「こら、キリキリ歩け! 置いてくぞ」
5メートルくらい先の隊長が、立ち止まって振り返る。
暗い夜道で光といえば、道端にところどころ灯された常夜灯と、隊長が手に持つ提灯だけ。
ゆらゆらと、光が遠ざかる。歩いてみて改めて、どれだけ自分が酔ったか気づいた。
だってまっすぐ歩けないんだもの。
「送ってってくれるんじゃないんですかぁ?」
呆れ顔で立ち止まってる隊長に、ふらふらと近づくと、どさくさに紛れて右肩にしがみついた。
肩越しに、向うの景色が見えないのに気づいて、びっくりする。
あたしが真後ろに立ったら、前から来た人には、あたしの姿は全く見えないんじゃないかしら?

「ねー、隊長」
「何だよ」
「置いてかないでくださいよ」
「置いてかないでって、止まってるだろうが、俺は」
「だからぁ。置いてかないでくださいよ」
ああ、いけない。同じ事を繰り返すのは、酔っ払いの悪い癖だわ。
あたしを大きく上回るほど成長した体で、すいすいと先へ歩いていくのね。
成長が嬉しいけれど、寂しい。

隊長は、あたしを見下ろしたまま、しばらく無言だった。
こういう時、一体何を考えてるのか、いまだによく分からなくなる。
……。
あきれ返ってるに、一票。

隊長が、提灯を吊るした棒をあたしに押しつけてよこしたのは、だからとても唐突に思えた。
「……なんです?」
「持ってろ」
あたしは、左手で提灯を持ち、右手で隊長の肩を掴んだまま、きょとんとした。
まるで、子供みたいな素振りと表情だったのは、我ながら認めるわ。
でも、それを見下ろした隊長が、クスッと笑ったのは、予想外だった。

「そのまま、つかまってろよ」
笑いを含んだ声でそう言って屈みこんだと思った途端、一気にあたしの体が持ちあがる。
「きゃぁっ!?」
「しっかり提灯持ってろ」
「は、はい!」
とっさに返事をして、隊長の顔に提灯が当たらないよう、腕を伸ばした。

こめかみに、意外なくらいサラリと繊細な銀髪が触れる。
視界が、いつになく高かった。
おそるおそる右手を、肩から首元に移動させて、パリリと糊の効いた襟元を掴んでみたけど、隊長は何も言わなかった。
「落ちるなよ」
そう言うと、あたしを背負いなおす。


***


リーン、リーン。鈴虫が鳴く。
ゆらり、ゆらり。暗い夜道にあたしが指しのばした提灯の燈が、揺れる。
夜空には、怖いくらいの星。
あぁ、怖いくらい。怖いくらい、幸せだと思ってみる。
幸せ、なんて照れくさい言葉を自然と思い浮かべている自分が、なんだか新鮮ね。

しがみついた背中は、広くてすっぽり包み込まれるみたい。
ゆらゆらと両足が揺れるのが、何だか子供に戻ったみたいで懐かしい。
ゆっくりとした、迷いのない足取りがあたしの家へと向う。
あんな家、燃えててしまえばいい。崩れてしまってればいいわ。
そしてたどり着けないといい。

「……このまま、ずーっと歩いていければ、いいなぁ」
思わず、口に出しちゃった。思ったとおり、隊長はしかめっ面で振り返る。
「歩いてんのは俺だけだろうが。お断りだな」
「今日は皆、イジワルです」
「あ? 何かあったのか」
前を向いていた隊長が、わずかに振り返る。
と、ぅわ、と隊長には珍しい変な声を出して、肩を震わせる。
「いきなり首に息を吹きかけんな! 気持ち悪ぃ」
「隊長が、あんまりにも鈍いからです!」
俺が? って隊長があたしを振り返って、睨みつける。あたしが睨み返したのを見て、納得いかないみたいに片眉を上げる。

「何かあったのか」じゃないわよ。隊長がお見合いをした日じゃないの!
その様子を想像し続けて、似合わない心配にくたくたになったあたしの気持ちなんて、分からないんでしょうね。
このままの関係で、いられたらいい。でもそれは不可能なことで、タイムリミットが迫っていると思い知らされるあたしの気持ちなんて。

「俺は、相手の気持ちを推し量ったり、駆け引きしたりするのは苦手だ。言いたいことがあるならはっきり言え」
しばらくして、隊長はそんなことを言ってきた。
気に入らない、でも理由ははっきりいわない、そんなあたしの珍しい態度に、手を焼いたのかもしれない。

