「オイ、クソガキ」
「クソガキじゃねえ、日番谷隊長だ」
桟橋の先にあった小さな背中は、振り向きもせずに返した。
裸足の白い足が、青い水を跳ね返す。
タタタ・・・とやちるが桟橋を走り、日番谷の横まで来ると、板を蹴った・・・湖に向かって。
「あたし泳ぐ!」
しかし、バシャーンと、やちるの体が水に落ちることは、なかった。
「おや?」
やちるが、素っ頓狂な声をあげた。
その体が、ゴムまりのように、水面で弾んだからである。
「こんな春に泳いだらカゼひくぜ。大体、何着て帰るつもりだ」
水面にぺったりと座り込んだやちるが、桟橋を見上げると、日番谷と目が合った。
「これもひっつんの力なの?」
「まーな」
「おもしろーい!」
たたた、とやちるが水面を駆けてゆく。
魚釣りをしていた人々が、ぽかーんと目を見開いてその様子を見つめていた。
「連れてきたなら、ちゃんと面倒みやがれ。こんなトコでボケッとしやがって」
桟橋を大股で歩み寄った更木が、日番谷から5メートルほどのところで、足を止めた。
「今さっきもあの野郎、アッサリ人質になりかけたぞ」
「どうせ、お前が護るだろうが」
日番谷は、肩越しに振り返る。
「じゃぁ、そもそも何しに来たんだ」
「『八千流』」
日番谷のその言葉に、ピクン、と更木が肩を揺らせた。
日番谷を見つめる目に、怪訝そうな光が宿っている。
対照的に日番谷は更木から顔を逸らし、日光にまぶしく輝く湖面に視線を戻した。
「そいつとお前が結託したら、とんでもない大騒ぎになると思ったんだよ、一瞬だがな」
「・・・余計な世話だ」
「だろうな。そいつはもう、お前の手には届かない所にいる」
日番谷の声に、更木は何もこたえない。
もしも、「八千流」が更木と親交がまだあるなら、他の身近な誰かに、同じ名前をつけるのは考え辛いのだ。
「八千流」は、恐らく、もうソウル・ソサエティのどこにもいない。
「俺は、約束を破ったんだよ、アイツとの」
護れなかったのか。
その言葉が日番谷の胸に浮かんだが、言葉にはしない。
これは、更木の領域の話だ。自分が立ち入っていい話ではない。
それに気づいたから、この町にも一歩も足を踏み入れなかったのだ。
日番谷は、さっきから手の中で折っていた紙を、更木に向かって放った。
「ホンモノのガキかよ、てめーは」
更木は、それを見て、呆れたように言った。
更木に向かって、スイッと滑らかな動きで跳んできたのは、紙飛行機。
伸ばした更木の手の中に、狙ったかのように飛び込んだ。
「てめ、これ山本のジーさんに出す書類じゃねえか」
「いいんだ、没だから」
広げたその紙を、更木はざっと見回して・・・ふと、一点に目を留めた。
それは、ヘタクソな2人の顔の絵。ヘタでも、この独特の髪型だけは、間違えようが無い。
「今度は護れよ」
それだけ言うと、日番谷は立ち上がった。
そのまま桟橋に背を向け、スタスタと町に向かって帰ってゆく。
日番谷と更木の体が、狭い桟橋の上で、すれ違う。
「・・・護って、やるよ」
特別だった者の約束さえ護れず、ただ生きていた自分に、もう一度目的をくれた子供。
二度と、同じことを繰り返しはしない。
「オイ!やちる!いつまで遊んでんだ、帰るぞ!」
「ハーイ!」
天真爛漫なやちるの声が、湖を渡って聞こえてくる。
ニッと笑って、更木は日番谷の後を追った。