11月。木枯らしの吹く中、俺は襟巻きを強く巻きなおすと、流魂街の家路を急いでいた。
時刻は夜の7時ごろ。すでに外は真っ暗で、このところぐっと増した寒さに人気もまばらだった。
「ただいま」
がたがたと音を立てて、家の扉を開ける。また、たてつけ悪くなってんな。そろそろこの家も寿命か。
そんなことを思いながら一歩玄関に足を踏み入れてみると、見慣れた草履が脱ぎ捨ててあった。
「あれ? あいつ、なんで……」
自分と同じ型のその草履を、他と見間違えることなんてない。
草履を脱ごうと、玄関に背中を向けて座ったとき、背後からふふ、と含み笑いが聞こえた。
「だーれだっ♪」
振り返ろうとした直前、小さな手が俺の目の辺りを覆い隠す。ホント小さな手だと思う。
体格は俺より大きいのに、手だけ取れば、俺とあんまりかわらない。
「あのなぁ」
その瞬間感じたのは、なんともいえない居心地のわるさ。俺は草履を脱ぎ終わると、立ち上がった。
「この家には婆ちゃんかお前しかいねーだろ。雛森」
俺が憎まれ口を叩いても、慣れてる雛森は笑顔を浮かべたままだった。死覇装じゃなく、濃い藍色の着物を着ている。
地味な柄だが、色白なコイツには似合っている。
「お部屋をあっためておきましたよ、日番谷隊長」
おどけた口調でそう言うと、雛森はくるりとその場で回るようにして背を向ける。
そのまま家の奥へ入っていく背中を、俺はしばらく見つめたままでいた。
「ばあちゃんは?」
「お風呂はいってるわよ。日番谷くん、なんか食べる?」
「いや、いい。飯食ってきたから」
「そう?」
何気ない会話だ。この家で一緒に暮らしてたころは、毎日繰り返されてたのに、何だかこそばゆいような気がするから不思議だ。
雛森も同じことを思ったのか、微笑む。
「昔に戻ったみたいで、なんか変だね」
コイツは昔から、甘い飴を口の中に隠しているみたいに、いつも口元がほころんでる。
笑うときなんかも、それを隠すみたいに含み笑いをする。でも俺は、それが嫌いじゃなかった。
ひとつしかない居間の真ん中には、冬の主人公みたいにコタツがどんと据えられていた。
コタツの上には、みかんをつみあげた籠が置いてあり、その脇には毛糸の玉が数個と、編みかけの毛糸、編み針が放り出してある。
「ちょうど良かったわ、日番谷くん」
俺がコタツにもぐりこんだとき、向かいの席に座った雛森が、ぽんと毛糸玉を俺に投げてよこした。
「なんだよ?」
「この毛糸玉、からまっちゃってるから編みにくくって。あたしに合わせて、解いてってくれない?」
「……いいけど」
どうせ、この家でやることがあるわけじゃないし。俺はよどみなく動き出した雛森の手元を見つめる。
小さく鼻歌を歌いながら、魔法のように編み針が動き、うすい茶色の、マフラーに似たものが編みあがってゆく。
きっと、藍染のだろうな。不意にそう思った。藍染が、こういう色をよく身につけているのを知っているからだ。
それに、雛森のこの機嫌の良さや、嬉しそうにしている態度から見たってそれは明らかだ。
別に、雛森が藍染に憧れてるのは、今に始まった話じゃない。
学生時代に助けられて、そこからひたすら藍染の下で働くために努力して、それがやっと報われたのだから筋金入りだ。
俺は俺、こいつはこいつ、関係ない。
でも、たまに前は思いもしなかったことを考える。俺はこいつに何か、できることが今あるのだろうか、と。
「ちょっと日番谷くんー、手元がお留守になってますよ?」
不意に雛森が顔を上げ、俺は我に返った。毛糸玉から伸びた毛糸は、ぴんと張り切ってしまっている。
「ぼーっとしてたよ? まさか、好きな子のことでも考えてたとか?」
「……」
「って日番谷君、逆、逆! 引っ張るんじゃなくて、伸ばすんだって!」
「あ、悪ぃ!」
慌てて毛糸を繰り出してやると、雛森は耐えられなくなったかのように、ころころと笑った。
「まだまだ、シロちゃんだね」
どーいう意味だ。
「いつまでもガキ扱い、してんじゃねーよ」
俺は、ミカンをひとつ手に取ると、雛森に向かって軽く投げた。
「ちょっと、お行儀悪いよ?」
曲線を描いて飛んだそれを、雛森は編み針を持たない右手でキャッチした。
俺はもうひとつ手に取ると、手慰みにポンポンと放り投げた。その時、
「冬獅郎? 戻ってるのかい」
ばあちゃんの声が、風呂場から聞こえてきた。どうやら、今風呂から上がってきたらしい。
あー。俺が返事とも言えない返事を返すと、
「嬉しいねえ。冬獅郎も桃も戻ってきてくれるなんて」
本当に、こころから嬉しそうな返事があって、俺は思わず、雛森と顔を見合わせた。
死神は基本的に不定休だ。だから、雛森と俺の休日が合うこともあまりないし、同時に家に帰れる余裕が有る日となると、もっと稀だった。