隊長を困らせてる、でもあたしには、どう伝えたらいいか分からない。
ただ、首に回した腕には、知らず知らずの間に力が入ってしまってたらしかった。
あたしの体を支えなおす強い腕を感じて、目を閉じる。
あたたかなぬくもりが、あたしを包む。ほっ、とした時には、意識が遠のいていた。


***


チチチ……
雀がさえずる声に、あたしはフッと目を覚ました。
障子から差し込んでいる日差しは、もう十分高い。昼前くらいかもしれない。
でもかまわないわ、今日は仕事休みだもの。

そう思って、再び肌触りのいい布団の中にもぐりこんで、あれ? って考える。
いつもの布団のにおいと、違ってる。
使っている石鹸の匂いなのかしら。よく知ってるけど、あたしのじゃないわ。
ん? と心中眉をひそめながらも、それを上回る心地よいまどろみに、意識をさらわれる。
ま、いいか。
そう思って、再び目を閉じた時だった。

「いつまで寝てんだ、松本」
突然ありえない声が、ありえないほど近くから聞こえる。
「ふぁい……」
「いい加減起きろ!」
「ふぁーい……。って、何っ!?」
あたしはようやく覚醒する。がばっ、と起き上がった。

「……た、隊長?」
「おぅ」
何だか腫れぼったい目をした隊長が、部屋の逆側の隅に座って、柱に背中をもたせかけてた。
畳の上に両足を投げ出して、氷輪丸も傍に転がったまま。
ふぁ、と欠伸をしたその表情は、珍しいくらいボンヤリしてた。
「何してんですか? あたしの部屋で」
「まだ寝ぼけてんのか? ここは俺の部屋だ」
「へ?」
あたしは、きょろきょろと部屋の中を見回す。すぐに、確かに、と納得した。
あたしの部屋じゃないわ。

十畳ほどのその和室は、寝室としてだけ、使われているみたいだった。
障子の側に敷かれた布団の傍には、行灯がひとつだけ。
床の間にも、花や掛け軸のひとつも置いてない無粋な感じが、何だか隊長っぽい。
作りかけの木のコマらしきものが、荒削りのままポンと放り出してあった。
廊下側には、これまた隊長らしく机が置かれ、何冊かの本が重ねておいてある。
寝る前にも本読んでるの?

隊長は、もう一回欠伸をすると、机に肘を置いてもたれかかった。
「もしかして寝てないんですか?」
「……おぅ」
「あたしが寝かせなかったとか♪」
「……阿呆……」
リアクションが、いつもにも増して薄い。
怒る気もしないのか呆れたのか、隊長はそのままズルズルと机に伏せてしまった。
「何も、覚えてねぇのかよ……」

うん? とあたしは首を捻る。
「ちゃんと覚えてますって。飲んでたでしょ。で、隊長に背負われて夜道を歩いた」
「その後は」
「寝ました」
「それは覚えてるとは言わねぇんだよ。お前が! 俺の背中でぐっすり寝入っちまうから、こんなことになるんだろうが。
お前の部屋は鍵がかかってるし、お前は起きねぇし、扉を打ち壊して部屋に入るわけにもいかねぇだろ」
唸るような隊長の声に、あたしは思わず、ぷっと吹き出した。
「何がおかしいんだよ?」
顔をわずかに上げた隊長が、腕の間からあたしを見上げてくる。

おかしいわよ。
夜中に、爆睡したあたしを背負ったまま立ち尽くしていただろう隊長を思い浮かべるだけで笑える。
たたき起こせばいいのに、それができないのが何だか隊長らしくって。

「すいませんって、寝ちゃったりして。で、あたしをこの部屋まで連れてきてくれたんですね」
「しかたなくだ」
「分かってますよ。で、あたしを布団に寝かせたまま、放っておくわけにもいかないし、一晩中そうやって三角座りしてたんですか?」
「三角座りなんかしてねぇ……って、笑うな!」
大口をあけて笑ったあたしの傍まですっ飛んでくると、隊長はあたしの口をバンッと押さえた。
「言いそびれてたけどな。でかい声出すな。外に聞こえるだろ」
「外って……」
「霊圧、探ってみろ」
うんざりしきった隊長の声に、あたしは改めて、周囲に意識を集中させる。
……そして、隊長の疲れの原因に気づくのに、時間はかからなかった。

「……なんでです? この事態」
外に、大勢の死神が集まっている。もしかしたら百人は越えてるかもしれない。そこまで来たら、「包囲」に近い。
霊圧を探らなくても、耳を澄ませばざわざわいう声が聞こえてくるくらいだ。
「俺が聞きてぇよ」
あたし達が言葉を交わした時。外から、拡声器を使ったと思われる、声が聞こえてきた。
「日番谷隊長! 松本副隊長が中にいるのは分かっています。出てきてくださーい!」
へっ。
あたしの思考が、急停止する。
今のは、確かに修兵の声。でも何で、まるであたしが誘拐されたみたいな言い方をされてるの?

