「すごいな、海ちゃん!」
「すばらしいですわね、最後までクレフさんの別邸にいるなんて。さすが海さんですわ」
海から話を聞き終えた光と風は、同時に称賛の声を上げた。

三人とも、パジャマ代わりの白いワンピースを身につけ、それぞれのベッドの上に座っている。魔法で空気をあたためてある部屋の中は、半袖でもちょうどいいくらいの温度だった。さらりとした布地が、風呂上がりの少し火照った肌に心地よい。灯りは、互いの顔が見えるくらいに落としてある。風呂に入り、歯も磨いて眠るだけ、という状態で、眠くなるまで三人でおしゃべりに興じるこの時間が、海は好きだった。

しかし今日は、少し気分が違っていた。大きな枕をいくつも積み上げた上に凭れ、長い髪の端を指先でいじくりながら、海はぽつんと言葉を落とした。
「でも、釈然としないのよね……」
「うん、なんか変だよね」
布団の上で膝を立てて座っている光が、指先を顎に当てて考え込んだ。いつも三つ編みにしている髪は解かれていて、驚くくらい長い。
「どうして『惚れ薬』は効かなかったんだ? それに、クレフがびっくりするようなことって、床には何が書いてあったんだろう」
「そう、それなのよ」
海は大きく頷いた。

今になってみると、『惚れ薬』が効かなかったことがなんだか残念でならない。さすがにそんなことは、この二人には打ち明けられなかったが、その気持ちは大きくなるばかりだった。あの博愛主義のクレフが、たった一人を好きになるということさえ、天文学的な確率だと思うのだ。それこそ『惚れ薬』のような裏技でもなければ、クレフが自分を恋愛対象に見てくれることすらないだろう。

シーツの上で足を揃えてきちんと座っていた風が、にっこり笑った。
「その二つの疑問のうち、初めの一つは簡単ですわ」
「ええっ!?」
海と光は同時に声を上げた。
「なんで分かるんだ、風ちゃん?」
「何なの? それは」
二人の友人に食ってかかられ、風は事もなげに続けた。
「海さんが、クレフさんのことをもうお好きだから、薬は海さんに効かなかったのですわ」
「なっ、わっ、わたしは……」
―― 「何を言ってるのよ、風ったら。そんなわけないじゃない、あんなお爺ちゃんなんか」
心の中では、そう滑らかに言ったつもりだった。しかし実際は違った。おもいきり舌を噛んだあげく次の言葉を見失って、完全に初動が失敗したのが分かった。

うろたえている、と自分でも認めながら、海は首を大きく横に振った。
「そんなこと……な、なんでそんなこと分かるのよ!」
「だって、私達の世界で『惚れ薬』が効かない理由なんて、それくらいしかありませんわ」
「さらっと言わないで風! 東京で『惚れ薬』が売ってるのにお目にかかったことはないわよ!」
「ファンタジーの世界の話ですわ。といっても、ここもファンタジー度では負けてはいませんし」
説得力は本来ないはずなのだが、妙に言い返せなくなって海は黙った。それに、心の底で認めざるを得なかった。海が、クレフのことを好きなのは本当のことだ。

「えっ?」
そこまで考えて、海はハッと顔を上げた。同じように声を上げた光と視線がぶつかる。光は、彼女に似合わず戸惑ったような顔をしていた。
「クレフにも、効かなかったっていうことは……? クレフって、海ちゃんのこと、」
「ままま待って!!」
光がのけぞるような勢いで、海は光に向かって前のめりに手をのばした。心臓が口から飛び出しそうっていうのは本当なんだわ、とこんな時なのに妙に感心した。それ以上は―― 聞いてしまうと、まずい。
「そそそんなわけないでしょ! クレフが、私をなんて――ほら、私なんて初めて会った時クレフに逆セクハラしたし、クレフだって私を杖でぶん殴って――」
海が捲し立てている途中で、風が爆弾を放った。
「クレフさんも海さんのことがお好きなんですよ」
その時三人は、実に三人らしい反応を示した。風は「それがなにか?」という顔で微笑んでいたし、光は耳から煙が出たような顔でぽかんとしていたし、海はといえば驚いたあまりベッドから落ちていた。

「クレフには、そんな薬なんて、はじめっから効かないのよきっと!」
ベッドの上にがば、と顔を起こして、海は風に叫んだ。
「あら? でも、クレフさんは『どうして効かないのだ』と不思議そうにおっしゃっていたんでしょう?」
「……そ、それは、確かに、」
まさか、まさか、という思いが胸の中に膨らんでいく。今さらだが、それこそ『惚れ薬』を飲んだかのように全身がカッと熱くなるのが分かった。まさか、あのクレフが、私を――?
「まあ、全部、推測ですけれど」
にこっ、と笑って風が締めくくり、海はもう一度ベッドの上に突っ伏した。
「もう、風〜〜。私をいじめて楽しんでるんでしょ?」
「まさか。でも、そうやって赤くなっている海さんは本当に可愛らしいですわ」
ひどいわ、と壁に向かってうなだれている海をよそに、光は決然と立ちあがった。
「よし。クレフに聞きに行こう!!」
「やめて! 光、お願いだからそれだけはやめて!」
眠れぬ夜は更けてゆく――――


**


「眠れないんですか? 導師クレフ」
「……」
「クレフ?」
プレセアに顔をのぞきこまれて、クレフはハッと我に返った。どれくらい頬杖をついていたのか、肘が痛い。執務室の机の前に座ったまま、考え事をしていたようだった。机の上に置いた書類には長い間目を通しておらず、ペン先はとっくに乾いている。

プレセアは、そんなクレフを見るとふふっと笑った。そして、クレフが何か言う前に、ペンをクレフの手から取り上げ、引き出しを開けてインク壷を片づけ始めた。
「疲れていらっしゃるんですよ。そんな時は、早くお休みになられたらいいですわ」
「そうだ」クレフは急に大きく頷いた。「私は疲れているのだ。きっとそうだ」
クレフの断固とした口ぶりに、プレセアは若干引いたようだった。少し置いて、おずおずと尋ねてくる。
「あの、なにかあったのですか? 導師クレフ」
「そうだ。だからあんな幻覚を――」
独り言を言い続けてクレフは、プレセアの心配そうな顔に、はたと言葉を止めた。
「……。何かあった、というか。何もなかったというか」
「どうされたんですか、本当に」
プレセアの表情に笑顔が戻った。どうやら、深刻なものではないと察したらしい。

「―― レイラのことなのだが」
突然切りだすと、プレセアは一瞬目を丸くして、ふっと息を漏らした。吹きだしたいのを堪えているような表情だった。
「レイラなら、先週会いましたわ。相変わらず、元気そうでした」
「そうか」クレフは沈痛な面持ちで返した。「元気なのか……」
「彼女が、また何かやったんですか?」
「やったというか、何もやっていないというか……」
「煮え切らないですね、あなたらしくもないですわ。私が明日、城に連れて来ましょうか?」
「やめろプレセア、それだけは止めてくれ」
クレフは頭を抱えた。眠れぬ夜は、更けて行く。



A Surpriser fin.





* last update:2013/8/26