セフィーロはもはや、完全に包囲されていた。セフィーロで戦える者たちは、セフィーロの城の1階にある地上門に集まっていた。魔導師、召喚師、剣師など多彩な顔ぶれだったが、皆の表情は等しく、混乱していて、統率も取れていなかった。
「導師は! 導師クレフはいったいどこにおられるのだ!」
「包囲されるまで気づかないなんて。なぜ、こんなことに……!」
 彼ら彼女らの呼び交わす声で、混乱の源は明らかだった。オートザムがセフィーロに侵攻している一報は、力ある者達には知らされていたが、必ず中心に立つに違いないと誰もが思いこんでいたクレフがいないことで、混乱に拍車がかかっていた。

「落ちつけ!」
 その場に響き渡る太い声に、皆が言葉を止めた。しん、と静まりかえった中に、鎧を身にまとい、隆々とした腕の筋肉を露わにしたラファーガが、大股で城の出口に歩み寄った。そして、城にずらりと銃口を向けた戦艦をにらみ上げた。この事態にも、動揺は見られない。その隣には、同じく鎧をまとったフェリオの姿があった。
「すぐ攻撃をしてこないということは、要求があるはずだ」
「しかしラファーガ殿、話を聞こうにも、こちら側の代表者、導師クレフがいらっしゃらないのでは――」

 絹を引き裂くような女の悲鳴が、その場に鋭く通った。振り返ったフェリオが、地面に崩れ落ちた女に駆け寄る。
「プレセア、大丈夫か!」
「すみません、フェリオ……私はあの人を、止められなかった」
 フェリオとプレセアの付き合いは決して短くはないが、いつも気丈な彼女がこんな風に取り乱すのを見るのは、初めてだった。
 
「どういうことだ? あの人って……導師クレフのことか?」
「ええ」プレセアは、涙をぬぐってうなずいた。「もう、セフィーロにはいらっしゃらないわ。気配をまったく感じない」
「なんだって?」
 その場の全員が一瞬静まり返り、直後、大きなどよめきが上がった。
「いったいどういうことだ? この非常事態におられないなどと……」
「導師クレフはもともと何かお気づきだったのではないか? そしてセフィーロを見捨てられたのか……」
「そういえば、ここ数日の導師の行動はおかしかったのではないか?」
「やめろ!!」
 どよめきだした皆を、一喝したのはフェリオだった。今までの彼とは想像がつかないほど、厳しい横顔をしていた。
「根拠もない発言をしてなんになる! 今のこの局面を切り抜ける方法を考えるのが先だろう!」
「しかし、代表者は……」
「俺が務める」フェリオは言い切った。「先々代の『柱』の息子、そしてエメロード姫の弟だ。不足はないだろう」
 こんなところで、とフェリオは唇を噛みしめていた。エメロード姫が命を懸けて守ったこの国が、再生からまだ三年だというのに、また危機を迎えてたまるものか。

「フェリオ」
 人ごみの中で、ぎゅっ、と手を握られた。はっ、として見下ろすと、混乱の中ではぐれてしまっていた風の姿があった。
「フウ!」
 いつも無理をしがちなフェリオを、いつも気遣っている風のことだ。無理をしないで、と心配そうに言われると思っていた。しかし風は、フェリオを見つめて微笑んでいた。
「あなたを信じていますわ」
 迷いのない眼差しを向けられて、フェリオの胸はこんな時なのに一度、大きく打った。
「ありがとう」
 この人が恋人でいてくれてよかったと、これほど強く思ったのは初めてかもしれない。この人を、たとえ何があっても絶対に傷つけさせたくない。強い『願い』が、フェリオの決意を固めた。

 フェリオは風の手を、強く握り返した。そして、肩を震わせているプレセアを見下ろした。
「フウ。プレセアを頼む」
「ええ」
 最愛の人に信頼されることが、どれほど力になるか。そして、去られることが、どれほどその人から力を奪うのか。残酷なまでの対比に、かけられる言葉はなかった。フェリオ、振り向かずに二人に背中を向けた。


