海は、意を決して切り出した。
「……二日前、瀕死のザズを治したのは『風』にそっくりな『誰か』だったわ。風、何も知らないわよね」
「わ、私ですか?」
 風は珍しく口ごもり、すぐに首を横に振った。
「まったく存じ上げませんわ。私はずっと、チゼータの船で傷ついた方々の救護に当たっていましたから、……一体、どういうことですの?」
 それは、予想された返事だった。
「……話していただけますね」
 ラファーガが前かがみの体勢で、クレフを見やる。クレフはわずかな間を開けて、頷いた。

 クレフは杖を背後の壁に立てかけると、左の掌を上に向けた。すると掌を中心に、小さな円柱の形をした仄かな光が天井に向かって延びた。
「あ!」
 フェリオが声を上げる。光の中心には、クレフの掌ほどの身長の小さな人がふわりと宙に浮かぶように立っていた。ホログラムのように白く発光している。
「……私?」
 風が声をあげた。14歳のころの制服を着た姿だったが、それは見間違えようもない「風」だった。軽く眠るように目を閉じていて、その無表情から感情はうかがえない。

「私があの時に呼び出した『フウ』の姿がこれだ」
「『呼び出した』?」
 風は不思議そうに、映像とクレフを見比べた。
「……『導師』には、代々引き継がれる禁断の魔法があるのだ」
 語りだしたクレフの口調はいつものようにゆっくりと穏やかだったが、隠しきれない重々しさがあった。
「その魔法に、名はない。みな口にすることさえ忌み嫌ったからだ。敢えて呼ばねばならん時は『禁術』と呼んだ」
「……幻術の一種、なのかや?」
 目を凝らしてホログラムに見入っていたアスカが問いかけたが、クレフは首を横に振った。
「いや、違う」
「では何なのじゃ」
「『禁術』は端的に言えば、導師が自らの力を分け与えた弟子の肉体をコピーし、新しく生み出す魔法のことなのだ。外見や雰囲気から本物と見分けることは不可能。むしろ、本物よりも本質に近いと言ってもいいだろう。ただ異なるのは、『コピー体』には本体と同じ記憶はあるが、個人の意志は無い。遣い手である導師の意志が、教え子たちの行動を支配する」
 全員がすぐには口を開かなかった。クレフはおそらく簡単な言葉を選んで説明してくれていたし、意味は理解できる。しかし、それがもたらす影響が図れず、正直なところすぐには実感がわかなかった。

「……じゃあ、あの時の『風』は、クレフがその、禁術から創ったコピーだって言うの?」
 海は戸惑ったまま尋ね、クレフは静かに頷いた。
「……でも! 私が見た……その、コピーだっていう『風』と、本当の風には違いが二つあったわ。一つが、このホログラムと同じように14歳の姿だったってこと。二つが、植物の傷を治して、若芽を芽吹かせたこと。風が癒せるのは人の傷だけよ」
「……一つ目の理由は単純だ。本物と寸分違いがないよりも、明らかな違いがあったほうが『魔法』だとお前たちに分かりやすいだろうと思って、意図的にそうしただけだ。二つ目は……今、『本物よりも本質に近い』と言っただろう。あれは、風が本来持っている力だ。師である私は、風の力を最大限に引き出すことができる。さっき、本物よりも本質に近い、と言ったのは、そのためだ」
「……では、私には潜在的に、植物を癒す力があるということですの?」
 風が自分の胸に手を当てながらクレフに問うた。思いがけない話題のはずだが、すぐに状況を理解しているのはさすがだと海は思う。
「そういうことだ」
 クレフが頷いた。

 ふうむ、とフェリオが唸った。
「今、弟子とおっしゃいましたね。弟子であれば誰でも創りだせるのですか?」
「ああ」クレフは頷いた。「正確には、孫弟子以下も創りだす対象には含まれる」
「それって」プレセアが息を飲んだ。「セフィーロで、あなたの影響を受けていない魔導師はいませんわ」
 クレフは頷いた。
「セフィーロで魔法が使える者……魔導師や召喚師はほぼ例外なく、私の力を引いている。私も正確にその数は知らないが、千人は下らぬだろう」
 皆が息を飲む気配を感じた。海の頭を、玉座の間を埋め尽くしていた人々の映像がよぎっていた。数百人集まっていたと思うが、あれの何倍もの人々が、直接間接に関わらず導師クレフに教えを乞うていたということなのか。約750年という年齢は、途方もない人々に影響を与えているのに改めて海は驚いた。それに、クレフによって魔法を得たのは光・海・風も同じことだ。それだけではなく、ランティスやアスコットもクレフの弟子となる。更に、すでに亡くなっているがザガートやアルシオーネさえも……そこまで考えて、海はハッとした。

