ムカつくもんは、この世にはいっぱいある。
甘ったるい菓子とか。
真子(シンジ)とか。
「女の子らしくしろ」っていう言葉とか。
でも・・・
「俺か?日番谷冬獅郎だ」
そのガキは、それだけ言うと関心なくしたように、あさっての方向を見てた。
キザな青い目。銀色の髪。
ウチのほうが百年以上も先輩やのに。
こっちの名前も聞かんって、どんだけウチに興味ないねん。
ホンの、ホンのちょっとウチより身長が高いだけやのに、妙に見下ろすその視線。
「・・・ふふふ」
唐突に笑い出したウチに、日番谷ってガキは気味悪そうな視線をよこした。
みーつけた。
「いけ好かんもの」のストライクゾーンを決めてくれたんは、日番谷冬獅郎って言う死神やった。
―― あぁ、いけ好かんわ。
ぶらぶら歩く日番谷の後ろを、ウチはついて歩いとった。
半そでのTシャツに、ちょっとダボダボのジーンズ。
Tシャツからは、男にしては白くて、華奢な腕が見えとる。
―― あぁ〜、イライラする!
男の腕っていうんはなぁ、もっと日焼けしとって、太ないとアカンのや!
汗のひとつも光っとらんとアカンのや,!
理不尽な攻撃やって分かっとるけど、いったん思い出すと歯止めがきかん。
―― ん?どこ行った!
タタッ、と走ってその気配を追うと、アイツはオープン・カフェの、カウンターにおった。
なんや、アイスクリーム屋?夏でもないのに、まだ早いやろに。
「お客様、キャラメル・タートル・テンプテーションになります」
ぶっ。
やったら甘そうなアイスを受けとるアイツを見て、ウチは吹きそうになる。
なんちゅうもん頼んどんねん。なにがテンプテーションや。
「恥ずかしくないんかい!」
思わず口に出したとき。
「オイ」
日番谷が、ウチを振り返った。
「な!なんやねん!・・・偶然やな」
ウチの尾行は、こんな超後輩ごときに見抜かれたりせえへん。
日番谷は、ウチをあきれたような、どうでもええような、なんともムカつく目で眺め回したあと、言うた。
「食わねーのか」
カウンターの向こうを指差す。
お店のお姉さんは、ニコニコしてウチとこいつの顔を見回しとる。
「お友達もどうかしら?」
「誰がお友達やねん!!」
「そんなカケラも事実じゃないことに、イチイチ反応すんな」
同じのひとつ、と日番谷に、先に頼まれてしまう。
あぁ・・・ウチもテンプテーションかい。
ていうか、カケラも事実やない、て・・・ウチでもそこまで、友達疑惑を粉砕せえへんわ。
「・・・甘い」
「文句言うな」
ホンマに、口から砂糖吐きそうに、甘い。
スプーンをくわえた日番谷が、ふつーの顔で食べてるんが信じられん。
大体ウチ、こんな奴のこと嫌いやのに、なんで二人で歩く羽目になっとんねん。
はぁ。
ため息をついたときやった。
「お客様、どうされました?」
営業スマイルが思い浮かぶような愛想いい声で、どっかの兄ちゃんが言う声が聞こえた。
そっち見たら、中に何か詰め込まれたゴミ袋をもったコンビニ店員がおった。
で、コンビニから出てきた5歳くらいの女の子が、その店員に何か話しかけとった。
「・・・なんや急に足とめて」
日番谷がアイス食べるんをやめて、足を止めた。
視線は、その女の子の方へ向いてた。
「その中、賞味期限切れたお弁当でしょ?あたしに頂戴!ねえ、どうせ捨てるんでしょ?」
「困るなぁ、そんなこと言われても・・・これはもう、ゴミなんだよ」
ボサボサにほつれた髪。
シャツはアイロンも当たってへんし、ボタンも止めてへん。
家に金がない、ていう訳やないな。ウチはそれを見て思う。
この子に手をかけてくれる大人。
ちゃんと服着て、飯食って、キレイにしなあかんって、気を配ってやる大人が、この子にはおらんのやな。
日番谷は、黙ってその風景を見とる。
その上品な色の瞳には、一体なにが映ってるんやろ。
たぶん、ウチとは違うもんを見とるわ。
その時。ドン、て音に、ウチは視線を戻した。
「しつけーな、このガキ。こっち来んな!」
別人みたいに形相を変えた店員が、いきなりその子の肩を拳で突いたんが見えた。
足に力入ってへんのやろ、その子は思い切りよろめいて、後ろに倒れこもうとした。
