遠い日の、夢を見ていた。
―― 「うわっ、アイツがいるぞ!」
―― 「本当にアイツの近く、空気が冷たいぜ!」
―― 「寄るな! 鬼の子の癖に!」
まただ。雛森は顔をしかめ、古びた扉を開けて外に飛び出した。粗末な膝丈の着物一枚を纏った銀髪の子供は、雛森に背を向けるように立っていた。その頭に誰かが投げた小石が当たり、少年はこめかみを押さえて俯いた。
―― 「コラ! シロちゃんに何してんのよ!!」
雛森は駆けつけると、同じように粗末な格好をして、日番谷を遠巻きにしていた数人の子供達に怒鳴りつける。そして大きな石を握り締めると、投げる真似をした。ぱあっ、と雲の子を散らすように、子供達が逃げてゆく。
―― 「もう、何度言ってもしつこい子たちね。……大丈夫、シロちゃん?」
―― 「大丈夫だから、触んな」
こめかみを押さえた掌が赤く染まっているのを見て、慌てて雛森は手を伸ばす。しかし日番谷は、それを拒絶するように背を向けた。
―― 「放っとけるわけないでしょ? そんな傷!」
―― 「大丈夫だって……!」
言うのに構わず、雛森は手を伸ばした。一緒に暮らし初めて何年かたつが、未だにこの少年は心を誰にも開かない。鬼の子だと蔑まれるたび、少しずつ扉を閉ざしてしまう。何とかそれをこじ開けたくて。雛森は日番谷の小さな肩を掴んだ。
途端。
氷のような冷たい空気が、雛森を襲った。
―― 「……きゃっ!?」
思わず悲鳴をあげ、日番谷から飛び下がった。その時、自分は一体どんな目で、日番谷を見たのだろうと想う。ただ、肩越しに振り返った日番谷の瞳は、まるで親を失った子犬のように見えた。孤独で、頼るものもなくて、近づこうとする人に牙を向いてしまう。
―― 「俺に、近づくな」
そう言った背中に、何もしてやれなかった。
あぁ。
まどろみのなかで、ようやく雛森は理解した。
これが「理由」だ。あの時、藍染の手を取らなかった、「理由」だ。
たった一人で孤独の中に堕ちようとするあの子を、自分は何とかして救いたかった。
あの子が氷のようだというなら、自分はそれを溶かす、やさしい炎のようでいたいと想った。
傍にいたい。だから、強くなりたいと願ったのだ。
それが、自分のただひとつの「願い」だった。
ふっ、と雛森は覚醒する。瞳を開けると同時に、銀髪が視界に飛び込んできた。
泣きつかれて眠ってしまった自分を、一晩中抱きしめていてくれたのだろう。互いに座り込んだ姿勢で、雛森を胸に閉じ込めるように抱きしめたまま、日番谷は静かに寝息を立てていた。その肩に、ふわりと桃の花弁が一枚、乗っていた。
その髪にそっと、手を伸ばす。久しぶりに触れたその銀糸は柔らかく、雛森を切ない思いにさせる。髪の間からのぞくその表情は驚くほどにあどけなく、遠い日を思い出させた。
「ありがとう……」
自然と言葉が、口について出た。護りたいと想っていたのに、護られたのは結局いつだって自分のほうだった。藍染に裏切られ、心身ともに堕ちようとする自分を何度でも、何度でも。こうやって引き上げ抱きしめてくれる。その掌に、雛森はそっと自分の手を重ねた。すると、日番谷は瞳を閉じたまま、掌を雛森の肩に回し、もう一度抱きしめた。
「日番谷……くん?」
遠慮がちに呼んでみるが、その瞳は閉ざされたままで静かな寝息が聞こえている。その引き合うような心臓の鼓動と寝息を聞いているうちに、切ない気持ちがせりあげてくる。
本気で、誰かに何かを願ってはいけないと思っていた。不器用で、すぐに人を傷つけてしまう自分だからと思っていた。
でもそんな自分でも、ずっと願い続けてきた只ひとつのことがあった。それを思い出してしまったからには、もう離れたくはなかった。
「どうか、」
続けたかったことは、言葉にならなかった。
雛森は日番谷の肩に乗った花びらに、唇を寄せる。
そのままそっと、口付けた。
花に願いを fin.