黄色くて小さな星が、道路に散らばっているのを見つける。 スニーカーを履いた有沢たつきの足が、ぴたりと止まった。 見上げると、深い緑の葉の中に、黄色い花がびっしりと咲いている。 覚えのある香りが、鼻腔をくすぐる。 「キンモクセイか……」 つぶやいた自分自身の声があまりに憂鬱そうで…たつきは自分で苦笑した。 *** 「あたしね。クリスマスに彼氏に手作りマフラー贈ろうと思うんだ!」 クラスメートの悠木友奈が、学校の昼休みに言ったのは二日前のこと。 近くにある机を適当に寄せ、6人で弁当を囲んでいた時のことだった。 ええー、とか、いいなー、とかいう感想がたつきを除く4人から漏れる。 「いいでしょー。何色がいいと思う?」 「そんなの彼氏に聞きなって」 「えぇー? こっそり作って渡すからいいんじゃない! なるべく、知られない方向で」 きゃいきゃい騒ぐ「女子」たちを、たつきは卵焼きをつつきながら見守っていた。 「女子」だなー、と思う。 ついでに自分は、「女子」じゃないなーと思う。 空手全国一位なんて獲ってしまったせいだろうか、どうしてもそういう女の子の話題になるとついていけない。 まぁ、最近友奈はかわいくなったと思うし、何だか幸せそうだ。 よかった、とは思うが、うらやましいとは思わない。 「じゃあ、今週土曜に、毛糸と編み針持ってトモナのうちに集まろっか。2時ごろね!」 弾んだ声が聞こえて、たつきはふと我に返った。 「えっ、何なに?」 「なんだ、聞いてなかったのたつきー。みんなでトモナん家で編み物しようって話」 「っはぁっ?」 あたしはいいよ、と即答しようとしたとき、チャイムが鳴り響いた。 *** 「あーっ、めんどくさ……」 キンモクセイを見上げながら、思わず一人で愚痴ってしまう。 たつきちゃんもさー、スカートとか履きなよ。 ローファーとかさ。ブーツとかさ。休みの日くらいいいじゃない。 そう友達から言われても、ジーンズとスニーカーしか持ってないからしょうがない。 化粧品も、リップクリームしか持ってない。 編み針ってウチにある? そう言った時の両親の顔は、見ものだった。 目も口も開きっぱなし。しぶしぶ成り行きを説明すると、とたんに二人とも笑い出した。 「あーもうびっくりした。熱でもあるのかって心配したよ、父さんは!」 どういう意味だ。 「あーもーいい。やっぱ断る」 「まぁまぁ、編み針あるし。毛糸はないけど……好きなの買って来たら?」 「……いいよ、もう」 「まぁまぁ、行ってきたらいいだろ? たつき。たつきも女になったんだなって、父さん嬉しいよ」 「あたしは生まれつき女なんだけど!!」 「まぁまぁ」 「まぁまぁ」 なんだか妙に優しい両親に送り出され、毛糸を買いに出かけたのはよかったが…… おびただしい数の毛糸の山に押されるように、店を出てきてしまった。 空手の試合で、どんな屈強な男が出てきてもたじろがない自分が、毛糸に負けるなんて。 大体、誰に贈るかも決めていないのに、色なんて決められない。 自分? 微妙。 親? なんで。 一護? 無理。 数少ない選択肢を頭に浮かべ、あっという間に全て却下した。 そもそも、人にプレゼントするだけの出来にはならない気がする。 なにしろ編み針なんて、生まれて初めて触るのだから。 あーあ、憂鬱。 まるでタイミングをはかったように、ひゅうっと季節はずれの冷たい風が吹きぬけて、短い襟足を揺らせる。 たつきは、首をすくめた。 たんっ、と足音が聞こえたのは、その時だった。 たつきは反射的に振り返る。歩いてきたというよりも、なんだか突然現れたかのような唐突さだったからだ。 ―― が……外国人だっ! 振り向くなり、そう思った。 身長は、たつきよりも頭一つ分、低い。小学生だろうと思う。男の子だった。 