そして、一部が待ちに待ち、一部が辟易した年始の柱合会議が開かれた。
「明けましておめでとう、私の子供たち。無事に新しい年を重ねらて何よりだ」
上座に座った産屋敷が穏やかな笑みを浮かべて、集まった柱たちを見回した。
中央に悲鳴嶼、その両脇に義勇と宇髄、その更に後ろに実弥と煉獄、伊黒としのぶ、最後に新しく任命された甘露寺が正座し、甘露寺以外は皆同時に頭を下げた。
―― なるほど。柱経験が長い順に座るのね……そしてここで頭を下げる! 今のところ順調よ、蜜璃!
甘露寺は自分で自分を励ましていた。頼みの綱の煉獄も少し離れて座っていて、心細いことこの上ない。

「さて。皆もう聞き及んでいると思うが、今回の会議から、新しい柱がひとり、加わった。恋柱・甘露寺蜜璃だ」
皆が振り向き、そして皆、一様に固まった。その原因は明らかだった。
心中、煉獄は考えた。
―― 緊張しているな、甘露寺! しかしまた、一体どうした訳で、隊服の胸元をそんな風におっぴろげてしまったのだ? 俺か? 俺がありのままと言ったのを誤って受け取ってしまったのか?
煉獄の知る限り、甘露寺にそんな趣味はなかったと思う。
隊服担当の隠の仕業だったのだが、煉獄はそんなことは知らない。

伊黒は、目のやり場に困っている。
宇髄は、無遠慮な視線を向けている。
しのぶは、眉を顰めて真剣な表情だ。
実弥は、やっぱり変なのが来たと思っている。
義勇は、何も考えていなさそうで、やっぱり考えているように見え、その実何も考えていないのかもしれない顔をしている。
「一体何事なのだ?」
盲目のため事情が分からない悲鳴嶼が怪訝な表情で言ったが、誰も説明できなかった。

「さて、蜜璃。自己紹介をお願いできるかな」
産屋敷は一人、悠々とした表情だ。一方の甘露寺はダラダラと汗を流し始めていた。
―― なに? この空気……私、もう何か間違えたのかしら? まだ、何も言ってないのにもう? 頑張れ蜜璃! 話すのよ!
「かっ……甘露寺蜜璃です。この度、恋柱を申し付かりました! 不束者ながら、全力で尽くさせていただきます!」
―― 違うわ蜜璃、不束者ですが、の台詞は嫁入りの時に使うのよ! 早まってしまったわ……
「すっ、すみません! 緊張してしまって。わ、私は、理想の男性を見つけるために、鬼殺隊に入りました。み、みなさん素敵なので、緊張します!」

数秒の沈黙が落ちた。たった数秒だったが、甘露寺が壊滅的に失敗してしまったことが明るみになる数秒だった。
ぶはっ、と宇髄が耐えられないように笑いを漏らした。
伊黒と実弥は、甘露寺がいろんな意味で想像以上だったので、言葉を失っている。
しのぶは、きょとんとしている。義勇は、ぼーっとしている。
やがて、悲鳴嶼が口を開いた。
「……。私はもう古い人間なのか、最近の若者の考え方にはついていけない」
何だか、落ち込んでいる風だったが、誰もフォローを入れられなかった。
いつもこういう時、とうとうと皮肉を並べる伊黒が黙っているから、妙な沈黙が落ちる。
「伊黒。腹でも痛いのか」
義勇が誤った気遣いをした。


その場の空気に全く気づかないように、産屋敷は朗らかな表情を崩さなかった。
「さて。恒例の新柱の手合わせに進もうか。誰が相手をする?」
それは、柱が新しく就任した時は、恒例となっている儀式だった。新しい柱と先輩の柱が手合わせするものだ。
先輩の柱が、相手が本当に柱にふさわしいか評価を下す。もっとも、どんな結果であれ、産屋敷によって任命された柱が覆ることはありえないから、あくまで形式上となる。
また、逆に新顔に先輩の柱が負けることも、往々として起こる。その時は新柱の評価は一気に上がることになる。

産屋敷の言葉に、皆顔を伏せた。神妙にしているように見えて、皆イヤなのだ。黙っていると、
「杏寿郎。もともと君の継子だったね。誰が手合わせの相手として、適任だと思う?」
煉獄にゆだねられた。煉獄はざっと全員の顔を流し見て、即答した。
「不死川が良いと思います!」
よし! と他の柱が拳を握ったのが見えるようだった。一方でいきなり指名された実弥は当然のようにキレた。
「オイ煉獄、なんで俺を指名したァ。俺は恋柱なんて認めねェぞ」
「理由は三つだ!」
いざり寄ってきた煉獄が、実弥の目の前に三本指を眼前に突きつけた。正座したまま実弥がのけぞった。
「ひとつ! 服装が似ている。ふたつ! 不死川は変わった武器の扱いが上手い。みっつ! 不死川に勝てば箔がつく。以上だ」
「あァ?」
実弥は初めて、甘露寺をまともに見た。二人の視線がぶつかった。
―― きゃぁ、野生的で素敵!
―― こいつ、ぜんぜん俺のこと怖がってねぇな……
緊張感がないのはもちろんだが、そもそも、俺に勝つつもりでいる、そんな目だ、と実弥は思った。
「おもしれぇ」
刀を無造作に握り、立ち上がった。


