雨乾堂は、お気に入りの場所だった。
離れの名にふさわしく、浮竹が寝起きしている八畳間以外には、六畳間の一部屋しかない。
そこに大量に積み上げてある本は、病に臥せりがちな浮竹のために見舞い客が持って来たものだ。
いつでも入ってきていい、と許可を得て、そこに出入りするようになったのは一年ほど前のこと。

本を抜き出し、大人一人が寝転べるほどの広さの縁側に持ち出して、
浮竹が手ずから淹れてくれた茶を飲みながら、ひたすら読み進めるひと時が好きだった。

外は、花曇。本を読むには、日光が差し込まない程度で、かつ暗すぎもしないこれくらいの光度がぴったりだ。
たまに、ひらひらと桜の花びらが降ってくる以外は、動くものはなにもない。
遠くの十三番隊からは、話し声が遠く聞こえてくる。
隣の部屋にいるはずの浮竹は、寝入ってしまっているのかことりとも音がしない。
浮竹が茶と一緒に置いていってくれた栗の甘納豆を、無意識につまみながら本をめくる。

「ねー、ひっつん」
呼びかけられても、初めは全く気づかなかった。本に集中しすぎていたためだ。
「ねぇ!」
無意識に手を、甘納豆が載った皿に伸ばしたとき、かつん、と指先が縁側に当たった。
ん? と顔を上げると、ふくれっ面をした草鹿と目が合った。
手には、甘納豆の入った皿を持っている。
「あたし、さっきから呼んでたのに!」
「そうなのか?」
全く聞こえなかったし、いつの間にここに来たのかも気づかなかった。

「悪かったよ。甘納豆はやるから」
「いらない」
そう言いながらも、口はすでにもぐもぐやっている。
「何しに来たんだよ?」
こと草鹿とあっては、仕事の話を持ってくるはずがない。
それに、放っておくわけにもいかない。俺はしぶしぶ、本の続きを諦めて草鹿に向き直った。

「はい!」
突然差し出された本に、俺はとっさに反応できなかった。
「読んで! あたしに」
「ああん? 更木に……」
更木にでも読んでもらえよ、と言いかけて言葉を止める。あの男は、字が読めるのかも判然としない。
斑目にしろ綾瀬川にしろ、読み聞かせをするタイプでないのは間違いない。

でもそれを言えば俺だって、読み聞かせなんてガラじゃない。
断ろうとした時、草鹿と視線がぶつかる。
俺が断るなんて夢にも思ってない、期待に満ちた目で。

「……〜。仕方ねぇな」
しぶしぶ受け取り、ぱらぱらとめくってみて、手を止める。
水彩絵の具で描かれている、素朴な風合いの絵本だ。古びてはいるが、透明感はそのままに残っている。
二羽の白と黒のうさぎが、草原で仲良く飛び跳ねている。
「どこにあったんだ? これ」
「後ろの部屋」
「……ふぅん」
浮竹に、この本を贈った誰かがいるということか。
病気の時に読むには、心やすい絵本には違いない。

「ひっつん、早く!」
どこから持って来たのか、草鹿は座布団を二つ折りにして顎の下に置き、寝転んだ格好で見上げてくる。
俺はため息をつくと、初めの一行に視線を落とした。

***

「……と、いうわけで。二羽のうさぎは、一生しあわせに暮らしました」
字の少ないその絵本を読み終わるには、十五分もかからなかったかと思う。
静かになった草鹿に視線を落として、俺は思わず噴出した。
「頼んでおいて、途中で寝るんじゃねぇよ……」
そこには、座布団の上によだれを落として、幸せそうに寝入る草鹿の姿。

穏やかな春の日差しが、縁側を照らしつつある。
俺は草鹿にかぶせる掛け布団か羽織を探して、立ち上がった。