@ チョコレート100gと、フルーツを適宜用意してください。フルーツは水気を切り、一口大に食べよく切って器に盛り付けてください。
A チョコレートを全て、陶器の器に入れてください。
B チョコレートを湯煎し、液体になるまで溶かしてください。炎熱系の鬼道を使用する場合は、火力に気をつけてください。


「おい」
台所で作り方を読み上げていた雛森に、部屋から日番谷が声をかけた。
「なーに?」
「なんでせっかく固まってるチョコレートを溶かすんだ」
「そういうお菓子なの。……言っておくけど、飲めとか言わないから安心して」
明らかに顔を引きつらせた日番谷に、それだけはフォローしておく。チョコレートフォンデュ、なんて言っても、現世に疎い日番谷にはそれがなにか分からないだろうから、実物を見たほうが早い。

「しかも、その桃、生だろ。今から料理すんのか?」
黙って座っているには、好奇心が勝ちすぎるらしい。立ち上がって台所のほうへ歩いてくると、桃を一口大に切っている雛森の肩の後ろから、日番谷が顔を覗かせた。その顔を、掌で押し返す。
「なんだよ?」
「黙って待ってて! もうすぐできるから!」
不満そうに日番谷が下がった。こういうところはまだまだ子供だと、雛森は少しだけ嬉しくなる。


「まず、チョコを溶かすでしょ」
チョコを入れた陶器の器を、掌で包み込むように持つ。瞳を閉じると、手の周囲が朱色の光で覆われていく。あたたかなその光に包まれたチョコレートが、すぐにとろりと輪郭を変えてゆく。
「で、このチョコに、その桃を入れて食べるの」
「は? これを、それに?」
桃だけで食べたほうがうまいだろ、と続けた日番谷を、雛森は睨み付ける。
「バレンタインなんだから。チョコ食べないでどうするのよ」

俺は桃だけでいい、と言った日番谷にチョコを無理やり受け取らせながら、雛森はふと思いついて首をかしげた。
「不思議だよね、日番谷くん甘いのは果物でも苦手なのに、桃は好きなんだ」
「……」
「なんで桃だけ好きなの?」
「……オマエな。それを言うのに躊躇いとか衒いはねーのかよ」
「え? なにが?」
何が気に入らないのか、日番谷はしかめっ面を背けてしまった。


「俺の好みになんか、合わせてる場合かよ」
日番谷は何度目かのため息をつくと、雛森の手から陶器を取り上げる。そして、液体になったチョコレートを気味悪そうに見下ろした。チラリ、と横目で雛森を見やる。畳に両膝をついて、桃にフォークを添えているその横顔ほど、日番谷にとって難問はなかった。考えていることはひとつだろうに、その気持ちが分からない。

「『男でも作れ』って、また言うつもり?」
日番谷の視線に気づいたのか、雛森が顔を上げた。その両膝の上に、拳を揃えてちょんと置いているのが、まるで猫の前足のように可憐に見えた。
「じゃあ、なんであんなこというのよ」
「あんなこと?」
雛森のなだらかな肩のラインが、いつになく固く上がっているようだ。
「『雛森と付き合いたいなら、俺より強くなきゃ認めない』って」
なんでそれを。訊ねるより先に、日番谷の手からチョコが入っている陶器が、こぼれた。

「あっ!」
声を上げたのは、同時。普段の反射神経なら、落ちかける容器を捕まえることもできただろう。しかし何にせよ初動が遅れた。叫んだときには、溶けたチョコレートは無残にも、雛森の体に降り注いでいた。

「わっ、悪ぃ雛森、大丈夫か?」
慌てふためいた日番谷が、足早に台所へ走りこむと、手ぬぐいを何枚か持って戻ってきた。そして、チョコレートのかかった死覇装を手早くぬぐう。ほとんどは容器の中に残っていたが、点々と死覇装と、その顔に茶色い雫を残していた。

「ん、大丈夫……けっこう冷めてたみたいだし」
右手でぬぐった頬は、赤くなってもいない。雛森は何を思ったか、日番谷の右の手首を握りこんだ。そして、袖をぬぐっていた左手も、同じようにしてそっと掴んだ。決して強い力ではないが、動きを止められた日番谷が、雛森をいぶかしげに見下ろす。