「あ・・・」
思わずウチが駆け寄ろうとした時。
トン。
軽い音と共に、いきなり後ろに現れた日番谷が、その子の肩を後ろから支えとった。
ていうか、瞬歩ふつーに使うなや。
「え・・・」
その子が、ぎょっとして日番谷を見上げる。
日番谷は、その子には目を合わせんと、店員を睨みつけとった。
正面きって、思い切り。
店員も同じくらいびっくりした顔しとったけど、やがて憮然とした顔でゴミ箱に近寄ると、中身をバン、てぶちまけた。
まだ食えるやろって思うような新品の弁当が見えた。
「あ・・・」
その子が、弁当を見て、迷った顔をする。
日番谷は、無言でその子の手を引いて、道の先へと歩いてった。
「・・・ちょっと!離してよ!」
コンビニからちょっと離れたとこで、その子が日番谷の手を振りはらうんが、見えた。
「ちょお待ち。ウチは無関係やって」
きっ!と鋭い視線を向けた子を見て、ウチは手を振る。
「何よ!目つき悪いわね!!」
こりゃー手に負えんタイプのガキや。ウチと日番谷は目を見合わせる。
「お前のことだろ?」
「何いっとんねん、お前よりマシや」
「どっちも悪いわよ!」
ぴしゃりと言い放たれて、さすがにウチも日番谷も黙った。
「なんやと、このガキ!助けてやったっつうのに、いい気になりよって」
お前は何もしてねーだろ・・・て日番谷の声が聞こえたけど、却下。
「こんな夜遅いのに、ほっつき歩きよって。家どこや!」
「ほっといてよ、大きなお世話!!」
「やめろよ」
どんどん声がでかなるウチらの会話に、日番谷が割ってはいった。
スッ、とガキの前にかがみこむ。
至近距離から見られたせいか、ガキが体を硬くして身を引いた。
「・・・名前は?」
「・・・。美歩(みほ)」
「そうか。家はどこだ?送っていく」
驚いた。ふつーに会話しとる。
意外と子供好きか?
・・・まぁ、コイツ自身子供やから、子供の気持ちが分かるんかもしれん。
日番谷の質問に、美歩、と名乗ったガキは、ぎゅっと唇をかみ締めた。
「家なんかないもん」
「あ?じゃあ、親は?」
黙って、首を振る。ウチはガン、と後ろから日番谷の頭をはたいた。
「ってーな!何すんだよ、てめー」
「虐待されとんじゃ、親に。世の中、親が絶対子供を可愛がるなんて、大間違いやで。
現世に来て百年、こんなガキ腐るほど見たわ」
「ママは、あたしなんかにゴハン作りたくないって。イヤイヤ作ってほしくないもん」
あーあ・・・泣いてもた。
「・・・親はどこにおるんや」
指で目をこすってるガキを、ウチは見下ろした。
さすがにこんなん見せられたら、ハラも立たへん。
「お父さんは死んじゃったけど。お母さんはいるよ。
でも・・・別の男のヒトといるから、今更あたしを・・・」
押し付けられても、困るってわけやな。
美歩が言えんかった言葉の続きが、カンタンに思い浮かぶなんで、ウチも擦れたもんや。
日番谷には、わからんかもしれんな・・・そう思った。
コイツも、ウチと同じ、流魂街の出身や。
流魂街は、血縁も何も無い赤の他人が、生き抜くために身を寄せ合う場所や。
うまくいかんかったり、裏切られたりしたら、どうしても、こう思ってしまってた。
もしも血がつながってたら、もっと分かりあえたんちゃうかって。
無いものねだり、ていうんかな。
求めてもムダやってわかってる分なおさら、血縁への憧れは、強い。
そやから。
血のつながりっていうんが、時として赤の他人よりも冷たいって知って、ウチも初めは正直、傷つきもした。
長い間、鍵が見つからんと開けられんかった宝箱の中身が、空やったみたいに。
日番谷は、しばらく黙っとったが、ゆっくり口を開いた。
「ウチへ帰れ」
「空気読まんかい!」
その頭を、ウチは再びどついた。
教科書通りのことしか、その真っ白いアタマの中には入っとらんのかい。
美歩は、首を振る。首を振ったとき、涙がぽろぽろと頬を伝った。
「ダメ。それにあたし、待ってるの。パパ、ここにいるもの」
その時。
おそらく、文句を言おうとウチを振り返りかけた日番谷が、すばやく視線を美歩に向けた。
―― なんや?