「……いくつか、お伺いしたいことがあります」
 不意に、穏やかな声が響いた。今までずっと黙っていたイーグルだった。皆の視線が、ベッドで目を閉じたままのイーグルに向けられた。
「複数の人物を、同時に創りだすのは可能ですか?」
「それ相応の力は消費するが、可能だ」
「もし『コピー体』が何者かに殺されたとしたら、本人に影響はあるのですか?」
「なにもない。本人と『コピー体』は、別の個体だという意味で無関係だからだ。『コピー体』は、消えたとしても何度でも蘇る。一定の時間は必要とするが」
「では、『コピー体』を消す方法は?」
「遣い手である導師を滅(け)すことだ」
「……後もう一つ。導師は、自らをコピーできますか?」
「いや。それはできない」
 イーグルが、ある方向性を持った質問をしているのは分かった。ラファーガが、わずかに視線を険しくした。

「……三年前それを知っていたら、僕はセフィーロ侵攻を断念したでしょうね」
 イーグルの声音は冷静だった。
「一人の使う魔法が、マシンと渡り合えることはランティスから学んでいましたから。あの時、バリアで守られていたあなたを攻撃する事は不可能でしたし。不死身の千人の軍隊が現れれば、いかにオートザムの軍艦でも勝機はないところでした。……でもあなたは、その切り札を使わなかった」
「当然だ」クレフの口調が厳しくなった。「それは生者に対する冒涜だ。私の師は私に、禁術を使う事を禁じていた。止むをえない場合でも、やむをえない場合でも、決して人前では遣うなというのが教えだった」
 クレフが海に対して、このような強い口調だったことは一度もない。海は自分が話しかけられているわけでもないのに、体が強張るのを感じた。

「そうですか?」イーグルの口調は、熱を帯びたクレフとは対照的に、冷静なままだった。「僕なら、必要とあらばその魔法を使います。なぜなら本人たちを危険にさらすことがないという意味で安全ですし、非常時には有効です。本人たちも、あなたが使うのなら賛成してくれるのではないですか?」
「ザガートやランティスと同じ事を言う」
 思わず、と言った風に、クレフが苦笑いした。
「ザガートとランティスもこのことを……?」
「ああ。彼らには、唯一この『禁術』について伝えていた。危機に陥れば、自分だろうが兄弟だろうが躊躇なく使えと言ってきた。二人に私が直接修行をつけていた時のことだ」
 その時のやり取りを思い出しているのだろう、その表情が穏やかなものに戻っていた。

「禁断の魔法の存在を伝えたということは、まさか。あの二人に『禁術』を授ける可能性があったということですか?」
 その時、ラファーガが固い声で二人の会話を遮った。
「導師。その『禁術』は危険すぎる。あなたが悪意をもって魔法を使わないのは百も承知だが、いくらでも悪用が可能ではないですか」
「ラファーガ。私は、誰にも『禁術』を授けるつもりはない」クレフは、きっぱりと否定した。「お前の言う通り、『禁術』は危険すぎる魔法だ。長い歴史の中で、この『禁術』は何度も歴代の導師によって使われてきた。そのたびに、深刻な事態を招いているのだ。ある時は今イーグルが言ったような『不死の軍隊』を創ることによって。またある時には、本人になりすましてスパイになり他国の機密を盗むことによって。暗殺に使われたこともあった。……隣にいる人間が、本物なのか『コピー体』なのか導師にしか分からないのだ。疑心暗鬼に陥り、友が友を、親が子を襲うような数々の悲劇が起こった。ゆえにこの魔法は使用を禁じられ、歴史書から姿を消した。そのような魔法があるなどとは、知らない方が幸せだろう」

