放課後の教室は、今日もにぎやかだった。
「おーす一護、ゲーセン寄ってかねぇ?」
今まさにゲーセンへ向かって発射されようとしている、ノリノリの級友達を一護は振り返った。
「あー、悪ぃな。妹に勉強教える約束してんだ」
鞄を片手に、ヒラヒラと手を振った。
一護の妹想いと、外見とは裏腹に真面目なことを知っている級友達も、ムリには言ってこない。
「じゃあ、またな!」
「おー。また明日」
教室を出ながら、尻ポケットで鳴り出した携帯電話を手に取った。
「もしもし?」
「あ! 一護? あたし、あたし」
飛び込んできたのは、まるでオレオレ詐欺の女版のような声だった。
一護は一瞬絶句し、おそるおそる推測を口にする。
「ら、乱菊さん……か?」
「何言ってんの、あたしに決まってるじゃない!」
なぜ乱菊が一護の携帯番号を知っているのか。
いや、それよりも何よりもなぜ、ソウル・ソサエティから現世に電話できるのか。
一切の説明をすっとばし、乱菊は一護が思わず携帯を遠ざけるほどの大声で、こう言い放ったのだ。
「ウチの隊長知らないっ? 今日誕生日なのに、どこにもいないのよ!」
そんなコト言われてもなあ。
電話を切った後の一護の感想は、それだった。
真面目で名高い日番谷が、いきなり行方不明になるのは確かに気になるが、
隊長格なんだから浚われたとか、どっかで倒れてるとか、そういう心配はあまり感じない。
帰り道に、何となく周りを見回してみるが、その辺を歩いてるはずもない。
「ただいまー」
玄関の戸を開けた時だった。
「シー!! 静かに!」
突然すっ飛んできた夏梨に、思い切り口元を押さえられた。
「ンー!! ……なんだよ? 急に」
「いいから、静かに。ひとっこともしゃべるなよ」
なんで、一護の身の回りの女は皆、事情を一護に説明してくれないのだろう。
恨みがましく思いつつ、リビングに足を踏み入れると……そこには、おかしな風景が広がっていた。
無音、なのである。
テレビはついていて、画面は動いているが無音。
キッチンで遊子が忙しく晩御飯を作っているのだが……見事なまでに音を立てない。
包丁で野菜を切るときも、冷蔵庫を開けるときも、最新の注意を払っている。
「……おい」
一護は、スローモーションのような動きで皿を出している夏梨に、囁きかけた。
「説明しろって」
夏梨は、それにも無言。でも、その表情がイタズラ中のようにやたらと楽しそうだ。
夏梨はニヤッと笑うと、リビングに置かれたファミリー用のコタツを指差した。
入ってろってことか?
要領を得ないまま、一護はコタツに向かう。コタツの後ろに置かれたソファーに座ろうとして……
ふと、コタツからフワフワした白いものが覗いているのに気づいた。
「なんだ? これ」
ぬいぐるみでもあるのかと、ひょいと掴み上げようとした一護が、押し殺した悲鳴を漏らした。
「……と、とーしろー君?」
一体なにがどういう理由でこうなったのか、コタツに肩まで体を突っ込んで、日番谷が眠っていた。
肩の辺りまでコタツ布団にもぐりこみ、腕に額を乗せて、半ば突っ伏すような姿勢だ。
横から覗き込むと、親でも死んだかのような仏頂面の原因になっている眉間の皴が、見事になくなっている。
スースーと寝息を立てているあどけない表情は、どこから見てもただの少年だった。
「……コレを、返しに来たみたいなんだよ」
夏梨は、コタツの上においてある風呂敷包みを、小声で一護に示して見せた。
開いたそれから覗いているのは、見覚えのあるDVD。
日番谷が風邪を引いて退屈していた時、ルキアを通して夏梨が瀞霊廷に届けたものだった。
「多分、そっと来てコレを置いて、また帰るつもりだったんだろうけど……疲れてたんだな」
好奇心が強い日番谷のことだ。瀞霊廷には(おそらく)ないコタツを前にして、
試さずにはいられなくなったのだろう。
そしてその後、コタツの魔力に負けてしまったのは想像に難くない。
「で、でもよ」
一護は、どこか楽しそうに日番谷を見下ろしている夏梨に、声をかけた。
「今日、冬獅郎誕生日みたいなんだ。乱菊さんが血眼で捜してたぜ?」
起こして、早く帰るように言ってやるべきじゃないのか。
その反面、このままにしといてやりたい、とも思う。