ウチも気づいた。
美歩の近く・・・すぐ後ろの壁が、歪んだみたいに見えた。
そして、そこから突き出したんは・・・
美歩の頭くらいの直径がある、異常なサイズの灰色の指。
「虚か!」
日番谷が、それにむかって手のひらを向けた。
死神化しとらんでも隊長や、これくらいの虚、どってことないやろ。
でも。日番谷の動きは、途中で止まった。
振り返った美歩が、
「パパ!」
背後に現れた、1メートルほどの灰色の顔を持つ虚に向かって、手を伸ばしたからや。
「・・・バカ!!」
ウチが叫んだときにはもう、虚の爪は、美歩の眼前まで届いてた。
「ちっ!」
日番谷が叫ぶと、美歩の腕をぐいと引き、ウチに向かって投げつけた。
「ガキが!」
虚は、憤怒の形相を日番谷に向けると・・・その馬鹿でかい拳で、日番谷の腹を殴りつけた。
「ぐっ・・・!」
「日番谷!」
死神化しとらんその体の強度は、普通の人間とあんまり変わらへん。
虚の攻撃なんか、受け止められるわけあらへん・・・
その体が後ろの壁にぶちあたって、とまった。
ズル・・・と下にくず折れた日番谷に、意識は無い。
ぶつかったところの壁が、血で赤く染まった。
「この、根性なしがぁ!」
こんなんで気ぃ失いおって。最近の死神は鍛え方が足りんのちゃうか?
あたしはすばやく死神化し、斬魂刀を腰から引き抜いた。
「コラ、美歩!お前、日番谷のとこにさがっとれ!ウチが戦ったる」
ギラリと光った刀を見て、ヒッと美歩が息を呑んだ。
ウチは、その切っ先を、虚に向ける。
こいつは美歩の父親の虚。やとすると、狙うんは・・・
「やめて!!」
その瞬間、美歩がウチの懐に飛び込んできた。
慌てて刀を引いたウチに背中を向けて、美歩は大声で言い放った。
「お願い!あたしを、パパのところにつれていって・・・」
それに答えるように、虚がその爪を美歩に向ける。
「アホ!どかんか!死にたいんかい!」
ウチは、その小さな肩を、後ろに押しやった。
お前は、わかっとらん。
その虚がお前を狙うんは、父親として娘の頼みを聞こうとしてるから・・・と、違うんや。
虚が、その失った心の穴を埋めるため、求めるんは「最愛の者の魂」。
その本能に従ってるだけなんや。
「命なんて、あたしはいらない!」
ウチの手を烈しく振りはらった美歩は、そう言い放った。
そして、ガキながら、燃えるような本気の目でウチを見据えた。
「あたしは、この世で一人なの。こんなにたくさんヒトがいたって、たった一人なの!
それなら、鬼でもパパと一緒にいたい!」
「・・・美歩」
「行かせて!」
正直言って、気圧された。
ウチの百分の一も生きてへんガキやのに。
こんな小さな体の中に、そんなことを言わなアカンほどの、どれだけの悲しい思いを詰め込んできた?
次の行動を見失って、立ち尽くしたウチに、虚が迫った。
灰色の巨大な顔。牙を剥いた口。逆立った髪。もう、片鱗も人間を残してない。
その涎を垂れ流した口が、かぱりと開かれた。
「むすめを、こっちへよこせ」
美歩が、ゆっくりと前に進み出る。そして、大きく手を指し伸ばした。
虚と化した父親に向かって。
「・・・いいよ」
諦めたんか。それとも、本当にうれしいんか。
こんなバケモンでも、その目には父親に見えるんか。
それを見守るウチの手から、力が抜けた。
そうかもしれん。そう思ったからや。
心から、父親は娘を連れて行こうとしてる。たとえ、動機がなんであろうと。
そして、娘は父親と一緒にいたいと、強く強く願っとる。死んでもいいくらいに。
二人がそう望むなら、その邪魔をする権利、ウチにあるんやろか。
「一緒に行こう、美歩!」
言葉とは裏腹に、バカでかい口が、美歩に向かって開かれる。
ウチは、それが分かってても、とっさに動けんかった。
「バカヤロ・・・!」
気がついたら、叫んどった。
動かん自分にか、自分の娘を殺そうとする父親にか、それを涙を見せながらも受け入れる娘にか。
その時、黒い影が、疾風みたいにウチの前を通り抜けた。
ガキン!!