 海は、思わず風と顔を見合わせた。もしあの時現れた「風」が14歳の姿でなかったなら、絶対に本人と見分けはつかなかっただろうと思う。呼び出された「風」のコピーは、クレフの意志を汲んでザズと植物の傷を治して消えて行った。しかしありえないとはいえ、もしもクレフが悪意を持っていたら? 当然ながら、海は完全に風に心を許している。突然襲われたら、自分の身を守ることは不可能だろう。

 イーグルの言い分も、ラファーガの言い分も海には理解できる。ただし、『コピー体』だとしても、本人と同じ肉体を持った者を死地に送り出すような割り切り方は海にはできない気がした。『コピー体』の海が仮に自分の身代りに死んだとして、偽物だからという理由で、やりすごせるものだろうか。答えは、NOだった。ただし、ランティスやザガートにとっての答えはYESだったのだろう。何が正しいのか分からず、海は自分が混乱するのを感じた。

「だから……『禁術』と呼ばれているの?」
 海の質問に、クレフはしばらく答えなかった。その沈黙は十分すぎるほど、それだけではない、と物語っていた。ぴん、とした緊張がその場に張りつめた。
「『禁術』と呼ばれるのは、それが理由ではない。その理由は……この魔法は、『生と死の境界線』を簡単に跨ぎ得る。つまり、死者をもこの世に呼び返すことができるのだ。最も本人ではなく、自分の意志を持たないコピーにすぎないが」
「じゃあ……ザガートや、アルシオーネも『創る』ことができるの?」
「その通りだ」
 海が一瞬感じた懸念は本当だったのだ。絶句した海の前で、クレフは視線を伏せた。
「さっき、『禁術』は生者への冒涜だと言ったが、死者への冒涜でもあるのだ。死んだ者は、決して生き返らない。回り続ける生死の輪廻を、逆に回すようなことは決してしてはならぬのだ」

「それでもあなたは、ザズや、このセフィーロの瀕死の命を救うために『禁術』を使った」
 イーグルの言葉に、クレフは頷いた。そして、改めて風に向き直り、頭を下げた。
「それが自然の掟に準じた死であれば、誰に起きたことであれ、従うのがこの世の理だ。しかし、今回は違う。どうしても、見逃すことができなかった。私は、禁を犯してお前を創ることを決断した。……すまなかった」
「顔を上げてください、クレフさん」
 風の返事は早かった。クレフが顔を上げると、彼女はにっこりとほほ笑んだ。
「ありがとうございます」
「え?」
 さすがにこの返事は予想していなかったのだろう、クレフが意外そうな表情を浮かべた。

「もう一人の私を創ってくださって、ありがとうございます。もし、ザズさんが亡くなっていたら、私は『もしも私がその場にいれば死なせずに済んだかもしれないのに』と、自責の念に駆られていたでしょう。あなたは、私の『心』を救ってくださいました。感謝しこそすれ、恨むことなど絶対にありませんわ。……だから、お礼を申し上げました」
 クレフの目が見開かれた。
「……私は、教え子たちに護られているな」
 微笑んだその視線が一瞬、海を掠めた。そのあと、彼が独り言のように続けたのを、海は聞き逃さなかった。
「ただし、私はもう二度と、禁術を使わない。絶対に、使わない」

「……わかりました。最後にひとつ、教えてください」イーグルの声が再び、頭の中に響いた。「それを使える者……つまり『導師』は今、あなたお一人だけですね?」
「何を言うの」
 プレセアが驚いた表情を見せた。クレフは、どこか不思議な眼をしてイーグルを見た。それが何なのか分からないが、海には、二人の間には他の者が知らない了解事項があるように見えた。
「ああ」クレフはほどなく頷いた。「今だけではない。いつの時代も、この世界に導師はひとりだけ。ふたりがこの世に並び立つことはありえないのだ」
「導師の代が変わる時に、先代が導師の称号を返上し、引退するということですか?」
 クレフはその問いには答えなかった。代わりに、呟くように続けた。

「導師を、なぜ導師と呼ぶかわかるか」
「導く者、という意味ではないの?」
 海の言葉に、クレフは笑った。その笑い方が、なんだか無理をしているように見えた。
「私は、その称号を好まぬ」
「え……?」
「導師とは、すべからく罪を背負う者。私は、誰にも『導師』を引き継ぐつもりはない。私の代で『終わらせる』つもりだ」
その言葉の厳しさに、誰も返せるものはいなかった。





* last update:2013/7/28