瀞霊廷で待っているはずの乱痴気騒ぎを、日番谷がおそらく望んでいないこともまた、明らかだったから。
「え? 誕生日なの?」
パッ、と遊子が振り返る。
「そりゃー、ますます返せねぇな」
夏梨が、まるで誘拐犯のようなセリフを口にすると、ニヤリと笑った。
「お、おい。夏梨、遊子?」
「いーからいーから。一兄は買い物でも言ってきてくれよ」
そしてまた要領も得ないまま、一護は買い物リストと共に財布を持たされ、家から出されてしまったのだった。
ホントーに、起きねぇな……
夏梨は、コタツに置かれたカセットコンロに火を入れると、そっと日番谷を見下ろした。
火がつくときにカチッと音がしたのに、それでも日番谷は目覚めない。
風邪で寝込んだといわれてから、二週間ほどが経っている。
病み上がりに、これまでたまってた仕事が押し寄せてきたのだろうか。
目を開けている時の日番谷は、夏梨にとっていつだって最強だった。
虚は倒すわ街でスカウトされるわ、高級レストランにさらっと入るわ。
トランプで言えば間違いなくジョーカー的な存在だった。
そんな少年が、コタツの中で力尽きたように寝入っている姿を見ると、何だか不思議な気がする。
一瞬こみ上げた切ないような気持ちに戸惑い、夏梨は日番谷から目を逸らした。
「夏梨ちゃん、晩御飯の準備できたよ!」
大きな鍋をカセットコンロの上においた遊子が、夏梨に微笑みかける。
それと同時に、今度は音を立てずに、一護が玄関から入ってきた。
「これでいいのかよ?」
「うん、最高」
一護が買ってきたものを見下ろしている時。
「ただいまー!」
聞きなれた父親の声と同時に、玄関から一心が入ってきた。
「おー、今日は鍋か? うまそうだな」
上機嫌な父親を見て、思わず三人の子供達は顔を見合わせる。
そういえば、一心と日番谷には何の面識も無いのだ。
いきなりコタツに入って寝ている日番谷を、なんと説明するか?
「え、えーと。親父」
「なんだ?」
三人の懸念を他所に、一心はどっかりとコタツに座り込んだ。
左下を見下ろせば日番谷は視界に入る位置だが、隣に護廷十三隊の隊長様が寝入っているとは気づいていない。
「ルキアちゃんの、男バージョンがいるんだけど」
なんだそりゃ。夏梨の説明に、一護はひっくり返りそうになる。
しかし一心の中のルキアは、世間の荒波に飲まれ一家離散したかわいそうな少女、という位置づけだったはずだ。
一心は、はい? という顔をして(当然だ)、夏梨が指差した先を見やった。
そこで、スヤスヤと寝入っている少年の顔を、とっくりと眺めた。
「……」
がば、と立ち上がった一心を、一同が心配そうな目で見やる。
一心は立ち上がるが早いか、隣の部屋にダッシュした。次の瞬間、大音響が家中にこだました。
「母さーん!! 今度は息子が、もう一人できました!!」
家を揺るがすほどの大音響。
ハッ、と三人がコタツを見やった瞬間……バネ仕掛けの人形のように、日番谷が跳ね起きた。
「……」
その場の状況を把握する時間、おそらく一秒。
目の前でぐつぐつと煮立っている鍋に目をやり、日番谷は文字通り頭を抱えた。
「ありえね〜……」
漏れたのは、(笑ってしまうほどに)困りきった声。
「なんで起さねーんだよ!」
腕の間から一護をにらみつけるが、(笑ってしまうほどに)その顔は赤い。
恥ずかしいのだろう、当然。隊長ともあろうものが、勝手に家に入り込んだ挙句爆睡していたのだから。
「ゲラゲラ笑うんじゃねー、てめえら! 今何時だ!!」
笑い続ける3人にいち早く見切りをつけ、日番谷が立ち上がろうとした時……
その肩に、後ろからバン! と大きな掌が置かれた。
「……誰?」
「かわいそうになぁ……」
肩越しに振り返った途端、キスされそうなほどに近い距離にあった一心の顔に、日番谷が全身で引きつる。
「リストラされて一家離散して住むとこもないんだなぁ……」
「り……りす?」
「まだ子供なのに、髪も白髪になっちまって……」
「はぁ? この髪は白髪じゃ……」
日番谷の怒声は、三人の爆笑にかき消された。
「許す! この父が許す! いつまでも心行くまでこの家にいてくれ!」
