いる隊を護ることなど、いたしません」
「……どうでもいい?」
一瞬、十番隊が侮辱されたのかと、突発的な怒りが頭にこみ上げる。
卯ノ花は、そんな日番谷をにらみつけた。

「今ここに、貴方を心配して駆けつけている松本副隊長たちは、どうなのです? どうでもいい存在に心を砕く彼女達は、愚かなのですか?」
日番谷は、唖然として卯ノ花が激しい言葉をぶつけるのを、ただ聞いていた。
彼女の気を害してしまったのは分かるが、原因がよく分からなかった。

「……分からないのですね。私がなぜ怒らなければならないのか」
卯ノ花は、そんな日番谷に射るような視線を向けていたが……不意に、背中を向けた。
「卯ノ花……」
抜き身の刀を片手に握ったまま、日番谷は卯ノ花の背中に手を伸ばす。
その瞬間、ぎゅっと口元を引き結んだ彼女の目に、涙が光っているのを見てぎょっとした。
それまで、卯ノ花が感情を乱すところなど想像したこともなかったのだ。
涙する卯ノ花、など最も予想外なところにあった。

「……すまない。卯ノ花隊長」
しばらくして、日番谷は刀を下ろし、視線を卯ノ花の背中に向けたまま、言った。
「でもどうしても、俺は自分を肯定できないんだ。……それは、罪なのか?」
なにが原因なのか、分からない。
生まれつきなのか、忌み嫌われた過去がそうさせるのか、異常な力が原因なのか。
どれかかもしれないし、全てかもしれない。
自分のことほど見えないものだ、と日番谷はやはり、他人事のように思った。

日番谷隊長! 自分を呼ぶ声が、聞こえた気がした。
ここまで近づかれては、早く霊圧を押し込まなければ、彼ら彼女らをも凍らせてしまうかもしれない。
今日の修行は中断か。焦りを、表情の下に押し込める。

氷輪丸を鞘に納めた日番谷に、背中を向けたままの卯ノ花が声をかける。
「……ご自分を認められない死神に、斬魂刀は屈服しませんよ。完全な卍解を手に入れることは、できない」
「じゃあ、どうしたらいいんだ!」
日番谷は初めて、声を荒げる。
少し振り返った卯ノ花は、悲しげな顔をしていた。その表情は日番谷に、初めて会った日のことを思い出させた。
「……誰か一人と、愛し合って御覧なさい。心から」
「……は」
「愛するなら、相手を残して消える罪深さが、理解できるでしょう。
愛されるなら、大切な人間に思われる自分自身の価値が、理解できるでしょう」

その言葉の意味を考える時間は、なかった。
「隊長っ! 見つけた!」
先陣を切って乱菊が、氷原の中から飛び込んできたからだ。
その髪はところどころ凍りつき、死覇装も霜が張ったように色を変えている。

「松本、近寄る……」
近寄るな、と警告を発する前に、日番谷に駆け寄ろうとした乱菊の右腕に、氷が走る。
乱菊は一瞬それを見たが、無造作に左の拳で、氷を叩き砕いた。
「もう! こんな氷で追い払おうったって、そうはいかないんですからね!」
一瞬後ずさろうとした日番谷の両肩をつかまえ、思いっきり胸に抱きしめた。

「隊長っ!」
「日番谷隊長!!」
次々に駆けつけた部下たちは、乱菊に思い切り抱きつかれている日番谷を見て、目を白黒させた。
「は……なせ!」
なんとか乱菊の胸から顔を引き剥がした日番谷は、頬を赤らめている。
「あらぁ、乙女の胸で赤くなるなんて、この幸せ者っ!」
「窒息してたんだよ!」
いつもの乱菊と日番谷の会話に、どっと周囲が笑い出した。卯ノ花も、口元に手を当てて笑っている。
部下を締め出して一人修行している隊長を、責める素振りは全くない。


幸せだな。そう思うのは、そんな時だ。
でもそれと同時に頭をよぎるのは、今朝の夢。
これまで場面や登場人物を変えて繰り返し見てきた、あの夢だ。

俺はいつか、この手にかけてしまうんだ。氷輪丸を担ぎ直しながら、日番谷は思った。
全くもう、と言いながらもちょっと目の端に涙を浮かべている松本を、
そんな自分達を和やかに見ている、人のいい部下達を、
そして何とか自分を正しい方向へと導こうとしている卯ノ花隊長を。
俺が憎み、俺が恐れているのは、日番谷冬獅郎という男だ。
それは、昔も今も寸分変わらない。

立ち去り際、日番谷は改めて、背後に広がる氷原を見渡した。
「たいちょー? 早く行かないと、朝ごはん遅れますよ?」
「分かってる」
「? どうかしました?」
怪訝そうな顔をした乱菊に、仏頂面を返して日番谷は歩き出した。

不意に、全く不意に。
ーー お前なんかいなくなっちまえばいいんだ。
そんな声が、脳裏に甦ったのだ。誰の声か初め気づかず、突然、いつか自分が凍らせた少年の言葉だと思い出す。
いなくなっちまえばいい。
自分が自分に掛ける言葉と同じなのは、偶然なのか、必然なのか。

戦って、戦って、護り抜いて。そして自分の中のバケモノに勝てなくなる日は、いつか必ずこの身に訪れるだろう。
大切な人間を、殺すくらいなら。
この氷原に死すのは、俺でありたい。



氷原に死す 完



く、暗い……
なんか犯罪人の手記みたいになってしまって、自分でもビックリです。
原作の番外編「氷原に死す」のタイトルが結構ショッキングだったので、
なんで日番谷は死ぬことを考えてるんだろうって思った結果がこれというか……
というか妄想ですね、はい(笑

[2009年 11月 10日]