「おいっ、松本と児丹坊はどこだ?」
俺は駆けつけざま、関所の入り口にいた祠堂の背中に声をかけた。
「おぉ、日番谷隊長。お待ちしておりました。お2人はあちらです!」
関内で焚かれた松明の光を浴びてなお、祠堂の顔は青ざめていた。
「何があったんだ?」
「あの化物、見る間に死者の魂を奪い取り、力を高めたのです。そこからとてつもなく強く……」
「分かった。ここを出るな!」
もう尋ねるまでもなかった。派手な霊圧が夜気を伝わってくる。
俺は祠堂にそういい捨てると、
「え……あ。日番谷隊長!」
俺の背中に手を伸ばして何か言おうとした祠堂を振り切り、瞬歩でぐん、と速度を上げた。
しかし、やたら遠くで戦ってるってのはどういうことだ?
瞬歩は確かに速いが、そもそも長距離走には向いてない。
闇の中でもはっきり輪郭が分かる、児丹坊の右肩に飛び乗った時には、かなり息があがっていた。
「お……おい、児丹坊、無事か?松本も」
「冬獅郎!」
「隊長!」
闇の中から声が返る。
それと同時に、闇の中に、ギラリと光るものが現れた。
それは大きさを一気に増し、辺りを真昼のように照らし出す。
児丹坊より数メートル先に、松本の姿が見えた……と思った途端、虚閃が松本がいたところを直撃した。
「松本!」
「大丈夫です」
児丹坊の左肩から、松本の声が聞こえた。
あっという間に視界は闇に消える。
一瞬照らし出されたその虚の15メートルはあるでかさに、息を飲んだ。
そいつの霊圧がビリビリと肌に伝わってくる。
明らかに、昼間感じとった霊圧よりもあがってる。
グルルル……
獣のような声が闇から響き、児丹坊は慌てて虚に向き直った。
「申し訳ありません。虚に、死者の魂を取り込ませてしまいました」
「……バカヤロー」
「すまねえ。俺、なんも知らねえで虚をぶん投げたら、死者の群れに突っ込ませちまって……」
それだ。
そう思ったが、こいつに文句を言うのは後だ。
「乱暴だが、ぶった斬れば死者の魂は結局ソウル・ソサエティに行ける。俺がやる!」
そして、刀を鞘から抜こうと右手を肩にやって……俺の手は宙を切った。
「……へ」
振り返ると、ガキが俺の右手を握って、にこー、と笑った。
氷輪丸がねえ!
そういえば、鍋に水入れに井戸まで行くのが面倒臭くて、氷輪丸で代用したのを思い出した。
しかもガキを祠堂にでも預ければいいと思って、それも完全に忘れてた。
「た……隊長。サイテーです」
なんでこんな松本なんかに言われなきゃなんねーんだ。
でも、否定できねえ。
「も……問題ねえ」
「問題しかないでしょ!」
「いや待て。氷輪丸がなくても力は使える。ただ……問題がある」
「やっぱりあるんでねえか」
「力の制御ができねえ。松本、あいつをできるだけ遠くに吹っ飛ばしてくれ」
「もう……しょうがないわね!」
松本の斬魂刀の刀身が、さらりと砂のように闇に溶ける。
「唸れ……灰猫!」
砂状になった刀身が、一気に破面を襲った。
破面が獣の叫びを上げて、大きく後ろに飛びのく。
俺は間髪要れず、鬼道を唱える。
「破道の三十、氷雨!」
本来は、せいぜい腕くらいの太さの氷の柱を生み出し、敵にぶつける技だ。
しかし、コントロールを失った俺の場合、ざっと半径数メートルにもなる。
そのうちの一本が、破面を貫いた……というより、頭から潰した。
「やった!」
児丹坊が声をあげる。地上に下りていた松本も、笑顔を浮かべようとして……固まった。
「ちょっと! あぶない、あぶない、止めてくださいー!」
「止めれるか!」
氷の柱のうちの一本が、松本の頭上に思い切り落ちてこようとしていた。
俺が、更なる惨事になることを半ば覚悟しつつ、氷雨でその氷柱を吹っ飛ばそうとした時……
ぴと、と俺の肩に、赤ん坊が手をついた。
「澪!」
俺がとっさに呼ぶと同時に……俺の放った氷が、瞬時に全て水になった。
ただし、かなりの質量の水に。
「……ま、松本」
「水も滴るいい女……てとこですか? この真冬に! この水の量!!」
改めて言うが、俺は松本に切れこそすれ、切れられるような覚えは普段ない。
常に、100%、問題を起こすのはこの女であって、俺じゃない。
しかし、この赤ん坊が出てきてから、何か調子が狂ってるだけなんだ。
「言い訳無用!」
そして俺は、本当に久しぶりに……隊長と副隊長の関係になってからは初めて、松本に拳骨をくらった。
***
らんらららん。
松本は、能天気に鼻歌を歌いながら、温泉に入っている。
結局温泉じゃねえか。
ここで俺が死体になってあがったら、松本の仕業に違いねえ。
あの戦いの後、全身ずぶぬれになった松本を見かねて、昼に通された崖上の寺院に、一晩泊めてもらうことになったのだ。
松本のワガママで、近くに湧いてる温泉の湯を汲んできてもらって、やっとご機嫌というわけだ。
「隊長、一緒に入りましょうよー」
「断る」
「た〜いちょ♪」
「断る」
「……これ以上ないがしろにしたら、素っ裸でダッシュしてそっち行きますよ」
「いたたまれねえから止めろ。何だよ?」
「聞きましたよー、児丹坊から。隊長のこと」
「……何の話だ」
俺はばあちゃんの様子を見るついでに執務室から持ってきた、処理待の書類のひとつに目を通しながら言った。
とん、と捺印して、次をめくる。
俺の足元では、赤ん坊が座布団の上でスースー寝息を立ててる。
「50年前。隊長も、あの西関門で、ずっと振り分けを待ってて。そして、やっぱり治安の悪い場所に一旦決まって。
その時に、隊長のおばあちゃんがそれを見つけて、頼み込んで隊長を引き取ったんだって」
「……昔の話だ。大体、俺は覚えてねぇ」
とん、とまた印鑑を押した。
「だからこの子を、放っとけなかったんですか?」
「死神なら、特定の死者に思い入れを持つなって言いたいんだろ?」
俺は次の一枚に目を通しながら言う。
それは、死神の大鉄則のひとつ。当然知ってるし、当然そのことを考えもした。
「生憎俺は、そこまで人間できてねえ。分かっただろ、今日の一件で!」
松本は、何も返事をしなかった。
ただ、ご機嫌な鼻歌の続きが聞こえてきただけ。
赤ん坊が、それを聞きつけてか、にこにこ笑い出す。
「おい、澪」
印鑑を机において、見下ろした。そんなん聞いたら馬鹿がうつるだろ。
俺の心の声など露知らず、桜色に染まった頬でえくぼをつくり、もみじのような手を差し出してくる。
今度は俺のどの氷を溶かす気だか。
俺はその小さな手を握った。
日番谷隊長の女難1 完