店先から、二人が話している声が聞こえてくる。
なんとなく手持ち無沙汰で、近くの箪笥の上に並べられていたガラスや鼈甲の髪飾りを見やった。
棗の私物なのか、売り物に出す前の商品なのかは分からないが、綺麗に磨き上げられたそれは、日の光を浴びてきらきらと光っていた。

そのうちのひとつに、自然と目が行った。
―― 鈴蘭か? これ……
2センチほどの丸く白い花弁が、半透明のガラスで象られているのが可憐な簪だった。
小さな風鈴にも似た花弁が5つと、小粒の真珠のネックレスが簪に取り付けられている。
今はもう少し季節遅れになってしまっているが、浴衣姿に身につければしゃらん、といかにも涼しい音を立てそうだった。

不意に、お団子にまとめた髪に、その簪を差した着物の後ろ姿が頭をよぎる。
振り返った横顔は、雛森のものだった。
―― 確かにアイツ、似合いそうだな。
少し前まではピンクなど暖色系の色を好んで身につけていたが、最近髪を下ろして大人びたせいか、少し趣味が変わっている。
少し前の夏祭りで笑顔を見せていた雛森の顔を、ふと思い出した。

「どうしたの?」
後ろから呼びかけられて、なんとなくぎくりとして振り返る。棗が、微笑んで立っていた。
「アイツは?」
「行ったよ。学校に行かなきゃいけないし。まだ学生だから」
「そうか」
「気に入ったの? それ。最近譲っていただいたものだから、季節外れだけど」
「……いや、何となく見てただけだ」
なんとなく、答えをはぐらかす。棗がそれ以上追及しなかったので、日番谷はほっとした。

鈴蘭の簪以外にも、桜、百合、彼岸花、水仙……と、季節の花々を象った簪や帯留めがざっと10個は並べられている。
どれも作られて相応の時間が流れているのが分かったが、大切にされてきたのか一つ一つ深い輝きを放っている。
「いっぱいあるでしょ? 最近、同じかたに譲っていただいたの」
「よっぽどこういうのが好きな奴だったんだな」
「ええ……それももちろんあるんだけど」
棗は茶のお代わりを入れながら、続けた。
「病弱なお嬢さんで、長い間入院していたの。おなかの病気で、食べ物のお見舞いが駄目だったから……。
みんな、その子が好きな髪飾りをお見舞いに持ってきたんだって。だから、最後にはこんな数に」
「……で、どうなったんだ?」
日番谷が眉をひそめて問いかけると、棗は一瞬の空白をあけて、笑った。
「もう、ずうっと前の話よ。そのお嬢さんは、もう立派なおばあちゃんになって……で、もう要らないからって、わたしに譲ってくださったの。
病気がなおって丈夫になれる、御利益のあるおめでたい髪飾りですよって」
「……御利益、なぁ」
神の端くれの日番谷にとってみれば、御利益と言われても眉つばものだ。
しかし、病んだ少女に早く良くなってほしい、と願う気持ちは、日番谷にも身近なものだった。

はっ、と気づいて、自分が今着ているきものを見下ろす。
「悪ぃな棗、これも商品だろ? 金払う」
「いいわよ、今日はそのまま着て帰って。気に入ったら買ってね」
「そんな商売っ気ないのでいいのかよ……」
とはいえ、考えてみれば金など持っているはずがないのだった。
「他のも見てく?」
「……ていうか、金、ねぇんだった。用事思い出したし、また来る」
そう言うと、思い出したようにまた、笑われた。このネタは相当長く引っ張られそうで、げんなりする。
「ええ、また来てくれるならうれしい」
素直にそう言って微笑む棗が、まぶしく目に映った。

自分には、記念日でもないのに女に贈りものをするような趣味はないし、そもそも自分にそんな行動は似合わない。
時々雛森が体調を崩しているのを見かけても、大丈夫かと声をかけることすら、なかなかできずにいる。
できるのはせいぜい、五番隊に足しげく顔を出して、虚の対処などの体力仕事を引き取って来ることくらいだ。
雛森は自分が気にかけていることなど気づかないと思うが、結果的に負担が減っているなら、それでいい。
「じゃあな」
五番隊に立ちよることを考えながら、棗に軽く手で挨拶して隣を通り過ぎる。その時、腰のあたりで何かが滑る感触があった。
見下ろすと、腰紐にさっきの鈴蘭の簪が差し込まれている。いたずらっぽく笑う棗と、目が合った。
「金、ねぇって。大体、見てただけだ」
「あげたい人がいるんでしょ?」
やっぱりこの女は、厄介な方向にばかり鋭い。日番谷は頭を掻いた。
「……ガラじゃねぇよ」
「じゃあこうしましょ」
棗はやけに楽しそうに続けた。
「ちゃんと渡せたら、夏梨ちゃんにはさっきの子猫のこと、黙っておいてあげる」
「はあ? なんでそこで夏梨が出てくんだ!」
「効果的な相手じゃないと、意味ないじゃない」
「ぐっ……」
よりにもよって夏梨に、自分がさっきやらかした醜態をばらされると思うと、それだけで怖気がふるう。
「……売りモンだろ」
苦渋の反撃をすると、棗は目を弓型に細めて笑った。
「モノには、必ず縁があるの。必要な時に、必要なヒトのもとへ渡るもの」
「なんで、雛森にそれが必要って分かるんだ」
「雛森さんっていうのね」
「……ああ」
「冬獅郎くんが、さっきこの簪を見てる貌で分かったわ」
「……ちぇ」
思いやりのある人の言葉には勝てない。
日番谷は反撃を諦めて、腰の簪を手に取った。しゃらん、と爽やかな音がした。

罰ゲームの一種だと言って渡すか? それでは雛森は怒るかもしれないが。
余計な言葉はいらないのだ。分かっていても、いろいろと並べたてたくなってしまう。
これなら猫のほうが、言葉がない分まだましだ。
きっと雛森なら、驚いた顔をして、そのあと微笑むだろう。そしてきっとこう言う。
「……ありがとう」
どういたしまして。棗が微笑む気配を感じた。