今日だって、帰ってみるまで雛森が家にいるなんて思わなかったくらいだから。
婆ちゃん孝行ができねぇ孫で、申し訳ねえと思う。婆ちゃんに、俺に何が出来るだろう。
そこまで考えたとき、俺の目は自分がもてあそんでたミカンに吸い寄せられた。
ミカンを握った右手に、かすかに霊圧を込める。冷たい空気が雛森にも届いたんだろう、
「どうしたの?」
雛森が、いぶかしげに俺のほうを見つめてきた。
「冷凍ミカン作る」
力の加減が案外難しいな。俺は冷気を放ちだしたミカンを横目で見た。
ばあちゃんは、確か風呂上りに冷たく冷やしたミカンを食べるのが好きだったはずだ。
「おばあちゃんだったら、焼きミカン好きなんじゃなかったっけ」
「は? 焼き……」
「うん。焼いたミカン」
雛森は、俺と同じように右手に持ったミカンに軽く霊圧を込める。
雛森は、俺とは逆で炎の属性を持っている。ミカンからあっという間に湯気が立ちはじめた。
「そんなの旨くねぇよ」
「冷凍ミカンなんて食べたらおばあちゃん、お腹壊しちゃうよ!」
「そこまで凍らせねぇから平気だ。大体、焼けたミカンなんて邪道だろ」
「じゃ、邪道ってなによ!」
ぷぅ、と雛森が頬を膨らませた。ただでさえ丸い顔が、余計に丸く見えた。
「じゃー、勝負しましょうよ。焼きミカンか冷凍ミカン、どっちをおばあちゃんが食べるか!」
「何賭ける?」
「明日の書類整理」
間髪いれず言い放った雛森を、俺はにらみつける。年末も近い時期だから、たまった書類整理も各隊半端じゃないのだ。
それを、他の隊の分まで手伝えっつってんのか。……負けられねぇ。
互いに、最後の微調整(?)をミカンに対しておこなっていた時、風呂場の戸が開いた。
「……」
ばあちゃんは、雛森と俺、そしてミカンを見比べて、開口一番こう言った。
「あんた達、食べ物で遊ぶもんじゃないよ」
「え? おばあちゃん、焼きミカンが……」
「わたしゃ、ミカンは常温が一番好きだよ」
「マジで!?」
ふたり同時に、声を上げる。賭けは保留か、そう思った時。
「きゃっ!」
雛森が甲高い声を上げた。見たら、ミカンから炎があがってるのが見えた。
俺達の霊圧ってのは基本的に、ミカンをあっためたり冷やしたりするようにはできてない。
一瞬気が逸れたときに、力がわずかに強まってしまったんだろう。
とっさに雛森が手から落としたミカンが、編みかけの毛糸の上におちるのを、目の端にとらえると同時に、俺は身を乗り出していた。
毛糸の上に炎が燃え移る直前に、燃えるミカンをその手でつかみとる。
「日番谷君っ?」
「冬獅郎!」
俺の手から上がった煙を見て、二人が同時に声を上げた。
「……大丈夫だよ。俺は氷雪系だし」
俺は二人にミカンを示してみせた。そのミカンは、さっきまで燃えてたのがウソみたいに、今度は凍り付いていた。
でも、雛森はそれくらいでは退いてくれない。
「氷雪系だから、熱さに弱いんでしょ? 手、見せて!」
有無を言わさず、ぐいと俺の手を掴んで自分のほうへ引き寄せた。
「これくらい、どーってことねぇって」
「どうってことなくない!」
やけにこういう時の雛森は、強硬だから困るんだ。
「動かないで。ちょっとだけど、治癒系の鬼道も使えるから……」
すぐに、ここちよい空気のようなものが、俺の右手を覆ってゆく。
俺は、雛森の小さな手に包まれた、自分の手を見下ろした。何だかそれはやっぱり、ヘンな風景だった。
妙な居心地悪さを感じるくらい。
「ホラ、薬持ってきたから」
ばあちゃんには何も感じないのに、なんでなんだろう。
「……それ、無事だったな」
「日番谷くんのおかげでね」
3人の視線が、編みかけの毛糸に注がれる。
「藍染にやるんだろ?」
気になっていたことが、自分でもあっさりと口をついて出た。
雛森は意外なことに、コロコロと笑い出した。
「ちがうよ? 藍染隊長にこんなのあげないよー」
「? じゃあ誰に」
「日番谷くんにつくってあげようと思って」
「……」
俺は、とっさに無言だった。ぽん、と婆ちゃんが俺の頭を撫でる。
「よかったねー、桃がくれるって」
「……ガキじゃねーんだぞ」
視線がそれて、ちょっと助かった、と思った。
どんな顔をしてたか、自分でも良く分からなかった、から。
ただ、混じりけなく、嬉しかったのは確かだ。
そういう気持ちは、雛森が藍染に憧れているのを知る前より、強くなっているような気がした。
……
最後の、この一言さえ聞かなければ。
「ていうか、ソレなんだよ?」
「へ? 腹巻」
「ハラ……そんなもんいるか!」
「だって、子供ってよくお腹壊すじゃない!」
「そうそう壊すか、ふざけんな!」
「何怒ってんの、日番谷くん」
「……」
「良かったねぇ、冬獅郎」
「……」