見下ろした途端、ぎょっとした。自分の顔が映りこむほど至近距離で、見詰め合うなんて子供の時以来だった気がする。黒目がちな大きな瞳が、外のやわい光を浴びてキラキラと輝いている。吸い込まれそうなそれは、おそろしいくらい「女」だった。

「ねぇ。口元にも、チョコついてる」
視線を少しだけ落として、雛森は囁くように言った。確かに、その唇の際にもチョコがついている。別の生き物のように艶めいて動くそれを見た途端、日番谷の表情が明らかに強張った。

「あのな。天然なのもいい加減にしろよ」
やばい。そう思っていた。これ以上雛森の顔を至近距離で見てしまったら、歯止めが利かなくなるかもしれない。女に対してそんな気持ちをマトモに抱いたことの無い日番谷からしたら、それは違和感のありすぎる感情だった。横に向けた頬に、雛森の刺すような視線を感じる。
「……これは、わざとだよ?」

絶対に振り向くな。そう思っていたのに、思いがけない言葉に気づけば雛森を見返していた。見た途端、その唇から視線を離せなくなった。凝視されている先に気づいた雛森が目を見開き、そして、そっと、閉じる。まるで誘うように、日番谷の両手首を握った指に、力が込められる。それと同時に、日番谷は雛森の上に顔を落としていた。

ペロリ、と舌先で舐めたチョコレートの味は、正直よく覚えていない。甘すぎず、苦くもなかった、ということだけ。薄く柔らかい肌に舌先が触れた瞬間、かすかにその皮膚が震えるのを感じた。覆い隠した小さな唇は、決して相手を拒むことなく、柔らかく震えて彼を迎えた。雛森がゆるく拘束していた腕を、ゆっくりとしかし断固とした力で振りほどく。

「ちょ……っと、待って」
日番谷の指が何かを試すように髪を撫で、耳朶を掠める。まるで確信を得たように腕が背中に回された時、雛森は自分から唇を離すと、両肘を日番谷の胸に当てて距離を離そうとした。
「……挑発したのは、お前だろ」
日番谷にしては低く掠れた声に、雛森の体が強張る。
「な、なんか別の人みたいだよ?」
「別人にならなきゃ、お前を抱けねぇだろ」

別人だと言われるなら、本望だった。いつまでも弟格のままでは、いつまでたっても増えられないというのなら。月並みだが、やっぱり自分はこの女に恋しているのだ。初めて、まともにそれを見つめる気になった。それに気づいた時に相手が腕の中にいるというのに、止める法はない。

首元でしっかりとあわせられた三角形の襟元に視線を落とし、その上に掌を置いた時、ポツンと日番谷の掌に、液体が落ちた。見上げると、涙をいっぱいにためた雛森と視線がぶつかり、日番谷は反射的に手を離した。
「挑発なんか、してないもん」
大きくしゃくりあげた雛森に、情けないことに成す術なくすくんだ。
「ものすごく、勇気がいったんだよ。日番谷くん、あたしのこと子供としか思ってないし。どうやったら女って思ってもらえるか、すごく考えて……今日だってすごく緊張して来たのに……」
こんなに一気に進めようなんて、ダメだよ。そう言われて、日番谷は思わず赤面した。
まるで姉に叱られる弟のようだ、とこの期に及んで思う。


「……日番谷くん?」
胡坐をかき、桃の入った皿を取り寄せた日番谷に、雛森が不思議そうに声をかける。
爪楊枝に差した桃を口に運ぼうとする日番谷に、チョコの残った陶器を差し出した。
「チョコはいらねえ」
「ええ? せっかく溶かしたのに……」
「俺が欲しいのは、コレだけだ」
それっきり無言で、桃にかじりつく。。それを見た雛森が、首元から額まで赤くなった。
「早く帰れ、雛森」
「えっ、でももうちょっと……」
「襲うぞ」
「ハイ帰ります」
機械仕掛けの人形のような強張った動きで、雛森が立ち上がった。日番谷の背中に視線を向ける雛森。背を向けたままの姿を、廊下の向こうから見つめる。

「本番は、バレンタインで」
えっ、という形に口が開かれる。言葉を発するのを待たず、パシン、と障子を閉めた。障子に手をやったまま、くすっ、と少しだけ笑う。障子の向こうでは、日番谷が頭を抱えているとも知らず。