あいつの体温は、陽だまりによく似とる。 まるでお陽さま抱いとるみたいにな。 一年に一回、八月十五日。 この日だけ、精霊廷はソウル・ソサエティの人間にもその門戸を開く。 まぁ、立ちいれるんは一区間だけやし、精霊廷の周りに住んどる奴等だけやけどな。 ボクは三番隊の二階、屋根裏部屋みたいな部屋の窓に腰掛けて、通りを見下ろしてた。 通りの両側には、射的、金魚すくい、ヨーヨー釣り、とうもろこし、カキ氷。 これでもかってゆう位、屋台が立ち並んでる。 屋台の周りには子供が群がって、大人は通りの真ん中に出された椅子に座って酒飲んどる。 夕日が沈もうとしてる通りを煌々と松明の灯りが照らす。 ボクのいる部屋の中にも、ちょっとだけその光がとどいとった。 でも、部屋の奥のほうは、何があるんか分からんくらいの闇や。 ボクは窓枠に座ったまま、膝に置いた本をパラリ、とめくる。 字なんかほとんど見えん。読みにくいんやけど、ボクはこの空気が気にいっとる。 埃っぽくて、薄暗くて、誰の目にも留まらん。 その時、通りからの声に、ボクは本から顔を上げる。 「うぉ、あの女見ろよ!」 「すっげえ美人」 言っとくが、女好きなわけやないからな? まぁ、つまらん本よりマシなんは認めるけど。 見下ろす先にいたんは、黄金色の波打つ髪が背中を覆った、すらりとした長身の女。 その白地の着物には、真紅の大輪の薔薇が咲いとる。 こんな派手派手しい着物があっさり似合ってしまう女なんて、精霊廷探しても1人しかおらん。 細い、白い指が自分の髪を掻きあげる。 着物の柄に合わせた紅い爪がここからでも見える。 その香水が薫ったんが分かるような気ぃさえするわ。 「バカ、ありゃ死神の中でも副隊長だぜ?松本乱菊!ヘタに手出したら殺されるぜ」 「ホントか?もったいねえ・・・」 それを耳の端に効きながら、ボクの目は無意識に目の前にかざしてた右手に吸い寄せられた。 正確には、その人差し指の先へやけど。 この指がアイツに最後に触れたんは、どれくらい前やったやろ。 女に触れた余韻をひとりで思い出すほど、もてへん訳でもあるまいし。 未練なんか、アホらしい。 別にアイツは拒まんやろ。 でもボクは、もうアイツには触れんと決めとる。 でもまァ、アイツとのそぞろ歩きも悪ないな。 ボクの視線の先で、乱菊は屋台の前で足をとめて、そこのオッサンと何か話しとる。 よっこいしょと窓際から立ち上がったとき。 乱菊は振り向いて、ボクのほうに顔を向けた。 酒のせいか、頬が上気してて、見慣れたボクが見てもなんだか綺麗や。 「たーいちょ!日番谷隊長!」 ピタリ、とボクは体の動きを止める。 「なんだよ?大声出すんじゃねえ」 ボクの視線の先で、人ごみをスイスイ避けて日番谷はんが現れた。 渋い緑の着流しを大人みたいにまとって、きゅっと黒い帯を締めとる。 不思議やな、霊圧も消しとるしタダのガキに見えるやろに、やっぱりちょっと違うらしい。 回りは普通やないと分かって自然によけるんやろな。 こんな混雑でも全然他の奴に動きを邪魔されてへん。 「このカキ氷屋さん、氷切らしちゃったみたいなんですよ。出せます?」 乱菊の艶のある声は、こんな場所でもよう届く。 なるほど、周りにワラワラ群がった、もの欲しそうなガキらはそういう理由か。 「・・・俺がどんなに、仕事以外で氷出すのが嫌いなのかは知ってるよな??」 にべもなく日番谷はんは言い放つ。 確かに夏になるといっつも、十一番隊の草鹿やちるに追いかけまわされとる姿を見るからなァ。 「そーんな冷たいこと言わないでくださいよ」 「や!いや!隊長様にそのようなことしていただくわけには・・・結構ですので!」 カキ氷屋のオッサンは、恐縮しまくって頭を何回も下げとる。 周りには、いきなり現れた隊長格ふたりに目をキラキラさせとる流魂街の子供。 「あ、そっか、隊長刀もってないですもんね。刀がなければそもそも無理か」 乱菊は気を使ったような声を出す。あくまで「ような」や。 「あぁ?」 「すいません、気が回らなくて」 わっざとらし・・・ ボクが突っ込みそうになったとき、 「バカ言うんじゃねえ。出せるに決まってんだろ」 不機嫌そうに日番谷はんが言い返す。 なんや?乗ってやるんか。 「ホント?ホントに出せるの??」 子供たちの歓声にチラリと目をやると、無言で屋台の台の上に手を出す。 手品みたいに、手の下に急に現れた氷に、見守るオッサンとガキらの口が、全く同じ形に開く。 「行くぞ松本」 日番谷はんは乱菊だけにそういうと、ざっと踵を返した。 「あ・・・ありがとうございます!」 「すげえ!」 オッサンと子供たちの声が、その背中にかけられる。 「はーい!」 乱菊の張りのある声がそれに返す。ふふっ、と笑いながら日番谷はんの背中を追う。 それを見て、ボクは思う。 よかったな、て。 乱菊とボクが一緒に暮らしてたとき、ボクは乱菊が寝てる隙に、よく抜け出した。 決して、背中を追わせてやらんかった。 