小学生には思えない、大人びたデザインの黒い布地のジャケットを着ていた。 きっちりとファスナーを首元まで上げ、古着っぽいジーンズを履いている。 うつむいているせいで表情は分からないが、髪はみごとな銀髪だった。 生まれてはじめて、銀髪というものを見たが、きらきらと輝いていてまぶしいくらいだ。 古くなってところどころデコボコしたアスファルトの道路、苔むしたブロック塀の景色の中では、合成写真みたいに見える。 周りの景色に、まったくというほど合ってない。 美少年(と勝手にたつきは想像した)は、たつきと同じように首をすくめ、すいっとたつきの隣を通り過ぎる。 無意識に、その姿を視線で追いかける。 と、男の子のジャケットのポケットから、何かが滑り落ちた。 それが何か気づく前に、勝手に手が動いていた。 地面に落ちる前に、ぱしっ、とそれを掴み取る。 あ……と少年が驚いた声を漏らした。 「なんだ、これ」 掌のものを見下ろしたたつきは、思わず微笑んだ。 プラスチックでできた白いアヒルの頭が、たつきを見返している。 アヒルの頭の下には、同じようにプラスチックの筒が取り付けられている。 これはお菓子だ、とたつきは判断する。 スイッチを押せば、アヒルの口からキャンディとかラムネが飛び出してくる、小さい子用のお菓子だ。 それは、こんな大人びた格好をしている子供には、あまりにも不釣合いで……微笑ましかった。 「ソウル・キャンディが見えるのか?」 「へ? ソウル……?」 日本語しゃべれるみたいでよかった、と思いながら、たつきは顔を上げた男の子を見下ろす。 とたん、ドキッとした。 こんな真っ青な瞳を、生まれて初めて見た。 映画やテレビで見た外国人でも、こんな鮮やかな色をしている人はいなかった。 南国の海みたいな色。浅瀬じゃなくて、人の足がつかないくらいに深い場所の海の色だ。 虹彩の部分が濃くなっていて、そのグラデーションが至近距離で見ると、すごいほど美しい。 「……おい?」 黙ってしまったたつきを、男の子が見上げてくる。 「あっ、いやっ、なんでもない……これ、返すよ」 「ああ、ありがとう」 やっぱり大人びてる、と思う。 小学生くらいの年頃の男の子は、初対面の人間に、そんなにサラッとお礼を言えるもんじゃない。 手渡したとき、指先が男の子の掌に触れた。 その瞬間、軽く電流が流れたようなショックを感じて、たつきの指が揺れる。 「……お前、普通の霊圧じゃねぇな」 男の子の眉間の皺が、深められる。 「へ? レイアツ……? って、何?」 「お前、幽霊とか見えたりしないか? あと、体に穴があいたバケモノみたいな奴とか」 「へっ?」 唐突に聞かれたたつきは、今度こそ本当に驚いた。 幽霊が見えるか? YES。 朝起きてカーテンを開けたら、宙に浮かんだ幽霊が、うらみがましい目でこっちを見ていた、など日常茶飯事で。 夕方になったら一丁前に幽霊同士デートしていたり、夜になったら千鳥足になっていたりする。 日常的すぎて、ほとんど意識していない。 人間の「一種」だ、と決めつけて、もう意識しないようにしている、と言ったほうが正しいが。 でも、幽霊が見えるか、という質問だけではきっと驚かなかっただろう。 体に穴があいたバケモノが見えるか? ……これも、YESなのだった。 前は輪郭がぼんやりしていたのが、最近やたらはっきりと見えるようになった。 ただ、この男の子はどうして、そんなものの存在を知っているのか? 「もしかして。あんたも、見えるの……?」 「職業柄な」 男の子は、再び外見からはまったく想像できない言葉を口にした。 でもその時には、たつきは気づき始めていた。 合成写真のようだと思ったのは、その日本人ばなれした外見だけが原因じゃない。 