腕を広げて抱きつこうとした一心を交わし、日番谷は一番話が通じると思われる一護を見やった。
「お前の親父はヤクでもやってるのか?」
「やってねぇ、多分。それより、まぁこういうことになってんだし、食ってけよ。腹へっただろ?」
「いや、けど……」
「帰ったら、今頃瀞霊廷あげての誕生日パーティーだろうな」
「……ぅ」
一護の予感は正しかった。日番谷は明らかに困惑した表情を浮かべた。
女性死神たちに大人気だという日番谷のことだ、それはそれは本人にとっては迷惑な趣向が凝らされていそうだ。
「冬獅郎くん、ハイ!」
ご飯が盛られた茶碗を遊子に手渡されてやっと、日番谷は観念したのだった。
それから、数時間後。一護は、自室に向かっていた。
燈のついていない部屋の中を、ひょいと覗き込む。
「冬獅郎? 話、終わったのか?」
「ああ」
ベッドから立ち上がった日番谷は、伝令神機を折りたたんだところだった。
「やっぱ怒ってたか? 乱菊さん」
日番谷は無言で、少しだけ肩をすくめた。その動作だけで、いかに乱菊が激怒したか、大体の想像はついた。
「明日やるってよ……」
「ま、いいじゃねえか。大事にされてるってことだろ」
「どーだか。ただ飲みたいだけじゃねーのか」
憎まれ口を叩きながらも、日番谷の表情は決してイヤそうには見えない。
「しかしよ。なんでこの時間になるまで電話しなかったんだ?」
日番谷が電話をしてくるといって立ち上がったのは、実に食事が終わったころだった。
直ぐに電話を入れないのは、日番谷らしからぬ手落ちに見える。
日番谷はするりと一護の横を通り抜けながら言った。
「あの時電話してたら、絶対に戻れと言われてた」
タンタン、と小さな音を立てて階段を下りていく背中を、一護はあっけにとられて見送る。
と、いうことは、つまり。
日番谷を起さなかった、この小さなイタズラも、した甲斐があったということだ。
階段を下りた途端だった。
「ハッピーバースディー!!」
パーン、と音を立ててクラッカーが破裂し、きょとんとした日番谷の髪に色とりどりの紙が振り注いだ。
「……何故?」
「あー。まぁいいじゃねえか。ケーキも買ってきたぜ」
振り返った日番谷の肩を押し、無理やりケーキの前に座らせる。
「……クリスマスケーキになっちまったのが失敗だったけど。まぁ、味は一緒だ」
ロウソクだけは、ムリを言ってつけてもらえた。
「ローソクは何本おつけしますか?」の質問にハタと困ったが。
適当にもらってきた三本がケーキに突き立てられ、穏やかに炎が燃えていた。
「えー!! お兄ちゃん、それはダメだよ! お誕生日にはお誕生日ケーキじゃなきゃ!」
「そーだ、そーだ!」
「ダメだな〜一護!」
「はぁ? いいだろ別に!!」
いきなり総攻撃を受けた一護が困っていたときだった。ふっ、と横で誰かが笑う吐息が聞こえた。
―― 冬獅郎?
「……ありがとう」
それは、一護にしか届かない、小声。
日番谷はかがみこむと、一息でロウソクを吹き消したのだった。
「……じゃ、俺もう帰るぜ」
「おー。こっちに付き合わせたみたいで悪かったな」
一階では、酔いつぶれた一心と、遊子と夏梨がコタツの周りで寝息を立てている。
見送りが一護の部屋の窓から、というのが不自然だが、いつもここから死神達が入ってくるのだから仕方ない。
「誕生日ってのはあんまり好きじゃねえんだ」
窓に手を掛けた日番谷が不意に、そう言った。
「瀞霊廷(あっち)では言ってないんだが、俺は生まれた日なんて覚えてねぇ。
しょうがねえから、俺があっちについた日を、誕生日にしてるんだ」
「そ、それってつまり」
「そう。死んだ日」
「そ、それは……」
そこで一護は口ごもった。今頃それを言わないでほしい。
とことん、「おめでとう」といいまくってしまったではないか。
日番谷は、そんな一護を見て、微笑を浮かべた。
冬獅郎が笑ってる。
ぽかんとする前に、日番谷は窓を乗り越えた。
「でも、今日は楽しかったぜ」
パシン、と音を立てて窓が閉められた。
一人暗い部屋に残された一護は、しばらくそのまま佇んでいる。
「……楽しかった、か」
夏梨と遊子に教えてやれば、きっと喜ぶだろう。
その表情を思い浮かべながら、一護は階下に下りていった。