「……分かっただろ。でかい声出すなよ」
心なしか隊長の言い方も、誘拐犯っぽいし。こく、とあたしが雰囲気に押されて頷くと、少しあたしから体を離した。
「言っておくけどな。何もしてねぇぞ、俺は」
「隊長にそんな度胸がないのは知ってます、安心してください」
「黙れ。いいからこれ見ろ」
立ち上がると、机の上に半開きにしてあった雑誌を取って、あたしに放り投げてきた。
見慣れた表紙は、瀞霊廷通信に違いない。日付は今日になっていた。

「今日の朝一に出た臨刊らしい。頼みもしねぇのに、部屋の入口にそっと置いてあったんだよ」
「ふぅん……って、何これ」
それに視線を落として一秒で、あたしは何が起こったのか悟った。


臨時速報!
日番谷冬獅郎(十番隊隊長)、松本乱菊(同副隊長)とお泊りデート! ゴールインは間近か!?
数多くの見合い話を蹴り、女に興味がないのか、はたまたホモかと思われていた日番谷隊長に、ついに艶聞が発覚した。
しかも、相手は副隊長の松本乱菊だというのだから驚きだ(涙)。
編集部は、昨日の夜、日番谷隊長が松本副隊長を抱え、私室へ消えるところを激写した。
そして尚、部屋から出てきてはいない……つまり疑惑は今現在も続行中なのだ! 
(……中略)この件に際し、山本総隊長は、「それならそうと先に言ってくれればよいのにのォ。二人の子供は、女の子じゃとよいのじゃが」とコメントを――

「読み上げんな」
そこまで声に出して読んだとき、隊長があたしの手から瀞霊廷通信を取り上げた。
「いや、でもこの写真、すごいですね」
それはそれとして、あたしはでかでかと掲載された写真に視線を落とす。
ほとんど真っ暗闇なのに、隊長と、背負われたあたしの輪郭がはっきりと分かる。
タイミングよく、自室の扉を開ける瞬間が捉えられていた。

「完璧です」
「なにが完璧だ。こっちは大迷惑……」
「あたしが仕込んだんです、このカメラ」
「あん?」
隊長が、普段は潜めているガラの悪さを前面に出して、胡散臭げにあたしを見下ろしてくる。
「隊長のプライベートを激写して、瀞霊廷通信に売りつけちゃおっかなって♪」

隊長は、ちょっと遠い目をしたみたいだった。
「……もういい、この件でお前と分かりあうのは百年前にあきらめてる。ていうか、てめぇが激写されてどうすんだ。うかつすぎだろ」
「計算外でした。でもまぁ、もうどうしようもないですよ」
「開き直んな!」
怒鳴った隊長は、はぁ、とため息をついて頭を掻いた。

「とはいえ、お前をここに引っ張りこんだのは俺だ。まさかこんな事態になるとは思ってなかった。お前まで巻き込んですまなかったな」
「自首する前の誘拐犯みたいな言い方ですね、隊長」
「何が自首だ。俺は何もしてねぇ。身の潔白を証明するまでだ」
「知ってます? 現世でやってるテレビドラマじゃ、そんなこと言う人って大体有罪なんです」
「阿呆、他人事みたいに言うな。俺が身の潔白を証明できなかったら、お前も同じ立場なんだぞ。ていうか、尚更悪いだろ」
「へ? どうして」
「全然妙齢じゃねぇけど一応、お前も嫁入り前だろ。こんな噂が立つメリットって何もねぇぞ」

……。
「ちょっと隊長、ケリ入れてもいいですか?」
あたしの殺気を感じたんだろう、隊長が上半身をのけぞらせる。
「あたしがキズモノになったって言いたいんですか! そんなこと言ってるヒマがあったら、俺が責任を取ってやる、の一言くらいないんですか!」
あっ。言っちゃった。言いながら、ヤバイと思ったけど止められない。