牙と刃が打ち合う音が、夜の通りに響いた。
「日番谷!」
日番谷の小さい体が、虚と美歩の間に入り込んどった。
虚の牙は、日番谷が振りかざした刀と真っ向からぶつかり合って、止まってた。
「・・・その傷で、無茶なことを・・・!」
ニヤ、と虚があざ笑うのが分かった。そのまま、ギリ・・・と力を入れてくる。
あの出血や、肋骨の一本くらい、イッてしもとるかもしれん。
激痛なはずやのに。日番谷は、表情も変えんかった。
「この子を連れて行くな」
「いいの!本当に、いいから!」
美歩がその肩に手をやっても、日番谷は目もむけんかった。
「ダメだ」
日番谷の返事は、短かった。
「お前は、現世で生きるんだ。命がある限り」
命、は。失ってから初めて、どれだけ大切か分かる。
現世で死後死神になった日番谷も、ウチも・・・そして、この虚も。
それを身にしみて分かっとる一人や。
断固としたその言葉を聞いた虚の目が、一瞬ひるんだのをウチは捕らえた。
「ちっ!」
牙と刃が、火花を散らしてすれ違う。虚は、5メートルほど背後に飛び下がった。
「やめて!」
美歩の涙声に、日番谷は視線を落とした。
「下がってろ」
そして、唇をかんで、刀の柄をぎゅっと握り締めたんが、見守っとるウチには分かった。
「・・・」
ウチは黙って、瞬歩で美歩の後ろに近づいた。
そして、その両肩を捕らえて・・・虚の前に、突き出した。
振り向いた日番谷が、あわてたように叫ぶ。
「やめろ!何やってんだ!」
「いいから黙っときィ!」
ウチは思い切り声にドスを聞かせて、怒鳴った。さすがに日番谷が黙り込む。
「ホラ。どうしても連れて行きたいんやったら、やればよいやろ」
ビクリ、と美歩の肩が動いた。虚が、ゆっくりと、美歩の方へ歩み寄る。
「パ、パ」
50センチほどまで近づいた虚が、その顔をゆっくりと、美歩に近づける。
「・・・憎いやろ。苦しいやろ。虚って、そういうもんや。
それでも、絶対にやったらあかんことが何かも、分からんならな」
ウチは、虚の顔を睨んで、そういった。
この虚は、日番谷の言葉に反応して、ためらった。
考える心が、あるってことや。
もちろん、こんなんは賭けや。
日番谷が、刀の柄に手をやったまま、虚の次の動きに注意を凝らす。
あたしも、両手を美歩の肩に置いたままやから、無防備や。
美歩にかかってこられたら、こっちもタダじゃすまんやろ。
十秒か?一分か?それよりも、長い時間かはわからん。
気づけば、冷や汗が頬を流れ伝ってた。
「・・・誰かくる」
日番谷が、低い声でつぶやいた。
カツ、カツ、とヒールがアスファルトを叩く音が、近づいてくる。
―― どうする?