この子はきっと、普通の人間ではない。 「もし何か困ったら、町外れにある『浦原商店』って所へ行けばいい。きっと何とかしてくれる」 男の子は、そう言った。 浦原商店、なら知っている。 駄菓子やらちょっとした日用品を売っている、何だか時代遅れに古びた店だ。 子供の頃に、行ったことがあるような気がする。 古い木箱の中に入った、色とりどりのキャンデーやガムをうっすらと思い出した。 でもなんで、そんなところに? 「じゃあな」 それだけ言うと、男の子はそのまま歩いていこうとした。 でも、隣に咲いていたキンモクセイの香りに、ふっと足を止める。 そうしなければ、たつきには声をかける隙はなかっただろう。 「ちょっ、待って」 男の子が、振り返る。 それと同時に、頭が、くらりとする。 ―― なに……? 黒いジャケットとジーンズ姿のはずなのに。一瞬、黒い和服みたいなのがブレて見えた。 「何だ?」 「名前、教えてよ」 「名前?」 きょとん、と男の子が目を見開く。 「そう、名前。浦原商店に行ったら、誰に紹介されたって言わなきゃいけないし。あっ、あたしは、有沢竜貴っていうんだけどさ」 相手に名乗らせるにはまず自分が、という、漫画とかドラマで仕入れた情報をもとに、慌てて名乗る。 男の子は、わずかに笑ったようだった。 「……日番谷冬獅郎だ」 「……ひつがや、とうしろう」 聞きなれない名前だ。何と漢字で書くんだろうと思う。というより、こんな外見で名前が日本人なことに驚いた。 ただ、この男の子にはよく似合っている。 「じゃあ」 キンモクセイに、ハッとするほど優しい視線を投げてから、彼は歩き出した。 もう、声をかけるネタは見つからない。 でも、その背中をじっと、目で追いかけていた。と、不意に男の子……日番谷冬獅郎は、振り返る。 「なかなかいい髪形だ」 「……へ?」 「化粧とか、香水とかつける女は苦手なんだ。お前みたいにサッパリした奴もいるんだな」 「……」 そのまま、また歩いていってしまう背中を、たつきはぽかんとして見返していた。 ピリリリ、と音が聞こえ、日番谷冬獅郎少年はポケットから、今度はケータイを引っ張り出したようだった。 耳に当てる。 「なんだ、夏梨か。……遊子もいるのか?」 は? とたつきは耳を疑った。それは、一護の双子の妹の名前ではないのか。 「ああ。来てるけど。はぁ? 土産を買って来い? 土産ってどこの。もう空座町に来てンだけど……」 ぶつぶつと文句を言っているようだった。声が遠ざかり、小柄な背中が角を曲がって見えなくなるまで、 たつきは見送っていた。 ……世の中って。 実はたつきが思っているよりもずっと、不思議なのかもしれない。 「……あぁ、そだ」 毛糸だ。唐突に、たつきは思い出す。突然の男の子のイメージが鮮烈すぎて、すっかり忘れていた。 また、あの店に帰って探すのか? うんざりして思った時、ふといい考えが浮かんだ。 「そうだ。あの色だ」 青、じゃない。翡翠……? 緑青、というのだろうか。 あの少年の目の色。あの色を探そう。 そう思うと、なんだか楽しい気分になってくる。 ―― 「なかなかいい髪形だ」 短くした襟足を、なでる。 女の子らしくなくたって、いいじゃないか。 不器用だって、別にかまわない。 あたしは、あたしなんだ。 もう一度、あの店に戻って、毛糸と格闘してみようか。 たつきは微笑むと、スニーカーの足を踏み出した。
いやー、昨日返却期限だったCDを、開店前にTSUTAYAに返そうと思って家を出たら、
キンモクセイが満開になってたんで、つい書いてしまいました^^;
キンモクセイって何か、メルヒェンでアナログなイメージありますよね(私だけか?
たつきちゃん、実はけっこう好きなキャラです。
[2009年 10月 17日]