「……何言ってんだ。まだ寝ぼけてんのか?」
隊長の答えは、それこそ寝ぼけてた。「隊長」じゃなければ本気で蹴っ飛ばしてたと思う。
「寝ぼけてませんっ!」
「じゃあ寝ぼけてたのはあの時か? お前は、まだ――」
だんっ、と机を掌でたたいて、隊長が身を起こした。その覆いかぶさってくるような体の大きさに、あたしは心中たじろぐ。
「……『あの』時?」
隊長がしまった、とでも言いそうに顔を歪ませたけど、あたしには何のことか分からない。
いつも腹が立つほど余裕綽々の隊長に、そんな表情をさせる何かをした……記憶が、ないんだけど。

「もういい!」
隊長はあたしがきょとんとするのを見て、いち早く話を断ち切った。
「お前は押入れの中にでも隠れとけ。野次馬は俺が追っ払う」
霊圧でバレてるっていうのに、押入れに隠れる行為にあまり意味はないと思うわ。
「えっちょっと隊長、話は終わってな……」
「長話してる余裕はねぇだろうが! 話なら後で……」
「ちょーっと、いいかなぁ」
「よくねぇ!」
あれ? 割り込んできた声に、とっさに言い返した隊長とあたしは顔を見合わせる。
「……京楽? 何か用か?」
野次馬達がたむろしている縁側ではなく、廊下側から今確かに、京楽隊長の声が聞こえた。
こんな状況で何が用か、と聞くのもなんだかおかしかったけど、そんなこと気にして笑ってる心理状況じゃなかった。

「入るよ」
パシン、と音を立てて、引き戸が開けられた。廊下に仁王立ちになった京楽隊長の姿に、あたしたちは向き直る。
「京楽、隊長……?」
なんか、怒ってない?

「説明してくれないかい? 日番谷君」
あたしは、これほど京楽隊長が厳しい声を出すのを、初めて聞いた。
編笠の下の視線が、痛いくらいにまっすぐ隊長を貫いてるのが分かる。
「僕は確かに、君に乱菊ちゃんを家まで送って面倒みてくれるように頼んださ。でも、それは君が安全だと思ってたからだ!
こんなとこまで面倒みろなんて言ってないよ?」
「はぁ? こいつが寝てるから、仕方なくここに連れてきただけだ! 俺は何も……」
「何も意図がないなら、なんで自分の部屋に連れて来たんだい? 雛森君の部屋とか、連れて行く場所は他にもあるだろうに」

この隊長が、よりによって京楽隊長に糾弾される場面を見るなんて。しかも、色事で。
おもしろ……いや、いたたまれない。
隊長は鈍いから、全然深い意味ないわよ。さすがにそう助け舟を出そうとして、隊長の横顔を見上げる。
……言葉を、なくしているの?

隊長はあたしを目が合うと、長いため息をついた。そして、京楽隊長に向き直る。
「……お前には、関係ねぇだろ」
その声音は、あたしがこれまで、耳にしたことがないものだった。
隊長としていつもオブラートに包んでる声じゃなくて……もっとずっと生々しい。
あたしはもしかして、ものすごく何かを、勘違いしてるんじゃないかしら。不意にそんな思いが頭をよぎる。

そう思ったあたしの思考回路は、次の全く奇想天外な京楽隊長の宣言に、断ち切られることになる。
引っぱたかれたような気持ち……どころじゃない。
引っぱたかれて蹴飛ばされて、おまけに爆薬でも仕掛けられたような気分だった。
言うに事欠いて、京楽隊長はこう、隊長に言い返したのだ。
「関係あるさ。立場上黙ってたけど、乱菊ちゃんは僕の婚約者なんだ。今更手出しは許さない」
「……は」
隊長が、絶句する。当たり前だ。

あたしに、視線がゆっくりと落とされた。感情が追いついていない、全くの無表情だ。
「松本、それは……」
あたしは返答にためらった。こんなあからさまな嘘、否定するのは簡単だ。
でも、一体どういう目的で京楽隊長がそんなことを口にしたのか、分からなかったから。
空白が落ちた、その瞬間。
「連れて行かせてもらうよ」
ふっ、と肩に大きな手が乗せられる感触があり、あたしは振り返る。
「きょ……」
京楽隊長、と言い終わる余裕はなかった。ぐいっ、と引き寄せられる。
京楽! 怒鳴った隊長の声に、あたしは反射的に身をすくめる。
怒ってる……激怒、と言っていいくらいの激しい言葉を最後に、その場の景色は掻き消えた。