***


 めったに身に着けない鎧が、耳障りな音を立てる。城門の外に出たとたんに、銃口を目の前に突き付けられたような圧迫感におそわれる。
―― 全部で8艦か。
 数を数える余裕はあった。そのうち4艦の大砲は、すべてセフィーロ城を向いている。これが一斉に火を噴いたらどうなるか、想像するまでもなかった。先日チゼータから襲ってきた衝撃波ほど大規模ではないが、部分的にはそれ以上の被害を受けることが想像できた。

―― 戦闘はできないな。
 かつてのセフィーロが、三国に同時に攻め立てられても戦えたのは、魔神によるものが大きい。導師クレフたち、セフィーロの実力者が戦えなかったのは、城の維持に全力を傾けていたからだ。今は、城を維持する必要はないが、魔神もクレフもいない。状況を考えてみても、城を守ることが精いっぱいで、この戦艦をすべて追い払う力はセフィーロの中をどんなに探しても出てこないように思えた。 それに、セフィーロには今、国を追われたチゼータの人々と、ファーレンの人々もいるのだ。ここで戦いが起これば、すべての国が戦争に巻き込まれる。平和への道筋は―― 絶たれる。

 フェリオは、城の正面につけた戦艦をキッと見上げた。
「俺は、セフィーロの王子、フェリオ。オートザムの戦艦とお見受けする。我々の間には戦闘に値する理由はないはずだ。それなのに、いったい何事だ!?」
「……直々に王子に対応いただけるとは、痛み入る。私は、この戦艦を率いる司令官、ヴォーグと申します。我々の要求はひとつ。導師クレフと話をさせていただきたい」
 機械のように抑揚のない、低い男の声が戦艦から聞こえた。その声は、セフィーロ城内にも響き渡るほどの大音響だった。

「導師に、いったい何の用だ?」
 クレフの不在は、相手に悟られてはならない。そもそも「いない」と言ったところで、信用されるはずもない。とっさにそう判断したフェリオは、動揺を見せずに言い返した。少し後ろに立ったラファーガが、声を荒げる。
「導師はセフィーロの最高責任者。話がしたければ、まず戦艦を退け、代表者がこの城を正式に訪問するのが筋だろう! 大砲を向け話がしたいなどと、受け入れるはずがなかろう」
 もっともな話だ、と隣で聞いていたフェリオも思った。しかしヴォーグが、軽く笑う声が聞こえてきた。
「導師クレフは今や、この世界を滅ぼしうる危険人物と我々は判断している。チゼータ受難の原因は彼にあるとも。一対一で話ができる状況ではない」
「ふざけるな!!」
 どよめきがセフィーロの中に広がる前に、フェリオは腹の底から怒鳴っていた。怒りが、勝手に言葉を押し出したといってもよかった。

「お前たちの目的は、導師クレフの精神エネルギーを使って国を長らえることだろう、違うか! 勝手に危険人物に仕立て上げて自分たちを正当化しようなんて、絶対に俺たちは納得しない!」
 ザズの言葉を、フェリオもはっきりと耳にしていた。改めて聞かされて見ると、余計腹が立つ。直接こんな言葉を耳にせずに済んだという意味では、クレフがいなくてよかったと初めて思えた。
「導師クレフを連行するというつもりだろう? ―― そんなことは、絶対に許さない」
 力がほしい、とフェリオは心から思った。戦闘になれば勝ち目は薄く、多くの血が流れることはもちろんわかっている。しかしオートザム側は、セフィーロの劣勢を知ったうえで、上から畳み掛けようとしてきている。このセフィーロを守るため、すべての理不尽を打ち砕く力がこの手にあれば―― 。

「なんのために、我らが戦艦を率いてきたか、お分かりのはずだ」
 向けられていた大砲のうち一つから、モーター音のような低い音が聞こえ始めた。発射するつもりだ―― 背後にいる大勢の命のことを考え、戦慄が奔った。
「王子、下がられよ」
 ラファーガが前に出た。フェリオは首を横に振った。
「王子!」
 自分に、この攻撃を防ぐ手段はないのはわかっている。それでも、逃げることはできなかった。




* last update:2013/8/3