***


二人が広い庭で対峙すると、さきほどの妙な空気は一掃され、新年の冷たい空気とあいまって、ピリリとその場が張り詰めた。
「やっぱりいいね、真剣での勝負は」
産屋敷は微笑んでいる。一方で柱たちは、どちらが勝つかぼそぼそと賭けをしていた。
「賭けにならんな。不死川だろどう見ても」
そう言った宇髄の前で、煉獄は首を横に振った。
「いや。俺は甘露寺に給料3ヶ月分だ」
「大きく出たな!」
その場の全員が驚いて煉獄を見た。彼は珍しく悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「初見で甘露寺の刀を押さえるのは至難の技だ。それができるのは悲鳴嶼さんくらいのものだと思うぞ俺は」

「よろしくお願いします」
その場の雰囲気に飲まれ、ぺこりと頭を下げた甘露寺を見て、実弥は一瞬盛り上がったやる気がしぼむのを感じた。
見るからに、良いところに生まれ育ち、醜いものを知らない純朴な娘だ。
鬼を殺す血なまぐさい職業に似合うとは到底思えなかった。
「お嬢さんは娑婆に帰れよ……」
「それが、世間に居場所がなくて」
甘露寺がそう言いながら、シャッ、と刃擦れの音を立てて抜き放った刀に、実弥はじめ一同は絶句した。
「長っ! なんだその刀?」
変わった武器の扱いがうまいから、と煉獄が言っていた理由がやっと分かった。
5メートルを超える刀身は異常に薄く、まっすぐに保てないほどだ。鞭のようにしなり、甘露寺の周りに生物のように弧を描いている。
さしもの実弥も、こんな武器を見るのは初めてだった。ただ、厭な予感がして、実弥も刀の鯉口を切った。

煉獄が大声を出した。
「甘露寺! 遠慮はいらない。そいつは苗字が不死川だから死なない! 首を落としても大丈夫だから思いっきり行け!」
大丈夫なはずがなかった。
「また、テキトーなこと言いやがって……」
「不死川さんだから不死身なのね。よーし!」
甘露寺が刀を一度、引いた。飛び掛る前の猫科の動物を思わせる動きだった。
その瞬間、実弥はひやりとした。
―― まずい、間合いが近すぎる!
相手とは、やや広すぎるくらいの距離を開けていたつもりだった。しかしこの特殊な刀はそれくらいの間合いは無効化する。
今更飛びのいても間に合わない。そう咄嗟に判断して、実弥は前に出た。

はっ、とした時には、目の前に刀の切っ先が迫っていた。
考えるよりも先に体が動いた。そうしなければ死ぬ。実弥は踏み込んだ姿勢で抜刀した。
実弥の抜刀術は本物の剣豪も遥かに凌ぐほどに速い。刀同士がぶつかる激しい金属音に、ひゅん、と甘露寺の刀の風切音が重なった。
二人とも、飛びのく。完全に跳ね返したと思ったのに、実弥の頬に血が流れる感触があった。どこがどう当たったのかも、見えなかった。

「おぉ、初撃を受け流されてしまったか! さすがだな不死川」
煉獄は腕を組みながら、残念そうな表情だ。悲鳴嶼を除く柱たちは皆、目を剥いて絶句している。
―― 自分だったら死んでた、かも……
きっとそう思っている。遠くからならかろうじて、実弥に跳ね返されたはずの刀が意志を持つ生物のようにうねり、再度襲いかかるのが見えた。
一見、前に出て跳ね返すのは無謀で、背後に退いて避けるのを選択する場面だ。
しかし、もしあの時退いていたら、切っ先はトップスピードのまま実弥を追いかけ斬り捨てていただろう。
好戦的で、煉獄の言うとおりどんな武器でも使いこなしてしまう実弥が相手に選ばれた理由を理解した。
「技の最速、まさか、あのお嬢さんに取られちゃうのかよ……」
宇髄はショックを受けた表情だ。

