俺が朽木家を訪れることは、滅多にない。
見事な屋敷には違いないし、日本庭園や整えられた木々は確かに美しかったが、どうにも肩が凝る。
ただ、二千年も昔の鬼道について記された書類が見つかったと言われれば、話は別だった。
その頃にまでさかのぼると、現在ではもう使われていない鬼道も数多くあると言う。
貴重な本だと聞いていたが、切り出してみると朽木は案外簡単に貸し出してくれた。
雨乾堂に持ち込んでじっくり読もう。そう思った時、屋敷の一角から異様な匂いがしてくるのに気づいた。

「……なんだ? 朽木?」
朽木と言っても妹の方だ。
薄暗い台所に一人立ち、全身が入りそうな巨大な鍋をかき回している。
異様な匂いは、そこから漂ってきているらしかった。
悪臭ではない。食べ物の匂いだとは思うが……一体何を作っているのか想像もつかない。

うつむいたままの朽木ルキアの表情は見えない。
瓶から、茶色い粉を取り出すと、鍋の中に大胆に振り入れた。
「ふ……ふふふ……ふ」
笑っている?
俺はそっと身を引き、本を小脇に抱えたままその場を離れようとした。
はっきりいって、気味が悪い。

まさに、その瞬間だった。
最悪のタイミングで、俺の腹が鳴ったのは。
「ひ……日番谷隊長っ?」
朽木ルキアが弾かれたように顔を上げ、俺を見やった。逃げる隙もあったものではない。
「……食べて、行かれますか?」
流れ的に、あいつがそう言うのも、当然のことだった。

俺はおそるおそる鍋に近づき、中を覗きこんだ。
想像を裏切らない、茶色くどろどろとした不気味な物体が、鍋の中で煮立っている。
「カレー、というものです。現世の家庭でよく食されています」
本当か? 俺の疑いを察したのか、朽木ルキアは本当です、とダメ押しのように言った。
「そんなに、大量にいろんなモノを入れるのか?」
とっとと去ってしまおうとは思ったが、鍋の中のモノには興味があった。
「はい。いろんな食材を入れるは入れるほど、カレーは味があがるのだといいます」
闇鍋のようなものだろうか。

俺が見ている先で、朽木ルキアは一体何だか想像もつかないものを次々と入れてゆく。
「少しお待ちください。もうそろそろ、できますので」
そう言った時だった。棚の上に置いてあった……間違いなく醤油瓶だと思うが、
それが蓋が開いたまま、スローモーションのように鍋の中に落ちるのが見えた。

「……あ」
どぼん、と音を立てて、そいつがカレーの中に消える。
俺の非難の目を受けて、朽木ルキアは慌てて両手を振った。
「ほ、ほら、入れるは入れるほど味を増す……」
「って、かき混ぜんな!」
醤油がしみこまなかった分の、救出したカレーは決してまずくはなかった。
うまいとすら言えたのだが……残りのカレーを朽木ルキアがどうしたのか、俺は知らない。