チラシ寿司の作り方、分かる?
あたしが尋ねた時、棗さんはちらりと台所のほうを気にした。
「分かるけれど……お母さんが戻ってから作ってもらったほうがいいかしら」
「……うち、お母さんいないんだ。いつも料理しているのは、双子の妹」
湿っぽい言い方をしたつもりはなかったけど、棗さんは少し驚いたように目を見開いた。次の言葉を探していると、違うのよ、と言う風に首を振られた。
「とても、台所がきちんとしているから驚いたのよ。片付いている上に、何でもさっと取り出せるようになっているもの。女の子がこんなに整えられるなんて、すばらしいわ」
「そう……なんだ」
いつも綺麗に片付いているとは思っていたけれど、そんな感想は持ったことがなかった。
だったら、その双子の妹さんに作ってもらったら。予想した返事は返ってこなかった。たぶん、あたしが慣れない料理をしようとしていた理由も、何となく察せられていたのかもしれない。
「いいわよ」棗さんは微笑んだ。「台所を、お借りできるかしら?」
「も! もちろん! ていうか、あたしがやるから……」
作り方だけ教えてもらえれば十分。そう続けようとしたとき、ひんやりとした掌が、額にぴた、と乗せられた。
「熱があるんでしょう。37度4分、というところかしら」
掌をどけた向こうにある棗さんの表情が、はっとするくらい優しい。
「なんで分かんの……」
さっき測ったとき、確かにぴしゃりとその数字が出たけれど。
「子どもがいる母親なら、みんな当てられると思うわよ」
あたしの視線を受けながら、棗さんは台所へと向かった。


かたかた……
台所から音がする。行き来する小さな足音、単調な包丁の音。それは、遊子の料理している時の物音とは、少し違っていて。
なんだか、ずーっと昔にこんなことがあったような気がした。……お母さん、なんて。あたしにとっては遠い遠い昔に、亡くなっているはずなのに。
お母さんがいた時はこんなだったかな、と思ってみる。
和服のその後姿は、お母さんのものとはぜんぜん違うはずだけど。大人の女の人がもつ空気は穏やかで、優しい。
後ろを向いたまま棗さんは尋ねた。
「夏梨ちゃんのおうちは、甘いものが好き? 少し辛い方が好き?」
「うーん。おかずは、甘くないほうが好きかな。……ていうか本当にごめん。なんだか全部作ってもらう勢いで……」
棗さんの肩が揺れた。笑っているようだった。
「わたしは一人暮らしだから、お正月みたいなことが何もなくて。つまらないって思ってたから、お正月らしいことが出来てうれしいわ」
気を遣って言ってくれている、のもあるかもしれないけれど。本当にうれしそうで、あたしは続く言葉を失う。なんだか温泉に入っているみたいな長閑な気持ちで、棗さんの後姿を見守ることができた。
あのクールな冬獅郎と、棗さんがどうして親しいのか、なんとなく、分かる気がする。でも一体どうやって二人は出会ったんだろう。どんなことを、話してるんだろう。

そう思っている間に、リビングの椅子に座ったまま、まどろんでいたらしい。
「はい」
目の前に小皿を出されて、はっとした。イクラ、えび、絹さや、縁がピンク色のレンコン、しいたけ。
目に飛び込んできたのは、色鮮やかな色彩だった。小皿に、小さくこんもりとチラシ寿司が盛られている。
「味見してもらっていいかしら。味付けは全体的に甘くしないようにしたんだけれど」
「うん……ってえええ! 出来てる! なんで?!」
うとうとしていたっていっても、それほど長い時間じゃないはず。それなのに、目の前に出てきている、いかにもお正月にふさわしい華やかなチラシ寿司に、ただただ、ぽかんとした。こんな短い時間で作れるものとは到底思えないんだけど!
「食べてみて」
出されたお箸で、口に運んでみる。
「おいしい……」
酢飯はすっぱすぎず甘すぎず、口に運ぶと全ての具の味が溶け合っていつまでも噛みしめていたくなる。
しかも、遊子の味付けとは、卵焼きとかが少し違うんだけど、近い。
「棗さん、もう、何って言っていいか……天才!?」
感動しまくっているあたしに棗さんはじゃっかん驚いたみたいだけど、にっこりと笑った。
「冬獅郎くんの刀留め、預かってくれるお礼よ。たいしたことじゃないけれど」
「すっかり忘れてた」
思わず、笑いあう。棗さんは、ちらりと時計を見た。まもなく11時になるのを確認すると、立ち上がった。
「じゃあ、わたしはそろそろ、失礼するわね」
「え! もうすぐ、家族が帰ってくるから。せっかく作ってくれたんだし、一緒にお昼……」
「ごめんね。この後、用事があるのよ」
「……そか」
なんだか、膨らんでいた気持ちがシューッとしぼむみたいだ。思いがけないくらいがっかりしている自分にびっくりする。

表情に出ていたんだろう、棗さんは少し眉を下げて、微笑んだ。
「良かったら、お店に遊びに来てね。おもてなしするわ」
そう言って手にした鞄から一枚の名刺を取り出し、両手を添えてあたしの掌にそっと乗せてくれた。
「村上棗」の名前と、なつめ堂の名前、連絡先、住所が書かれている。
「ありがとう。……棗さんに、会えてよかった」
こんなこと言うなんて、とあたしは自分で、自分の唇から出た言葉にちょっとびっくりする。
家族の前では、きっとこんなこと恥ずかしくていえない。
「わたしも、夏梨ちゃんに会えてよかったわ。冬獅郎くんに、感謝しなくてはね」
そう言って扉を閉めた棗さんのほのかな残り香と、微笑の余韻が玄関に残っていて。あたしはしばらく、微笑んだままでいた。




Update 20190214