一方の甘露寺も、ショックを受けていた。
―― 今のはびっくりだわ……あえて前に出てくるなんて。呼吸でもないただの抜刀術に、初撃をはねかえされたのは初めてよ。
鬼殺隊が使う「呼吸」では、水の呼吸のような例外を除けば、基本的に全て守りよりも攻撃を重視する。
無限の体力と再生力を持つ鬼に対しては長期戦は無意味。どれほどに早く勝負を決めるかが肝になるからだ。
それにしても、と甘露寺は考える。目の前の男は、今までに出合ったどの隊員よりも、攻撃が得手だ。
「……行きます」
「わざわざ言う奴がいるか。黙って来い」
真剣になった男の言葉に、甘露寺の心にも火がつく。目の前の戦いに集中する。

ふわり、と甘露寺は中空に跳んだ。そして思い切り身体をしならせ、刀を振り下ろした。
刃物とは思えないような流線的な動きで刀は弧を描き、背後から実弥を襲った。
実弥が紙一重でかわすと、地面に降り立った甘露寺が更に追撃する。

恋の呼吸の真骨頂は、神速で縦横無尽に繰り出される刀さばきにある。
刀は一本しかないのに、まるで四方八方から同時に複数の太刀を受けたような錯覚を覚えるほどだ。

防戦一方に見えた実弥は身体を低く落とし、上から斬りあげる。ここで初めて呼吸を使った。
四の型・昇上砂塵嵐。
「きゃっ?」
上空から斬りつけようとしていた甘露寺が、風を受け悲鳴を上げる。
風に混じって幾つもの剣戟が迫り、甘露寺の攻撃を全て叩き返す。まるで風の刃が繰り出されたようだった。
「これは面白いな」
黙っていた悲鳴嶼が笑みを浮かべている。
今まで、一対多数の広範囲攻撃が得意なのは実弥のみだったが、対鬼の選択肢が増えたことを喜んでいる様子だ。

甘露寺はストッと着地し、改めて実弥を見た。
「風の呼吸って、本当に風が起こるのね……びっくりした」
炎や水の呼吸だからと言って、当然人間が炎や水を出せるわけではない。
しかし風については、明らかに本当に風を巻き起こしているように見える。一体どういう仕組みなのか甘露寺には想像もつかなかった。

それにしても「きゃぁ」はねえだろうよと実弥は思ったが、体勢を立て直して再度打ちかかってきた甘露寺を見やった。
とてつもなく速く、とてつもなく斬れる鞭を相手にしている、と思えばしっくり来た。
四方八方からの同時攻撃は、スピードが落ちることもあり、実弥には相性のいい技だ。
しかし時々鋭い切っ先が懐に飛び込んでくるほうが厄介だ。
ただ、何度か打ち合ううちに気づいた。無限の太刀筋があるように見えて、実は攻撃パターンは限られているようだ。

「オイオイどうしたァ? 長期戦は慣れてねぇのか?」
「まだまだ!」
地面すれすれの一撃が叩き込まれる。実弥の目前で生物のように切っ先が起き上がり、うねりながら身体を狙ってくる。
実弥はその刀身を踏みつけた。
「お……」
煉獄が身を乗り出した。
「……勝負ありか」
黙って見守っていた義勇が腕を組んだまま呟いた。

退くかと思った甘露寺は、ぱっと刀の柄を手放した。腰のベルトに差していた鞘を抜き、一気に実弥に打ちかかった。
「まずい、不死川に接近戦を挑むな!」
伊黒が思わず大声を出す。
どっちの味方なんだ、と心中突っ込みながら、実弥も刀を鞘に収めた。
いくらなんでも、丸腰の娘相手に真剣を向ける気にはなれなかった。

打ち下ろされた鞘の手元を握り、軽く甘露寺を押さえ込もうとした、その時。
甘露寺が身を翻し、逆に実弥の手首を握って押し返してきた。
―― マジか? どうなってんだこの怪力……
完全に油断していた。握られた手首がミシミシと音を立てる。咄嗟に胴に蹴りを放った。甘露寺は身を翻してその一撃をいなし、ふわりと屋根の上に降り立った。
「甘露寺は、捌倍娘だから気をつけろよ!」
煉獄が声をかける。
「捌倍? 何が?」
「筋肉密度だ! 力は俺とそれほど変わらん」
「情報が小出しすぎんだよ……」
実弥はぼやいた。そんなこと見た目からはぜんぜん分からない。力勝負で、こんな細腕の娘に負けたら目も当てられないところだった。

実弥はその大柄な体格に似合わず身が軽い。地面を蹴り、ひょいと屋根の上に降りると甘露寺と向き合った。
鞘ごと刀を抜き、屋根を蹴って打ちかかる。
「……っ!」
思い切り横に払うと、鞘で受け止めた甘露寺が歯を食いしばった。受けきれず横に吹き飛ばされたところを押さえ込もうとする。
しかし甘露寺は敏捷に身を翻し、鞘で応戦してきた。
「それにしても二人とも、人外に体が柔らかいですね……」
しのぶが医療に携わる者らしい発言をした。正直彼女は、剣での戦いの時は、ほとんど目で二人を追えていなかった。
肉弾戦になって改めて、二人の身体能力の高さに驚く。