「行くで、乱菊」 そういってやるには、ボクの行くところはいつも、乱菊にはもったいないような薄暗いとこやったからな。 でもきっと、日番谷はんが連れて行ってくれるんは、そんなトコちゃうで。 もっとまっとうで、もっと光に満ちたところのはずや。 だから、ボクはもう二度と、お前には触れん。 「ん?」 乱菊はその時、ふと笑顔を消して、日番谷はんを追う足を止めた。 「ギン?」 何やって? ボクはその声に正直ビックリする。 霊圧を消しとるときのボクは、誰にも見つからん自信あるのに。 気配感じとっとる訳じゃないらしくて、視線はボクからズレとるけど。 後ろを振り返る乱菊に気づいて、日番谷はんが足を止めて肩越しに乱菊を見やった。 「どうした?松本」 「えぇ。ギンの声が聞こえたみたいな気がしたんですけど、気のせいかな」 「アイツがこんな祭りに出てくるとは思えねえけど」 「意外と、屋台の食べ物とか好きなんですよ?後で持っていってやります」 ボクを探すんを諦めたらしい乱菊は、たたっと日番谷はんに走り寄った。 「あ!日番谷くん、乱菊さん!」 「やぁ、お2人さん」 その時、ふたりにかけられた声、その気配に、ボクは目を見張る。 ふたりに合流したのは藍染隊長はん、そして雛森ちゃん。 おーおー、穏やかに笑てはるなぁ。 ボクに言わせれば、なんで周りの奴等はこんな風に笑う藍染はんの隣に平気でいられるんやろ。 あの人、まったく同じ笑顔で人も殺すで。 話しかける雛森ちゃんに何かを返しながら、乱菊がもう一度振り返った。 今度は、まともにボクのほうを。 ―― きづいとるんか・・・? でも、乱菊から見たら、ボクのいる場所は真っ暗なはずや。 結局なにも見つけられんかったんやろ、乱菊の視線は空を切る。 ふぅ。ボクがため息付いた時。 後ろから声が聞こえた。 「何してる、こんなトコで」 驚かんかったって言ったら、ウソになる。 「いや、人間観察はボクの趣味やからな」 笑顔をつくって、ボクは振り返った。 「趣味悪ぃんじゃねえのか」 暗い部屋の壁に背中をもたせかけ、腕を組んで立ってたんは、日番谷はん。 いつの間にここに来たんか、気配もまったくせんかった。 子供は隠れんぼが好きって言ってもこれは、いきすぎやろってくらいの抜き足や。 「行ってやれよ。松本が探してるぞ」 日番谷はんは、親指の先をくいっと外に向けた。 「アンタこそ、行ってやらんでええの?」 視線の先では、日番谷はんがいなくなったことに気づいて、あちこち探してる3人の姿。 藍染はんの瞳が、ちらりとこっちに向けられた。 そして・・・冷酷な、といってもいい視線が一瞬、こっちに投げつけられる。 その視線の先を追って、ボクは続けようとした言葉を止めた。 藍染はんと日番谷はんの瞳が、斬れそうなくらい鋭く交差しあったのが分かったからや。 それは、ほんの刹那。 でも・・・同僚が交わすような表情やない。 ボクは、あらためて日番谷はんを見た。 「・・・市丸」 日番谷はんは、外に目を向けたまま言うた。 「なんや」 「ソウル・ソサエティを裏切ってもいい」 何を言ってるんや、コイツは? 偶然図星に当たったんか、確証があるんかは知らん。 でも・・・もし後者やったら、これは流せんな。 ボクは、腰に差した斬魂刀を意識する。 日番谷はんは、ボクの殺気に気づいたんか、視線をボクにまっすぐに向けた。 「でも松本は裏切るな。殺すぞ」 本気、やな。 たった一人で、隙間風の差し込む小屋に取り残されて。 目が覚めてそれに気づいた子供の頃の乱菊は、一体どう思ったんやろな。 聞いてみたことないけど、たまに、そう思うことあるわ。 たった一人の一日を、どうやって過ごしてたんやろ。 憎んだんやろか。悲しんだんやろか。 そしてこれからボクがすることは・・・一日、どころやない。 日番谷はんとあって、信頼ってものを知った乱菊を、更に痛めつけるに違いない、裏切り。 「そんな時が来たら・・・遠慮なく、殺してくれてかまへんで」 なんでそんなことを口走ったんかは分からんけど、気づいたら口にしてた。 日番谷はんの眦がキュッとつりあがる。 その右手が、中空に上げられる。 斬魂刀もないくせに、やる気か? ボクが腰の斬魂刀に視線を落したとき。 パキッ、と日番谷はんが指を鳴らした。 それと同時に、ボクの隣においてあった蜀台に小さな炎が灯る。 部屋の中が、一気に光に満たされた。 「あー!ギン!と、隊長・・・?」 乱菊の大声に、ボクらは視線を外に逸らした。 日番谷はんは、チラリとボクを見ると、ふっとその場から姿を消した。 次に現れたんは、雛森ちゃんの隣やった。 「もー、ギン!そんなとこにいたのね。早く来なさいよ!」 怒ったような乱菊の声を、ボクは懐かしく聞いた。 どんどん、遠くなる気がするわ。 ごめんな、乱菊。 でも、皮肉なことに。日番谷はんがいるなら、ボクは遠慮なくお前を裏切れる気がする。
ひとやすみ様よりお題をお借りしました。 01〜10話「ちょっぴり切ない10のお題」 「触れたい手」と対になってます。
[2009年 2月 28日]