ウチと日番谷が、顔を見合わせたとき。
「美歩!」
ハッ、とその場の全員が、声のしたほうを見やった。
びくり、と虚がその全身を揺らす。
「ママ!?」
それは、キャリアウーマンって感じのジャケットとタイトスカートに身を包んだ、30代くらいの女やった。
キレイに着飾って、首にも耳にもアクセサリーが光っとる。
「なに・・・あなたたち」
女の目が、ウチと日番谷の間を彷徨う。
虚は、見えとらんのやな。まぁ、普通の人間に虚は見えんのが普通やけど。
「美・歩」
牙をむき出した虚が、つぶやいた。
その視線は美歩じゃなく、昔妻やった女を見つめとった。
「いい名前、だ」
スッ、と虚の頬を、涙が伝った。
その涙は、人間が流すのと同じ。キレイで透明やった。
「・・・ホラ。やれや」
ウチは、日番谷にそう促す。
頷いた日番谷が、刀を抜き放ち、その柄尻を虚の額に、そっと押し当てた。
それは、魂葬の儀式。
「パパ!!」
美歩が声を上げて、前へと踏み出す。
その姿を、虚は・・・いや、父親は、優しい目で見下ろした。
「すまなかった、なぁ」
ふわり、とその姿が宙に溶け・・・美歩はひとり取り残された。
「・・・」
気が抜けたような、呆然としたような、そんな沈黙があたりを覆う。
でも、そんな沈黙は、
「あなた達、何ですその格好!美歩と何の関係があるんですっ!!」
固い女の声に、かき消された。
「・・・」
今度は、うちと日番谷が気まずい視線を交わす方やった。
黒い着物着て、刀引っさげて、夜中に何やっとるって言われても困る。
ズカズカと女は歩いてくると、美歩の手をぐい、と引っ張った。
「夜中に出歩いて!どこまで面倒かけさすの、アンタは!」
「いったい誰のせいで、夜中に家出しなきゃいけなかったと思ってんだ!」
ズイ、と日番谷が足を踏み出した。
珍しい、本気で怒っとる声や。それを聞いた女は、その怒りに少しひるんだ顔をした。
「な、なによ!子供の癖に、警察呼ぶわよ!」
美歩のクチ悪いんは、絶対母親の影響やな。
ウチはため息をついて、女に近寄った。
「ウチらな、美歩のクラスメートやねん。
学芸会の練習しとって、面倒くさいからそのまま帰ってきたんや」
クチから出任せ。あきれたように日番谷がウチを見る視線を感じる。
でも、母親は一応、信じたらしかった。
「・・・紛らわしい格好するんじゃないの。早く家に帰りなさい」
不本意やけど、外見が子供で助かった。
「こいつは、まだ自分で居場所を見つけられない、ガキなんだ。
自分で居場所を見つけられるようになるまでは、アンタが作ってやらなきゃいけないんじゃないのか」
日番谷が、ぽん、と美歩の肩に手をやって、母親のほうへ歩かせた。
母親のほうは、その言葉に、少しいぶかしげに、眉をひそめた。
その微妙な表情が、もちろん似てもつかん、さっきの虚を思い出させた。
―― この女も鬼って訳ちゃう。苦しんどるんやろな、きっと。
「・・・ママ」
美歩は、うつむいたまま母親のとこまで行くと、ためらいながら、そっと母親の手をとった。
「ごめんね。毎日仕事で遅いのに」
きっと、女として新しい夫とうまくやっていく時間とか。
母親として、美歩と過ごす時間とか。
そういうのを捻出するには、この女は時間がなさすぎるんかもしれんな。
母親は、美歩の言葉に、絶句したみたいやった。
無視しとった子に、気遣われたらそりゃ言葉もないやろ。
その表情が、この女にもまた、考える心があるんやってことを思わせた。
母親は、黙ってかがみこむと、美歩の服の外れたボタンを、ゆっくりと留めた。
そして、手を取ったまま、無言のまま、ウチらに背中を向けた。
「―― な、なぁ」
ふと、思い出したことがあった。
―― いい名前、だ。
さっき魂葬した父親が、そんなことを言ってた。
「美歩、てなんでつけたんや?」
振り返った母親は、ちょっとだけ考えて・・・そして、微笑んだ。
「例え険しい道でも、立派に歩いて、自分の足で生きてゆけるように。
だから『美歩』よ。元夫と考えて決めたの」
あぁ。
どんな人間にでも、人生があるんやな。
手をつなぎあった一対の母子は、なんだかとても、普通の家族に見えた。
振り向くと、日番谷は、痛そうに顔をしかめていたのを慌てて戻した。
「お前、いっつも、魂葬するんにそこまで手間かけとるんか?
信じられんわ。隊長やったら、ソウル・ソサエティ全部が相手やないんか」
「一人ひとりを適当にやるってことは、全員を護らないのと同じことだ」
日番谷はそういって、元の姿に戻った。
全く、融通のきかん奴やな。当たり前のことしか言わん。
でもな。
「お前、なんで、最後に美歩を父親に突き出した?こうなることが分かってたのか?」
初めからわかってたわけや無い。
与えられた生を、精一杯生きろ。
当たり前のことを、当たり前みたいに言うこいつを見てると、ちょっと、信じてみる気になっただけや。
百年現世で暮らすうちに、被っとった擦れっからしの仮面を、ちょっと取ってみる気になっただけ。
「ホラ行くで、超後輩」
ウチは、訝しげに眉をひそめた日番谷に、手を差し出した。
「家まで連れて帰ったるわ」
「俺はガキじゃねーぞ!」
狼狽した日番谷の声がおかしくて。ウチは大声で笑った。