実弥から距離をとるように離れた甘露寺が、庭に降り立つと同時に刀を拾いあげた。
またあの一撃が来るか。と柱たちは身構える。今度は方角が悪い、まともに産屋敷邸のほうを向いている。
悲鳴嶼がさりげなく産屋敷の前に立った。
「不死川! そろそろ切り上げ時だ!」
屋根の上の実弥に向かって声をかける。

甘露寺が初撃と同様、まっすぐに実弥を狙う。一気に懐に飛びこむ神速の一撃だ。
実弥はふわり、と屋根から飛び降りた。鞘ごと、刀を甘露寺のほうに向ける。それと同時に周囲に旋風が巻き起こった。
「―― 木枯颪」
悲鳴嶼が呟いた。その風は鋭く、甘露寺の刀の切っ先を狂わせた。
「わ……」
跳ね返ってきた刀に甘露寺が身を引いた時、実弥はすかさず甘露寺の懐に飛び込んだ。そして鞘で首を軽く打った。
「終わりだ」
「……」
へたり、と甘露寺がその場に座り込んだ。その両手が震えている。

「よくやった、甘露寺!」
煉獄が駆け寄って来た。
「真剣でこれほどの長期戦は初めてだな。不死川相手によく戦った! ……ん?」
ぜんぜん話を聞いていないらしい甘露寺の視線の先を追う。
「私よりもぜんぜん強い……しかも戦いの終わらせ方が優しい……素敵……」
実弥の背中をうっとりと眺めていた。近づいた伊黒が何か実弥に文句をいい、実弥が肩をすくめている。



「見事な手合わせだった、実弥、蜜璃」
産屋敷が縁側まで出てきて、庭で跪いた三人に笑顔で声をかけた。
「実弥。蜜璃をどう見る?」
くすん、と甘露寺が鼻を鳴らしたのが聞こえた。恋柱なんて認めない、と戦いの前に言われたのを思い出したのだろう。
実弥は地面に視線を向け、右の拳を地につけたまま応えた。
「技の初動は、今の柱で最速です。呼吸の技術は、中程度。ふざけた名前だが柱として認めます」
「本当?」
顔を上げた甘露寺の頭を、隣にいた煉獄が押さえる。
「ただし、」
実弥はそちらには目をやらずに続けた。
「初撃をかわされた後の攻撃が駄目です。技は単純、一度法則が分かれば簡単に御されてしまう。次の手を考える頭と経験が足りません。現時点では上弦相手に単独は厳しいでしょう」
「よくぞ見抜いた!」
なぜか自信たっぷりに煉獄に返され、甘露寺は落ちこんだ。

産屋敷が笑った。
「そう落ち込むことはないよ蜜璃。そもそも上弦は一人で通常の柱三人分の力があると言われているんだからね。だから柱は基本的には一人で行動しない。
柱最強の組み合わせは、行冥と実弥。攻守で組み合わせるなら杏寿郎と義勇かな。天元としのぶは誰とでも連携できる強みがある。して実弥、蜜璃に関してはどうする?」
訊ねられて実弥は身を起こし、柱たち一人ひとりをざっと見た。
「……伊黒が良いです」
伊黒は知略家だが体力に一抹の不安があり、甘露寺は逆に力はたいしたものだが知略はからきしに見える。
伊黒の肩に巻きついていた蛇が、伊黒の代わりににっこりした。



***



「……甘露寺」
柱合会議が散会した後、座敷に座り込んだまま動かない甘露寺に煉獄は声をかけた。
「結局、あしらわれてしまったな。さっき踏まれた刀は大丈夫だったか」
「ええ……」
「普通の奴はあれを踏みつけようとは思わない! しかしその刀は強度が足りないのが弱みだ。速度を磨けよ」
甘露寺は頷いた。
「大丈夫か?」
煉獄は訪ねた。いつもの甘露寺に似合わず、ぼぅっとしているように見えたからだ。
訊ねられてはっ、と甘露寺は顔を上げた。負けて落ち込んでいると思ったが、そうではないようだ。
「びっくりしたんです。煉獄さんだけが強いと思っていたけれど、柱って本当に強いんですね」
「それはそうだ。柱は文字通り鬼殺隊の『柱』。最強の七人だ。甘露寺も晴れて八人目だ。胸を張れ!」
ぽん、と肩を叩かれた甘露寺は、よし、と独り言を言って立ち上がった。
「未来のだんな様候補がこんなに……! よーし、がんばります!」
そっちかよ、と思うが敢えて口には出さない煉獄なのだった。





Update 2019/11/27